防空壕

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防空壕(ぼうくうごう、英語: air raid shelter)は、空襲のときに待避するために地を掘って作った穴や構築物[1]。敵の空襲から身をまもるために地下に造った穴や地下室。避難壕(シェルター)の一種である。地下壕(ちかごう)とも。

概要[編集]

「空襲」は総称で、つまり空からの攻撃全般を漠然とまとめて指すための用語であり、たとえば航空機による爆弾投下、焼夷弾投下、機銃掃射などに加えて、ミサイル攻撃(通常のミサイルに加えて、近年では巡航ミサイルも含む)などを指す。さらに防空壕が想定している空襲というのは、実際には自走砲ロケット砲榴弾砲などから発射され空から降ってくる砲弾なども含めて広く指していると考えてもよい。

防空壕は、現在も使われ続けているものである。防空壕はけっして「過去のもの」などではない。たとえばウクライナイスラエルなどでは、実際に使うものとして、大半の家屋や集合住宅の地下などに建造されていて、戦争があれば家族で逃げ込む。ウクライナでは2015年のロシアによる侵略の時も使ったわけであるし、2022年ロシアのウクライナ侵攻でも、ウクライナの人々は防空壕に逃げ込んで耐えている。さらに言うと、イスラエルでは、パレスチナ側からしばしば攻撃があるわけで、「サイレンが鳴るたびに駆け込むもの」という位置づけであり、現在でも「日常的に使うもの」である(つまり、数年や数十年に一回起きるような特定の「○○戦争」や「○○侵略」の時だけ使うものではなく、年中使い続けているものである)。

構造については、決まった構造があるわけではない。素朴なものはスコップで穴を掘っただけのようなものから、横木を使い坑道のようなものを造ったものや、鉄筋コンクリートを使いしっかりとした地下室を造るものまで、いろいろな構造がある。近年、実際に使われているものは、鉄筋コンクリートでしっかりとした地下室をつくっているものが多い。

現代では地下鉄駅が防空壕としても利用されている。他国から侵略されることを意識せざるを得ない国々では、地下鉄駅を防空壕として使うことをかなり意識して、一部の駅は防空壕兼用で設計し、それ用の諸設備も備えている。

2022年ロシアのウクライナ侵攻では、地下鉄駅にウクライナ国民が多数、毛布寝袋キャンプ用マットレス、段ボールなどを持ちこんで1カ月以上耐えている。防空壕となった地下鉄駅では、戦争難民を支援する自国や各国のボランティア団体などが水や食料を配布している。地下壕に逃げ込んだ大人たちの多くは自身の日常の仕事(職業上の仕事)ができなくなってしまうが、子供たちは地下壕に逃げ込んだとしても学習を止めて無為に過ごしてしまっては将来に問題が生じるので、たとえ戦時だとしても防空壕内に学校の教材を持ちこんで親子で勉強を続けている。

歴史[編集]

第二次世界大戦期には、各国で、それぞれのつくり方で、防空壕が造られるようになった。

冷戦期には大量破壊兵器、NBCつまり核兵器生物兵器化学兵器などが使用されるリスクが高まったので、それらから身をまもるためのシェルターや、シェルター機能を兼ね備えた地下鉄などが各国で盛んに建造された。


各国の防空壕[編集]

フィンランド[編集]

フィンランドロシアソ連)と長い国境で接しており、20世紀にはロシアから侵略され領土も奪われたので、今後もロシアが侵略のための攻撃をする可能性が高いと想定、侵略は現実的なものと想定して防空壕が多数用意されている。しかもそのロシア(ソ連)は核兵器を大量保有しているので、核兵器で攻撃されることを想定したしっかりした構造の防空壕も多数造られている。フィンランドは、ヨーロッパ各国の中で比較した場合、防空壕建造を比較的しっかりとおこなっている国である。たとえば首都ヘルシンキの人口は(2013年時点のデータで)およそ60万人強であるがそれ以上の90万人が避難できる防空壕が建造してあり、いつでも使用できる状態になっている。
首都ヘルシンキの地下鉄駅は、核攻撃も想定した防空壕兼用の駅となっている。天井に鉄板などを配し、耐攻撃性能を高めている駅もある。
地下鉄駅以外でも防空壕目的で建造した地下施設も多数建造されている。巨大な地下施設を造り、普段は市民の各種施設(スポーツジムや市民プールなど)として利用していて、戦争が始まったら純粋に防空壕目的の使用へと切り替える手はずとなっている(これにより建造コストの一部を回収し、壁面や天井などのメンテナンスも続けられることになる。普段から使用する施設とすることで、自然と空調・飲料水供給・トイレなども備えることになり、いざ防空壕として実際に使用する時でも比較的快適な空間となる)。
en:Civil defence in Finland(英語版記事)も参照のこと。

