建築家

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建築家(けんちくか)とは、一般に建築における建物の設計や工事の監理などを職業とする人のことである。

歴史的背景[編集]

ヨーロッパ諸国[編集]

古代ギリシャ・ローマではそれは建築術をはじめ土木技術、造兵技術、機械技術を含んだ「大技術者」、いうなればグラフトマン(工匠)で「大工」という意味であった。中世ヨーロッパ大聖堂を築いた工匠は存在しても、建築技術者は一般に職人と見られていた。

12世紀以前には修道院教会の建築は、歴史的建築物や測量に造詣のある修道士が行っていたが、建築物の複雑化などから、11世紀半ばには建築主の要望を聞き、測量して図面を引く建築の専門家に委託する例が現れるようになった。優れた建築家は賛美される反面、他の地に同じような建物を建てられることを嫌った建築主に処刑されることもあった。故に初期ゴシック期の建築では、建築家が名声を得ることを建築主、建築家の双方ともに恐れたため、可能な限り名は伏せられた[1]

アーキテクトの地位が確立したのはルネサンス期以降で、アーキテクトの名前が作品とともに伝えられるようになった。15世紀イタリアブルネレスキがアーキテクトの始めとされる。当時、フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)に世界最大のドーム屋根をかけることが課題となっていたが、巨大な足場が必要になるため、建設は非常に困難と見られていた。ブルネレスキはこの課題に合理的な解決をもたらし、足場を築かずにドームを造る方法を提案して、ドームを完成させた。また、万能の天才といわれた人文主義者アルベルティは『建築論』を著し、学問的に建築学を位置づけた。これらの人物の活動によって、次第に職人とは異なり、高い教養科学知識を持つアーキテクトの職能が確立していった。イタリアなど南欧諸国においては、ルネサンス期以降、アーキテクトは主に社会的な事業に関わる芸術家として尊敬を集めてきた。こうして、アーキテクトが芸術家的意味を帯びるのは15世紀のイタリア・ルネサンスに始まると同時に建築の形態が学問として科学的に解析検討され、芸術としての本性が追求された。アーキテクトは技術者との職分から、学者であり芸術家・デザイナーとしての側面を持つに至る。

ところがイタリアに比べ当時は後進国であったイギリスでは環境芸術家や都市デザイナーアーキテクト的な側面は、イギリスで中世以来発展してきたサーベイヤー(測量技師、調査師または調査官などと邦訳される)という職能の一部として機能する。そしてこのイギリス的特性の中で形成されていくのが、近代的アーキテクト像とされる。イギリス最初期にデザイン系のアーキテクトとなるイニゴー・ジョーンズや後のクリストファー・レンなど、多くの著名なアーキテクトは、当初王室サーベイヤーとして活躍し、のちにアーキテクトへと発展し、建築作品を残していく。たとえば、1666年当時のロンドン大火後の再建計画を国王や市に寄せた幾人か、クリストファー・レンのほか友人のジョン・エブリン、その他ピーター・ミルやリチャード・ニューコート、バレンタイン・ナイトなど、この時点では専門のアーキテクトでも都市計画家でもなく、本職をもちながらサーベイヤーを委嘱されていた人物らである。

この一群の中から、南ヨーロッパ伝統の、芸術家的側面のアーキテクトとは異なる、技術的な側面の強い近代主義のアーキテクトにつながるもう一方の系統が生じ、さらにギルト・職能主義の進展、近代的教育組織や職能団体を結成し、さらに国家試験を課して資格制限を目指す排他性を基調とした動向などに伴い、サーベイヤーからアーキテクトは分離独立していく。1761年には王室建設局が、これまで長らく使用してきたサーベイヤーという職名からアーキテクトという呼称に切り替えていく。こうして発生した英国内のアーキテクトは、根本的には芸術家であるからとの理由で、画家や彫刻家と同列にとどまろうとはせず、すでに多くの機会に彼らは弁護士に伍する専門家として、すなわち意匠設計に携わることだけに劣らず、建設の際施主の経済的また利害の保護に携わる高潔、聡明の士、として活動することになる。

