寺原隼人

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寺原 隼人
福岡ソフトバンクホークス #20
HAWKS11-TERAHARA.jpg
2013年4月24日 福岡ヤフオク!ドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県宮崎市
生年月日 (1983-10-09) 1983年10月9日(33歳)
身長
体重
180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト1巡目
初出場 2002年4月16日
年俸 6,500万円(2016年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

寺原 隼人(てらはら はやと、1983年10月9日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1983年10月9日宮崎市で生まれた[2]。職場で野球をやっていた父や6歳上の兄の影響で宮崎市立本郷小学校3年生の時に軟式野球のワールドボーイに入団して野球を始めて小学校5年生になると6年生を押しのけてエースとなった[3][4]宮崎市立赤江東中学校では軟式野球部に入り、1年目は制球難を克服するため下半身を鍛え、2年秋には宮崎県大会決勝戦で完封勝利を果たした[5]。3年夏には4番・エースとして県大会で優勝し[6][7]、九州大会でも2位となって宮崎県勢15年ぶりの全国大会に出場となったが、初戦で東海代表の長泉北中に敗れた[8][9]

日南学園高等学校では入学時に球速135km/hを超えていた。1年春の九州大会では対瓊浦高等学校戦で中継ぎ登板したが2回3失点のデビューだった[9]。甲子園を目指すため小川茂仁監督の下でアーム式の投法から肘を上げるフォームへの変更に取り組んだ。2年夏には最速140km/h台となったが夏の県大会では準決勝で宮崎日大に敗れて敗退[10]、2年秋の県大会は優勝し、九州大会では最速147km/hを記録したが準々決勝で神崎高校に1対4で敗れた[11][12]。この頃急激な成長に捕手が追いつけずバッテリーエラーを繰り返していた。

2001年、3年春から捕球の巧い中原幸広捕手に変更し、春の県大会では準決勝の対延岡学園戦で後の同僚・神内靖と投げ合い球速153km/hを記録した[13]。決勝戦は2安打に抑えながらも1対2で宮崎日大に破れた[12]。6月にサンマリンスタジアム宮崎で行われた市立船橋との練習試合で当時の高校生最高球速となる155km/hを記録した[13]。3年夏の県大会[14]の3回戦(7月18日・対日南振徳商戦)では新たに覚えた120km/h後半の高速カーブを交えて15奪三振でノーヒットノーランを達成した[12]。決勝戦では9回3失点の完投勝利で宮崎日大を破って3年ぶり3度目の甲子園出場に導いた[15]。同級生の井手正太郎も3番打者で同大会7打点と寺原を支えた。

8月7日に右手中指の靭帯炎症がで練習を中断していたが[16]第83回全国高等学校野球選手権大会は8月11日の四日市工との1回戦では先発して8回を1失点に抑え、ニューヨーク・メッツスカウトのスピードガンで初球に153km/h、22球目に155km/hを計測したがテレビ中継画面の表示は甲子園タイ記録の151km/hだった[17]8月16日岡山県立玉野光南高等学校との2回戦では前夜に発熱していたものの同点の5回裏から登板し、2イニング目の6回にアトランタ・ブレーブススカウトのスピードガンで98mph(約157.7km/h)を計測、テレビ中継では154km/hと表示され当時の甲子園記録を塗り替え、6イニングを3失点にまとめて延長戦で勝利した[18]。8月17日に大阪市内の病院で点滴を受けブルペン待機となったが、チームは20安打15得点の完封リレーで3回戦を突破した[19]。8月19日に行われた準々決勝の対横浜高校戦では最速150km/hは出たものの、2回以降の直球の約8割が130km/h台と苦しみ、同点で迎えた9回に3四球で満塁とした所で決勝打を浴びて敗れ、ベスト8に終わった[20]。翌日8月20日に大阪市内の病院で検査の結果、右足内転筋の肉離れと診断され[21]AAAアジア野球選手権大会日本高校選抜を辞退した[22]

台湾で行われた第34回IBAFワールドカップ日本代表として出場した。プロ・アマ合同の同大会で高校生が日本代表として選出されたのは史上初であった[23]。11月7日第1戦の対フィリピン戦では15点リードの5回から2番手で登板して2イニングを無失点4奪三振に抑えた[24]。11月13日に下痢と発熱で体調を崩したが[25]、11月14日第7戦の対オランダ戦では8回3点リードから2番手で登板し、8回はダーク・ファンクルースターの打球が右足首を直撃しながらも無失点で抑え、9回にライリー・レヒトに2点タイムリー打を浴びたが後続を断ってセーブを記録し、チームは予選リーグ全勝で終えた[26][27]プロ野球ドラフト会議の為、3位決定戦を前に帰国した[23]

11月19日に行われた2001年のドラフト会議で、4球団(ダイエー中日巨人横浜)から1位指名を受けるが抽選の末、3番目に引いた王貞治が率いるダイエーが交渉権を獲得した[28][29]。なお、これまで王が4度引いたドラフトのくじで初めて交渉権を獲得した選手となった[30]。11月20日の指名挨拶には王と中内正オーナーが訪れ[31][32]、11月27日にダイエーへの入団を表明した[33]。12月4日に井手・神内らと共に入団会見を行い、背番号は20に決まった[34]。12月5日のメディカルチェックでは右肩の可動域の狭さを指摘された[35]

ダイエー・ソフトバンク時代[編集]

2002年

高知県での春季キャンプは「寺原フィーバー」で集客数を伸ばし[36]、10万9850人と球団史上過去最高(2002年当時)の集客数だった[37]。2月16日のシート打撃では島田誠守備走塁コーチに牽制時のクセを見破られて3盗塁を許した[38]。数日風邪による発熱で離脱したが[39]、紅白戦で無失点と結果を残し[40]、一軍のままキャンプを終えた。オープン戦は巨人戦登板と予告されるとチケットが球団史上最速の1時間30分で完売した[41]。しかしあまり結果が出ず[42][43]、投球フォームなどにも課題があり[44][45]、開幕は二軍で迎えた。 また、3月のオープン戦期間中に岡本克道永井智浩に連れられキャバクラ飲酒し球団から厳重注意処分を受けた[46][47]

