PL学園中学校・高等学校

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PL学園中学校・高等学校
PL Gakuen Main Entrance.jpg
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人PL学園
設立年月日 1955年
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 国公立コース
理文選修コース
高校コード 27568K
所在地 584-8555
大阪府富田林市喜志2055

北緯34度31分23.7秒 東経135度35分49.1秒 / 北緯34.523250度 東経135.596972度 / 34.523250; 135.596972座標: 北緯34度31分23.7秒 東経135度35分49.1秒 / 北緯34.523250度 東経135.596972度 / 34.523250; 135.596972
外部リンク 公式サイト
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PL学園中学校・高等学校(ピーエルがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、大阪府富田林市にある男女共学私立中高一貫校である。パーフェクト リバティー教団(PL教団)本部敷地内に立地しており、学校法人PL学園が運営する。

概要[編集]

中学校では英語科数学科で習熟度別の授業を導入している。また高等学校では国公立コース・理文選修コースの2コースを設置し、希望進路に応じた学習を図っている。

中学校・高等学校ともに大半の生徒が生活を送っている。かつては全寮制であったが、現在は自宅通学も可能になっている。また、以前は高等学校に定時制課程・通信制課程も併設されていた。定時制課程は2000年度(平成12年度)に、通信制課程は2009年度(平成21年度)に休止となっている。

スポーツ関係の部活動の名門校としても知られており、卒業生の清原和博はグラウンドの大きさは高校随一だと述べている[1]。特に後述する硬式野球部は数々の輝かしい成績を修め大勢のプロ野球選手を生み出してきた。しかし硬式野球部は2015年春に部員募集を停止し[2]、2016年7月から休部となっている。一方で軟式野球部は現在も引き続き活動を続けており、全国高等学校軟式野球選手権大会の大阪府代表として出場することもある。

信者数の減少や受験者の受験意識の変化、名門硬式野球部の部員募集停止などにより入学希望者が減少し、2015年2月の高等学校受験では、外部受験枠75名に対して受験者は28名であった[3]。在校生徒数も年々減少し、学校自体の存続も危ぶまれている[3]

入学に際しては、生徒本人、並びに保護者のパーフェクト リバティー教団への入信を求められる[4]

沿革[編集]

  • 1955年 - PL学園高等学校が創立。全日制課程を設置。
  • 1957年 - 定時制課程を設置。
  • 1959年 - PL学園中学校が創立。
  • 1962年 - 校歌制定。
  • 1973年 - 通信制課程を設置。
  • 2000年 - 定時制課程を廃止。
  • 2009年 - 通信制課程を休止。

部活動[編集]

母体であるパーフェクト リバティー教団(PL教団)は「人生は芸術である」という教義を掲げている。そのため自己表現を重視することが奨励され、野球を始めとしたスポーツにも力が入れられている。

特に後述のとおり硬式野球部が有名であった他、軟式野球部、バトン部、剣道部などが全国大会レベルで活躍している。

また、ゴルフ部では、男子が1980年の第1回全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝し、さらに翌年の第2回全国高等学校ゴルフ選手権大会でも優勝を果たした[5]。同部からは高村博美(賞金女王1回)、中島千尋(ツアー通算4勝)、谷口徹(賞金王2回)ほか数多くのプロゴルファーを輩出した。しかし、2001年に廃部された。

硬式野球部[編集]

沿革[編集]

硬式野球部は1956年昭和31年)に創部され[6]、わずか7年目の1962年(昭和37年)に甲子園大会に初出場(春夏連続第34回選抜高等学校野球大会第44回全国高等学校野球選手権大会)を果たした。

強豪校へ[編集]

その後、1970年代後半からは甲子園の大阪府代表の常連校7校(私学7強)のうちの1校となり、1977年(昭和52年)の3年生から2001年(平成13年)の3年生までは25学年連続でプロ野球選手を輩出した。

1978年の全国高等学校野球選手権大会では、準決勝の中京戦、および決勝の高知商戦において、土壇場の9回裏から大逆転劇を見せ、「9回裏の奇跡」「逆転のPL」の異名をとることとなった。

また、1985年(昭和60年)の夏の大会では、全国大会では現在でも唯一の記録である毎回得点を達成した(詳細なスコアはこちらに掲載)。

甲子園大会への最後の出場は2009年平成21年)であった。

特徴[編集]

「神に依る野球」「世界平和のための野球」を標語(公式HPより)に、甲子園全国大会では人文字での応援(カラーカード<色画用紙>やメガホンポンポン等を使用)が有名である。

かつての同野球部は少数精鋭制をとり、完全外部スカウト制であった。中学校時代にリトルシニアボーイズリーグで優秀な成績を修め、 PL学園のスカウトマンに勧誘された者だけが入部を許された部活動であり、在校生からの一般入部は一切受け付けていなかった。