サーベイヤーという器の中で成長してきたイギリスのアーキテクトは、その歴史をみるとおり、芸術家というより、不動産としての建築、をつくる立場から職能的倫理や資格が問われていたのであり、1838年創立の英国建築士協会(後のRIBA)の憲章に、建築家は本来、施主と施工者との中間者である、と説かれているのは、このような立場からである。近代的アーキテクト像がアーティスト的性格と、サーベイヤー的性格を統合する形で成立していったのには、このような歴史的背景がある。

北欧と称される5カ国では、アイスランド以外のスウェーデンノルウェーフィンランドの3カ国には、建築士制度のような試験制度はもとより、登録規定制度などもないことが知られている。各国で所管される建築関連法規にも建築士などについての規定はなく、建築士としての業務は法的な保護はなされてはいない。このため建築設計に従事するにあたって免許等は必要なく、適格な判断は地方自治体などに任されている。デンマークで建築家を目指すのであれば、国内に2つある建築学校どちらかを卒業し、その学校の最終学年の試験が年2回行われ、無事にパスをすると協会への入会資格が与えられる。建物のデザインだけを扱うのではなく、家具や照明器具や食器、あらゆるものの「デザイン」をする職能となっている。建築設備や構造などは建築士教育施設とは別のテクニカルスクールでしか学ぶことができない。ノルディックカントリーであると、資格制度がないため、大学の建築学科学士と修士で5年間の教育を受け、肩書き「sivil architekt」が認定される。

これらの国でアーキテクトという名称は、建築に関する学位取得した者を指している。ただし学位授与自体が法的にも保護されており、建築候補者という卒業生称号が国によって証され、一般に学位取得者が建築の実務を行うに当たる資質を有するとみられているのである。さらに取得者は各国で建築家協会が組織されており、この組織への入会条件ともなっている。協会に入会せずとも民間での実務を行うこと自体はできるが、国や自治体等での業務を委託するには経験や専門性の証明要求がなされる。

ドイツの場合も修了証書が国によって保証されており、学位を取得し2年間の実務を経て、建築家会議所アルキテクテンカルマに入会許可を得ることができる。その他のヨーロッパ諸国も建築家は称号として、自国の建築家協会会員になった場合のみ授与されるというようなしくみとなっているが、ポルトガルやフランスについては、所定の実務経験をへて、オーストリアは実務経験と試験とで、イタリアは試験を経てと、会員になるのに各国で多少の相違がある。教育機関からの証書が発行されただちに建築設計に従事することができるしくみのスペインやオランダ、ルーマニアのケースなどや、実務経験を経ることによってみなされるベルギー、ギリシャのようにあくまで経験により、他分野からの参入で従事できるケースの場合もある。ベルギーは国内にある国が認める建築学校での5年間の教育を受けるが、学業期間内に法律で定められた試験と研修義務をクリアーする必要があり、また卒業後も国家試験を受けて資格を得るスタイルではなく、国内の建築家協会に登録されている事務所で2年間の研修が義務付けられ、その研修報告と受け入れ事務所の報告書が国に提出されて審査を受け、建築士として認定される。 フランスではDPLGというフランス政府公認建築家資格があり、公認される6年制学校を最終試験で卒業すると基本的には建築家の資格が授与される。次にフランス政府公認建築家営業権の収得となるが、年によって試験制度は変化し、大学の教育のほかに自分の責任でまとめたプロジェクトのプレゼンテーションなど、建築理論面が重視されうる。同国では175平方メートルを超えるものをすべて資格をもった建築家が設計することになっているが、それ以下のものは資格がなくても設計できるため、一般の住宅会社については資格のある建築家なしで家をたてることができる。ヨーロッパは基本的に学校を卒業すれば建築家で、ヨーロッパ内でどの国でも通用する。国家によって与えられた証明証書があり、これにより建築家と称する。ヨーロッパでは特にスペインやイタリアなどでは建築家の資格を取るのが非常に難関で相当の年数と教育や研修を受け、学ぶ科目もかなり広範囲である。 EU加盟国にある学校で加盟国建築協会に加入しているならば、その加盟校の卒業生は加盟国内で建築家として活動することができることになっている。

