大工

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ドイツの大工
インドの大工

大工(だいく)とは、主として木造建造物の建築・修理を行う職人のこと。古くは建築技術者の職階を示し、木工に限らず各職人を統率する長、または工事全体の長となる人物をさしていた[注釈 1]、番匠(ばんじょう)とも。現在の建築業界においてはさまざまな新しい技術や工法、新建材の知識はもとより、建築工程をまとめる過程において建築業務に携わる他職人業者の関連業務知識が必要とされる場合があり、現在でも木造建築の建築業務などにおいては実質的現代棟梁であるとされる場合が多い。

概説[編集]

普請現場で働く大工。威勢の良い男で、入れ墨をしている。
(『童謡妙々車』(刊行年:嘉永8年(1855年)~明治7年((1874年)より)[1])。

かつては一般の木造建築の職人を「右官」[注釈 2]と呼んでいたが、江戸時代頃から一般の職人も大工と呼び、統率者に対しては、棟梁と呼ぶようになった。江戸の発音では「デエク」である。

飛鳥時代に今も使われている「さしがね」を考案したとも言われる聖徳太子が組織し、都造りのため天皇のそばで建築の「木」に関わる職を「右官」、「土」に関わる職を「左官」と呼んでいたという説もある。 現在の建設業で「左官」以外の職種は設計も含め、「大工」より派生したものが非常に多い。 最近よく使われる「意匠」というのは、「匠(大工)」が「意図する(考えた)」という意味でデザイン性を表す昔ながらの言葉である。

分類[編集]

春日権現験記絵』延慶2年(1309年) 高階隆兼 三の丸尚蔵館

宮大工[編集]

概要[編集]

宮大工(みやだいく)は、神社仏閣の建造などを行う大工。堂宮大工とも、宮番匠とも言われる。を使わずに接木を行う(引き手・継ぎ手)など、伝統的な技法を伝える。寺社を「お宮さん」と言っていたので宮大工という。

寺社大工(宮大工と同じ)は主に木造軸組構法(ただしこの枠組から外れる構造物もある)で寺社を造る大工。江戸時代に町奉行寺社奉行という行政上の自治管轄が違ったため町大工と区別される。いまでも宮大工といわず寺社大工という地域もある。ただし郊外など二つの管轄から外れる地域では明確な区別がないともいえる。このことから現代でも寺社大工と町大工を兼ねる工務店も多い。また郊外という空間上の制限がない場所柄と農家の顧客が主なこともあり町場と違い大断面木材と基本となる間尺(モジュール)も比較的大きく、仕口や材料も奢ったものも多く寺社建築に近かったことも要因である。都市部近郊では未だに築300年程の農家も多く存在する。

外部リンク[編集]

家屋大工[編集]

一般的な木造住宅における木材建材の加工・取り付け作業を行う大工。近代においては単なる「番匠」とはこの事をさす。 宮大工ではないが、木造住宅の墨付けきざみ建て方および屋根仕舞・外部造作・内部造作全般を取り仕切るバランスのとれた1人親方と職人を指す。 請負大工とも呼ばれ、各下請け業者の束ねも行う。 一般的に「大工さん」と親しみを込めて呼ばれるのは、この家屋大工(木造大工・住宅大工・家大工とも呼ばれる)である。」等の造作を家屋大工・造作大工が行い、コンピュータを使った自動機械によるプレカット木材の建前を建て方大工(鳶であることが多い)が行う住宅建築が増えている。 外装板・石膏ボード断熱材のみならず、天井造作・フロア張りなども専門職が行うようにもなってきている。 また、住宅の建築を依頼する先も高度経済成長期より家屋大工から、工務店・建設会社へ移ってきているため、現在は職人を指すことが多い。

町大工[編集]

主に木造軸組構法で家屋を造る大工(町場大工とも言われる)。

町場の由来は、古くから日本各地で相互扶助の単位として町(町場)という共同体のことからであり、江戸時代までは都市部の公的な自治単位として多くの権限を有していた。都市部の庶民のまつりごと(自治、祭礼)は伝統的にこの単位で行われ、その慣行が今でも残っているところも少なくない。