4月16日に一軍選手登録されて同日の対日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)で先発してプロ初登板を果たした。3回に井出竜也に先制ソロ本塁打を浴び、6回に逆転したその裏に捕まり5回0/3を投げ4失点のデビューだった[48][49]。4月28日の対オリックス・ブルーウェーブ戦で本拠地・福岡ドーム初先発を果たすと、4回までパーフェクトの6イニング3安打無失点、7奪三振の好投でプロ初勝利を挙げた[50][51]。5月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦では6番手として9回7点ビハインドから初のリリーフ登板だったが1イニングを3人で抑えた[52]。5月15日には台北市立天母棒球場での海外公式戦でも4番手で2イニングを無失点に抑えた[53]。5月29日にはプロ入り前から比較された西武ライオンズ松坂大輔との初対決も制して3勝目を挙げた[54]。しかし続く6月6日の対オリックス戦で2回1/3の最短KOを喫し、6月11日の試合前練習で左太もも裏に違和感を覚えて6月13日に登録抹消[55]、7月30日に再昇格すると、負ければ借金突入という同日の対オリックス戦で試合を作ってチームの連敗を止めた[56]。これまでは城島健司とバッテリーを組んでいたが同試合では田口昌徳が先発マスクを被った。8月2日の投球練習中に右内転筋を傷めて8月4日に抹消されたが[55]、9月27日に再昇格して以降はリリーフとなった。9月29日の対西武戦では7回同点の場面から4イニングを無失点に抑えて初の救援勝利・サヨナラ勝利で5勝目を挙げた[57]。10月2日の対オリックス戦では4回2点リード一死一塁から3イニングを無失点で切り抜けて6勝目を挙げ、これはドラフト制導入後の1984年南海ホークス加藤伸一がマークした高卒新人最多勝利を塗り替えて球団新記録となった[58]。10月6日の対千葉ロッテ戦・秋山幸二の引退試合で7回5点リードから登板して3イニングを1失点にまとめてプロ初セーブを記録した[59][60]。1年目は先発7試合で3勝2敗、防御率4.28、QS率57.1パーセント、中継ぎ7試合では2勝0敗1S、防御率2.04、WHIP1.13だった。10月9日のメディカルチェックで右肩炎症が発覚して秋季キャンプの11月2日まで投球を控え、11月10日のパ・リーグオールスター東西対抗で西軍の先発として実戦復帰した[55][61][62]

2003年

春季キャンプからオープン戦まで投球フォームが固まらずに出遅れたが、4月2日に一軍へ昇格して開幕6枚目の先発として同日の対大阪近鉄バファローズ戦に先発して7回途中2失点の好投で開幕5連勝していた近鉄に勝利した[63]。4月18日の対近鉄戦では9回を4安打2失点に抑えてプロ初完投勝利を果たし、これで1977年南海以来・ダイエーとしては初となるチーム4試合連続完投勝利を達成した[64][65]。6月15日の対近鉄戦で先発したが右肩違和感により5回1失点で降板 [55]、開幕から10試合で無傷の先発6連勝を記録したものの、翌日6月16日に福岡市内の病院で右肩関節炎と診断され、6月17日に登録を抹消された[66]。7月11日に再昇格して7月23日の対日本ハム戦で先発したが4回途中でKOされ、2年間の本拠地「福岡ドーム不敗神話」が崩れた[67]。8月1日の対オリックス戦ではチームが29得点を挙げて得点・得点差ともにパ・リーグ新記録を打ち立てたが、自身は8回25点リードから2番手で登板して9回に代打・副島孔太にタイムリー打を浴びて唯一の失点を許した[68][69]。先発3連敗を喫していたが8月22日の対千葉ロッテ戦では制球に苦しみながらも自己最多となる7勝目を挙げた[70]。8月29日の対千葉ロッテ戦で先発したが1回1/3で4失点と最短KOを更新し、点灯していた2度目の優勝マジックを消滅させた[71]。続く9月7日の対西武戦では9回4点ビハインドの場面から登板した直後に5連打3失点を喫して一死も取れずに降板させられ[72][73]、翌日9月8日に二軍へ降格した。二軍で結果を出して9月28日の対近鉄戦で登板したがまたも2回途中KOでレギュラーシーズンを終えた[74]日本シリーズではベンチ入りしたものの登板は無かったが、オフには日本代表との壮行試合や台湾選抜との親善試合に登板した[75][76]

また同年8月に米国で公開されたアメリカ警察特殊部隊を題材とした映画『S.W.A.T.』になぞらえて球団広報により斉藤和巳Saitoh)、和田毅Wada)、新垣渚Arakaki)、寺原(Terahara)の若手4投手のローマ字頭文字を取って「SWAT」というグループが結成されてグッズが販売された[77][78]。オフの12月8日に高校の1年後輩の女性と入籍した[79][80]

2004年

教育リーグの最終テストで開幕ローテ枠には入ったものの[81]、開幕5戦目となる3月31日の対西武戦で初回・2回と満塁のピンチを作ったため王監督により自己ワーストタイの1回1/3で降板させられ[82]、翌日4月1日に二軍降格し、以降二軍のローテーションへ入った。7月19日にようやく一軍に昇格して7月24日の試合で8回3点ビハインドから2回を無失点に抑えたが、以後の中継ぎ登板4試合で4試合連続ホームランを浴び、先発の機会を得る前に8月11日に二軍降格となりそのままシーズンを終えた。二軍ではウエスタン・リーグ2位の防御率[83]、1位の奪三振数を記録した[84]。二軍先発15試合で5勝5敗、防御率2.84、中継ぎ4試合で0勝2敗、防御率9.00だった。秋季キャンプはB組となり杉本正二軍投手コーチの下でフォーム固めに取り組んだ[85]

2005年

春季キャンプでは尾花高夫投手コーチの下でテークバックで昨年よりも肘を上げるフォームへ改造した[86]韓国ロッテ東京ヤクルトスワローズ広島二軍と先発無失点を続けていたが最終テストで炎上し[87]、開幕ローテから漏れた。二軍公式戦では先発で4連敗するなど調子が上がらず、5月22日に昇格して同日の対阪神タイガース戦に先発したが3回でKOされた[88][89]。続く5月27日に中継ぎ登板で1イニングを3者凡退に抑えたが、馬原孝浩の一軍復帰により6月3日に二軍降格となった[90]。降格後は二軍の先発として調子を上げ4試合連続で好投していたが、7月5日の試合で3回KOされ、7月15日に西戸崎室内練習場での練習中にノックのボールを踏んで左足首を痛め、同日福岡市内の病院で検査の結果、左足首靭帯の断裂と診断され[91]、7月22日に福岡市内の病院で縫合手術を受けた[92]。秋季キャンプから小久保裕紀の個人トレーナーだった山尾伸一と個人契約を結んで肉体改造を行った[93]