南北アメリカ諸国[編集]

アメリカ建築家協会(American Institute of Architects、AIA)は資格者のみが入会できる団体であり、保証・保険などのサービスとネットワークを提供する職能団体である。身分証明に AIA を付記することは、この会員にのみ許される。とはいえ、 AIA メンバーでなければ建築家ではない、というわけではなく、 AIA に所属しない建築家も多い。

公益財団法人建築技術教育普及センターウェブサイトの「北米3ヵ国における建築家資格の相互認証とメキシコの建築技術者制度」によると、メキシコ建築家については、法律制定以前は、建築家学会(Sociedad de Arquitectos Mexicanos A.C. 1905年設立)が建築家をまとめる活動を行い、1946年に「労働法・建築家に関する法律」制定後、新たに各州において建築家協会(Colegio de Arquitectos de各都市名A.C.)が設立(1946年)されはじめ、同時に建築家学会と統合し活動を行うかたちとなったとし、1965年には、各州の機関がまとまり、建築家の資質・技術向上のためにメキシコ建築家協会連合(Federacion de Colegios de Arquitectos de Mexico)が設立され、現在に至っているという。建築家の称号(資格)を取得するためには、ASINEAが認定する大学の建築学部を必要条件(社会奉仕、建築実務、学位論文、卒業試験)をみたして卒業後、出身大学がある州で建築家免許を発行され、晴れて建築家として業務に従事することとなっているが、免許も州内のみ有効で、その後メキシコ全土で有効の免許は専門技術総合局(DGP:Direccion General de Professiones en Mexico)に別途申請し免許交付を受ける必要があるとしている。

ブラジルで建築の仕事をするには、工学農学連邦評議会(CONFEA)から分離した建築都市評議会(CAU)が認定するCREAという資格が用意されている。試験はなく大学建築学部(FAU)卒業で資格として認定される仕組みである。ブラジルでは大学進学率が低いため、建築家の社会的地位はおろか大学出という立場は相当価値が高い。総じて富裕層出身者が多く、所得水準が高水準である。日本のような一級建築士として工学的設計瑕疵が重く問われる国とはかなり異なり、製図はDesenhista製図工が行い、建築の確認申請もProjetistaに任せ、構造や設備などもエンジニアに任せる仕組みであり、計画意匠の統括がブラジルの建築家の役割となっている。

日本[編集]

日本では伝統的に設計施工を兼ねる大工棟梁がいた。Architect の概念は、明治時代以降に輸入されたもので、まずは明治政府が雇用したお雇い外国人トーマス・ウォートルスジョサイア・コンドルらが活躍した。次いで旧官立大学を中心に西欧の建築学が導入された。東京駅の設計で知られる辰野金吾工部大学校(後の東京帝国大学工学部)1期生である。

Architecture は当初「造家」と訳され、1886年に工部大学校卒業生を中心に「造家学会」が設立された。やがて伊東忠太による提案を受け、1897年に建築学会(現・日本建築学会)と改称した。伊東は、「造家」では技術的な要素が強すぎるので、芸術的な要素を強調するため「建築」という名称を主張したものであったが、すでに明治6年に発行された英和辞書でconstructionを「建築術なり」と称していた。

これに対する反発として、大正時代に日本建築士会と関西建築協会(現・日本建築協会)が結成された。日本建築士会は設計と施工の分離を主張し、西欧の Architect に相当する地位を確立すべく、「建築士法」制定運動を起こした。1925年に「建築士法」案が議会に提出されたが、建築界全体の足並みがそろわず、成立を見なかった。