こうした自治の場で町大工は冠婚葬祭互助活動などや消火活動町火消)、祭礼(山車神輿の作成)、井戸の屋根、つるべや上水道の木管下水のどぶ板といった町内インフラストラクチャーの作成、保守などを、町鳶(とび職)と協力して担ってきた。現代で言えばインフラストラクチャーを大工が作りイベントを鳶職が行ったといえる。

普請においてその町に住むものはその土地の大工を使うのが不文律であり、それをたがえる時はそれなりの理由と挨拶が欠かせなかった。またこの様なことは大工に限ったことではなく町の中でお金が循環するという相互扶助でもある。しかし町の中でも商店や職人を積極的に贔屓にするが、不文律の拘束は弱く、町鳶、町大工、町火消しなどの「町」を冠する職方には我々の町の、という誇りをこめたニュアンスがある。寺社大工と良く比較されるが、確かに工具の豊富さや砥石一つとっても寺社大工のように数百万円もするようなものを持つ者も少ないが、都市部の限られた空間と時間と予算の制約の中で技術を培ってきたのも間違いなく、都市部(築地など)では築100年以上の三階建て住宅も現存する。

ツーバイフォー大工、プレハブ大工[編集]

主に木造枠組壁構法で家屋を造る大工。近年アメリカで開発され(ヨーロッパなどの木造家屋も小屋組がトラス構造であるが、基本的には軸組工法である。)技術導入された工法である。企業の枠組みの中に組み込まれており地域密着型でないため、町大工とはいえない。

数寄屋大工[編集]

数寄屋大工(すきやだいく)は、茶室を造る大工。主に木造軸組工法で茶室風を取り入れて家屋を造る(数寄屋造り書院造りという)。

わび・さび花鳥風月といったや趣を表現し、実用一辺倒ではない細工や材料を用いる。茶室に限らず趣味人の大店や商人などが、はなれ母屋料亭旅館までも用いた。緻密な細工物が多用されるので建具大工の素養が必要である。また抱える職方も特殊で、特に左官屋などはこてによるレリーフこて絵)を作ることができる。また、今では日本に少数しかいないが、茶室には欠かせないを専門とする炉壇師という職人もいる。町大工には社会的な役割が強く、顧客も庶民であったため実用的な建築が求められ、寺社大工には神社・仏閣の様式美が求められていた。それに対し数奇屋大工は予算的にも自由が利き、今で言えば芸術家肌といえる。

船大工[編集]

船大工(ふなだいく)は、木造和船帆掛け舟屋形船)の建造などを行う大工。船番匠とも言われる。日本でも昭和40年頃までは、各地の商業近郊河川だるま船(運搬船)を改装して水上生活をする者が多数見られ、木造船は身近な存在であったが、現在、純木造船は少なく、技術を伝える者もほとんどいない。

漁師町では大工と船大工を兼業する者も多く、社会的な役割も町大工に近かった。また非常に稀であるが日本各地の漁師町では、洒落なのか、軸組みの技術が無い者が造ったのか、材料の入手の問題であったのか、いずれかは解らないが、船大工の工法を使った家屋が見受けられ、現代の建築基準法や工法に当てはまらないシェル構造に近い家があり、極端にいえば船底のない船が建っているといえる。

長崎県精霊流しで使われる精霊船を作る技工も船大工と呼ばれる。

建具大工[編集]

建具大工(たてぐだいく)は、障子ふすまなどの製作を主とする大工。(表具屋、建具屋と呼称することが多い)

欄間を作る大工は彫り物大工とも呼ばれ専業になっているが、需要がなくなっているため技術継承者がいない。 昔の家屋大工より派生した専門職種である。ふすまや障子、畳などは、現在と違い「動産」であったので借家住まいの店子は、引越しの度、これらを持ち回った。この様なことから顧客層に違いが生じ、家屋大工と建具大工の分業を進めた要因といわれる。またこれらのことから都市部では家屋のモジュールが平面だけではなく高さも大まかに統一されていたのはリサイクルという観点からも驚愕すべき事実である。(どの家に持って行っても大体はめ込めた)