スウェーデン[編集]

核攻撃に備え、一部の戦闘機を山中などに配置された核シェルターに保管する方針をとっている。
このためドラケンビゲンは狭い格納庫に入るように設計されている。

イギリス[編集]

地下深くに作られたロンドンの防空壕
第二次世界大戦当時、ドイツ空軍爆撃にさらされたイギリスロンドンでは、発達した地下鉄を防空壕として使用した。ほかに、戦争初期に計画し郵便施設地下に作られた「パドック」(暗号名)、ウックスブリッジ空軍地下秘密指令施設などがあった。
冷戦期には、ロンドンのコーシャムにある地下採石場跡を使用した核シェルター作戦本部 en:Central Government War Headquartersen:Hack Green Secret Nuclear Bunkeren:York Cold War Bunker が設置された。

フランス[編集]

パリの地下採石場英語版の一部はさまざまな機能を備えた施設として利用されている。(なお世界的に有名なパリの美しい街並み、つまり石造りの建物群はほぼすべて地下の採石場から掘り出した石を利用して建造されており、大量に採石した分だけ地下には大量の穴の群ができている。)その一部は防空壕としても使われている(また、一部は納骨堂として一般開放されている)。パリの地下採石場は、第二次大戦時にはドイツ軍の防空壕施設、そしてそのすぐ側にはドイツに対抗するレジスタンスの施設が置かれていた[2]
冷戦期に、元採石場を利用したタヴェルニー空軍基地が核シェルターとして建設された。

ドイツ[編集]

ナチス・ドイツは、ドイツ語でde:Projekt Rieseと呼ばれる巨大な地下壕(地下都市)を造っていた。
ヒトラーは自分用には、総統地下壕と呼ばれる非常に強固な地下壕を、官邸の庭下に建造していた。深さは地下15メートル。おまけに強化コンクリートの壁で囲まれ、上面のコンクリートの厚さが、なんと、4メートルにもおよぶものであった。敗戦色が濃くなるとそこに身を隠し、そこから軍へ指示を出した。そして最後はそこで自決した。戦後、ナチスの忌わしい記憶が残っているこの地下壕を破壊しようとしたものの、あまりに強固すぎて破壊することができなかったといい、埋めるにとどまっている。
アルプス山地北側の丘陵地帯にはエルトシュタール英語版というトンネルが点在している。起源は不明だが、昔から避難所や宗教儀式場として利用されていたと推測されている。
ドイツの都市部には第二次大戦期・東西冷戦期の防空壕が残り、地下のトンネルや核シェルターのほか、地表に設けられた避難施設(ホーホブンカー)や高射砲塔(フラックトゥルム)も含まれる。これらの一部は歴史的建造物として見学できるほか、住宅・商業施設等としても利用され続けている。

ハンガリー[編集]

冷戦期にen:F-4 Object という核シェルターが、ブダペストの都心部に設置された。国会議事堂に繋がる秘密通路を持つブダペスト地下鉄2号線と直結している。一度も使われたことはないが、現在もなお各設備の点検が毎週行われている。

ウクライナ[編集]

