酒井光次郎

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酒井 光次郎
日本生命硬式野球部 コーチ #81
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府枚方市
生年月日 (1968-01-31) 1968年1月31日(52歳)
身長
体重
172 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト1位
初出場 1990年4月7日
最終出場 1997年6月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

酒井 光次郎(さかい みつじろう、1968年1月31日 - )は大阪府枚方市出身の元プロ野球選手投手)・コーチ

経歴[編集]

松山商業高校時代は、2年生時の1984年にエースとして春夏連続で甲子園出場を果たす。春の選抜は1回戦で、エース石田文樹を温存した取手二高に先取点を許し、一度は追いつくが打ち込まれ大敗[1]夏の選手権は準々決勝に進み、PL学園に1-2で惜敗した[2]。翌1985年夏は愛媛大会準決勝で、西条高の黒子孝善(後に亜大)に完封を喫する。

卒業後は近畿大学商経学部へ進学。関西学生野球リーグでは1987年春季リーグから6季連続優勝。1988年春季リーグから4季連続ベストナインを受賞、連続無失点(1989春季〜秋季)45回の連盟記録を樹立(但し旧関六では1971年秋・山口高志の68回がある)した。1988年の全日本大学野球選手権では、決勝で上岡良一を擁する東北福祉大を降し優勝。1989年の同大会でも、決勝で岡林洋一を擁する専大を破り連覇を飾る。同年の明治神宮野球大会も決勝で立大を降し優勝。リーグ通算41試合登板、19勝2敗、防御率1.11。大学同期に内匠政博がいる。

1989年ドラフト1位で野茂英雄の抽選に外れた日本ハムが指名し入団。スローカーブを武器に1年目に3完封を含む10勝をあげる。また、規定投球回数に到達した投手の中で、左打者に対する被打率がもっとも低かった[3]。野茂の大活躍のために新人王は獲得できなかったが、潮崎哲也と共にリーグ特別表彰を受けた。翌年も先発として6勝をあげたが、新人時代からほぼ毎回コンビを組んでいた若菜嘉晴が引退した前後から先発としては安定した成績を残せなくなり、1993年から中継ぎに転向。2年続けて40試合以上に登板した。1995年以降は、故障で登板機会がほとんどなかった。1997年阪神タイガースへ移籍。同年限りで引退。

その後は1998年から2004年までチャイニーズタイペイ代表投手コーチ、2005年から2007年まで台湾プロ野球統一ライオンズ投手コーチ、2008年から2009年まで横浜ベイスターズスカウト,、2010年横浜スコアラー、2011年独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグ信濃グランセローズ投手コーチ[4]を務めた。2012年からは日本生命の投手コーチを務め[5]柿田裕太吉原正平をプロへ送り出した。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1990 日本ハム 27 24 9 3 1 10 10 0 -- .500 702 171.2 149 22 54 1 2 103 2 0 68 66 3.46 1.18
1991 23 22 2 0 0 6 12 0 -- .333 686 157.2 163 17 60 4 2 91 7 0 77 65 3.71 1.41
1992 26 20 2 0 0 4 9 0 -- .308 474 105.2 127 16 40 0 2 95 3 1 54 51 4.34 1.58
1993 46 6 1 1 0 2 4 1 -- .333 345 77.2 84 8 32 3 2 66 1 0 46 42 4.87 1.49
1994 41 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 154 30.1 55 3 13 1 1 21 5 0 23 21 6.23 2.24
1996 7 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 41 9.1 10 0 5 0 0 4 1 0 3 3 2.89 1.61
1997 阪神 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 1.0 2 1 1 0 0 0 0 0 2 2 18.00 3.00
通算:7年 171 73 14 4 1 23 36 1 -- .390 2407 553.1 590 67 205 9 9 380 19 1 273 250 4.07 1.44
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

  • 月間MVP:1回 (1990年8月)
  • パ・リーグ特別表彰(1990年) 優秀新人賞

記録[編集]

背番号[編集]

  • 14 (1990年 - 1996年)
  • 49 (1997年)
  • 86 (2005年 - 2006年)
  • 80 (2007年、2011年)

脚注[編集]

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 矢崎良一『不惑 : 桑田・清原と戦った男たち』ぴあ、71ページ、2008年、ISBN 978-4-8356-1692-6
  4. ^ コーチ決定のお知らせ”. 信濃グランセローズ (2010年11月16日). 2011年12月16日閲覧。
  5. ^ 日本生命投手コーチに元プロ酒井光次郎氏”. 日刊スポーツ (2012年1月14日). 2011年1月14日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]