しかし、このスカウト制度は後述のいじめ問題発覚後、野球部専用寮と共に廃止された。以降は部員募集停止までの間、逆に入学後に在校生が入部する一般的な部活になっていた。

休部へ[編集]

同部は1990年代末から2000年以降にかけて数々の暴力事件が報告されて問題になった。特に2013年には部内暴力によって対外試合禁止処分を受け、監督が退任した。詳細は後述する。

2016年(平成28年)に最後の部員たちが夏の大会を終えたことで休部され[6]、2017(平成29年)年には部員が消滅して高等学校野球連盟からも脱退した[7]。以後、現在まで部員の募集は再開されていない。

過酷な寮生活[編集]

同校はかつて全寮制であり、野球部員も全員が野球部専用のに居住していた[8]

同野球部の出身者で、甲子園大会および日本プロ野球で活躍した清原和博は、その寮生活について非常に過酷なものだったと後の2021年令和3年)に語っている。清原が同期の松山秀明と共に回想したという、後輩の片岡篤史との談話に基づく[9]

1年生への禁止事項[編集]

清原が入学した1983年昭和58年)当時、同野球部の1年生は生活において次のような規則を与えられたという[9]

  • 寮への入所から高校の入学式までは「お客様」として扱われ、キャッチボールをする程度で気楽に過ごす。
  • 入学式後、「教育係」の上級生から1年生の作法と義務を徹底的に指導される。
  • 1年生が上級生からの言葉に対して回答していい言葉は「はい」と「いいえ」のみ。ただし「いいえ」が許されることはなく、実質的に「はい」のみ。
    • 上級生がわざと小さな声でぼそぼそと何かを告げることがある。1年生がそれを聞き取れずに「えっ?」などと聞き返すと、息が詰まるほどに胸を殴られる。
  • 付き人」制度があり、上級生が1年生を選んで自身の付き人とする。付き人は上級生に絶対服従で、毎日の洗濯や食事の世話、マッサージなどを行う。
  • 1年生と上級生が相部屋で、その1年生は「部屋子」と呼ばれる。部屋子は室内では基本的に正座で過ごし続ける。
    • 上級生から飲み物を取るなどを命令されて立ち上がろうとすると足がしびれて転ぶほどである。その際に上級生から「おい、楽にしていいぞ」などと許可を与えられると、初めて体育座りに崩すことを許される。
  • 1年生は入浴時に湯船に浸かることは許されず、シャワーで済ませる。風呂場の椅子を使うことも禁止で、片膝をついて体を洗う。シャンプーは禁止で、石鹸で頭を洗う。バスタオルは禁止で、手ぬぐいで体を拭く。
  • 1年生は菓子類の摂食を禁止。テレビの視聴を禁止。新聞の閲覧を禁止。電話の利用を禁止。外部との連絡は手紙のみ。
  • 1年生はニット生地のユニフォームを禁止で、綿のユニフォームを使う(寒く、硬い)。夏でも常に長袖の服を着なければならない。

1年生の日課[編集]

また、当時の1年生にとって毎日のスケジュールは以下のものだったという[9]

  • 朝は6時半ごろに起床する。目覚まし時計を設定するが、同部屋の上級生を起こさないようにその鐘を鳴らしてはならず、鐘が鳴る寸前の「カチッ」という動作音で飛び起きて音を止めた。
  • 起床後に掃除とPL教団へのお祈りを済ませたのち、1年生は自身が付き人とする担当上級生の食事の準備を行い、それを伝える。
  • 寮から高校へは2kmほど離れており、1年生全員で集団登校を行う。登校は3列か4列の縦隊を組み、連帯歩調で行進する。
    • 大声で「歩調、歩調、歩調、やめ!1、それ、2、それ、3、それ、4、それ、1、はい、2、はい、3、はい、4、はい、1234、1234……」などと叫びながら行進する。
    • その途中も常に上級生たちが通りがかるたびに監視しており、もし足が揃っていなかったり声が小さかったりすると暴行を受ける。
  • 野球部員は学校の授業は5時限で終わる。その5時限目の途中に1年生はを外履きへ履き替え、終業のチャイムが鳴った途端に全速力で寮まで2kmを走って帰る。
    • なぜなら終業から練習までの間に1年生は上級生のために練習前の食事を準備しなければならないからである。そのコンロの数が限られているため、1年生同士で争奪戦になった。
  • 練習は午後3時から午後6時半までと、強豪の野球部としては比較的短い。しかし、1年生にとっては練習後のほうが過酷な時間帯であった。
  • 練習後に1年生が夕食の準備を行い、午後7時から9時ごろにかけて上級生たちが食事に訪れるまで食堂で待機する。
  • 上級生の食事中、1年生はテーブルの前で直立不動を続ける。先輩が「おかわりを注げ」と伝える合図は茶碗で机を「コン」とごく軽く叩くことであるが、1年生は疲労からそれに気づかないこともあり、反応が遅いと茶碗を顔へ投げつけられる。避けるとひどく暴行を受けるので、わざと当たりに行く。
    • 清原は、「この経験によって、のちにプロ野球で死球を避けずに当たりに行く勇気を培われたのかもしれない」と冗談半分に語っている。
  • 食事後、上級生たちの残飯を1年生が集めて捨てに行くが、その際に全身に残飯の汁をかぶる。1年生は自分の衣服を洗濯する時間的余裕がなく、衣服から常に生ゴミの匂いがした。
  • 食事後、その日の練習で使われたボールをきれいに磨く。1個でも数が合わないと暴行を受ける。
  • 1年生を制裁するための時間帯が決められており、基本的に「連帯責任」として全員が暴行を受ける。寮内放送で「1年生、娯楽室へ集合」と告知され、「娯楽室」で暴行されることが通例であった。
    • 顔を殴ると傷跡が目立ち問題視されるため、体幹部を殴られたり蹴られたりした。ほか、理不尽な筋力トレーニングを強要されることもあった。
  • その後、1年生が上級生へマッサージを行う。上級生が就寝すると終わりだが、寝たふりをする上級生もおり、1年生が「寝た」と判断して手を止めると即座に殴られる。
  • 深夜に1年生が上級生の衣服を洗濯する。業務用洗剤を使って素手で洗うため、手が常に荒れる。
    • その手で練習中はバットを振るため、ひどく痛む。
  • 1年生にとって寮生活における娯楽は存在しない。