家具大工[編集]

家具大工(かぐだいく)は、家具を作る大工。指物師とも。(箪笥職人、家具職人と呼称されることが多い)主に葛籠(竹製ではない)、ちゃぶ台茶箪笥箪笥(階段箪笥、薬箪笥)などを造っていた。

家具大工は昔から四方転びと呼ばれる踏み台の出来で腕前を評価された。昔は家屋大工と明確な区別がなかったが、この様に小さな家具も日常的に造っていたので現在では分業している。明治維新以降、神戸横浜では西洋家具が造られる様になった。横浜では駕篭馬具職人が転職したのに対し神戸では中国、四国地方を中心とした船大工技術を伝承する塩飽大工という寺社大工集団の一部が転職したといわれている。この様なことから和箪笥職人と西洋家具職人と区分けされる由縁である。

型枠大工[編集]

型枠大工(かたわくだいく)はコンクリート打込み用の型枠を作りこむ大工。180×90cm厚さ12mmの合板コンパネともいう)と30×45cmの角材を釘で接合し内外両面を一定間隔の内法を内法保持金物(セパレーター)で確保し型枠をつくる。コンクリート重量で変形破壊しないように単管(鋼管)と鎖、支持鋼管で外側から圧縮力もしくは下方から支持力をかけるという作業をする。

一般には細かい造作よりも、いかに速く仕事を行うかが勝負(10m2程度/日)とされるが、打ち放しなど表面仕上げの精度が要求される場合、塗装合板(片面が平滑)などを使うが、型枠大工の技量と、左官・土工・監督の技術連携が成否を左右する。戦後、朝鮮半島より技術が伝わり、当初は家屋大工を組織して鉄筋まで行っていたが、RC造鉄筋コンクリート造)の構造体型枠パネル専門の大工となった。昭和30年代まではラス板と呼ばれる木材を寄せ合わせてコンクリート用の枠を型どっていたが、現在は東南アジアで生産されている通称コンパネと呼ばれるラワン材を主とする積層パネルと補助桟と呼ぶ木材で型枠パネルを組み立てている。東南アジアでの森林伐採問題は、このコンパネに必要な南洋材を世界各国に生産・輸出するためであるのが主な原因である。

町大工(町場大工)に対して野丁場大工ともいわれる。(野帳場ともいう、造成地埋立地など町の形成される前の場所や町や寺社という自治単位からはずれる、または超える規模の仕事の場所をさす。)

造作大工(たたき大工)[編集]

造作大工(ぞうさくだいく)は、主にRC造等の住宅やマンションの内部の造作、プレカット木造住宅の内部の造作を行う大工。造作とは主要構造部(梁、柱、土台、小屋組、階段)以外の壁、床、天井、窓枠、巾木等をさす。

50年代頃より壁・天井の造作が軽量鉄骨工事に切り替わり、大工仕事は木材を使う部分に限られてきた。 店舗を作る大工(内装大工ともいう)も造作大工であるが、専門知識が別に必要となる。 家屋大工との違いは、墨付け・きざみ・建て方の技術を習得している大工であるかそうでないかで判断すべきであろう。

町大工(町場大工)に対して野丁場大工ともいわれる。

棟梁[編集]

棟梁(とうりょう)は大工の職長・親方。木造建築物の采配を行う責任者。日本建築屋根の重要部材(棟とが主)は親方が墨付けし、棟上げ式の長でもあることからそう呼ばれる(棟梁は集団の統率者を指す言葉でも用いられ、例えば武家の棟梁=征夷大将軍である)。

日本でも明治期に建築家が養成されるまでは建築設計士であり現場監督であり積算者であり渉外者であり職人であり経営者でありそれらを全て兼ね備えた者を指す。

大工道具[編集]

といった様々な工具などを使う。これらを国内で唯一、専門で展示する施設「竹中大工道具館」が兵庫県神戸市にある。

大工に関する言葉[編集]