2006年

4月13日に一軍へ昇格すると同日の対千葉ロッテ戦で5回を1失点に抑えて965日ぶりの勝利を挙げた[94]。5月6日の対西武戦で完投勝利したが、交流戦で3連敗して5月28日に二軍降格となった[95]。6月28日に昇格すると準本拠地・北九州市民球場で初先発し、4回まで1安打無失点と抑えたが、5回先頭から3安打と崩れて3点目を奪われた所で降板となった[96]。7月16日の対日本ハム戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)では初回に3連続四球があったものの9イニングを2安打に抑えてプロ入り初完封勝利を挙げ、病床の王監督から祝福の電話を受けた[97][98]。8月5日の対千葉ロッテ戦では初の10奪三振を記録した[99]。8月19日以降の先発で3試合連続5回持たず3連敗を喫して9月4日へ二軍降格となりそのままレギュラーシーズンを終えた。同年は城島健司の移籍により山崎勝己とのコンビで復活を果たしたが援護に恵まれない事も多く13試合で3勝5敗、的場直樹と組んだ2試合はいずれも5回持たずKOされ2敗だった。プレーオフでは虫垂炎で離脱した新垣渚に代わって、10月9日の第1ステージ第3戦で急遽先発して5回イニングを投げ3安打、中村剛也に許したソロ本塁打の1失点のみの好投でステージ突破に貢献した[100][101]

12月5日多村仁とのトレード横浜ベイスターズへの移籍した[102][103]

横浜時代[編集]

横浜時代(2007年9月15日)
勝利投手となり、ファンにハイタッチする。
2006年

12月7日に入団会見を行い[104][105]、12月15日に背番号が24に決まった[106]

2007年

開幕一軍入りを果たし、抹消されることなく一軍ローテーションを守った。開幕第4戦となる4月3日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)で移籍後初登板・初先発し、8イニングを4安打1四球、嶋重宣のソロ本塁打のみに抑えて移籍初勝利、セ・リーグ球団からプロ初勝利を挙げた[107][108][109]。続く4月10日の対ヤクルト戦では本拠地・横浜スタジアムでの初勝利を挙げ[110]、4月28日の対中日戦では内野ゴロでプロ初打点を挙げ、投げては開幕4試合で無傷の3連勝だった[111]。5月4日の対中日戦で移籍初黒星を喫したが[112]、続く5月10日の対ヤクルト戦(神宮球場)では移籍後初完投勝利を挙げ、藤井秀悟からタイムリー打を放ってプロ初安打も記録した[113][114]。その後3連敗して迎えた6月5日のソフトバンク戦では和田毅と投げ合い、多村にも安打を許さず古巣から初勝利を挙げた[115]。夏に調子を崩し7月8月は9試合で3勝6敗だったが、9月16日にプロ6年目にして初の2桁勝利を達成した[116]。9月28日の本拠地での対ヤクルト戦では9イニングを3安打に抑えて自身初の無四球完封勝利、移籍初完封勝利を挙げた[117][118]。続く10月5日の対ヤクルト戦でも9イニングを2安打に抑えて自身初の2試合連続完封勝利を達成し、チーム単独トップの12勝目を挙げてチームの前年最下位から4位浮上へ貢献してシーズンを終えた[119]。12勝中6勝がヤクルトから荒稼ぎし、巨人には4戦4敗だった[120]。27試合で5回持たずの降板は1試合のみでQS率は63.0パーセント、うち25試合で相川亮二が先発マスクを被り11勝11敗だった。秋季キャンプでは特守中に右足首を捻挫してリタイア第1号となった[121]

2008年

3月28日の対阪神戦で自身初の開幕投手を務め、3回まで完璧に抑えていたが右手がしびれるアクシデントで逆転タイムリーを許して4イニングで降板して敗戦投手となった[122]。続く4月4日の対広島戦でプロ初先発マスクの同級生・齋藤俊雄とのコンビで1勝したものの[123]、他の試合でも足が攣るなどして4月は先発4試合で1勝3敗、防御率4.29だった[124]。抑えに予定していたトラビス・ヒューズが不調だったことから[125]大矢明彦監督は寺原の了承を得た上で4月27日の対広島戦で抑えとして起用[126]、セ・リーグからは初となる6年ぶりのセーブを挙げ、5月中旬にはストッパーに固定する方針となった[127]。6月17日には自身と真田裕貴秦裕二の3人の2001年ドラフト1位が一軍に揃う珍事が起きた[128]。なお真田と秦は寺原がドラフトで競合された際にくじを外した巨人と横浜がそれぞれ獲得したいわゆる外れ1位である。7月6日の対阪神戦で林威助の打球を受け右足すねを打撲して3度目のセーブ失敗となったが[129][130]、大事には至らず7月9日以降は5連続セーブを挙げた。7月14日には監督推薦によりオールスターゲームに初選出され[131]、8月1日第2戦(横浜スタジアム)で7回から登板して初出場を果たし、1イニングを無失点に抑えた[132]。9月23日の対阪神戦ではプロ初ホールドを挙げた[133]。チームが年間100敗ペースの弱さで登板機会が少なく[129]、10月2日の対中日戦では中8日での登板で李炳圭に勝ち越しスリーランを打たれてチームは13連敗して90敗目を喫した[134]。最終的にリリーフ登板37試合45回2/3で防御率2.76、WHIP0.88、22セーブ1ホールド、2勝6敗だった。セーブ成功率は84.6パーセントで4度のセーブ失敗はいずれも逆転負けした。同点からの登板5試合は2勝2敗1ホールドだった。シーズン終了後の10月中旬時点で来季は先発に戻る事が決まった[135]。オフの契約更改交渉では急な配置転換による「スクランブル手当て」として2,000万円増の年俸8,000万円(金額は推定)で更改した[136]

