モット・アンド・ベーリー

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ローンセストン城英語版。封建時代のモット・アンド・ベーリー跡
モットの土塁の上に建てられたウィンザー城のラウンドタワー

モット・アンド・ベーリーまたはモット・アンド・ベイリー: Motte-and-bailey)は、ヨーロッパにおける築城形式の一種であり、10世紀から12世紀のフランスイギリスなどで多く建築された。12世紀以降は、10世紀に登場した石造りの城に置き替わっていった[1]。モット城郭(フランス語: Motte castrale)とも呼ばれる。

名称[編集]

モット・アンド・ベーリーという語は、比較的近代に作られた語である[2]Motte(モット)は、フランス方言のラテン語 mota から来た言葉で、最初はという意味であったが、芝の土塁を指すようになり、12世紀頃には城の設計を指すようになった[3]bailey(ベーリー)は、「低い庭」を意味するノルマン語の baille または basse-cour から来ている[4]。中世の資料によると、これらのベーリーと城の複合体を指す語として、ラテン語の castellum が使用されていた[5]。Castellum は、英語の castle ()の元になった語である。

構造[編集]

モット城郭の地図
14世紀のカリスブルック城英語版を再現した模型

モットは小山(小丘)、ベーリーは外壁に囲まれた領域(曲輪)を意味する。平地や丘陵地域の周辺の土を掘りだして、(多くは空堀)を形成し、その掘り出した土で小山や丘に盛土をした[6]。小山は粘土で固めて、その頂上に木造または石造のキープ(天守)を作り、丘を木造の屏で囲んで、貯蔵所、住居などの城の施設が作られた。

モット・アンド・ベーリー型の城は、手早く建築できるのが特徴で、8日間で作り上げたという記録もある。このため、ノルマン征服後にウィリアム1世ノルマン貴族が、イングランドウェールズスコットランドの境界に数多く築城した。イギリスでは、現在でもモット城郭の跡である小山を各所で見ることができる。また、フランスにおいては王権が弱かったため、各地の弱小領主が競って自領に建築した。

モット[編集]

モットは大地から起伏している丘のような場所で、頂上に木か石の城砦を建てている。これらは自然の丘を利用した物か、人工的に作ったものかの判別は難しい[7]。いくつかは青銅器時代墳丘墓を利用している[8]。モットのサイズは高さ3-30m、直径は30-90mである[9]。3m以上とするのは軍用以外にも使用される小さな塚を除外するためのものである[10]。イングランドとウェールズにおいて、10m以上は7%、10-5mは24%、5m以下は69%である[11]

モットは、周囲の堀を掘り起こした土などから盛土をしてから天守を建てたり、最初に塔を建ててから部分的に埋めて地下室・地下通路にしたり、完全に埋めてさらに上に建物を建てるなどして建造する[12]

ベーリー[編集]

ベーリーは、モットの下の平地であり、堀や矢来英語版などの壁に囲まれた場所である。可能な場合、堀には水がひかれ水堀・人工池などとした[13]。ベーリーの内には、兵舎、店舗、厩舎などがあり経済の中心であった[14]。こういったベーリーは2か所以上ある場合もあり、それらは仮設橋を伸ばして接続された。

ベーリーの形状は比較的バリエーションがあるが、2か所以上ある場合は、モットを内側として、その一つ外をインナーベーリー英語版、その外にあるアウターベーリー英語版とすることもあった。

脚注[編集]

  1. ^ Nicholson, p.78; Kaufmann and Kaufmann, p.109.
  2. ^ Besteman, p.212.
  3. ^ King (1991), p.38.
  4. ^ Lepage, p.34.
  5. ^ Pounds, p.22.
  6. ^ Brown (1962), p.29.
  7. ^ Toy, p.52; Brown (1962), p.24.
  8. ^ Kenyon, pp.9-10.
  9. ^ Toy, p.52.
  10. ^ Besteman, p.213.
  11. ^ Kenyon, p.4, citing King (1972), pp.101-2.
  12. ^ King (1991), pp. 50–51.
  13. ^ Brown (1989), p.23.
  14. ^ Meulemeester, p.105; Cooper, p.18; Butler, p.13.

参考文献[編集]

関連項目[編集]