藤川俊介

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俊介 (藤川 俊介)
阪神タイガース #68
Tigers shunsuke 20160812.jpg
2016年8月12日 阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県嘉穂郡桂川町
生年月日 (1987-08-17) 1987年8月17日(30歳)
身長
体重
177 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2009年 ドラフト5位
初出場 2010年3月26日
年俸 2,400万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

藤川 俊介(ふじかわ しゅんすけ、1987年8月17日 - )は、阪神タイガースに所属する福岡県嘉穂郡桂川町出身のプロ野球選手外野手)。2011年以降は、名前の俊介登録名に用いている。

来歴[編集]

アマチュア時代[編集]

福岡県の桂川小1年のときに「桂川スターキッズ」で軟式野球を始める。桂川中学校時代は硬式の「西日本スコーピオンズ」に所属。

広島の広陵高校に進み、第75回選抜高等学校野球大会を制したチームで1年(2003年)夏から一塁手のレギュラーとして活躍。広島大会では4番も打ち、第85回全国高等学校野球選手権大会に出場するが、2回戦で岩国高校に敗れる。2年(2004年)春は中堅手投手第76回選抜高等学校野球大会に出場したが、1回戦で東邦高校に敗退。高校通算25本塁打。高校の2学年先輩に白濱裕太西村健太朗、1学年先輩に上本博紀、1学年後輩に吉川光夫、2学年後輩に野村祐輔土生翔平小林誠司がいる。

その後関西学生リーグ近畿大学に進学し、1年からレギュラーとなる。1年秋(外野手)、2年春(三塁手)、3年春(外野手)、4年春(外野手)・秋(外野手)と、計5度のベストナインを受賞。また3年春にはMVPを受賞。リーグ通算77試合出場、288打数95安打打率.330、7本塁打、45打点、26盗塁。大学の同期には荒木貴裕がいる。

2009年、この年のドラフトで3位以上の指名でなければ入社するという条件で社会人野球東邦ガスより内定を得た。近大側ではこれを12球団に通知し[2]、それを受けて数球団がドラフトでの指名を回避する中、編成トップにまで事情が伝わっていなかった[3]阪神から5位指名を受けた藤川本人も困惑し、体重が5 kg減るほどの心労を重ねた[4]が、最終的には幼い頃からの夢であったプロ入りに傾き、大学・阪神球団も交えた話し合いの結果、12月9日に東邦ガスからプロ入りの正式な許可を得て阪神への入団が決定。同期入団の選手たちより遅れて同14日に単独で入団会見を行った。同日、阪神の坂井信也オーナーから「迷惑をかけてしまって、申し訳ない」と謝罪を受けた[5]

プロ入り後[編集]

2010年には、同期入団の二神一人藤原正典両投手とともに、一軍の春季キャンプメンバーに抜擢。「実戦向きの選手」という首脳陣からの評価[6]を背景に、新人選手からただ1人開幕一軍メンバーに残った。横浜ベイスターズとの開幕戦(3月26日京セラドーム大阪)9回表から右翼手として公式戦デビューを果たすと、5月2日の対巨人戦(甲子園)でプロ初安打(三塁打)、自身の23歳の誕生日であった8月17日の対横浜ベイスターズ戦(長野オリンピックスタジアム)でプロ初本塁打を放った。シーズン中盤以降はスタメンでの起用も増加。結局、シーズンを通して出場選手登録を外れることなく、一軍公式戦124試合に出場した。

2011年には、2年連続で開幕一軍入りを果たすと、広島東洋カープとの開幕戦(4月11日・甲子園)からスタメンに起用。同月15日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、4回表の第2打席でシーズン第1号本塁打を放った。8回表の第4打席でも2死から出塁したが、当時1766試合連続で一軍公式戦に出場していた代打・金本知憲の打席中に、一塁からの盗塁に失敗。金本の打席が完了しないまま阪神の攻撃が終了したばかりか、首脳陣が8回裏から金本の打順に投手小林宏を入れたため、公認野球規則10・23(c)の適用によってNPBの一軍公式戦における金本の連続試合出場記録が衣笠祥雄の2215に次ぐ歴代2位で途切れた[7]。さらに、序盤戦でチームの上位にあった打率が徐々に下降。6月29日には、プロ入り後初めて出場選手登録を抹消された。再登録後は、自身と同じ外野手・柴田講平の台頭などで、スタメン起用の機会が大幅に減少。2年連続で一軍公式戦100試合以上に出場したものの、後半戦は代走や守備要員に定着した。