ソビエト連邦ウクライナ・ソビエト社会主義共和国)時代から作られたシェルターが国内に多数存在するが、冷戦解消、1991年ウクライナ独立後には、多くが忘れ去られるもしくは維持管理のレベルが低下した。
ウクライナ北東部のハルキウ州の州都ハルキウの例では、市内に4600ヶ所のシェルターがあるとされていたが、2021年以降のロシア・ウクライナ危機の際に住民らが確認したところ、使用可能となっている場所でも地下水が溜まっていたり、遊興飲食店に転用されるなど問題のある場所が指摘されることとなった[3]

ロシア[編集]

首都モスクワには、モスクワ地下鉄に沿うように建設されたとされる、核戦争時の緊急避難シェルターおよびそこに通じる専用路線メトロ-2(en)やバンカー GO-42(現在は博物館に改装)がある。
ヤマンタウ山の地下に核シェルター司令部が置かれている、とアメリカは推察している[4]

中国[編集]

1969年の中ソ対立を機に、広大な核シェルター北京地下城が建設された。

韓国[編集]

韓国では、地下鉄地下街は、主に北朝鮮から攻撃された場合に防空壕として利用するために建造されている。そのため地下鉄駅や地下街の入口には「避難所」とはっきりと表示され、戦争時を想定した設備も多く備わり、防毒マスクの備蓄なども行われている。韓国で首都ソウルをはじめ多くの主要都市に地下街が発達しているのはシェルター利用を想定しているためでもある。

アメリカ[編集]

第二次世界大戦中にサンフランシスコ市内に張り出されたシェルターへの避難案内
第二次世界大戦中のアメリカでは、1942年9月に行われた日本海軍機によるアメリカ本土空襲を受けて、サンフランシスコシアトルロサンゼルスなどの西海岸の主要都市に防空壕が多数作られた。
冷戦期に、ソ連からの核攻撃に備えレイブン・ロックマウンテン・コンプレックス英語版(別名:underground Pentagon)という陸海空軍の非常用統合指揮所、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)の地下司令部シャイアン・マウンテン空軍基地が作られた。
政府存続計画の一つ 「Project Greek Island」で、ワシントンから近いグリーンブライヤー英語版ホテルの地下に政府要人のための核シェルターが設置された。
ホワイトハウスの地下には「大統領危機管理センター」(PEOC)という名の地下壕がある。何度も使われており、2001年の9.11同時多発テロの時も大統領側近らが逃げ込んだ(ブッシュ大統領自身は、テロ発生時にワシントンにおらず、某学校の教室で子供たちと交流していたのでPEOCには入らなかった(入れなかった)。ドナルド・トランプも2020年5月に警官によるジョージ・フロイドの殺害に抗議するデモが起きた時にこのPEOCに逃げ込んだ(人種差別主義者のトランプが人種差別を誘発し当事件も誘発したというのに自分の身だけは護ろうとしてびくびくとPEOCに逃げ込んだというその人間性が、アメリカで問題視されている)。

日本の防空壕[編集]

都市部に多数ある地下鉄の駅の大部分は、十分深い場所に建造されており、防空壕として使える(ウクライナでも地下鉄駅が防空壕として使われている。日本でも太平洋戦争中では地下鉄銀座線の駅が防空壕として使われた)。

2004年に施行された武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)では、弾道ミサイルの着弾などを想定して都道府県知事と政令市長に避難施設の指定を義務付けている。2020年4月時点で指定された施設は約9万4千だった。(だが、そのうち地下施設は(わずか)1127しかなく、その時点では地下鉄駅の指定がゼロで、明らかに地下鉄駅を活用した指定が遅れていた。)だが2022年ロシアのウクライナ侵攻が始まり緊張が高まると状況が一気に変化し、地下鉄駅の指定数が増え始め、4月後半までに300を超える地下駅舎が避難施設として指定された。たとえば大阪府・大阪市・堺市は2022年5月7日に大阪メトロの全133駅中108の地下駅舎を避難施設に指定したと発表し、避難場所を「改札の手前まで」と設定(避難者が線路上に落ちることを防ぐため、とのこと)。日本の地下鉄駅は、ウクライナの地下鉄駅のように最初から核攻撃を想定して100m以上の深さに造っているのではないのでさすがに核兵器の直撃までは耐えられないが、それでも(ありきたりの、一定の)ミサイルであれば命を守れる可能性が十分に高くなる[5]。(なお東京都は地下鉄網が発達しており地下鉄駅も非常に多いのだが、2022年4月時点では地下鉄駅の活用については後手にまわっており、まだ検討中で避難施設指定がゼロの状態にとどまっている(いた))[5]