2009年

キャンプは2月21日のブルペンで右内転筋の張りを感じて離脱して出遅れ[137]、3月8日の教育リーグで実戦復帰して開幕一軍に間に合い開幕4戦目に先発したが5回途中KOで敗戦、4月14日に1勝目を挙げたものの、3戦目の後に左膝を痛め、さらに背筋痛で出場選手登録を抹消された[138]。7月3日に一軍昇格して7月15日に2年ぶりの完投勝利でチームを2年ぶりの4連勝に導いたが[139]、同年もチームが弱く復帰後10試合で1勝6敗に終わった。9月1日の対巨人戦では右肘の違和感で4回降板し[140]、9月2日に抹消されてそのままシーズンを終えた。先発13試合で2勝7敗だったが、防御率3.90、QS率53.8パーセントと試合は作った。5人の捕手とコンビを組んだがいずれも勝ち越すことはできなかった。

2010年

かつてのコーチ・尾花高夫が自軍の監督となり、2月6日のキャンプ中に右太腿炎症で別メニューとなったが開幕は一軍で迎えて開幕第2戦からローテーション入りした。3月9日に登録名を「寺原 早人」に変更することが発表された[141][142]。4月8日の対中日戦ではエドワード・バルデスからプロ初の長打となる2点タイムリー二塁打を放つなど活躍して同年初勝利を挙げた[143]。4月20日には日南・ダイエーでの同僚・井手正太郎が横浜に移籍して再びチームメイトとなった[144]。5月4日の試合中に右肘の違和感を訴えて降板し、5月5日に横浜市内の病院で検査の結果、右肘付近に筋肉の炎症が見られたため同日出場選手登録を抹消された[145]。ここまで先発6試合で3勝2敗、防御率2.92、QS率57.1パーセントだった。約2ヶ月と復帰に期間を要して6月22日に一軍昇格したが、その間に離脱した牛田成樹の代わりにリリーフ起用される事が決まった[146]。しかし同日の対中日戦2点ビハインドからの登板で二死から連続本塁打を浴びて[147]、わずか1試合の登板で6月25日に二軍降格となった。9月3日に再昇格して12試合に登板したが、内6試合で失点するなど結果は残せなかった。中継ぎ13試合14イニングで防御率5.79、WHIP1.86だった。

オフの12月5日高宮和也と共に山本省吾喜田剛との交換トレードでオリックス・バファローズへ移籍することが決まった[148][149]

オリックス時代[編集]

オリックス時代
2010年

12月16日に入団会見を行い、背番号はダイエー時代の20、登録名も「寺原 隼人」へ戻す事が発表された[150]

2011年

4月13日に一軍登録され、同日の開幕2戦目である本拠地(京セラドーム大阪)で対ソフトバンク戦で移籍初登板・初先発し、昨年までわずか出場3試合の4年目・伊藤光とのバッテリーで移籍後初完封勝利を挙げた[151][152][153]。4月27日の対千葉ロッテ戦では自己ワーストの1試合8失点(自責点8)を喫したが[154]、5月4日の対日本ハム戦で2度目の完封勝利[155]、その後前田大輔と組み2連敗したが、5月23日にはプロ入りして12連敗(先発では11連敗)していた巨人から敵地・東京ドームで9回1失点の完投勝利を挙げた[156]。5月31日の対横浜戦では口唇ヘルペスを発症しながらも6回を無失点に抑えて古巣から移籍後初勝利を挙げた[157]。6月6日にはプロ入り8連敗(先発では7連敗)の対阪神戦で9回1失点完投勝利を挙げた[158]。6月14日の対横浜戦(横浜スタジアム)ではトレード相手の山本省吾と投げ合い、8回無失点で勝利した[159]。7月4日には監督推薦により2度目のオールスターゲーム出場が決まった[160]。7月8日の対西武戦でも勝利し、自己最多の7連勝を記録した[161]。この7戦7勝期間の先発マスクは全て伊藤光だった。しかし伊藤光が打撃不振と脳震盪により7月12日に抹消され、1月に横浜から移籍した齋藤俊雄とオリックスで初バッテリーを組むことになった。7月15日の対楽天戦では近鉄を含む13球団からの勝利を賭けて臨んだが味方打線が完封を喫して敗戦した[162]球宴前で登板機会が無いため7月16日に登録を抹消。7月22日のオールスターゲーム第1戦で先発してプロ野球史上74人目両リーグ出場を果たし、3イニング打者10人に対して1安打無失点の投球で敢闘選手賞を受賞した[163][164][165]。7月29日に一軍登録されて同日の試合で4年ぶりとなる二桁勝利を記録したが[166]、試合中に右肘に痛みを感じて8月4日に右肘の張りにより出場選手登録を抹消された[167]。8月14日に最短で再昇格し、再び伊藤光とのコンビで5試合全てQS達成で無四球完投勝利を含む2完投を挙げたものの1勝3敗と負け越し[168]、以降は他の捕手と組んだ。9月28日の対千葉ロッテ戦では2回に角中勝也の打球を左太腿に受けながらも9回を2安打1四球と完封し、自己最多タイの12勝目を挙げた[169][170][171]。以後2試合は10月10日に中4日の登板も1回2/3で5失点し移籍最短KOされるなど試合を作れず[172]、最後の登板も背筋痛で登板を回避し[173]、チームは1毛差でクライマックスシリーズ出場を逃した[174]。最終的には170回1/3を投げ12勝7完投3完封(いずれもチームトップ)、QS率72.0パーセントで終えた。伊藤光と組んだ16試合は10勝5敗だった。オフの12月12日の契約更改交渉で2500万円増の年俸8500万円で更改した(金額は推定)[175]

2012年

春季キャンプ2月13日に右肩に張りを訴えて宮古島市内の病院で検査を受け[176]、さらに右太腿裏痛で調整は遅れたが[177]、開幕一軍に間に合い、開幕第3戦の対ソフトバンク戦に先発して7回2失点と好投も援護が無く敗れた[178]。4月5日の飛行機移動の際に腰痛を発症して4月7日に登録を抹消された[179]。5月4日に再昇格したが開幕3連敗を喫し、登板機会が無いため二軍で再調整となった[180]。5月26日に一軍復帰してからは連勝[181]、6月30日の対千葉ロッテ戦では完封勝利を挙げた[182]。球宴時期の7月15日に抹消され7月27日に再昇格して連勝したが[183]、調子を崩して8月23日に2回7失点KOされ[184]、右肘の炎症で翌日8月25日に抹消され[185]、そのままシーズンを終えた。最終的には16試合に登板してQS率は62.5パーセント、6勝止まりだったが最下位のためチーム3位の勝ち数だった。同年も主に伊藤光・齋藤俊雄とバッテリーを組み、前年と同じく他の捕手では1度も勝てなかった。

