専修大学附属高等学校

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専修大学附属高等学校
Senshu University High School, Suginami Tokyo Japan.jpg
過去の名称 京王中学校・高等学校
専修大学附属京王中学校・高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人専修大学附属高等学校
併合学校 京王商業学校
帝国商業学校
校訓 誠実・努力・報恩奉仕
設立年月日 1948年
(京王中学校・高等学校)
創立者 小池茂實
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 13678G
所在地 168-0063
東京都杉並区和泉四丁目4番1号
外部リンク 公式サイト
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専修大学附属高等学校(せんしゅうだいがくふぞくこうとうがっこう)は、東京都杉並区和泉四丁目にある私立高等学校。略称は「専大附属」(せんだいふぞく)または「専大附」(せんだいふ)。

概要[編集]

男子校に起源を持つ私立校であり、1994年の男女共学化以降も男子の身なりや礼儀に対する指導が厳しく行われている。

校名に「附属」の名称が入り、学校法人専修大学から「付属校」扱いとなっているが、正式には「学校法人専修大学附属高等学校」による運営となっており「係属」関係にある。

卒業生の約9割は専修大学へと進学する(本校は他の「付属校」とは異なり、付属推薦入試枠による進学)。石巻専修大学宮城県石巻市)への進学も可能である。

沿革[編集]

  • 1915年4月 - 小池茂實が私塾商工学舎創設
  • 1925年4月 - 私塾商工学舎を早稲田商業学校へ改称
  • 1929年5月 - 早稲田商業学校の姉妹校として財団法人京王商業学校を設置
  • 1932年6月 - 早稲田商業学校、財団法人努力学園帝国商業学校に改組・改名
  • 1944年4月 - 工業学校に転換し、京王工業学校・帝国工業学校と改称
  • 1946年4月 - 京王・帝国両校とも商業学校に再転換、京王商業学校・帝国商業学校と改称
  • 1948年4月 - 京王商業学校・帝国商業学校を統合し、財団法人京王学園、京王中学校・高等学校を設置
  • 1951年2月 - 私立学校法の施行により、財団法人を学校法人に改組
  • 1955年2月 - 専修大学の付属校となり、専修大学附属京王中学校・高等学校に改称
  • 1965年4月 - 学校法人京王学園が奥州大学(現・富士大学)を岩手県に開学させる
  • 1969年
    • 4月 - 専修大学附属京王中学校を廃校
    • 10月 - 法人名と校名を専修大学附属高等学校に改称
    • 11月 - 奥州大学と法人を分離
  • 1994年4月 - 男女共学化
  • 2004年
    • 4月 - 制服変更(男子)
    • 10月 - 新校舎完成
  • 2005年4月 - 制服変更(女子)

クラブ活動[編集]

スポーツ系
  • サッカー部
  • 卓球部
  • 剣道部
  • ゴルフ部
  • 野球部
  • 空手道部
  • 柔道部
  • 陸上部
  • 男子ソフトテニス部
  • 女子ソフトテニス部
  • ハンドボール部
  • ダンス部
  • ラグビー部
  • チアリーディング部
  • 男子バスケットボール部
  • 女子バスケットボール部
  • 男子バレーボール部
  • 女子バレーボール部
文化系
  • 図書文芸部
  • 演劇部
  • 放送部
  • 華道部
  • 美術部
  • グローバルコミュニケーションクラブ
  • 吹奏楽部
  • 料理部
  • ワンダーフォーゲル部
  • 生徒会執行部
同好会
  • 歴史社会研究部
  • 軽音楽同好会

出来事[編集]

女子バレーボール部死亡事故[編集]

2003年7月28日、新潟県魚沼市女子バレーボール部の夏期合宿にて、女子生徒(当時1年生)が、練習試合中にネットにぶつかり転倒し、後頭部を強打した[1]。女子生徒は、翌29日の午後3時40分頃、練習中に意識不明となり午後4時頃、顧問が救急通報。午後4時30分新潟県立病院に搬送されるも同月31日、熱中症と硬膜下出血で死亡した[2]

2007年12月、顧問の2教諭が業務上過失致死の疑いで書類送検され、2008年7月、不起訴となった[2]

2006年7月25日、被害者遺族は損害賠償を請求する訴訟を起こした[2]2009年6月30日に東京地裁で和解が成立[3]。和解内容の主な点は次の通り[1][2]

同種の事故を防ぐため、医師や遺族を含めた「体育安全対策委員会」を設置、女生徒の両親が委員として参加する。女生徒の名前を冠した球技大会を毎年開催する、学校側が両親に一定額を支払う、顧問の2教諭を2009年7月1日から1年間バレーボール部の顧問から外すと共にバレーボール部に関与しない[1]、部活動中は地位の低い新人部員でも、体調不良を訴えやすい環境にするという[2]内容。

事故後、同高で「恵杯大会」が開催され、創設趣旨説明と黙祷が行われている。

著名な出身者[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c バレー合宿中の高1死亡で和解 事故再発防止に遺族協力”. 共同通信 (2009年6月30日). 2012年7月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e 武田さち子 (2009年7月12日). “子どもに関する事件【事例】”. 2012年7月14日閲覧。
  3. ^ 部活中や体罰子どもの死亡ゼロへ 東京新聞 2016年11月6日 朝刊

関連項目[編集]

外部リンク[編集]