高射砲

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ドイツ軍による88ミリ高射砲の射撃によって、主翼を破壊されるB-24爆撃機
第一次世界大戦中のカナダ軍の高射砲部隊

高射砲(こうしゃほう)は、敵航空機の攻撃から自軍を護るために作られた火砲普仏戦争で敵の弾着観測気球を狙い撃つため、プロイセン軍が用いた軽量砲架の小口径砲がその祖形[1]である。

1912年ドイツ野砲を改造して使用したのが近代的高射砲の始まりである。主に第二次世界大戦において高々度から侵入する連合軍の戦略爆撃機から軍事施設あるいは人口密集地の都市を守るためにドイツ軍は対空射撃管制装置ウルツブルク・レーダーと高射砲を組み合わせ有効な防空戦を展開した。

野戦において陣地あるいは装甲車両などの戦術目標を中・低空から攻撃する戦術爆撃機急降下爆撃機に対しては高射砲ほどの大きな射高を必要とせず効果的に弾幕の張れる機関砲が利用された。

大日本帝国陸軍では高射砲大日本帝国海軍では高角砲(こうかくほう)と呼んだ。また、最近は高々度を飛行する敵機を撃墜するには対空ミサイルが使用され、旧来の「高射砲」が出番を失ったためか、比較的低空で地上攻撃する敵機に対する砲を「高射砲」ではなく、「対空砲」と呼ぶことも多い。しかし「高射砲」「高角砲」「対空砲」はいずれも英語では同じAnti-aircraft gun(対航空機砲、略称でAAG)であり、日本語訳におけるニュアンスの差でしかなく、基本的に同義である。

概要[編集]

高々度を高速で飛行する航空機を射撃対象とするために、対地・対艦用のと異なっている部分がある。具体的には、仰角の向上、旋回速度の向上などである。航空機が発達し、高速化・高高度飛行が常態になると、装填速度の向上や砲弾速度も求められるようになった。

後には高射砲に加えて、高射装置がセットで運用されることが多くなった。高射装置とは射撃管制装置の一種で、目標航空機の「現在位置」「高さ」「速度」を測定して未来位置を計算して照準を行い、最大の効果が得られる時に砲弾を炸裂させるよう時限信管を調定する機械である。時限信管による射撃は命中率が低かったが、近接信管が開発されると命中率が飛躍的に向上していった。

日本陸軍の高射砲部隊編成[編集]

高射砲の1個中隊は7.5cmから12cmまで高射砲を4門。高射砲1連隊はおよそ4大隊、1大隊2個中隊の編成である。前述のように高射砲は高射装置などさまざまな機器と連係をとって対空戦を行う。以下のような装備が用いられた。

高射砲の一覧[編集]

アメリカ[編集]

ロシア(ソ連)[編集]

ソ連の85mm高射砲M1939(52-K)

イギリス[編集]

フランス[編集]

  • 75mm高角砲 M1922-1924・1927
  • 90mm高角砲 M1926
  • 100mm高角砲 M1930
  • 100mm高角砲 M1945

イタリア[編集]

ドイツ[編集]

ドイツ軍の88ミリ高射砲。対戦車砲としても高性能な砲であったためにドイツ軍で大いに重宝された

日本[編集]

本土防空戦で活躍した三式12cm高射砲

日本海軍における高角砲[編集]

戦闘艦艇への対空兵器の配備は比較的遅く、航空機が実用化された大正時代からとなる。当初は偵察弾着観測を行う少数の航空機の排除を想定していたため、高角砲を装備したのは艦体に余裕のある巡洋艦以上に限られていた。その数も単装砲を数基装備するのみであり、あくまで補助的な兵装という扱いであった。

第二次世界大戦が始まると、戦闘艦艇の任務は戦前の想定に反して航空攻撃に対抗する対空戦闘が主となり、高角砲は近接戦闘用の機銃と併せて対空戦闘の主兵装として用いられた。

その為、艦隊決戦主義の大日本帝国海軍においても相対的に対空兵装が重視されるようになり、各艦は相次いで対空兵装の強化が行われた。この中には大和型戦艦の2隻、重巡洋艦の「摩耶」、軽巡洋艦の「五十鈴」や「夕張」のように対艦兵装の一部を撤去して高角砲または機銃に変えられた例も少なくない。また、新造艦においては駆逐艦以下の小型艦艇でも、秋月型駆逐艦丁型駆逐艦、船団護衛用の海防艦など、高角砲を主兵装として搭載する艦が計画され、次々に戦線へ投入された。これら艦載の高角砲の一部は拠点に於いて揚陸され、拠点防衛用の陸砲として用いられるものもあった。

日本の敗戦により大日本帝国海軍が消滅すると、高角砲という呼称も消滅した。戦後、結成された海上自衛隊護衛艦に搭載される砲熕兵器は多目的に用いられることが前提となっており、高角砲という呼称は用いられていない。

[編集]

  1. ^ イアン・V・フォッグ『大砲撃戦 野戦の主役、列強の火砲』小野佐吉郎訳、サンケイ新聞出版局、1972年

関連項目[編集]