11月14日に故障者選手特例措置制度によって得たフリーエージェント権(FA権)を行使し、11月24日に7年ぶりのソフトバンク復帰を表明し[186]、かつてのトレーナー山尾伸一との再契約も結んだ。

ソフトバンク復帰[編集]

2012年

12月4日に入団会見を行い、背番号は帆足和幸が1シーズンのみ着用していた11に決まった[187][188]。3年契約で2年目まで年俸8,500万円で固定の年俸総額4億円で契約した(金額は推定)[189][190]

2013年

3月15日のオープン戦で背中の張りを訴えて途中降板し[191]、検査で異常は無かったがリハビリ組へ合流し、開幕ローテーションから漏れた[192]山田大樹東浜巨の相次ぐ二軍落ちで当初の予定より早めて4月24日に一軍へ昇格し[193]、同日の対日本ハム戦(福岡ヤフオク!ドーム)で古巣復帰後初登板・初先発を果たしたが4回途中でKOされた[194]。捕手は山崎勝己でツーシームを多投して痛打された[195]。同試合で福岡のホークスファンから「横浜へ帰れ」などの野次が飛び、自身の都合で福岡の小学校へ転校させた2年生の息子まで学校で「ダメだったね」と言われて奮起し、5月1日の対西武戦(福岡ヤフオク!ドーム)では細川亨とのバッテリーでツーシームを封印して8回を1失点に抑え、移籍後初勝利を挙げた[195][196]。5月29日の対巨人戦の6回に左腰を痛めて途中降板し[197]、5月30日に登録を抹消、5月31日に福岡市内の病院で検査の結果、左第11、12肋間筋の軽度肉離れと診断された[198]。7月9日に再昇格し、13球団勝利を賭けて再び対楽天戦(北九州市民球場)に臨み5回まで2安打無四球無失点と好投、6回に捕まり2点リード二死満塁で降板した。しかし金子圭輔の2度のタイムリーエラーによって勝利は潰えた[199][200]。8月6日の対ロッテ戦(福岡ヤフオク!ドーム)では続投を直訴し、9回を1失点に抑えて移籍後初完投勝利を挙げた[201][202]。続く8月13日の対西武戦の3回に右膝に力が入らないと異変を訴えて途中降板し[203]、8月14日に腫れが引かず登録を抹消[204]、9月10日に再昇格し、以後は毎度右膝に溜まる水を抜きながら登板する事になった[205]台風18号の影響で当日空港から球場へ直行となった9月17日の対楽天戦では無失点で迎えた3点リードの5回に捕まりケーシー・マギーに逆転満塁本塁打を浴びて13球団勝利に失敗した[206]。9月25日の古巣・オリックスとの試合に敗れて同年の対戦成績は3戦3敗に終わり、同時にチームの優勝の可能性も完全に消滅した[207]。最終的には4勝7敗と負け越し、防御率も4.65、QS率も37.5パーセントと結果を残せなかった。細川とは11試合組み完投勝利など試合を作る日が多かったが2勝4敗と負け越し、山崎と組んだ5試合では大量失点が多かったが2勝3敗だった。オフの12月7日にプロ1年目に着けていた背番号20へ変更されることが決まった[208]

2014年

オープン戦は好調ではなかったが東浜巨大場翔太を押し退けて4月2日の開幕第5戦からローテーション入りし、同日の対日本ハム戦で通算1000投球回を達成した[209]。プロ入り後通算6敗(全て先発)で迎えた4月16日の対楽天戦で7回を1失点に抑えて工藤公康杉内俊哉に続くNPB史上3人目の13球団からの勝利を達成した[210]。4月30日の対オリックス戦で4回途中KOとなり、5月1日に二軍降格となった[211]。ウエスタン・リーグでも被弾し右膝の違和感が消えず、5月12日に福岡市内の病院で精密検査を受け[212][205]、5月27日に右膝軟骨損傷による内視鏡デブリードマン手術を受けた[213]。100パーセント完治する手術ではなく[214]、翌年以降も毎週膝に溜まる水を抜き、ヒアルロン酸の注射が必須となった[215]。同年はわずか5試合にとどまり1勝4敗に終わりながらもQS率は60パーセントだった。敗戦した4試合はいずれも1回、2回に先制点を奪われて本塁打も浴び、味方の援護も2点以下だった。5試合で被本塁打8と、9イニングあたり2.60本(前年までの8年間は1.00未満)と数字からも異変が起きていた。なお全5試合の捕手は同年より移籍加入した鶴岡慎也だった。オフの12月3日の契約更改交渉で減額制限を越える47パーセントダウンの年俸4,500万で更改した[216]

2015年

二軍で中継ぎからの調整となったが先発でも結果を出し[217]、5月5日に一軍へ昇格して同日の対千葉ロッテ戦で先発して5回1失点と好投、自身の勝ち星は消えたものの工藤公康新監督の誕生日での勝利には貢献した[218]。5月16日には対西武戦の延長11回同点の場面から登板して打者6人を完璧に抑えて引き分けを勝ち取った[219]。同点・リードした場面でのリリーフは2010年9月以来だった。5月24日から先発に戻り、6月7日の対巨人戦では同日まで6勝を挙げていた高木勇人から横浜時代以来の2点タイムリー打を放ち、投げては7回2安打1失点の好投で先発3連勝を果たした[220]

プレースタイル[編集]

高めのスリークォーターから平均球速146km/h[221]、プロでの最速157km/h[222]のストレートが持ち味である。プロ入り当初は直球に頼った力投型だったが、横浜移籍前年・2006年から制球を重視するようになり[223]、横浜移籍以降からは直球に変化球を織り交ぜて緩急も使ったゴロで打ち取るスタイルへと変わっていった[151][224]

