中山裕章

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中山 裕章
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県高知市
生年月日 1967年11月4日(48歳)
身長
体重
176 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1986年5月8日
CPBL / 2002年3月9日
最終出場 NPB / 2001年
CPBL / 2003年9月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中山 裕章(なかやま ひろあき、1967年11月4日 - )は、高知県高知市出身のプロ野球選手投手)。大洋、中日、台湾球界に在籍し 2003年に引退した。

来歴・人物[編集]

高知商高では1年生の時、1983年夏の甲子園津野浩の控え投手として出場。準々決勝に進出し桑田真澄清原和博のいたPL学園との対戦で、津野をリリーフして甲子園に初登板するが9-10の接戦で敗れる。1985年にはエースとして夏の甲子園に再度出場。しかし準々決勝でまたもPL学園の桑田と投げ合い、3-6で敗退した。この時の控え投手に1年下の岡林洋一がいる。また阪神タイガース藤川球児は中学校、高校の後輩である。

1985年ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。1986年の入団1年目から一軍で活躍。1988年には150km/hを記録する速球とフォークボールを武器にリリーフエースを務め、リーグ最多の70試合に登板。10勝24セーブを挙げ、救援投手ながら規定投球回に到達する活躍をみせた。また、同年のオールスターでは2戦連続で勝利投手となっている。1990年1991年開幕投手を務めた。

1991年シーズン後の11月12日午後、神奈川県横須賀市内の球団練習所から車で帰宅途中、 横浜市金沢区の11歳の小学5年生の少女のスカートの上から体を触り、その直後にも帰宅途中の6歳の幼稚園女児に、下着を脱がせるなどのわいせつな行為をした。神奈川県警が11月12日の事件を同一犯人の仕業と見て張り込み捜査を続けていたところ、2日後になって高級外国車に乗った中山が女子に声をかけるなどの不審な挙動を獲ったため追跡捜査し、ナンバーなどから中山とわかった。12月25日朝から警察の任意同行を求められ追及を受け、11月12日の事件を2件とも自供したため神奈川県警捜査一課と金沢署は12月25日夕、強制わいせつなどの疑いで中山を逮捕した。住宅地は練習場から車での帰宅路に当たり、「小さい女の子なら自分の顔を知らないと思った」と供述した[1]

強制わいせつに関しては被害者とは示談が成立し、公然わいせつに関しては社会的制裁を受けているということで起訴猶予処分とはなったが、これが原因で契約解除され、プロ野球機構は無期限の資格停止処分を下した[2]。その後、運送業に就くが、復帰を望むファンは「中山裕章君の復帰を願う市民の会」を作り、21万人もの署名を集め、1年後に資格停止処分は解除される[2]

1993年3月27日、打撃投手として中日ドラゴンズに球団職員として契約[2]1994年6月10日、支配下選手として登録され、契約金なしの推定年俸800万円、背番号67で現役復帰[2]。ファンの運動によって再び野球をプレイする事が可能になった彼は「再び野球ができることに感謝の気持ちでいっぱいです。でも被害者がいる以上、罪は反省し自分の中でも消えるものではない」とコメントした。復帰した1994年のシーズンは横浜スタジアムで登板することはなかった。1995年以降は主にリリーフ投手として登板。1996年は、中日がストッパーとして獲得した宣銅烈が不調だったこともあり、代わって中山がストッパーとして活躍、この年はオールスターにも出場した(セ・リーグ監督の野村克也の推薦。野村は中山選出について「罪を憎んで人を憎まず」とコメント) 。その後もセットアッパーから敗戦処理まで幅広く務めていたが徐々にチームが投手王国となり出番が減っていった。2001年に退団した。

2002年に、台湾中華職業棒球大聯盟中信ホエールズに入団。2003年に現役引退するまで先発投手として活躍した(台湾では成績も然ることながら女性ファンにも人気で、球場にて最後の引退宣言の時は中山と共に涙する多数の女性ファンの姿がテレビ中継で流れた)。引退後は、会社勤めの傍ら、アジア各国との貿易業を行っている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1986 大洋 18 5 0 0 0 0 3 3 -- .000 194 44.0 44 3 15 0 3 15 1 0 34 25 5.11 1.34
1987 33 20 2 1 0 5 12 0 -- .294 568 132.1 147 17 44 2 0 81 8 2 78 76 5.17 1.44
1988 70 0 0 0 0 10 6 24 -- .625 597 142.1 124 11 52 10 3 118 9 1 40 36 2.28 1.24
1989 45 1 0 0 0 1 10 17 -- .091 346 79.0 81 17 32 6 3 68 2 0 39 36 4.10 1.43
1990 27 21 5 3 0 8 12 0 -- .400 653 153.2 157 14 44 5 8 89 3 1 71 67 3.92 1.31
1991 27 23 3 2 0 8 10 0 -- .444 672 156.1 152 25 58 1 6 107 4 0 77 73 4.20 1.34
1994 中日 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 4.2 8 1 0 0 0 3 0 0 3 3 5.79 1.71
1995 44 0 0 0 0 3 6 4 -- .333 225 52.1 56 7 11 2 2 49 8 0 23 19 3.27 1.28
1996 36 0 0 0 0 4 4 14 -- .500 170 40.2 32 3 16 2 0 42 3 0 15 13 2.88 1.18
1997 53 0 0 0 0 7 6 0 -- .538 330 76.2 67 10 32 3 7 54 6 1 41 37 4.34 1.29
1998 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 27 7.0 4 0 2 1 0 2 0 0 0 0 0.00 0.86
1999 31 0 0 0 0 3 1 0 -- .750 146 37.0 31 2 12 1 1 16 2 0 13 13 3.16 1.16
2000 25 0 0 0 0 2 1 0 -- .667 116 28.1 23 3 9 1 2 22 1 0 10 7 2.22 1.13
2001 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 27 6.2 7 1 2 0 0 3 0 0 4 4 5.40 1.35
2002 中信 34 24 7 3 0 12 10 1 -- .545 728 176.2 172 13 40 3 10 117 10 1 76 55 2.80 1.20
2003 25 25 6 2 1 13 4 0 -- .765 729 180.0 169 5 29 1 8 106 3 1 56 44 2.20 1.10
NPB:14年 423 70 10 6 0 51 71 62 -- .418 4091 961.0 933 114 329 34 35 669 47 5 448 409 3.83 1.31
CPBL:2年 59 49 13 5 1 25 14 1 -- .641 1457 356.2 341 18 69 4 18 223 13 2 132 99 2.50 1.15
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

CPBL
  • 月間MVP:2回(2002年9月、2003年4月)

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 19 (1986年 - 1991年、1995年 - 2001年)
  • 125 (1994年)
  • 67 (1994年)

脚注[編集]

  1. ^ 1991年12月26日 読売新聞社会面
  2. ^ a b c d 【6月10日】1994年(平6) 不祥事から2年半 中山裕章 中日の支配下登録選手に - スポーツニッポン 2012年6月10日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]