大熊忠義

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大熊 忠義
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府羽曳野市
生年月日 (1943-09-08) 1943年9月8日(74歳)
身長
体重
171 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手外野手
プロ入り 1964年
初出場 1964年5月31日
最終出場 1981年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

大熊 忠義(おおくま ただよし、1943年9月8日 - )は、大阪府羽曳野市出身の元プロ野球選手外野手)、野球解説者

経歴[編集]

浪商高校では1961年、3年生の時に、2年生エース尾崎行雄を擁し、二番打者、三塁手として春夏の甲子園に出場。春の選抜では準々決勝で法政二高に敗れる。夏の選手権では順調に勝ち進み、決勝で桐蔭高を1-0で降し優勝[1]。高校同期に大塚弥寿男住友平、2学年下に高田繁がいた。卒業後は近畿大学に進学するも中退。[2]

1964年阪急ブレーブスに入団。1966年には主に三塁手として11試合に先発出場するが、ダリル・スペンサーらの控えにとどまり外野手に転向。1968年にはレギュラー左翼手となり、一番打者を任される。1969年矢野清が左翼手に入ったため中堅手に回るが、翌年から左翼手に戻る。1967年からのリーグ3連覇に貢献。1970年福本豊が一番打者となり、盗塁王を獲るようになると、つなぎ役の二番あるいは下位打線に回り活躍。1971年からのリーグ連続優勝に大きな役割を果たす。1978年には簑田浩二に左翼手の定位置を譲り[3]1979年からコーチ兼任[1]1981年10月4日の近鉄バファローズ監督西本幸雄の退任試合で1試合だけ守備に就き、同年限りで現役を引退した[1]

引退後は阪急(1982年一軍守備コーチ, 1983年 - 1989年一軍野手総合コーチ, 1990年二軍ヘッドコーチ, 1991年 - 1993年一軍打撃コーチ)、阪神1995年一軍走塁コーチ, 1997年 - 1998年一軍外野守備・走塁コーチ)でコーチを歴任。コーチ業の合間を縫って、毎日放送解説者1994年, 1996年)を務めた。死球が飛び交った1998年8月2日巨人戦では、報復的死球を与えた槙原寛己に飛び蹴りを食らわせて退場処分となった。阪神退団後はGAORA及びTigers-aiの解説者をしつつ、プロ野球マスターズリーグの大阪ロマンズでプレーしている。

2010年日本女子プロ野球機構が新たに立ち上げる京都アストドリームスの監督に就任し、1年間務めた(野球解説者の仕事も継続)。

また歌が上手で、阪急時代にチームのメンバーとレコードを発売した他、現役引退後に演歌のレコードを発売した事がある。現在は池田バッティングセンターにて毎週木曜日にコーチをしている。

つなぎの技術[編集]

福本が1番打者として定着し、大熊にはつなぎの2番打者が任されるようになった。福本が盗塁を企図し、スタートが悪ければカットし、微妙な場合は空振りするなど、巧みなアシストをし、二塁に達した後はバントや右打ち(福本が二塁に達したときには、カウントが悪くなっていることが多かった)で三塁へ進めていた。2番に定着する前年の1971年は打率3割を記録していたが、この影響で1972年には2割3分と悪化している。しかし、球団からは働きを評価され、大幅な昇給を勝ち取っていた(「辛抱料や」と言われたという)。つなぎの理想は「中利夫高木守道の1・2番」との事。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1964 阪急 9 14 13 1 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .154 .214 .231 .445
1965 7 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1966 45 57 55 11 13 5 1 2 26 4 1 0 0 0 1 0 1 13 1 .236 .263 .473 .736
1967 20 21 20 1 4 0 0 0 4 1 1 0 0 0 1 0 0 2 0 .200 .238 .200 .438
1968 120 471 424 71 121 28 5 15 204 37 11 13 3 3 28 2 13 38 1 .285 .346 .481 .827
1969 126 463 415 49 109 14 2 12 163 39 10 2 6 1 37 0 4 28 9 .263 .328 .393 .721
1970 122 394 362 47 87 21 4 10 146 42 4 5 2 4 24 1 2 41 5 .240 .288 .403 .692
1971 121 406 342 56 105 12 2 15 166 57 8 3 6 6 45 4 7 30 9 .307 .393 .485 .878
1972 116 392 325 34 75 10 3 11 124 32 4 3 12 2 46 2 7 37 6 .231 .337 .382 .718
1973 107 327 290 31 80 13 0 3 102 30 7 3 6 4 23 0 4 29 9 .276 .333 .352 .685
1974 123 438 379 59 93 15 3 7 135 35 8 2 16 3 32 0 8 40 3 .245 .315 .356 .671
1975 122 416 364 36 95 14 4 6 135 40 4 6 11 2 36 0 3 32 6 .261 .331 .371 .702
1976 116 473 418 57 116 17 3 5 154 35 2 0 19 2 30 0 4 41 1 .278 .330 .368 .699
1977 123 457 399 45 100 17 1 12 155 35 1 0 22 1 28 1 7 42 10 .251 .310 .388 .699
1978 76 205 182 15 42 6 0 1 51 15 2 0 9 2 9 0 3 18 5 .231 .276 .280 .556
1979 41 102 93 11 24 3 0 1 30 8 0 1 0 2 5 0 2 9 1 .258 .304 .323 .627
1980 28 42 37 2 7 2 0 1 12 2 0 0 0 1 4 0 0 7 1 .189 .262 .324 .586
1981 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:18年 1423 4684 4124 526 1073 178 28 101 1610 412 63 38 114 31 350 10 65 411 67 .260 .326 .390 .716
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1975年8月17日、対近鉄バファローズ後期3回戦(日生球場)、7番・左翼手で先発出場 ※史上183人目
  • 1000本安打:1977年10月7日、対近鉄バファローズ後期13回戦(阪急西宮球場)、5回裏に米田哲也から ※史上106人目
  • 100本塁打:1979年9月19日、対ロッテオリオンズ後期8回戦(阪急西宮球場)、1回裏に安木祥二から左越先制ソロ ※史上106人目

背番号[編集]

  • 22 (1964年 - 1967年)
  • 12 (1968年 - 1981年)
  • 72 (1982年 - 1993年、1997年 - 1998年)

関連情報[編集]

出演番組[編集]

[編集]

『ああ王者』(1976年、東宝レコード) - 山口高志加藤秀司山田久志と合唱

脚注[編集]

  1. ^ a b c 阪急ブレーブス黄金の歴史 [永久保存版] よみがえる勇者の記憶 1936-1988、ベースボール・マガジン社、2011年、P61
  2. ^ 大熊が大学2年の時に2年上の先輩が阪神タイガースの入団テストを受けた際にかばん持ちとして付いて行った。この時に当時阪神のコーチであった青田昇からマイク・ソロムコのユニフォームを手に阪神入団の誘いがあり打席に立ったところプロアマ協定に引っ掛かり大熊は大学を中退せざるを得なくなった。同時に野球部も1年間出場停止処分を喰らった。(福本豊「阪急ブレーブス 光を超えた影法師」P120より)
  3. ^ 同年4月30日ロッテ・ダブルヘッダー第1戦(西宮)で村田兆治投手から頭部直撃の死球を受けて交代。

関連項目[編集]