球種はプロ1年目の時点でスライダー、高速カーブ(120km/h後半)、チェンジアップがあり[225]、チェンジアップは2001年のワールドカップで藤井秀悟から教わった[226]。2003年からスローカーブ(100km/h台)とカットボールフォークボールを使用し始めた[227]。2004年は横滑りと大きく曲がる2種類のスライダーを使った[228]。フォークは高校の練習で試していたが中指が短いという理由で諦めていた[229]。さらに2006年にシュート[230]、2008年オフに特殊な握りの高速フォークを習得した[231][136]。2011年は140km/h台の高速縦スライダー[157]、2012年秋からツーシームを投げ始めた[193]。2013年秋には加藤伸一コーチからパームボールを習い[232]、それを参考に2014年の2月にはフォークに近いチェンジアップ(中村晃談)も身につけた[233]

制球は甘く、12年目の2013年7月時点でも高山郁夫コーチからインコースを突く制球力が課題と指摘された[234]

軟らかいマウンドが好みであり[235]、同僚の大場翔太も寺原が軟らかいマウンドが得意だと述べている[236]。オリックス時代は硬さを調整していた[237]

頻繁に三振を奪うタイプではないが、横浜での4年間は投手が打席に立つ事もあってか、いずれの年度も奪三振率が7.00を越えていた。

投球フォーム[編集]

1年目は下半身の筋力不足から肩の開きも早かった[44]。自身のフォームを忘れやすく、2004年1月の和田毅との自主トレでは和田風のフォームへと変更してしまい[238]、春季キャンプで修正する事になった[239]。同年の秋季キャンプでも肩の開きは改善されず[240]、2005年の春季キャンプで尾花コーチから高校時代のフォームを見せられマンツーマンで修正に取り組み一旦は成果を上げたが[241]、二軍から戻ると重心の高いフォームとなりリリースポイントもバラバラになっていた[89]。2006年はキャッチボールの基本動作から矯正してスムーズな体重移動へと変わり[94]、2007年春はフォームに悩むことがなくなった[109]。2010年春にさらに安定したフォームを手に入れたが[242]、オープン戦で1試合6盗塁と問題が発覚[243]、4月に左肩が動く癖を修正したが[244]、同月末にも1試合6盗塁と悩まされた[245]。2011年は投球テンポを速める事で安定化を図った[168]。また同年は投球姿勢に悩んでいたが[169]、2012年からノーワインドアップに一本化する事を決めた[177]。2014年春に左足のインステップ矯正を行った[246]。2013年に膝を痛めて力が入らない事が増え、2014年の膝手術以降、2015年から右膝の負担を減らすために体重を落とし[247]、膝に負担のかからないフォームを模索した[248]。工藤公康監督からは左肩が開くことでシュート回転する癖を矯正する指導を受けた[249]

フィールディング・守備[編集]

クイックモーションでの左足を上げてから本塁までの投球到達時間は2010年時点で1秒14とプロの中ではやや速い[250]

またプロ1年目から牽制、一塁へのベースカバー、バント処理などのフィールディングが課題で[251]、9年目・2010年時点でも改善はされずミスから冷静さを欠き失点していた[252][253]

人物[編集]

趣味は釣りで城島健司、馬原孝浩らと2005年1月からの佐世保市での自主トレ期間中に行っていた[254][255][256]

2013年1月11日の唐津市での馬原との合同自主トレ中に自身のFAによる人的補償が馬原であると直接本人から電話で知らされショックを受けたが、馬原の意向により自主トレは予定通り行った[196][257][258]

高校3年時のワールドカップ出場の際に中村隼人(当時・日本ハム)にを伸ばすように勧められて興味を持ったが、新人合同自主トレ中の商品撮影でも伸ばしていたため自身の担当スカウトから寮長となっていた河埜敬幸に身なりを整えるよう注意を受けた[259]。2004年8月頃には再び生やしており[260]、2013年は小さい頃から好きなプロレスラー武藤敬司をイメージしてセットしていた[202]

中学校時代は大人しい性格を克服するために生徒会長に立候補し、文化祭ではバンドを組みドラムを担当した[17][5]

プロ1年目の高知キャンプでは302個(チーム1位)のバレンタインチョコが届いた[261][262]。また同年の福岡ドーム初勝利の際に「高卒ルーキーの初勝利はハイタッチするからマウンドに走れ」と大越基に騙されて飛び出し、チームの爆笑を誘った[194]

2002年3月にウィズン(We'SN)から「寺原弁当」・「寺原どん」の2種類の弁当が発売された[263]

水島新司の漫画「ドカベン プロ野球編」では、実在選手としては唯一、裏表紙に描かれたことがある(同作44巻)。

小学校4、5年生の時の野球教室で原辰徳桑田真澄斎藤雅樹槙原寛己から指導を受け[264]、日南学園の小川監督が東海大で原の先輩だったこともありドラフト前の面談で原は2度宮崎を訪れた[265]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2002 ダイエー
ソフトバンク
14 7 0 0 0 6 2 1 -- .750 237 57.2 53 5 15 0 1 41 4 0 24 23 3.59 1.18
2003 18 16 1 0 0 7 5 0 -- .583 417 92.0 95 12 47 0 5 60 1 0 59 56 5.48 1.54
2004 6 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 41 8.1 13 4 5 0 0 7 0 0 7 7 7.56 2.16
2005 2 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 19 4.0 6 1 1 0 0 2 0 0 4 4 9.00 1.75
2006 16 15 2 1 0 3 7 0 0 .300 335 76.2 90 6 19 0 2 35 4 0 43 36 4.23 1.42
2007 横浜 27 27 4 2 1 12 12 0 0 .500 762 184.2 171 20 46 0 4 163 7 0 78 69 3.36 1.18
2008 41 4 0 0 0 3 9 22 1 .250 282 71.0 57 4 12 0 2 66 4 0 26 26 3.29 0.97
2009 13 13 2 0 0 2 7 0 0 .222 362 83.0 89 8 23 1 1 77 4 1 43 36 3.90 1.35
2010 20 7 0 0 0 4 3 0 0 .571 237 54.0 54 5 24 1 1 42 4 0 25 22 3.67 1.44
2011 オリックス 25 25 7 3 1 12 10 0 0 .545 705 170.1 162 4 43 0 3 112 7 2 67 58 3.06 1.20
2012 16 16 1 1 0 6 8 0 0 .429 441 101.0 114 7 31 0 3 61 6 0 49 44 3.92 1.44
2013 ソフトバンク 16 16 2 0 0 4 7 0 0 .364 398 93.0 97 9 30 0 1 56 5 0 51 48 4.65 1.37
2014 5 5 0 0 0 1 4 0 0 .200 116 27.2 26 8 11 0 2 14 0 0 17 15 4.88 1.34
2015 21 12 0 0 0 8 3 0 2 .727 332 83.2 71 11 19 0 3 58 3 0 32 32 3.44 1.08
通算:14年 240 165 19 7 2 68 77 23 3 .469 4684 1107.0 1098 104 326 2 28 794 49 3 525 476 3.87 1.29
  • 2015年度シーズン終了時
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
節目の記録
  • 1000投球回:2014年4月2日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、4回表1死目に大引啓次の盗塁死で達成 ※史上336人目
その他の記録