第二次世界大戦後の1950年建築士法が成立し、国家資格としての「建築士」制度が誕生した。現在の日本では「建築士」が法定の資格名となっている。[2]実務上は、建築設計事務所のなかでも国家資格である「建築士」を擁した登録事務所でなければ、一定規模の建築を設計・監理することはできない。法律上は、極小規模な建物を除き、建築士以外の者が設計や監理を行うことは禁止されている。[3]また、建築士の資格を持たない者が建築士と紛らわしい名称を使用することは禁止されている。[4]

英語を使用する主要国としてあげられることの多いイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアの4か国を始め、他の英語使用国でも「Architect」は法定の資格名となっている。[5]日本の建築士試験の指定試験機関である公益財団法人建築技術教育普及センターウェブサイトの「ヨーロッパにおける建築教育とアーキテクト制度」[6]にあるとおり、ヨーロッパ諸国においても業務独占と名称独占に関してはさまざまである。

建築家というのは資格制度上の名称ではないが、自身では資格がなくとも、スタッフに有資格者を置くことで建築士事務所を主宰し、職業として建築家と名乗る、ということも可能となっている。下記のように建築家という名称を使用した建築家の会合民間団体が存在し、たとえばUIA(国際建築家連合)に加盟を目的に設立した建築家協会が現在の日本建築家協会(JIA)に直結、西洋型の正統派建築家集団を設立当時から目指している。

プロフェッサー・アーキテクト[編集]

大学建築学教育を行ないながら、実際の設計に関わるものをいう。これは世界各国建築学校で一般的なスタイルであり、また実務に長けた人物を教授に招聘するのも非常に多く行われている。

日本では最初からジョサイア・コンドルなどが教育と実務にあたっており、教え子の辰野金吾が引き継ぐ。東京大学では帝国大学時代から伊東忠太以下、多数存在する。特に東大の内田祥三は営繕課長を兼ねて安田講堂を含むキャンパス計画を作成し、教え子を育てながら大学のグランドデザインを実現させていった。この他佐野利器岸田日出刀京都高等工芸学校京都帝国大学で後身の育成に当たった武田五一、 フランスから帰国後、横浜高専で後身の育成に当たった中村順平 らがいる。

早稲田大学佐藤功一が発足させてから、以降歴代の教授陣は設計実務にも関わりながら、教育と研究に従事している。

第二次世界大戦後も東京大学工学部教授を歴任する丹下健三芦原義信槇文彦安藤忠雄大野秀敏藤本壮介千葉学東京藝術大学教授を歴任する吉田五十八天野太郎六角鬼丈片山和俊北川原温乾久美子ヨコミゾマコト吉村順三明治大学教授を歴任する堀口捨己阪田誠造東京工業大学教授を歴任する谷口吉郎八木幸二坂本一成塚本由晴安田幸一篠原一男広島工業大学教授を歴任する村上徹横浜国立大学教授を歴任する北山恒飯田善彦西沢立衛京都大学教授を歴任する西山卯三高松伸竹山聖工学院大学教授を歴任する武藤章 (建築家)望月大介谷口宗彦木下庸子日本大学教授を歴任する吉田鉄郎神谷宏治泉幸甫今村雅樹横河健金沢美術工芸大学教授を歴任する黒川雅之東海大学教授を歴任する山田守関東学院大学教授を歴任する長谷川逸子武蔵野美術大学教授を歴任する竹山実大阪芸術大学教授を歴任する高橋てい一稲田尚之宮本佳明、 この他、複数の大学で教授を歴任する 清家清(東京工業大学、東京藝術大学) 妹島和世(慶應義塾大学、多摩美術大学) 岸和郎(京都大学、京都工芸繊維大学) 内田祥哉(東京大学、明治大学、金沢美術工芸大学) 太田實(北海道大学、北海道工業大学) 内井昭蔵(京都大学、滋賀県立大学山本理顕(工学院大学、横浜国立大学) 仙田満(琉球大学、名古屋工業大学、日本大学、東京工業大学、放送大学小嶋一浩(横浜国立大学、東京理科大学) 木島安史熊本大学、千葉大学) 東孝光大阪大学、千葉工業大学) 藤森照信(東京大学、工学院大学) 宮脇檀(法政大学、日本大学) 重村力(神奈川大学、神戸大学、九州大学) 宗本順三(九州芸術工科大学、京都大学) 難波和彦(大阪市立大学、東京大学) 元倉眞琴(東北芸術工科大学、東京芸術大学) など、プロフェッサー・アーキテクトの例は多い。単なる理論のみでなく実務に関わることは研究上・教育上も必要であり、学生に設計実務を示すことができるなどのメリットがあるとされる。