一般住宅の防空壕に関しては、地下室を建造している住宅ではその地下室を地下壕として一応使うこともできる。マンションなど鉄筋コンクリート造で地下駐車場を備えているものも、その地下駐車場を地下壕として一応使うことができる(完璧ではないにしても、命を守れる可能性が十分に高くなる)。一方、木造の一戸建ての民家は上部構造が頑丈ではなく、地下室があったとしても1階の直下が地下室で1階と地下の境も薄く、床・天井もただの木製の板なので、爆弾の直撃には耐えられない。ウクライナが侵攻されたのを期に、日本でも金属製で頑丈な家庭用シェルターへの関心が高まっている。たとえばイスラエル製の頑丈な金属製シェルターは幅約2m x 奥行約4m x 高さ約2mというサイズで乗用車1台分のスペースがあれば設置でき、収容人数は最大5人、価格は税別500万円台[5]。核攻撃を想定した、放射性物質を侵入させないエアフィルターを用いた換気装置を備えた輸入品も販売されている。[6]

日本での歴史[編集]

太平洋戦争第二次世界大戦)当時の日本の防空壕は、民間で造ったものと軍部などが造ったものでは質に大きな差があった。

民間のもの

第二次世界大戦当時、日本は極端な物資不足に陥っていたので、日本の民間のものはとても簡素なものであり、多くはを掘り、坑道を掘る要領で、土が上から崩れないように廃材を組み合わせて「つっかえ棒」のように使い、かろうじて築いたようなものが多かった。

第二次世界大戦中の日本の民間の防空壕は、爆風や爆弾破片、爆風によって飛散し飛来する土砂・石礫などによる危害を避けるためのあくまでも応急的な待避設備であった。「命中弾」を受けた場合、つまり爆撃機B-29)から投下される爆弾が防空壕の真上に着弾した場合は安全は保てない可能性があった。つまり(不運にも)爆弾の直撃を受けると防空壕内で落盤が発生してしまい、中の人は「生き埋め」になり死んでしまうということがしばしば起きた。したがって防空壕の中にいても「気が気でない」状態は続き、「どうか、直撃しませんように」と避難した人々の大半は祈るような気持ちで敵機が飛び去るのを待った。

つまり日本の民間の防空壕は、「絶対に身を守れる」というようなものではなく、あくまで「機銃掃射で殺されることは避けられる」「爆弾投下されても直撃しなければ、助かる可能性が高い」といった程度の位置づけのものであった。

民間のものは通常、自宅の敷地内の庭や、空き地などに設けられた。家屋密集地域で、各家に庭なども無く、敷地内に造れない場合は、付近の(共同の)空き地に、最初から「共同のもの」という位置づけの防空壕がしばしば造られた。

日本では第二次世界大戦中に、アメリカ軍をはじめとする連合国軍機による、日本本土(銃後)への大規模空襲が現実のものとなり、空襲の危険から逃れるため、1944年頃から学校校庭、強制疎開先の空き地、個人の自宅(住宅)や敷地内[7]などに大量に作られるようになった。人々は空襲警報が鳴ると、身近なところに造られた防空壕に身を隠した。

大日本帝国政府は、空襲激化を前にして防空壕政策を転換した。1940年12月24日内務省計画局が発した通牒「防空壕構築指導要領」[8]は、空き地や庭に堅固な防空壕を作るよう国民に指示した。ところが、防空法改正により退去禁止と消火義務が法定された後、1942年7月3日に内務省防空局が発した通牒「防空待避施設指導要領」は、床下に「簡易ニシテ構築容易ナルモノ」を設置するよう指示した[9]