2012年には、打率が2割を切るほどの深刻な打撃不振に陥ったことから、一時二軍で調整。一軍公式戦には、主に代走・守備要員として82試合に出場した。シーズン終了後には、西岡剛の入団に伴って背番号を変更。当初の球団発表では40に変更する予定だった[8]が、自身の希望で68に決まった[9]

2013年には、柴田や大和などの外野手が相次いで一軍の戦線を離脱したことを背景に、一軍公式戦119試合に出場。打席数、安打打率盗塁出塁率OPSなど、多くの打撃指標でプロ入り後自己最高の成績を残した。

2014年には、主に代走・守備要員として、一軍公式戦87試合に出場。前年から一転して打撃が低迷したが、8月12日の対巨人戦(東京ドーム)では、杉内俊哉から一軍公式戦3年振りの本塁打を放った[10]

2015年には、自身より5歳年上の元ネイリストと結婚した[11][12]。一軍公式戦には112試合へ出場。打率こそ.245にとどまったが、一塁に走者がいる状況の代打起用で犠打を何度も成功させるなど、攻撃の随所で存在感を示した[13]

2016年には、一軍監督へ就任した金本が新人・若手野手を積極的に起用した影響で、シーズン初の出場選手登録が5月6日にまで持ち越された。6月17日の対福岡ソフトバンクホークス戦(甲子園)では、同点で迎えた9回裏2死から二塁走者・北條史也の代走に起用されると、次打者・福留孝介の左前安打による本塁突入でチームにサヨナラ勝利をもたらした[14]同月26日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、試合の途中から左翼の守備に就いたが、同点の9回裏2死満塁から代打・松山竜平が左中間へ放った飛球を追って中堅手中谷将大と交錯。その衝撃で中谷が落球したことから、チームはサヨナラ負けを喫した(記録上は中谷の失策)。交錯によって転倒した俊介は、自力で起き上がれなくなったため、試合終了後に外野グラウンドから担架で病院に搬送。その後の診察で右膝の打撲が判明したため、翌27日に登録を抹消された[15]8月31日に再登録。「7番・中堅手」としてスタメンで出場した9月30日の対巨人戦(甲子園)では、同点の9回裏1死満塁で迎えた打席で、プロ入り後初のサヨナラ犠飛を放った。

2017年には、開幕一軍入りを果たしながら、4月8日に出場選手登録を抹消。再び登録されたセ・パ交流戦では、5月30日にロッテとの開幕戦(ZOZOマリンスタジアム)で3二塁打4打点を記録した[16]ことを皮切りに、スタメンでの起用やチームの勝利につながる安打が相次いだ。6月13日の対西武戦では、一軍公式戦で自身3年振りの本塁打を、甲子園球場で初めて記録[17]。「1番・中堅手」としてスタメンに起用された8月6日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)では、第1打席から2打席続けて二塁打を放つなど、一軍公式戦初の4打数4安打でチームの勝利に貢献した[18]

選手としての特徴・人物[編集]

高校時代に内・外野を守った経験があるユーティリティープレイヤー[19]。50 m走5秒96の俊足[20]で、外野の守備範囲も広い[21]

阪神1年目の2010年には、チームの看板選手として活躍していた同姓の藤川球児と区別すべく、スコアボードや報道などで藤川俊と表記されていた(藤川球児#表記名について参照)。翌2011年から、登録名を「俊介」に変更[22]。球児が他球団に在籍していた時期(2012 - 2015年)や、球児が阪神に復帰した2016年以降も、この登録名を使い続けている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2010 阪神 124 183 161 32 41 12 2 1 60 10 5 1 13 0 9 3 0 32 2 .255 .294 .373 .667
2011 108 205 190 20 46 6 2 1 59 9 5 3 6 0 9 0 0 28 2 .242 .276 .311 .587
2012 82 74 65 10 12 0 0 0 12 4 1 1 6 1 2 0 0 14 1 .185 .206 .185 .391
2013 119 216 192 28 56 7 2 0 67 9 8 5 16 0 8 0 0 19 2 .292 .320 .349 .669
2014 87 119 102 13 21 4 0 1 28 6 2 1 6 0 10 1 1 12 3 .206 .283 .275 .558
2015 112 126 102 21 25 5 0 0 30 2 3 3 13 0 9 0 2 20 2 .245 .319 .294 .613
2016 41 56 43 4 8 2 0 0 10 2 2 1 3 1 9 0 0 12 1 .186 .321 .233 .554
通算:7年 673 979 855 130 209 36 6 3 266 42 26 15 63 2 56 4 3 137 13 .244 .293 .311 .604
  • 2016年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