  1. 仕事が曲がらないこと。
  2. 留めを合わせること。
  3. かんなでよく削ること。
  4. やたらに磨き立ててごまかさないこと。
  5. 後で歪まないこと。
  • 雪隠大工 - 雪隠しか造作できない大工を意味する。転じて、仕事が下手な大工を嘲って言う俗語藪医者と同様の意味。

大工が主人公の作品[編集]

  • 小説『石版東京図絵』永井龍男、中央公論新社 (1975/4/10)

トレーニング[編集]

2009年にフランスの メスで建設中のポンピドゥー - メス中央博物館。現在までに建設された大工仕事の最も複雑な例で、表面積8000m²の16キロメートルの集成材で構成されています。

大工仕事には知識の習得と肉体的実践の両方を含む訓練が必要。正式な訓練では、大工は見習いとして始まり、その後職人になり、十分な経験と能力を備えて最終的に棟梁の地位に達することができる。今日、見習い前のトレーニングは、高校のショップクラスやコミュニティカレッジなどの非組合職業プログラムを通じて得られる場合がある。 非公式には、労働者は単に観察と周辺支援によって技能を学ぶために何年もの間大工と一緒に働くかもしれないがそのような個人は、組合料を支払い、組合員章(組合大工の乗組員で働く権利を提供する)を取得することができるが、大工の職長は必然的に会員証提示が期待されるスキルレベルを要求される。

大工は、雇用主のもとで働くことも、自営業者になることもある。大工がどんな種類の訓練を受けたとしても、米国の州の場合では筆記試験に合格し、請負業者に免許を与える場合最低限の保険をかけることを要求するものがあります。

大工学校とプログラム[編集]

大工業界での正式なトレーニングは、セミナー、認定プログラム、高校プログラム、オンラインクラス、新築、修復および保存用大工の訓練分野など、行われており [3]これらのプログラムは見習い研修と呼ばれることもある。

日本でも現在までに様々な施設等でのプログラムで育成されてきた経緯があり[4]、主には工業高等学校[注釈 3]、専修学校専門課程[注釈 4]、職業訓練施設や企業の主催する塾等[注釈 5]などで職業訓練として育成が行われている。この中では宮大工育成に特化した学校[注釈 6]などもある。 現代の英国の建設業界では、大工は数学 、英語、および技術 に関して中等教育の一般的な証明書 (GCSE)は役立つが、必須ではなく、見習い制度を通じて訓練されています。しかし、若者は全国的に認められた資格を取得するためのトレーニングをしながら、実地経験を積んで得られるので、これが好ましいルートと見なされます。 トレーニングには、建設-大工仕事と家具製造の2つの主要な部門があります。実習生の前に、これらの大工仕事各部門の研修生は、教室や屋内のワークショップで数学、貿易用語および手と動力工具の使い方の習得を学びながら、週に30時間を12週間過ごし、研修生も体操に参加して仕事の身体的側面に備えている。実習が修了し(経験豊富な大工が教えている)等級付けされたカリキュラムに合格した研修生は、初年度実習生として、地元の労働組合と建設現場の職場の大工職員に割り当てられます。今後4年間で、2年生、3年生、および4年生の実習生へと進捗が進むにつれて、実習生は3か月ごとに定期的に訓練施設に戻って、取引の特定の側面についてさらに詳細な訓練を受けます。

見習いと渡り大工[編集]

ドイツやオーストラリアなどでプロの大工として働くためには正式な見習い 期間(通常3〜4年)を履行する必要があります。見習いを卒業した大工はジャーニーマン (徒弟制度)大工として知られています。 19世紀から20世紀初頭にかけて、ジャーニーマンは修行先や周辺の別地域を訪れて(通常)帰国するまでにその地域の建築様式や技法を学びました。現代では、旅行する必要がなく、用語は現在熟練度とスキルのレベルを指します。米国のユニオン大工、つまりUnited Brotherhood of CarpentersおよびJoiners of Americaのメンバーは、正式なジャーニーマン 資格を取得するために技能試験に合格する必要がありますが、認定されていない職業大工もその技能に基づくジャーニーマンとして知られますがレベル、長年の経験または単に売り込みで自分自身をサポートしているためであり、認定は正式な木工教育によるものではない。

