神内靖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
神内 靖
20130407 Yasushi Kamiuchi, pitcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Meiji Jingu Stadium.JPG
DeNA時代
(2013年4月7日、明治神宮野球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府綾部市
生年月日 (1983-08-12) 1983年8月12日(35歳)
身長
体重
176 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト4巡目
初出場 2004年7月25日
最終出場 2013年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、京都府綾部市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

延岡学園高等学校では第82回全国高等学校野球選手権大会に出場し、宮崎県内では「右の寺原、左の神内」と呼ばれるほどの評判の投手で、互いにライバル関係を築いていた。寺原はその後、第83回全国高等学校野球選手権大会で注目を浴びた後に4球団から1巡目で指名を受け、福岡ダイエーホークスへ入団しているが、神内も2001年のドラフト会議において、福岡ダイエーホークスから4巡目で指名を受け、入団。

ダイエー・ソフトバンク時代[編集]

ソフトバンク時代(2010年)

プロ入り後すぐに結果を残した寺原とは対照的に、神内は高校時代から課題である制球難によってウエスタン・リーグでも十分な成績を残せなかった。2004年7月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡ドーム)でプロ初先発を果たし、勝利投手にはなれなかったものの7回無失点と上々の結果を残した。この活躍が認められ、この年は12試合に登板した。

2005年4月2日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で中継ぎでプロ初勝利を果たすと、手薄だった左の中継ぎとして一軍に定着し、前年より倍以上の46試合に登板、防御率3.26・17ホールドと好成績を残した。

2006年からはさらなる活躍を目指すために大幅な肉体改造を行ったが、これによって体重が10kg増加すると同時に球速も10km/h近く速くなった。同年5月18日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で初先発勝利を果たすと何度か先発を任され、自己最多となる6勝を挙げた。特にチームが苦手としていた対北海道日本ハムファイターズ戦では6試合で2勝・防御率1.10を記録するなど、幾度となくチームの危機を救ったが、後半に入ると6連戦がほとんど無い緩い日程だったためにコマ不足が解消され、登板機会は多くなかった。同年6月18日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、先発して6回途中まで11個の三振を奪ったが、神内の後を三瀬幸司吉武真太郎篠原貴行藤岡好明馬原孝浩のリレーで、1試合最多タイ(継投による達成は史上初)となる19奪三振を記録した。

しかし、度重なる連投などから肘への負担が増していき、2008年3月25日に群馬県内の病院で左肘内側側副じん帯の手術を行った。このリハビリのため、この年の一軍登板はなし。

2009年4月5日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で、約2年ぶりとなる一軍登板を果たし勝利投手となった。

2010年4月14日の対オリックス・バファローズ戦 (京セラドーム大阪) で、降板した後に自らグラブを投げつけたり、ベンチの背もたれを蹴る等乱暴な行為をしたため15日に神内を厳重注意処分としてベンチの破損部分の修理代金7万円を請求した。神内は「自分のピッチングの不甲斐無さに苛立ちを抑えることができず、ついあのような行為をしてしまい、本当に反省しています」とコメントしている。

2011年は一軍登板が2試合で防御率16.20と自己最低の成績に終わった。ウエスタン・リーグでは31試合に登板して防御率2.94とまずまずな成績を残していたが、一軍昇格は果たせなかった。

2012年は開幕一軍で迎えるも、初登板となった同年4月3日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では暴投で失点するなど、結果を残せなかった。一度降格した後に再昇格した後は成績も安定し、この年は4ホールドを記録した。しかしシーズン終盤に入ると疲労感から打ち込まれる試合が目立ち、8月27日に再降格後は一軍昇格がないまま終わった。

DeNA時代[編集]

2012年11月、吉川輝昭多村仁志と共に山本省吾江尻慎太郎吉村裕基との3対3の交換トレードで横浜DeNAベイスターズへ移籍。背番号は、ソフトバンク時代と同じ38に決まった。2013年シーズンは序盤から中継ぎとして一軍に帯同。6月3日の対日本ハム戦では3年ぶりに先発登板するも、4回5失点、四死球4、被安打7と安定せず敗戦投手となり二軍落ち。以降シーズン終盤まで一軍での登板がなかった。

2014年10月3日に球団から戦力外通告を受けた[1]。12月2日、自由契約公示された[2]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2004 ダイエー
ソフトバンク
12 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 111 24.2 26 5 11 0 0 23 1 0 16 16 5.84 1.50
2005 46 0 0 0 0 3 1 0 14 .750 226 49.2 46 3 25 0 7 48 3 1 19 18 3.26 1.43
2006 26 13 0 0 0 6 3 0 1 .667 360 86.2 84 7 28 1 0 89 4 0 33 31 3.22 1.29
2007 8 6 0 0 0 1 3 0 0 .250 146 34.0 31 5 14 0 1 27 3 1 19 18 4.76 1.32
2009 26 2 0 0 0 2 3 0 3 .400 152 34.2 26 4 22 0 2 33 4 1 18 15 3.89 1.38
2010 10 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 75 16.2 18 3 6 0 1 17 3 1 13 13 7.02 1.45
2011 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 9 1.2 4 1 0 0 0 2 1 0 3 3 16.20 2.50
2012 20 0 0 0 0 0 0 0 4 ---- 101 24.2 22 3 4 0 1 24 2 0 15 15 5.47 1.05
2013 DeNA 5 1 0 0 0 0 1 0 1 ---- 49 10.0 10 2 9 0 1 8 1 0 9 9 8.10 1.90
通算:8年 155 26 0 0 0 12 12 0 23 .500 1229 282.2 267 33 119 1 13 271 22 4 145 138 4.39 1.37
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

記録[編集]

背番号[編集]

  • 38 (2002年 - 2014年)

脚注[編集]

  1. ^ 2015年度選手契約についてDeNA球団公式サイト2014年10月3日配信
  2. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]