葛城育郎
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2008年6月26日 阪神鳴尾浜球場 | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 | 大分県大分市 |
| 生年月日 | 1977年9月28日(41歳) |
| 身長 体重 |
180 cm 87 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト2位(逆指名) |
| 初出場 | 2000年8月27日 |
| 最終出場 | 2010年6月5日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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葛城 育郎(かつらぎ いくろう、1977年9月28日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。現在、西宮市にて飲食店経営。
目次
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
倉敷商業高校では3年時に県大会ベスト4まで進出した。関西学生野球連盟所属の立命館大学に進学後は、2年時に監督と部員が指導方法をめぐってぶつかった際に監督へ2年生の気持ちを説明し、一方で部員たちをまとめ上げた[1]。4年時の1999年にはリーグ戦春夏連続優勝し、大学通算でベストナイン3回、MVP1回を獲得した。当時を知る関係者からは「伝説のキャプテン」と呼ばれたという。同年秋のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブを逆指名しての2位指名で入団。
オリックス時代[編集]
2000年(1年目)は8月27日の千葉ロッテマリーンズ戦で一軍デビュー。12試合に出場した。
2001年に長打力を発揮してレギュラーに定着、130試合に出場した。規定打席に到達し、打率.268、14本塁打を記録した。なお、規定打席に到達したのはこの1年のみとなる。
2002年には石毛宏典新監督の下で主軸として期待されたが、新ストライクゾーンの影響もあり打率.221、1本塁打に終わった。
2003年は114試合に出場し、打率.251、9本塁打を記録したが下位打線を打つことが多かった。同年11月、投手力の強化を図るチーム方針により斉藤秀光・谷中真二との交換トレードで牧野塁と共に阪神へ移籍した。
阪神時代[編集]
移籍初年度の2004年は代打を中心に77試合に出場したが、打率は2割前半で出塁率も3割に届かず、オリックスではほとんど経験のなかった代打での打率は1割台と全く活躍できなかった。
チームが優勝した2005年には1試合の出場に終わった。
2006年にはケガも重なり一軍出場なしに終わり、一時は引退を覚悟した[1]。
2007年は若手の喜田剛、桜井広大らを押しのけて開幕一軍を勝ち取り、左の代打として出場した。その後、5月に赤星憲広が椎間板ヘルニアで、8月に林威助が右肩痛で離脱した際にはスタメンでも起用され、林の離脱時には高橋光信と共に穴を埋めた。打率は高くないものの勝負強く、9月にチームが10連勝した時には5番を打つこともあり、最も出場数の多かった9月には3割を超える月間打率を記録した。外野守備も以前は送球に難があり、落下点に入りながら落球というプレーもあったが向上している所を見せた。
2008年、アンダーグラフの真戸原直人が前年秋のツアーで「葛城の応援をしている」と語ったのをきっかけに、テーマソングをアンダーグラフの「9」にした。同じ左打ちの外野手である林が肩を手術した影響で開幕に間に合わなかったこともあり、前年に引き続き開幕一軍入り。シーズン当初はFAで加入した新井貴浩が一塁手、新外国人のルー・フォードが右翼手としてスタメン起用されて葛城はベンチスタートだったが、フォードの不振により5番右翼手として林が復帰するまで積極的にスタメン起用された。林の復帰以降は再び控えに戻ったが、夏場に新井が怪我や五輪で離脱した際には前年同様に高橋との併用で一塁を守った。代打での打率は.368を記録し、守備面でも準レギュラーとして外野手と一塁手を兼任して1失策と安定したプレーが見られた。
2009年は、代打として、または新外国人のケビン・メンチの不振などでスタメン出場することもあったため99試合に出場。
2010年4月18日、金本知憲の連続試合フルイニング出場がストップした試合で金本の代わりに左翼手の守備に就いた。阪神において金本以外の選手が一軍の公式戦で左翼を守るのは2002年以来8年ぶりであった。ただ、20打数10安打というオープン戦の好調さは影を潜め、開幕から不振に苦しみ、6月6日に一軍登録を抹消されると、残りのシーズンを二軍で過ごした。
2011年は、一軍での出場はなく、二軍で74試合に出場したものの打率.161、本塁打0本、打点2と精彩を欠き、10月9日に戦力外通告を受けた[2]。12月2日に自由契約を公示されたことを機に、現役を引退した。
引退後[編集]
現役引退後は、焼鳥店での修業を経て、2013年8月8日に西宮市内で「酒美鶏 葛城」を開店。その後、大阪市中央区北浜に2号店を開業した(2号店は2016年12月に心斎橋へ移転)。
人物[編集]
阪神時代の2008年7月2日に、阪神甲子園球場の対中日ドラゴンズ戦で、プロ入り後初のサヨナラ安打を放った。試合後のヒーローインタビューで、インタビュアーの清水次郎(朝日放送アナウンサー)から「勝利の雄叫びを」と言われたところ、両手を挙げて「ウォー!」と絶叫。同年8月26日に自身のプロデュースによる「ウォー」Tシャツが阪神球団の公式グッズとして発売されるなど、この雄叫びは、現役を引退するまで葛城の代名詞の一つとなった。
2008年には、7月13日の対広島東洋カープ戦、9月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦(いずれも甲子園)で清水からヒーローインタビューを受けた際にも雄叫びを披露した。いずれも、清水から「育郎さん、お願いしますよ!」と言われたことをきっかけに、マイクを預かってファンと共に「1・2・3、ウォー!!」と絶叫。その絶叫を合図に、ファンが一斉にジェット風船が飛ばした。出場機会がなかった9月29日の広島戦では、ヒーローインタビューを受けていた金本知憲の計らい(葛城の帽子をベンチから持ち出し、お立ち台でその帽子を取り出して誘い込むという演出)によって、飛び入りでヒーローインタビューに参加。4度目の雄叫びを披露した。
2016年1月18日には『水野真紀の魔法のレストランR』(MBSテレビ)「2016年★金本阪神全力応援SP」に下柳剛、増田英彦と共にロケゲストとして出演。また「酒美鶏 葛城」開店時に同番組のロケで金本と吉竹史(当時MBSアナウンサー)が訪問したことがある。2016年には2号店目となる心斎橋店も開店。野球選手や阪神ファンも多数訪れており、賑わっている。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | オリックス | 12 | 30 | 26 | 4 | 5 | 2 | 0 | 2 | 13 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 10 | 0 | .192 | .300 | .500 | .800 |
