長冨浩志

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長冨 浩志
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 (1961-06-10) 1961年6月10日(56歳)
身長
体重
180 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト1位
初出場 1986年4月5日
最終出場 2001年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

長冨 浩志(ながどみ ひろし[注 1]1961年6月10日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

千葉日大一高ではエース、四番打者として、1979年夏の甲子園千葉県予選で準決勝に進出するが、習志野高にコールド負け。卒業後は国士舘大に進学。東都大学リーグでは、二部リーグ降格が長く、一部リーグ出場は3シーズンにとどまる。1983年秋にロッテオリオンズドラフト3位指名を受けるも入団拒否。電電関東(2年目からNTT関東)に入社、1984年IBAFワールドカップ日本代表に選出される。1985年には関東選抜リーグで優勝。同年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。

プロ入り後[編集]

最速152km/hの速球を武器に三振の取れる速球派として入団1年目から8連勝を含む10勝(2敗)、防御率3.04の成績で同年のカープのリーグ優勝に大きく貢献。セ・リーグ新人王にも選出された。その後も主力投手として2桁勝利を3回記録するなど北別府学大野豊川口和久らと共に投手王国といわれた広島投手陣を支えた。1988年5月11日のヤクルト4回戦(神宮)では初回に打線が爆発し登板の前に打席の機会がめぐってきてホームランを打った。4回、6回にもヒットを放ち猛打賞を記録し、投げては完投勝ちと当人の一人舞台だった。 30歳を過ぎてから球速・球威が衰え始め、1995年木村拓也との交換トレード日本ハムに移籍。フォームをオーバースロー、スリークォーター、サイドスローに変えるなど技巧派に転じ、主にリリーフとして登板した。

1998年に金銭トレードでダイエーに移籍し、オーバースローに戻したが、ほぼスライダーを投げ続けるという配球でダイエーのリーグ2連覇に貢献。当時日本ハムの中心選手であった片岡篤史は「直球が一球も来ないのは分かっていても『次は直球が来るんじゃないか』と思ってしまい、結局スライダーにやられてしまう」と語っている。 また王貞治監督(当時)からも信頼が厚く、契約更改の時期になると球団に「俺の年俸を半分にしてもいいから、長冨は残してくれ」と言っていたといわれる。

若手時代は小松辰雄らと並び、日本プロ野球界において「スピードガン時代の幕開け」とされる速球派投手のパイオニア的存在であったが、その後180度違った投球スタイルを身につけ40歳を過ぎるまで現役を続けた。本人はこのモデルチェンジについて「今の方が面白い。トンボが止まるようなヘナヘナボールで打者を牛耳れるんだから」と語っている。

2002年のシーズン終了後に現役を引退。

引退後[編集]

2003年から2006年までダイエー・ソフトバンクの二軍投手コーチ。

2007年から2年間、独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグ石川ミリオンスターズの投手コーチを務めた。

2008年11月、四国・九州アイランドリーグ長崎セインツ監督に就任することが決定。最初のシーズンとなった2009年の前期に監督1年目でチームを優勝に導いた。後期優勝の高知ファイティングドッグスとのリーグチャンピオンシップには敗退した。翌2010年も引き続きチームの指揮を執ったが、成績不振を理由に4月30日付で解任された。

2011年からは三重スリーアローズの監督に就任したが成績不振の為同年5月17日付で辞任した[1]。現在は解説者として務める。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1986 広島 30 10 6 1 2 10 2 2 -- .833 478 121.1 100 10 28 0 3 124 4 0 44 41 3.04 1.05
1987 18 18 5 2 0 5 6 0 -- .455 477 114.2 105 14 36 1 3 84 3 0 46 43 3.38 1.23
1988 24 21 2 0 0 5 7 0 -- .417 525 122.1 118 21 50 2 2 103 2 0 60 58 4.27 1.37
1989 28 24 6 3 0 10 9 0 -- .526 679 166.2 139 22 55 5 6 155 9 0 67 64 3.46 1.16
1990 30 26 8 1 1 11 11 0 -- .500 779 184.0 159 20 84 6 5 158 3 0 81 72 3.52 1.32
1991 24 18 5 0 0 5 6 0 -- .455 477 104.2 116 13 51 4 5 76 6 0 67 56 4.82 1.60
1992 33 20 2 1 1 11 10 0 -- .524 617 140.0 154 15 57 3 4 100 5 1 74 71 4.56 1.51
1993 28 17 1 1 0 4 8 0 -- .333 477 108.2 114 22 52 1 1 55 1 0 70 63 5.22 1.53
1994 17 6 0 0 0 2 5 1 -- .286 216 48.1 56 2 20 0 4 25 0 0 31 28 5.21 1.57
1995 日本ハム 44 0 0 0 0 7 7 2 -- .500 328 75.2 71 2 37 11 6 49 5 0 26 22 2.62 1.43
1996 26 1 0 0 0 1 2 2 -- .333 173 40.1 41 5 19 1 1 32 2 0 26 24 5.36 1.49
1997 56 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 223 55.2 46 2 16 0 1 39 1 0 15 14 2.26 1.11
1998 ダイエー 33 0 0 0 0 0 0 3 -- ---- 84 21.0 14 0 11 1 0 13 2 0 4 3 1.29 1.19
1999 9 0 0 0 0 2 1 0 -- .667 41 8.2 13 0 5 1 1 2 0 0 7 7 7.27 2.08
2000 38 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 107 27.0 22 1 5 0 1 17 0 0 7 6 2.00 1.00
2001 26 0 0 0 0 1 2 0 -- .333 89 22.0 18 3 8 4 1 13 2 0 9 9 3.68 1.18
通算:16年 464 161 35 9 4 77 77 10 -- .500 5770 1361.0 1286 152 534 40 44 1045 45 1 634 581 3.84 1.34
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
  • 初登板:1986年4月5日、対中日ドラゴンズ2回戦(広島市民球場)、6回表に2番手として救援登板、2回2失点
  • 初奪三振:同上、6回表に大石友好から
  • 初勝利:1986年4月17日、対ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、3回裏に2番手として救援登板・完了、7回1失点
  • 初セーブ:1986年7月17日、対読売ジャイアンツ14回戦(広島市民球場)、9回表に4番手として救援登板・完了、1回無失点
  • 初先発・初先発勝利:1986年8月12日、対横浜大洋ホエールズ20回戦(広島市民球場)、7回無失点
  • 初完投勝利:1986年8月19日、対中日ドラゴンズ16回戦(ナゴヤ球場)、9回1失点
  • 初完封勝利:1986年10月4日、対中日ドラゴンズ23回戦(広島市民球場)
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 16 (1986年 - 1994年)
  • 13 (1995年 - 1996年)
  • 0 (1997年)
  • 22 (1998年 - 2002年)
  • 78 (2003年 - 2006年、2009年 - 2011年)
  • 31 (2007年 - 2008年)

登録名[編集]

  • 長冨 浩志(ながとみ ひろし、1986年 - 1996年)
  • 長冨 浩志(ながどみ ひろし、1997年 - )

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1996年まで姓の読みは「ながとみ」で登録

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]