アンビルト・アーキテクト[編集]

建築家という空間デザイナーがそのデザイン空間を実現することは、依頼者がいて、依頼者の資金で、依頼者がなんらかで使うための建築空間を構築することであるが、中にはこうしたことを束縛として捉え、束縛から逃れてデザイン空間実現へのこだわりは捨て、ドローイングや思想を発表する建築家が現れている。それらの者はアンビルト・アーキテクトと呼ばれる。磯崎新は著書「UNBUILT 反建築史UNBUILT」(TOTO出版、2001年)、「建築の解体―1968年の建築状況」(再版:鹿島出版会 1997年、ISBN-10: 4306093492 ISBN-13: 978-4306093492、美術出版社、1975年)で、「デザイン空間の実現を伴わない建築思想家=アンビルトアーキテクト」として、案件での作品著作や、発表・講演等で生計をたてる道があることを示している。さらに磯崎も前述の著書で1980年代のポストモダニズム建築の到来とその崩壊、非構築系建築の出現を予測している。

世界ではボストン建築家協会が主催するその名も「BSA Unbuilt Architecture Design Awards」といった未完作品・空想建築作を表彰する賞もある。建築中や建築予定の作品は選考対象外、計画が途中で断念されたプロジェクトや仮想のプロジェクトが応募の対象となっている。

歴史的に建築家は、個人差もあるが総じて絵は上手く、いわゆるユートピアや先見の明の建築プロジェクトなどを、ドローイング等といった図面の操作で作品を発表し政治、世界、文化などを語る傾向がある。社会性政治性は建築家必須のアイテムである。

アンビルトアーキテクトと呼んでいる建築家も、それなりに芸術としての建築を構想する建築家として評価する伝統があり、日本に比べ技士ではなく建築や都市の総合プロデューサーといった側面は諸外国では強く、こうした建築家はアーキテクチュア・ライティングが重要なツールとして発揮、構想しているビジョンも時代に先駆け過ぎ、実物の建築を建設する機会に恵まれないタイプの建築家を評価する慣習がある。 都市計画と建築は一体的に語られ、環境問題にも詳しいのが建築家とみられる。 その時代を先取りした建築ビジョンなど、本物を建てたことがなくても、世界中の建築家・建築界から評価されているアーキグラムなどはRIBAゴールドメダルを2002年に受賞している。

こうしたアンビルトアーキテクトとみられている建築家は、上記アーキグラムの他、マリオ・ガンデルソナス、ジョン・ヘイダック英語版スーパースタジオ英語版フレデリック・キースラーレベウス・ウッズマッシモ・スコラーリ英語版、フランコ・プリーニ、コンスタント・ニーヴェンホイス英語版、エリザベス・ディラー+リカルド・スコフィディオ、ヨナ・フリードマン英語版、らがいる。

