稲川誠

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稲川 誠
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県福岡市
生年月日 (1936-07-25) 1936年7月25日(81歳)
身長
体重
170 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1962年
初出場 1962年4月15日
最終出場 1968年10月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 大洋ホエールズ
    横浜大洋ホエールズ (1969 - 1984, 1987 - 1989)

稲川 誠(いながわ まこと、1936年7月25日 - )は、福岡県福岡市出身(満州国新京生まれ)の元プロ野球選手投手)・コーチ

経歴[編集]

満州国新京で生まれ、小学3年までは北京で育った。終戦とともに天津の収容所へ送られたが、その後は無事に帰国。西南学院中学部福岡県立修猷館高等学校を経て、立教大学に進学。立大では2年上の杉浦忠、同期の森滝義巳らの陰に隠れ、神経痛の影響もあって思うような活躍は出来なかった。

卒業後は、富士製鐵室蘭に入社。エースとして1960年都市対抗に出場するが、1回戦でニッポンビールの高橋栄一郎に抑えられ惜敗[1]。同年の産業対抗では日本鋼管の補強選手として優勝を飾る。翌1961年都市対抗では1回戦で日炭高松の池田英俊八幡製鐵所から補強)と投げ合い完封勝利。しかし2回戦では新三菱重工の鬼頭忠雄に完封を喫する[1]

1962年大洋ホエールズへ入団。切れのある速球と大小2種類のカーブを武器に、入団1年目から投手陣の一角を占め、2年目の1963年には26勝(球団史上最多)をマーク。翌1964年も21勝をマークし、秋山登と並ぶ大洋投手陣の両輪として活躍。同年の阪神との激しい優勝争いの立役者となった。その後は肩を痛めたが、1968年にはイースタン・リーグ記録の11連勝を達成。同年のシーズン終了後に現役を引退。引退後は二軍投手コーチ(1969年 - 1977年, 1980年 - 1984年)、一軍投手コーチ(1978年 - 1979年, 1987年 - 1989年)、スカウトを歴任。2006年からは7年間寮長を務め、2012年に勇退した[2]。球団からは長年の功労を称える意味で記念盾が贈呈された。

趣味であるの収集・飼育は専門家レベルとして知られ、日本に生息する蝶のほぼ全種を標本として収集している。その縁で横浜ファンで、昆虫マニアの顔を持つやくみつるとも交流があり、その蝶好きが漫画でネタにされた事がある。ウクレレも趣味。

また、王貞治一本足打法に切り替えてから初めての対戦相手であり(1962年7月1日)、第1号の本塁打を打たれた投手としても有名。このとき稲川は王のフォームを見て、驚くよりも「バカにしているのか?」が第一印象で、本塁打を含む3安打を奪われたが、それでもなお「こんな打ち方は長続きしないだろう」程度の認識だったという。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1962 大洋 55 26 4 2 1 12 7 -- -- .632 762 191.0 126 13 77 0 5 150 4 0 49 42 1.98 1.06
1963 54 38 19 6 0 26 17 -- -- .605 1373 338.1 272 19 133 5 17 188 1 0 107 91 2.42 1.20
1964 55 40 14 5 0 21 13 -- -- .618 1248 302.2 261 28 112 7 7 162 4 0 107 98 2.91 1.23
1965 55 31 6 2 0 11 14 -- -- .440 960 232.1 201 17 89 9 5 126 3 0 91 75 2.91 1.25
1966 43 25 6 2 1 10 11 -- -- .476 764 184.1 165 20 50 4 8 110 1 0 80 64 3.13 1.17
1967 29 8 1 1 0 3 7 -- -- .300 345 80.1 92 12 17 0 0 39 0 0 44 35 3.94 1.36
1968 13 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 68 14.2 19 3 6 0 1 10 0 0 10 10 6.00 1.70
通算:7年 304 169 50 18 2 83 70 -- -- .542 5520 1343.2 1136 112 484 25 43 785 13 0 488 415 2.78 1.21
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

1963年の第2戦では先発投手として登板し勝利投手となっている。

背番号[編集]

  • 15(1962年 - 1968年)
  • 60(1969年 - 1984年)
  • 73(1987年 - 1989年)

脚注[編集]

  1. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ 一本足に初めて本塁打許した投手…ハマ寮長勇退”. 読売新聞. 2012年12月27日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]