背番号[編集]

  • 20 (2002年 - 2006年、2011年 - 2012年、2014年 -)
  • 24 (2007年 - 2010年)
  • 11 (2013年)

登録名[編集]

  • 寺原 隼人(てらはら はやと)(2002年 - 2009年、2011年 - )
  • 寺原 早人(てらはら はやと)(2010年)

登場曲[編集]

関連情報[編集]

CM[編集]

  • 宮崎市観光協会 (2002年6月、大阪地区、福岡、熊本、宮崎、鹿児島限定)[266][267]

脚注[編集]

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  1. ^ ソフトB・寺原、2000万円増“半額”取り戻し納得スポーツニッポン(2015年12月22日) 2016年1月11日閲覧
  2. ^ 1.ポジションはもちろん投手 兄の影響で小3から野球チーム 以来、道は“一筋” 2011年11月22日 西日本スポーツ新怪物伝説 寺原隼人
  3. ^ 夢の160キロへ 寺原ストーリー(1) 泣き声も“剛速球”な赤ん坊 日刊スポーツ九州
  4. ^ 夢の160キロへ 寺原ストーリー(2) 体格も技術も図抜けた小学生 日刊スポーツ九州
  5. ^ a b 夢の160キロへ 寺原ストーリー(3) 中学では生徒会長に 日刊スポーツ九州
  6. ^ 3.県大会V  仲間とのきずな深めた自主トレ 2011年11月24日 西日本スポーツ新怪物伝説 寺原隼人
  7. ^ 日南学園寺原・松坂超えだ 「進化」続ける155キロ右腕 2001年7月2日 日刊スポーツ九州
  8. ^ 4.宣言  甲子園目指し日南学園へ 2011年11月25日 西日本スポーツ新怪物伝説 寺原隼人
  9. ^ a b 夢の160キロへ 寺原ストーリー(4) 大きかった小川監督との出会い 日刊スポーツ九州
  10. ^ 日刊スポーツ・野球・第82回全国高校野球・地区予選・宮崎結果
  11. ^ 夢の160キロへ 寺原ストーリー(5) チーム内ライバルが成長の糧 日刊スポーツ九州
  12. ^ a b c 日南学園寺原、ノーヒットノーラン/地区大会 日米13球団のスカウトの前で150キロ披露 2001年7月19日 日刊スポーツ九州
  13. ^ a b 夢の160キロへ 寺原ストーリー(6) 高校最速155キロを記録 日刊スポーツ九州
  14. ^ 日刊スポーツ・野球・第83回全国高校野球・地方大会・情報
  15. ^ 日刊スポーツ・野球・第83回全国高校野球・地方大会
  16. ^ 寺原、投球練習2球でストップ 右手中指に違和感 2001年8月7日 日刊スポーツ九州
  17. ^ a b 日南学園・寺原8回10K 出た!155キロ 2001年8月12日 日刊スポーツ・野球・第83回全国高校野球
  18. ^ 日南学園・寺原が157.68キロ 2001年8月17日 日刊スポーツ・野球・第83回全国高校野球
  19. ^ 日南学園・寺原、準々決勝は待ち望んだ相手 2001年8月19日 日刊スポーツ・野球・第83回全国高校野球
  20. ^ [1] 2001年8月20日 日刊スポーツ・野球・第83回全国高校野球
  21. ^ 寺原、右足肉離れ 高校日本代表入り微妙に 2001年8月21日 日刊スポーツ九州
  22. ^ 寺原の意中球団発言に高野連注意 日南学園、小川監督に注意 2001年8月22日 日刊スポーツ九州
  23. ^ a b 寺原きょう帰国、次はドラフト 2001年11月18日 日刊スポーツ九州
  24. ^ 寺原世界デビューは2回4K 最速149キロ直球見せた 2001年11月8日 日刊スポーツ九州
  25. ^ 原因不明の下痢で投げられない~ 2001年11月14日 日刊スポーツ九州
  26. ^ 9.世界挑戦  すべてが勉強、経験は財産 2001年11月30日 西日本スポーツ 新怪物伝説 寺原隼人
  27. ^ 寺原147キロ!下痢も封じた! 2001年11月15日 日刊スポーツ九州
  28. ^ ダイエー寺原、今日にも誕生 「光栄です。長くかからない」 2001年11月20日 日刊スポーツ九州
  29. ^ 「寺原は即戦力」 ダイエー交渉権獲得 2001年11月20日 西日本スポーツ
  30. ^ 寺原2月の練習試合でデビュー 2002年1月7日 日刊スポーツ九州
  31. ^ ドラフト会議 福岡ダイエー 九州の剛腕獲った 寺原「光栄です」 2001年11月21日 西日本スポーツ
  32. ^ 寺原、着た!ダイエー姿だ ドラフト一夜グッズ拒否一転 2001年11月21日 日刊スポーツ九州
  33. ^ 寺原入団表明!全タイトル奪取だ 2001年11月27日 日刊スポーツ九州
  34. ^ 寺原、年俸でも松坂越えだ! 2001年12月5日 日刊スポーツ九州
  35. ^ 寺原、ストレッチで右肩矯正 福岡市内の病院でメディカルチェック 2001年12月6日 日刊スポーツ九州
  36. ^ 寺原 ランニングも 球団史上初“SP”伴走 2002年2月2日 西日本新聞
  37. ^ キャンプ王国・高知が背水改革へ 2005年2月14日スポニチ
  38. ^ 147キロ無失点デビュー 寺原が3・2へ試運転上々 2002年2月25日 日刊スポーツ九州
  39. ^ もう風邪はひきません 2002年2月20日 日刊スポーツ九州 寺原日記
  40. ^ そろそろ出るかも150キロ 2002年2月24日 日刊スポーツ九州 寺原日記
  41. ^ 寺原効果でチケット完売 2002年1月26日 日刊スポーツ九州
  42. ^ 寺原2軍危機 オープン戦初先発で3回5安打1失点 2002年3月4日 日刊スポーツ九州