| 2001 | 130 | 469 | 418 | 67 | 112 | 24 | 2 | 14 | 182 | 53 | 1 | 4 | 0 | 2 | 43 | 0 | 6 | 91 | 8 | .268 | .343 | .435 | .779 | |
| 2002 | 74 | 246 | 222 | 18 | 49 | 8 | 2 | 1 | 64 | 12 | 0 | 1 | 8 | 0 | 15 | 0 | 1 | 68 | 3 | .221 | .273 | .288 | .561 | |
| 2003 | 114 | 325 | 283 | 46 | 71 | 19 | 0 | 9 | 117 | 30 | 3 | 2 | 4 | 3 | 34 | 1 | 1 | 83 | 6 | .251 | .330 | .413 | .744 | |
| 2004 | 阪神 | 77 | 99 | 90 | 12 | 20 | 1 | 1 | 3 | 32 | 14 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 2 | 26 | 0 | .222 | .273 | .356 | .628 |
| 2005 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2007 | 89 | 178 | 160 | 10 | 40 | 6 | 1 | 2 | 54 | 14 | 0 | 0 | 3 | 0 | 13 | 0 | 2 | 31 | 2 | .250 | .314 | .338 | .652 | |
| 2008 | 112 | 263 | 238 | 24 | 62 | 12 | 3 | 1 | 83 | 29 | 0 | 1 | 2 | 3 | 16 | 0 | 3 | 48 | 1 | .261 | .312 | .349 | .660 | |
| 2009 | 99 | 204 | 184 | 19 | 46 | 14 | 0 | 2 | 66 | 13 | 0 | 0 | 2 | 0 | 16 | 0 | 2 | 42 | 5 | .250 | .317 | .359 | .676 | |
| 2010 | 42 | 66 | 58 | 5 | 12 | 2 | 0 | 1 | 17 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | 0 | 12 | 3 | .207 | .292 | .293 | .585 | |
| 通算:10年 | 750 | 1881 | 1680 | 205 | 417 | 88 | 9 | 35 | 628 | 171 | 5 | 8 | 20 | 10 | 152 | 1 | 18 | 411 | 28 | .248 | .316 | .374 | .690 | |
年度別守備成績[編集]
| 年 度 |
外野 | 一塁 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
| 2000 | 8 | 14 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||
| 2001 | 124 | 186 | 3 | 4 | 1 | .979 | 8 | 25 | 0 | 0 | 4 | 1.000 |
| 2002 | 74 | 134 | 1 | 2 | 1 | .985 | - | |||||
| 2003 | 100 | 142 | 3 | 4 | 0 | .973 | 5 | 20 | 1 | 1 | 2 | .955 |
| 2004 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 19 | 84 | 8 | 2 | 6 | .979 |
| 2007 | 23 | 21 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 31 | 198 | 18 | 0 | 14 | 1.000 |
| 2008 | 52 | 61 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 34 | 217 | 12 | 1 | 23 | .996 |
| 2009 | 47 | 56 | 2 | 2 | 0 | .967 | 29 | 117 | 7 | 0 | 4 | 1.000 |
| 2010 | 19 | 21 | 1 | 2 | 0 | .917 | 18 | 25 | 3 | 0 | 1 | 1.000 |
| 通算 | 461 | 639 | 15 | 14 | 3 | .979 | 144 | 686 | 49 | 4 | 54 | .995 |
記録[編集]
- 初出場:2000年8月27日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(グリーンスタジアム神戸)、11回裏に三輪隆の代打で出場
- 初打席:同上、11回裏に小林雅英の前に三振
- 初先発出場:2000年9月9日、対日本ハムファイターズ23回戦(グリーンスタジアム神戸)、8番・右翼手で先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:2000年9月10日、対日本ハムファイターズ24回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回裏に立石尚行から右越ソロ
- 初盗塁:2000年10月11日、対福岡ダイエーホークス27回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回裏に二盗(投手:倉野信次、捕手:坊西浩嗣)
- 開幕戦代打本塁打:2003年3月28日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(大阪ドーム)、9回表に塩谷和彦の代打で出場、赤堀元之から右越ソロ ※史上17人目(パ・リーグ11人目)
背番号[編集]
- 3 (2000年 - 2003年)
- 33 (2004年 - 2011年)
脚注[編集]
- ^ a b 雑誌『週刊ベースボール』2008年8月11日号 「白球入魂 何とかなる 葛城育郎」43-47
- ^ “阪神、大ナタ大量8選手に戦力外通告”. サンケイスポーツ (2011年10月10日). 2011年10月10日閲覧。
関連項目[編集]
- 大分県出身の人物一覧
- 立命館大学の人物一覧
- オリックス・バファローズの選手一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 水落暢明 - 阪神時代の後輩で、現在は葛城が経営する「酒美鶏 葛城」に勤務している。
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 葛城育郎 - NPB.jp 日本野球機構
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