軍部のもの

一方、軍部は建築資材に恵まれていたことから鉄筋コンクリートで頑丈なものを建造した。

軍施設の防空壕について説明すると、参謀本部の防空壕は防衛省の敷地に、連合艦隊司令部として日吉台地下壕横浜市港北区に造られた。(それらは現在も残っている)。(当時、日本軍の最高司令官は天皇だったわけだが、その最高司令官が住む)皇居には「御文庫」並びに「御文庫附属庫」が建造された。

歴史的防空壕の管理

都市部に造られた簡易なものは、大戦の終結後まもなく破壊された。

郊外に造られた洞窟状の防空壕や、鉄筋コンクリート造のものが残っていることもある。平和教育の一環として見学されることがあるものの、管理する地元団体の高齢化が進み、保存の先行きを案じる人がいる[10][11]

近年、日本政府は太平洋戦争中に「日本軍」(旧軍)地方公共団体町内会などが築造した防空壕を「特殊地下壕」と呼び、調査や対策を行っている。2005年の調査では、日本全国に10,280箇所が確認されているが、民有地では世代交代などにより地域住民や土地所有者ですら存在を忘れている事例も多く、調査のたびに実数は増える傾向にある[12]


脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 『広辞苑』第六版、【防空壕】
  2. ^ ようこそ、パリの地下世界へ(ナショナルジオグラフィック)
  3. ^ 遊興飲食店になったウクライナのバンカー…「これで戦争に備えろと?」嘆き極限”. 中央日報 (2022年2月18日). 2022年2月23日閲覧。
  4. ^ Blair, Bruce G (2003年5月25日). “We Keep Building Nukes For All the Wrong Reasons”. The Washington Post. http://www.globalzero.org/files/bb_we_keep_building_nukes_for_all_the_wrong_reasons_05.25.2003.pdf 2009年2月28日閲覧。 
  5. ^ a b c 日本の地下駅300超、有事の避難施設に指定…地上から浅くミサイルには弱く”. 読売新聞 (2021年4月21日). 2022年4月21日閲覧。
  6. ^ 注 - なお2022年4月時点では、日本は他の国に比べて、一般家庭用シェルターの準備があきらかに後手にまわっていて、国内メーカーがまだ育っておらず輸入品が中心となっているが、ウクライナ侵攻以降、与党自民党内でも「大切なのは国民の生命であり、国民が避難できるシェルターをもっと多数用意すべきで、それに向けた制度(法制度や補助金など)も検討すべきだ」という話はさかんにされるようになっているので、今後、仮にスイスのように国民の全人口以上の人数が避難できるシェルターを用意しておくことを目指すようになれば、あるいはそこまでいかなくてもたとえば、有事に日本国民の5割以上がシェルターに避難できるようにシェルターを用意しておく、と数値目標を設定するだけでも、日本国内の家庭用シェルターの市場規模がとても大きくなり、シェルターを日本で製造して十分に利益が出るようになるので、国内の会社がシェルターを大量に製造するための生産ラインを作るようになる。日本の大手企業が製造すれば、(日本は技術力があるので、自動車産業などと同様に)シェルター製造業を輸出産業にできる可能性があり、日本経済に貢献する可能性もある。
  7. ^ 空襲から家族救った自宅防空壕 できれば残したい、でも:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル. 2021年8月8日閲覧。
  8. ^ 電気協会九州支部 編 『電気事業資料 第10号 防空諸法規並資料』電気協会九州支部、1941年、77-96頁。NDLJP:1141490/51 
  9. ^ 『検証 防空法 ―― 空襲下で禁じられた避難』 水島朝穂ほか著132~140頁(2014年・法律文化社)
  10. ^ <語り継ぐ記憶 戦後76年・四国>「四国初」防空壕 残せるか”. 読売新聞オンライン. 2022年4月1日閲覧。
  11. ^ 栗木 「防空壕」知る機会に 「きくらげ」で発信 | 麻生区”. タウンニュース. 2022年4月1日閲覧。
  12. ^ 危険な地下壕、全国487カ所 陥没で死者・家屋被害も - 環境”. www.asahi.com. 2022年4月1日閲覧。

関連項目[編集]


外部リンク[編集]

世界関連
日本関連