但しかれらにしても、以前に建築の実務にはついていてあるいは自身の建築設計事務所を構えている。実作は少ないながらもといった類である。スケッチやドローイング、模型でしか作品発表していない。それにも関わらず、少ない実作や設計図面よりも、スケッチやドローイングで発表された新規の建築ビジョンが現実の建築に多大な影響を与える力をもちえている。ダニエル・リベスキンドザハ・ハディドニール・ディナーリアシンプトート英語版など、長らく建築実作に恵まれなかった面々も過去にはアンビルトアーキテクトとみられ、同様の活動を行い、また公開の建築設計競技で発表された案が注目され日の目をみたのもある。

こうした建築家は脱構築主義建築系の建築家という風にみられ、これについては入江徹が「展覧会―ディスコンスタラクティビスト・アーキテクチュアとその背景」(日本建築学会計画系論文集 第551号、p329-334、2002年)という論で「脱構築主義の建築展」などを参考にしてこの背景の考察を行っている。

黒川紀章もデビュー作は新聞で一作も無いが計画案で国際的に有名な建築家と紹介され、依頼が来たものである。

やや逆のケースもあり、フランス革命期のエティエンヌ・ルイ・ブーレーアル=ケ=スナンの王立製塩所の実作のあるクロード・ニコラ・ルドゥーも革命後実作に恵まれなかったが、その後幻想的な計画案を残し、これらが注目を集めていった。

またロンドン動物園スノードン禽舎を設計したセドリック・プライス英語版レオン・クリエ英語版ダグマル・リヒター、建築評論で活躍するマイケル・ソーキンなど、実作も少なく、実作よりも案やドローイングその他の方が知られるケースもみられる。

三浦丈典が建築家が構想段階で描くドローイングについて著した「起こらなかった世界についての物語 アンビルト・ドローイング」(彰国社 2010年)で実際には実現していない「unbuilt drawing」をテーマにしている。16世紀から20世紀まで26の建築家のドローイングが取り上げられている。それぞれに著者ならではの興味深い文が添えられており、絵の構想だけで実物がないということが、様々な想像や妄想がしやすいことを指摘している。

団体[編集]

国際[編集]

  • 国際建築家連合(UIA(Union Internationale des Architectes))
  • 国際建築積算協会
  • 国際女性建築家会議(UIFA(Union Internationale des Femmes Architechtes))
  • 国際女性建築アーカイブ(IAWA(International Archive of Woman in Architecture ))

日本[編集]

各都道府県、建築士会(士会)
各都道府県、建築士事務所[要曖昧さ回避]協会(事務所協会)

他国[編集]

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種類は建築#建築に関する賞を参照。最も著名な賞は、ハイアット財団(Hyatt Foundation)から贈られるプリツカー賞(正式名称:プリツカー建築賞)である。次いで、王立英国建築家協会から贈られるRIBAゴールドメダル(正式名称:ロイヤルゴールドメダル)、アメリカ建築家協会から贈られるAIAゴールドメダル、国際建築家連合から優れた建築家に対して授与される賞であるUIAゴールドメダルスターリング賞アジア建築家評議会アルカシア建築賞、ヨーロッパ主要建築家フォーラム(Leading European Architects Forum、LEAF)のリーフ賞がある。日本においては、社団法人日本建築学会が建築家に与える日本建築学会賞、財団法人吉岡文庫育英会が建築家に与える新建築賞のほか、社団法人日本建築家協会が建築家に与える日本建築大賞等がある。

著名な建築家[編集]

ルネサンスから歴史主義建築[編集]

イタリア[編集]

フランス[編集]

ロシア[編集]

イギリス[編集]

ドイツ[編集]

オーストリア[編集]

近代建築以降[編集]

来日して活動した建築家[編集]

著名な建築設計事務所[編集]

日本[編集]

組織系建築設計事務所[編集]

アメリカ合衆国[編集]

その他の国[編集]

ゼネコン系設計部[編集]