外野












2010 阪神 118 112 3 0 0 1.000
2011 105 82 3 1 1 .988
2012 66 40 2 0 0 1.000
2013 104 103 1 0 0 1.000
2014 76 70 0 1 0 .986
2015 83 71 2 1 2 .986
2016 27 71 0 0 0 1.000
通算:7年 581 505 11 3 3 .994
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

背番号[編集]

  • 7 (2010年 - 2012年)
  • 68 (2013年 - )

登録名[編集]

  • 藤川 俊介 (ふじかわ しゅんすけ、2010年)
  • 俊介 (しゅんすけ、2011年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 阪神 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年11月29日閲覧。
  2. ^ 「阪神、入団難色の近大・藤川と話し合いへ」サンケイスポーツ、2009年11月1日。
  3. ^ 阪神、ドラ5の近大・藤川に謝罪 デイリースポーツ、2009年10月31日。
  4. ^ ドラ5・藤川「赤星さんに近づけるよう頑張りたい」 スポーツニッポン、2009年12月12日。
  5. ^ 「阪神・坂井オーナー、大型補強に満足げ」サンケイスポーツ、2009年12月15日。
  6. ^ 藤川俊が開幕1軍へ、林は2軍 日刊スポーツ、2010年3月16日。
  7. ^ 金本「笑えたよ」ルールの盲点、連続試合出場歴代2位でストップ…阪神 スポーツ報知、2011年4月16日。
  8. ^ 俊介選手の背番号変更について 阪神タイガース 2012年11月20日
  9. ^ 【阪神】俊介 7→40辞退し68で再出発 nikkansports.com 2012年11月26日
  10. ^ 阪神・俊介、でかした大仕事!1215日ぶりのびっくり弾!! - サンケイスポーツ(2014年8月13日)
  11. ^ 俊介選手の結婚について 阪神タイガース 2015年3月24日
  12. ^ 俊介、5歳上の元ネイリストと結婚 - デイリースポーツ(2015年3月24日)
  13. ^ 阪神俊介200万増 マートン退団で外野定位置狙う - 日刊スポーツ(2015年12月3日)
  14. ^ 阪神代走俊介ズバリ リプレー検証も「絶対セーフ」 - 日刊スポーツ(2016年6月18日)
  15. ^ 俊介の診断結果は右膝打撲 登録を抹消 - デイリースポーツ(2016年6月27日)
  16. ^ 阪神、交流戦球団最多15点!将采配ズバリ初先発・俊介が3二塁打4打点 - サンケイスポーツ(2017年5月31日)
  17. ^ 阪神交流戦Vあるぞ プロ8年目甲子園初、俊介弾 - 日刊スポーツ(2017年6月14日)
  18. ^ 阪神俊介プロ初4安打「1番先発」打率4割超え - 日刊スポーツ(2017年8月7日)
  19. ^ 西武は2位以降で近大・藤川を指名へ デイリースポーツ、2009年10月28日。
  20. ^ ドラ5・藤川俊介、球団新人盗塁記録の更新に意欲 スポーツニッポン、2009年12月30日。
  21. ^ 氏原英明「「斎藤世代」だけじゃない!!ドラフトの目玉はPLの吉川大幾。」、Number Web, 2010年6月23日。
  22. ^ “藤川俊、登録名「俊介」でGG賞狙う”. デイリースポーツonline. (2010年11月10日). オリジナル2010年11月24日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20101124024906/http://www.daily.co.jp/tigers/2010/11/23/0003627946.shtml 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]