高橋秀聡

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本来の表記は「髙橋秀聡」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
髙橋 秀聡
OB-Hideaki-Takahashi20120501.jpg
オリックス時代
(2012年5月1日、阪神甲子園球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県太田市
生年月日 (1982-08-26) 1982年8月26日(36歳)
身長
体重
181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 ドラフト5巡目
初出場 2005年4月20日
最終出場 2012年4月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

髙橋 秀聡(たかはし ひであき、1982年8月26日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

家庭の事情で、小学校卒業時にインドネシアジャカルタ日本人学校に在籍。大阪府東大阪市に移住したのを機に、東大阪市立盾津東中学校へ入学した。

中学生時代は3番手投手。普段は外野を守っていたが、肩は強く、投手としても当時から直球が速かったという。大阪府立盾津高校への進学後は、2年春からエースになったが、春・夏ともに甲子園大会へ出場できなかった。

九州共立大学への進学後は、2年生まで九州六大学野球のリーグ戦で勝ち星を挙げられなかったがものの、3年生の春から頭角を現した。馬原孝浩の卒業後には、背番号18のエースとして活躍。サイドスローから140km/h台の速球を投げる右腕投手として、同リーグの公式戦で通算17勝を挙げたことから、プロ球界から即戦力の投手として期待された。

2004年プロ野球ドラフト会議で、地元の福岡ダイエーホークスから5巡目指名を受けて入団。九州共立大の硬式野球部では、柴原洋山村路直新垣渚・馬原に続いて、同会議での指名を経てホークスへの入団を果たした[1]

ダイエー・ソフトバンク時代[編集]

ソフトバンク時代(2008年9月13日、阪神鳴尾浜球場)

入団1年目の2005年は、二軍で防御率2.98、リーグ2位の7勝を挙げ、2位の高木康成に61個差の大差をつけて奪三振王を獲得。9月22日ロッテ戦で先発し、チームの連敗を止めるプロ初勝利を挙げた。

先発投手として期待された2006年は、開幕ローテーション入りを果たすものの結果を出せず、登板した4試合全てで黒星を喫した。二軍では防御率3.15でリーグ2位の6勝を挙げ、2位の吉見一起に11個差で2年連続二度目のウエスタン・リーグ奪三振王を獲得した。

2007年は一度も一軍で登板できずにシーズンを終えた。夏場には北京プレオリンピック野球日本代表に選出され、予選リーグの中国戦では大田原隆太の後を受けて1回を無失点に抑え勝利投手となった。また二軍では05年21死球、06年8死球、07年10死球で3年連続最多死球を記録した。

2008年は、1年目以来となる白星を挙げるなど自己最多の20試合に登板。中継ぎとしての起用であったが、7月16日西武戦では、前日に予告先発投手として発表されていたリック・ガトームソンが試合前に右内転筋を痛めたため登板を回避、前日の試合にもリリーフで22球を投球していた高橋が緊急で先発マウンドに上がった。二軍では抑えを任されて防御率0.98で8セーブを記録し、一軍でも7月21日オリックス戦でプロ初セーブを挙げた。

2009年には、2005年以来4年振りに、一軍公式戦への先発で勝利。シーズン通算では3勝を挙げたが、いずれもオリックス戦での勝利だった。

2010年には、4月29日楽天戦に先発で登板。一軍公式戦では自己最長の8回を投げるとともに、1失点に抑えて勝利投手になった。

オリックス時代[編集]

2012年1月17日金子圭輔との交換トレードでオリックス・バファローズへ移籍[2][3]。開幕一軍入りを果たし、主にビハインドの場面で登板していたが、4月21日の対日本ハム戦で1回2失点と打ち込まれ、5試合で防御率7.36の成績で翌日二軍降格。以後は一軍に再昇格することなくシーズンを終えた。ファームでも27試合で1勝1敗2セーブ、防御率4.50とふるわなかった。

2013年、一軍公式戦への登板機会がないまま、10月7日に球団から戦力外を通告された[4]

オリックス退団後[編集]

オリックスからの戦力外通告後に12球団合同トライアウトへ参加したが、2014年1月5日に現役引退を表明した。翌日6日からは、プルデンシャル生命保険の日本法人へ勤務する[5]

選手としての特徴[編集]

サイドスローから繰り出す最速152km/hの直球と、キレのあるスライダーカットボールが武器。頻度は少ないが、シンカーも投げた。ウエスタン・リーグ公式戦では2年連続奪三振1位になる一方で、3年連続最多死球を記録。制球力に課題があったことに加えて、被本塁打の多さも難点に挙げられていた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2005 ソフトバンク 4 3 0 0 0 1 0 0 0 1.000 71 14.1 15 1 10 0 4 14 0 0 7 7 4.40 1.74
2006 4 4 0 0 0 0 4 0 0 .000 92 21.0 22 4 5 0 2 18 1 0 15 12 5.14 1.29
2008 20 1 0 0 0 1 1 1 3 .500 132 31.0 29 1 13 0 2 31 1 0 14 14 4.06 1.35
2009 12 8 0 0 0 3 4 0 0 .429 207 47.2 43 8 22 0 5 42 2 0 30 26 4.91 1.36
2010 5 5 0 0 0 2 2 0 0 .500 108 24.1 29 1 10 1 3 16 1 0 15 15 5.55 1.60
2011 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 17 3.1 6 1 1 0 0 3 1 0 5 5 13.50 2.12
2012 オリックス 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 17 3.2 5 0 2 0 0 2 0 0 3 3 7.36 1.91
通算:7年 51 22 0 0 0 7 12 1 3 .368 644 145.1 149 16 63 1 16 126 6 0 89 82 5.08 1.46

記録[編集]

  • 初登板・初先発:2005年4月20日、対オリックス・バファローズ6回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、3回2/3を3失点
  • 初奪三振:同上、1回表に村松有人から見逃し三振
  • 初勝利・初先発勝利:2005年9月22日、対千葉ロッテマリーンズ20回戦(千葉マリンスタジアム)、5回2/3を1失点
  • 初セーブ:2008年7月21日、対オリックス・バファローズ12回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9回表2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
  • 初ホールド:2008年7月26日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に2番手で救援登板、1回無失点

背番号[編集]

  • 13 (2005年 - 2011年)
  • 54 (2012年 - 2013年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 高橋がホークスに在籍していた2006年には、先輩OBの田上秀則も、中日ドラゴンズから入団テストを経てホークスに移籍している。
  2. ^ トレードについて”. 福岡ソフトバンクホークス (2012年1月17日). 2012年1月17日閲覧。
  3. ^ トレード成立のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2012年1月17日). 2012年1月17日閲覧。
  4. ^ オリックス 鴨志田ら4選手に戦力外通告スポーツニッポン2013年10月7日配信
  5. ^ オリックス高橋秀が引退 12年ソフトバンクから移籍”. 日刊スポーツ (2014年1月6日). 2014年1月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]