  43. ^ 寺原力負け、1軍残留ピンチ 2002年3月22日 日刊スポーツ九州
  44. ^ a b 左肩の開きが早いから球が伸びない 稲尾氏が寺原フォームチェック 2002年2月25日 日刊スポーツ
  45. ^ 寺原、じっくりファームで 荒木大輔の目 2002年3月22日 日刊スポーツ
  46. ^ 寺原、飲酒・キャバクラ豪遊デビュー! 2002年4月12日ZAKZAK
  47. ^ 軽率だったと反省しています 2002年4月11日 日刊スポーツ九州 寺原日記
  48. ^ - the baseball - 4月16日(火) 日ハム vs ダイエー(試合詳細)
  49. ^ 寺原148キロ!最速被弾 KO後に待っていた逆転劇 2002年4月17日 日刊スポーツ九州
  50. ^ - the baseball - 4月28日(日) ダイエー vs オリックス(試合詳細)
  51. ^ 寺原プロ初勝利、6回7K無失点 2002年4月29日 日刊スポーツ九州
  52. ^ 寺原が救援で149キロマーク 2002年5月13日 日刊スポーツ九州
  53. ^ - the baseball - 5月15日(水) ダイエー vs オリックス(試合詳細)
  54. ^ 寺原、松坂に投げ勝った! 2002年5月30日 日刊スポーツ九州
  55. ^ a b c d 寺原が右肩違和感で降板 2003年6月16日 日刊スポーツ九州
  56. ^ 寺原がチーム危機救った 復活登板で4勝目、また連敗止めた 2002年7月31日 日刊スポーツ九州
  57. ^ 寺原、カブ斬り!復活5勝目だ 2002年9月30日 日刊スポーツ九州
  58. ^ 寺原が球団新の6勝 2002年10月3日 日刊スポーツ九州
  59. ^ - the baseball - 10月6日(日) ダイエー vs ロッテ(試合詳細)
  60. ^ 寺原がプロ初セーブ 2002年10月7日 日刊スポーツ九州
  61. ^ パ・リーグ東西対抗 パシフィック野球連盟公式サイト
  62. ^ MVPは小久保 2002年11月11日スポニチ
  63. ^ 寺原猛牛止めた連敗止めた 2003年4月3日スポニチ
  64. ^ 寺原続いた!若タカ4連続完投 2003年4月19日スポニチ
  65. ^ 日刊スポーツ九州 / FDH試合速報 ダイエーvs近鉄 2003年4月18日
  66. ^ 寺原、右肩関節炎で前半戦絶望 2003年6月17日 日刊スポーツ九州
  67. ^ 寺原が福岡ドームで初めて負けた 2003年7月24日 日刊スポーツ九州
  68. ^ 日刊スポーツ九州 / FDH試合速報 オリックスvsダイエー 2003年8月1日
  69. ^ 寺原がリリーフで1失点 2003年8月2日 日刊スポーツ九州
  70. ^ 寺原自己最多7勝目! 粘投実り後半戦初○ 2003年8月23日 日刊スポーツ九州
  71. ^ ダイエーまさかの大敗、マジック消滅 2003年8月30日 日刊スポーツ九州
  72. ^ 寺原5連打KOで2軍落ち 2003年9月8日 日刊スポーツ九州
  73. ^ 日刊スポーツ九州 / FDH試合速報 ダイエーvs西武 2003年9月7日
  74. ^ 寺原、まさかの2回途中KO 2003年9月29日 日刊スポーツ九州
  75. ^ 寺原好投!3回を1安打1失点 2003年11月2日 日刊スポーツ九州
  76. ^ 寺原5回6失点KO 2003年11月15日 日刊スポーツ九州
  77. ^ 鷹・新垣が新人タイの5試合連続2ケタ奪三振に自信 2003年8月1日SANSPO.COM
  78. ^ SWATグッズ発売 2003年8月12日 日刊スポーツ九州
  79. ^ 突然ですが、結婚します! 2003年12月2日 日刊スポーツ九州 寺原日記
  80. ^ 寺原結婚!奥さまは18歳、20歳の決断 2003年12月2日 日刊スポーツ
  81. ^ 寺原が苦しみ抜いて開幕ローテ 2004年3月21日 日刊スポーツ九州
  82. ^ 寺原が屈辱2軍落ち 2004年4月1日 日刊スポーツ九州
  83. ^ 2004 ウエスタン・リーグ 個人投手成績(規定投球回以上)
  84. ^ 2004 ウエスタン・リーグ リーダーズ(投手部門) 奪三振
  85. ^ 寺原83球スタート 2004年10月27日 日刊スポーツ
  86. ^ 寺原はゼロからの再出発 2005年2月11日 日刊スポーツ九州
  87. ^ 寺原炎上、2軍落ちも 2005年3月22日 日刊スポーツ九州
  88. ^ 寺原4失点KO、虎に連敗・・・ 2005年5月23日 日刊スポーツ九州
  89. ^ a b 稲尾和久氏「寺原は課題が克服されていない」 2005年5月23日 日刊スポーツ九州
  90. ^ 馬原が4人完全救援 2005年6月4日 日刊スポーツ九州
  91. ^ 寺原は今季絶望 2005年7月18日 日刊スポーツ九州
  92. ^ 寺原、全治3カ月 病院で縫合手術を受ける 2005年7月22日毎日新聞
  93. ^ ソフトB寺原、転機に涙はつきもの 2006年4月14日 日刊スポーツ九州
  94. ^ a b ソフトB寺原復活、965日ぶり白星 2006年4月14日 日刊スポーツ九州
  95. ^ ソフトB寺原3戦連続黒星…2軍落ちも 2006年5月28日 日刊スポーツ九州
  96. ^ ソフトB寺原は勝ち投手になれず 2006年6月29日 日刊スポーツ九州
  97. ^ ソフトB寺原が王監督へささげる初完封 2006年7月17日 日刊スポーツ九州
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]