森田幸一

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森田 幸一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市此花区
生年月日 (1965-09-21) 1965年9月21日(52歳)
身長
体重
173 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト5位
初出場 1991年4月6日
最終出場 1994年5月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

森田 幸一(もりた こういち、1965年9月21日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。

経歴[編集]

北陽高校から近畿大学を経て、住友金属に入社。1989年に行われた阪神タイガースの入団テストで合格したが慰留され会社に残留。1990年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。

1991年与田剛投手の故障によりルーキーながらストッパーに抜擢され、1年目から50試合に登板し、10勝3敗17セーブを挙げて新人王に輝く。この年にいきなりプロ初打席初本塁打を打つ[1][2]など、ストッパーで打席数が少ないにも関わらず初年度に2本のホームランを放っている[1]

1992年に与田の復帰によりセットアッパーに転向し、開幕戦で2年連続で勝ち投手になるなど活躍したが徐々に調子を落とし、前年の成績を下回った。この年のシーズンオフ、契約更改時に個人的事情を理由に在京球団へトレードを志願する。しかしこの事情が原因で在京各球団からトレードを断られ、逆に中日球団からは「ゆゆしき理由によって混乱を招いた」という理由で減俸および謹慎処分を受ける羽目になった。

1993年は前述の謹慎処分に伴い二軍キャンプからのスタートとなり、再びストッパーに抜擢されるが結果を残せず、郭源治にその座を追われる。 その後サイドスローへの転向など様々な試行錯誤をしたものの結果を残せないまま1995年はついに一軍登板がゼロに終わり、この年のオフ復帰した星野仙一(入団当時の監督だった)の戦力構想からも外れて引退した。

引退後の現在は地元の企業で管理職を勤める傍ら、兵庫県野球教室のピッチングコーチも務めている[3]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1991 中日 50 1 0 0 0 10 3 17 -- .769 365 89.0 78 10 26 2 78 0 0 32 30 3.03 1.17
1992 41 6 1 0 1 6 5 4 -- .545 374 91.0 86 10 21 3 58 1 0 48 41 4.05 1.18
1993 22 1 0 0 0 2 3 3 -- .400 130 28.1 36 3 12 0 15 1 0 18 15 4.76 1.69
1994 4 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 38 8.0 8 2 8 2 6 0 0 7 7 7.88 2.00
通算:4年 117 9 1 0 1 18 13 24 -- .581 907 216.1 208 25 67 7 157 2 0 105 93 3.87 1.27

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
  • 初打席・初安打・初本塁打・初打点:1991年4月10日、対広島東洋カープ2回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に秋村謙宏から右越ソロ
その他の記録

背番号[編集]

  • 45 (1991年 - 1995年)

関連情報[編集]

関連書籍[編集]

応援歌[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]