現在日本で大手ゼネコンの抱える建設業設計部は建築界において大きな位置を占めており、評価の高い作品も多く生み出している。日本では明治時代後半から清水組などの大手建設会社が大学出の学士を採用するようになり、自社で設計から施工までを一貫して行う体制を整えてきた。この点は西欧流に設計と施工の分離を唱える立場からは問題視され、戦前の「建築士法」制定運動の中では、施工会社が設計を行うことを禁止しようという主張も見られた。

大林組[編集]

「大林組」も参照

鹿島建設[編集]

「鹿島建設」も参照

清水建設[編集]

「清水建設」も参照

大成建設[編集]

「大成建設」も参照

戸田建設[編集]

「戸田建設」も参照

竹中工務店[編集]

「竹中工務店」も参照

著名な建築家養成学校[編集]

カナダ

中南米

アフリカ

  • ケニア大学工学部建築学科
  • ジョモ・ケニヤッタ大学工学部建築学科

アメリカ合衆国

フランス

  • パリ芸術学校(ボザール、Ecole des Beaux Arts) - パリ Prarie
  • コンフラン建築大学 - パリ Prarie
  • 国立パリ建築大学ラヴィレット校
  • 国立工科大学建築学部 - リマ
  • 国立整備計画学院 - リマ

(エコール・デ・アーキテクチャ(ENSA20)

(その他)

イギリス

オーストラリア

ドイツ・オーストリアほか

(芸術アカデミー)

(技術大学)

(大学)

スイス

  • メンドリジオ建築アカデミー

(大学/スイス連邦工科)

(応用科学大学)

その他欧州諸国

  • エレヴァン工科大学
  • ティミショアラ建築大学
  • イオン・ミンク建築・都市大学
  • シレジア工科大学
  • WUTワルシャワ工科大学建築学部
  • R.ルメール保存修復センター
  • ベルギー・サンリュック大学
  • バレンシア工科大学建築学院
  • IaaC - バルセロナ
  • バルセロナ高等建築学校
  • ラ・コルーニャナ高等建築学校
  • マドリード建築学校
  • サンリュック大学建築学部
  • リスボン工科大学建築学部
  • リスボン芸術大学
  • ポルト大学
  • フィレンツェ大学建築学部
  • ローマ大学[要曖昧さ回避]建築学部
  • ヴェネツィア建築大学
  • ミラノ工科大学建築学部
  • リュブリアーナ大学建築学部
  • ポルト大学建築学部
  • ベルラーヘ・インスティチュート - ロッテルダム
  • デルフト工科大学建築学部
  • アムステルダム建築アカデミー
  • アテネ国立工科大学建築学部
  • レーピン絵画彫刻建築大学
  • モスクワ建築大学
  • ソ連高等芸術学校ヴフテマス(VHUTEMAS)
  • タリン芸術大学

北欧

アジア

脚注[編集]

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  1. ^ アラン・エルランド=ブランダンブルグ著 山田美明訳『大聖堂ものがたり』創元社 <「知の再発見」双書>、2008年、ISBN 9784422211961 pp.42-60.
  2. ^ 法定の資格を持つ「建築士」以外が設計や工事監理をすることは建築士法違反となる(敵は「建築家」にあり!(日本建築士事務所協会連合会 日事連、2012年2月号)、職能団体の責任:自称「建築家」で建築主の信頼は得られるか(日経BP社 ケンプラッツ、2012年1月16日)「建築士」と紛らわしい名称である「建築家」を使用して業務を行うことも違法であるとして問題提起がなされている。
  3. ^ 建築士法第3条、第3条の2、第3条の3
  4. ^ 建築士法第34条
  5. ^ Architects Act(アメリカ)、Architects Act(イギリス)、Building Control Act(アイルランド)、Architects Act(カナダ)、Architects Act(インド)、Architects Registration Act(スリランカ)等
  6. ^ http://www.jaeic.or.jp/other_info/zaidan_information/center-index/qua_bknum/kaigai/kikansi31.html

関連項目[編集]