野村貴仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
野村 貴仁
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県高知市(旧・吾川郡春野町
生年月日 1969年1月10日(47歳)
身長
体重
170 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト3位
初出場 NPB / 1992年4月21日
MLB / 2002年4月3日
CPBL / 2004年3月16日
最終出場 NPB / 2003年9月5日
MLB / 2002年5月15日
CPBL / 2004年3月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

野村 貴仁(のむら たかひと、1969年1月10日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手投手)。

2000年から2001年までの登録名は「野村 空生」(のむら たかき)。

来歴・人物[編集]

高知県立高岡高校宇佐分校から三菱重工三原を経て、1990年度プロ野球ドラフト会議オリックスブルーウェーブから3位指名を受け、入団。小柄ながら150km/h近い速球を武器に先発・中継ぎ・抑えとして起用される。

1993年には史上2人目となる1イニング4奪三振を記録。

1995年は抑えの平井正史に繋ぐセットアッパーとして37試合に登板し防御率0.98をマークし、リーグ優勝に貢献。1995年12月[1]、年俸でオリックス球団が提示する3,900万円に対して、野村は6,500万円を主張して折り合いが着かなかったため、2月5日にパシフィック・リーグ初の参稼報酬調停を申請した。調停委員会は3月1日、オリックス球団の提示する3,900万円を妥当な金額と認定し、野村の主張する6,500万円を退けた。

1996年にもセットアッパーとしてリーグ優勝・日本一に貢献。特に1996年の日本シリーズでは4試合に登板し読売ジャイアンツの主砲松井秀喜らの主力を相手に無失点に抑えこみ、登板した試合では全て勝利した。

1997年、シーズン通して好不調が激しく、チームが西武ライオンズとの競り合いに負け優勝を逃すとオフには、木田優夫との交換トレードで読売ジャイアンツへ移籍。

1998年、巨人在籍1年目のシーズン、当初は抑えとして期待されたが、開幕から力任せに抑えようとすればするほど痛打を浴びる場面が目立ち、首脳陣からの信頼を失って以降は中継ぎとして起用された。

2000年のシーズン前に登録名を「貴仁」から「空生」へ改名。

2001年6月26日札幌ドーム初の公式戦となる中日ドラゴンズ戦に登板、勝利投手になった。2001年オフに巨人を退団したあと渡米し、メジャーリーグに挑戦。ミルウォーキー・ブルワーズに入団。

2002年のシーズンは21試合に登板するも結果を残せず、マイナーリーグ降格などもあってそのシーズンのオフに解雇された。

2003年日本ハムファイターズに所属。

2004年には台湾誠泰コブラズに所属。

現役引退後は地元である高知県へ戻った。

2006年10月31日高知市内で覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕され[2]、同年12月26日付で懲役1年6月・執行猶予3年(求刑・懲役1年6月)の有罪判決を言い渡された[3]。この裁判の公判における供述によると、野村はオリックス在籍時に外国人選手から勧められてアンフェタミン系興奮剤の「グリーニー」に手を出し、同僚選手にも分け与えながらメジャーリーグ挑戦のためアメリカに渡るまで服用を続けていたという[4]

2016年2月9日、テレビ番組のインタビューにて巨人時代に同僚の清原和博(内野手=当時)に覚醒剤を渡していた事を明らかにした[5]

2010年より野球教室を始めたが、2016年2月時点で生徒は在籍していない。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1992 オリックス 27 3 0 0 0 1 2 5 -- .333 195 46.1 51 2 15 0 0 35 2 0 15 13 2.53 1.42
1993 36 0 0 0 0 3 3 8 -- .500 272 70.2 49 1 12 0 1 83 2 0 14 12 1.53 0.86
1994 29 0 0 0 0 3 4 6 -- .429 213 47.2 49 4 25 1 1 58 5 0 29 23 4.34 1.55
1995 37 0 0 0 0 3 1 2 -- .750 138 36.2 21 0 11 2 0 43 1 0 5 4 0.98 0.87
1996 54 0 0 0 0 4 1 5 -- .800 287 69.1 55 2 28 2 1 84 5 0 28 22 2.86 1.20
1997 52 0 0 0 0 4 5 8 -- .444 282 65.0 60 4 31 4 1 76 4 0 30 26 3.60 1.40
1998 巨人 24 0 0 0 0 1 4 4 -- .200 95 19.2 19 2 18 3 0 23 1 3 11 11 5.03 1.88
1999 15 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 53 13.2 9 1 4 0 0 16 1 0 2 2 1.32 0.95
2000 24 0 0 0 0 1 1 1 -- .500 89 20.0 18 5 8 0 1 21 2 1 18 15 6.75 1.30
2001 40 0 0 0 0 2 1 0 -- .667 167 37.0 47 4 12 1 1 34 4 0 19 19 4.62 1.59
2002 MIL 21 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 71 13.2 11 2 18 4 2 9 2 1 14 13 8.56 2.12
2003 日本ハム 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 28 5.1 11 2 1 0 1 3 0 1 7 7 11.81 2.25
2004 誠泰 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 19 4.0 7 0 1 0 0 5 2 0 2 2 4.50 2.00
NPB:11年 344 3 0 0 0 24 22 39 -- .522 1819 431.1 389 27 165 13 7 476 27 5 178 154 3.21 1.28
MLB:1年 21 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 71 13.2 11 2 18 4 2 9 2 1 14 13 8.56 2.12
CPBL:1年 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 19 4.0 7 0 1 0 0 5 2 0 2 2 4.50 2.00

記録[編集]

NPB初記録
NPBその他記録
  • 1イニング4奪三振:1993年8月8日、対千葉ロッテマリーンズ戦の7回 ※史上2人目、パ・リーグ初[6]
  • オールスターゲーム出場:2回 (1996年、1997年)

背番号[編集]

  • 15 (1991年 - 1997年)
  • 95 (1998年 - 2003年)
  • 28 (2004年)

登録名[編集]

  • 野村 貴仁 (のむら たかひと、1991年 - 1999年、2002年 - )
  • 野村 空生 (のむら たかき、2000年 - 2001年)

脚注[編集]

  1. ^ 日本シリーズ名勝負物語19P、近藤唯之、PHP研究所、1997年、ISBN 978-4569569994
  2. ^ “元プロ野球選手の野村貴仁容疑者、覚せい剤使用で逮捕”. 読売新聞. (2006年10月31日) 
  3. ^ “<覚せい剤>元プロ野球の野村投手に有罪”. 毎日新聞. (2006年12月26日) 
  4. ^ “野村元投手、現役時代の薬物使用認めた…球界薬物疑惑再燃か”. サンケイスポーツ. (2006年12月20日) 
  5. ^ “元巨人野村貴仁氏「俺が現役清原に覚せい剤渡した」”. ニッカンスポーツ. (2016年2月10日) 
  6. ^ 週刊ベースボール 2012年4月30日号107ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]