アンジュー

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かつてのアンジューを現在の県で色分けした地図
アンジューの旗

アンジュー(Anjou)は、アンジェを州都としてフランス北西部にあったの一つで、ほぼ現在のメーヌ=エ=ロワール県に対応する地方である。Anjouの-jou-は厳密には長音節とはならないので、「アンジュ」という表記もありうるが、実際には-jou-が第1音節-an-よりも長い音で発音される傾向があり、また「アンジュ」と表記すると、ange(天使)の日本語表記と混同されるおそれもあるので、「アンジュ―」という表記は許容範囲内にあるといえる。主要な葡萄栽培の地方でもある。この地名は、古代ローマ時代にこの地方の住民であったガリア人のアンデカウィ族(Andecavi)に由来する。

地理的区分[編集]

アンジューはロワール川北のアンジュー・シュペリウール(Anjou supérieur)と、南のアンジュー・アンフェリウール(Anjou inférieur)に分かれる。

アンジュー・シュペリウール[編集]

アンジュー・アンフェリウール[編集]

  • du Saumurois à l'est du Layon
    • du Bourg (cant. de Montreuil-Bellay),
    • le Vaux (cant. de Gennes) etc.
  • モージュ

歴史[編集]

中世のアンジューはもと伯爵領で、1360年以降は公爵領となった。アンジューを統治していた貴族はアンジュー家と呼ばれるが、複数の家系が交替した。アンジューは、ナンテ(ナント周辺)、ヴァンドームメーヌマイエンヌといった近隣の伯爵領を服従させ、フランスの「大公国」(principauté)に数えられていた。

伯爵の一人ジョフロワ・プランタジュネは、イングランド王にしてノルマンディ公でもあったヘンリー1世の娘マチルダと結婚した。その結果、子供のヘンリー2世は、イングランドノルマンディ、アンジューを手に入れた。ヘンリー2世は、更にアリエノール・ダキテーヌとの結婚によってアキテーヌをも手にしたが(アンジュー帝国)、これは、その後の英仏の対立(百年戦争)の起源ともなった。

その後、この地はイングランド王ジョンの代にフランス王フィリップ2世によって回収されたが、以後も要地ということでフランス国王の有力な近親者がアンジュー伯(公)に叙されることが多く、そこを足がかりにフランス以外の王位を継承する例が多かった(アンジュー=シチリア家ヴァロワ=アンジュー家など)。

関連項目[編集]