米国のジャーニーマン大工としての職業的地位は、いくつかの方法で得られます。正式なトレーニングは、職人の大工と一緒に働く職業訓練でUnited Brotherhood of Carpenters and Joiners of Americaが管理する4年間の見習いプログラムで取得されます。Timber Framers Guildには、伝統的な木材フレーミングの正式な見習いプログラムも用意されている。訓練はベトナムのKimBồng木工村のようなグループでも利用でき、そこでは見習いが住んでいて、木工と木工技術を学ぶために働くのである。 カナダでは、各州が独自の見習い基準を設定しています。平均期間は4年であり、大学や他の機関での実地訓練と技術指導の両方の最小時間数を含みます。実習生が受けた指導の時間数に応じた資格証明書またはより限られた量の大工仕事を可能にする資格証明書を得ることができます。カナダの大工は、カナダのどこででも仕事に従事できる追加の州間レッドシールを取得することもできます。レッドシールは見習いの修了と追加の審査を要求します。

大工はしばらく職人として働いた後、 マスターとして勉強またはテストを続けることができます。ドイツ、アイスランド、 日本などの一部の国では、これは骨の折れる高価なプロセスであり、マスター認証を取得するには広範な知識(経済的および法的知識を含む)とスキルが必要です。これらの国では一般的にクラフトで見習いを雇用および指導するすべての人にマスターステータスが必要です。「マスターカーペンター」とは、熟練した大工を表すために大まかに使われる用語になります。 熟練の大工はしばしば店舗の建具、足場 、ベンチの建具、メンテナンス、システムの設置など関連する取引にも活躍する。

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 古代造寺司においては、建築に限らず工匠の長を「大工」、副を「少工」と呼んでいた。
  2. ^ 右官については土木建築の技能職の左官に対して、事務職としての呼称であったとの説もある。
  3. ^ たとえば長崎県立島原工業高等学校茨城県立つくば工科高等学校などの建築技術科、東京都立墨田工業高等学校 定時制課程建築・大工コース
  4. ^ 東北電子専門学校建築大工技能科、新潟工科専門学校 工業専門課程 建築大工科、東京日建工科専門学校 建築大工科、東海工業専門学校金山校 工業専門課程 大工技術科、大阪工業技術専門学校 工業専門課程 I部大工技能学科、専門学校日本工科大学校 工業専門課程 建築職人マイスター専攻科、新潟日建工科専門学校 大工測量科、日本建築専門学校建築科仙台工科専門学校 大工技能学科 や木造建築科 といった学校がある
  5. ^ たとえば職業訓練施設などではiワークかしわ(柏工業専門校)建築大工科、サンヨーホームズ・施工技能者養成塾『サンヨーホームズ・カーペンタースクール』北海道の高等技術専門学院(函館、北見、帯広、札幌、旭川、釧路)、山形県立山形職業能力開発専門校福島県立テクノアカデミー浜、松本技術専門校 などの「建築技術科」、ポリテクセンター兵庫(兵庫職業能力開発促進センター)マンション建築技術科、住友林業建築技術専門校東京建築高等職業訓練校大宮建設高等職業訓練校横浜建築高等職業訓練校、砺波、高岡、富山、魚津にある建築高等職業訓練校普通課程、濃飛建設職業能力開発校建築施工系木造建築科、企業や組合主催では、有限会社 美里住建大工スクール、一般社団法人東京大工塾、東京建築カレッジ、KONDOグループテクニカルセンターなどや、各都道府県に所在する労働局登録教習機関などがある
  6. ^ たとえば伝統文化と環境福祉の専門学校伝統建築学科、職藝学院建築職藝専門課程コースなど
典拠
  1. ^ 童謡妙々車
  2. ^ 宮本武蔵『五輪書』大河内昭爾訳、教育社(教育社新書)1981年、46頁,兵法を大工の道にたとえて言ったときのもの
  3. ^ [1] Archived April 28, 2009, at the Wayback Machine.
  4. ^ http://www.zenmoku.jp/ippan/faq/faq/faq8/267.html