いじめと監督後継問題[編集]

また、同野球部では数々の暴力事件が報告されており、1986年にはいじめによる死亡事故が起きている[10]

1997年には、上級生が暴力を加えて重傷を負わせ、2001年には日常的に上級生が下級生をバットで殴るなどのいじめが原因とされる暴行事件で半年間にわたる活動停止処分を受けている。さらに、被害者の家族に訴えられて裁判沙汰になった[11][12]。その他の部内の規律として、漫画家なきぼくろは、「女を見るのは禁止」という規律が存在していたと語っている[13][14]2008年も暴力事件が起こり、藤原弘介監督(当時)が辞任。後任として河野有道が監督に復帰したが、2011年には部員の部内暴力と喫煙で1ヶ月の対外試合禁止になった。

2013年4月9日には、高野連・西岡宏堂審議委員長より2013年2月23日午後10時頃、2年生4人が、1年生1人を寮内にて殴る蹴るの暴行を加えたため救急車が出動し、病院送りにしたことが明らかにされた(学年は共に事件当時)。これにより日本学生野球協会審査室会議にて2013年2月24日から8月23日までの6ヶ月間の対外試合禁止処分が決まった[15][16]。河野は2001年の活動停止処分を受けた際の監督でもあったがその後退任し、4月16日付でPL教団職員に異動した。

かつての教団や教祖であり野球ファンだった御木徳近は名門野球部を広告塔として最大限に支援していたが、度重なる不祥事や教団幹部の代替わりによる内部の運営体制の変化により次第にトラブル続きの野球部に対して厳しい態度で臨むようになり、野球部の体質改善を積極的に行った。まず、野球部専用の寮であった「研志寮」が2001年のいじめ問題発覚後に「閉鎖的な野球部寮に問題がある」と言う理由で2002年3月末限りで廃止され、同年4月以降は野球部員も一般生徒と同じ寮で生活している。また全寮制の廃止もあり、通学可能な地域に居住している部員は自宅から通学している。研志寮の建物は、PL学園小学校の「小学SC寮」に転用され改装された。

また、社会情勢や教育環境の変化から教団の学校運営方針が「スポーツ選手の育成強化」から「在校生徒の学力向上重視」に主軸を置くようになったため、かつて行われてきた有能者を見つけるための外部スカウト制度やスカウトによる推薦入学特待生の制度も寮の廃止と同時期に全て廃止され、一般入試で合格した在校生が入部する一般的な部活に変更された。毎年恒例となっていた夏季と冬季の合宿制度も全て廃止され、大きな問題となっていた上級生の「説教」制度も一切禁止された。練習時間も大幅に短縮され、それ以外の時間帯の練習は特別な事情や教団・学校の承認が無い限り一切禁止とした。さらに学力維持と向上のため、年間成績や定期テストなどで一定の成績に満たない部員は約1ヶ月間練習禁止処分にして補習を受けさせるようにした他、1週間に1回全員での教団講話の拝聴を義務付けた。部活関係者以外の野球部OBとの接触やOBの学校訪問も一切禁止とした。上級生と下級生が同部屋で生活し、下級生が上級生の雑用等をこなす野球部独自の「付き人制度」も教団や保護者、一般生徒などから生徒間の行き過ぎたプライバシー等の侵害や厳しすぎる上下関係による不祥事を問題視されるようになったため、2013年6月より部活の雑用(食事作り、掃除、洗濯、買い出しなど)は全て寮関係者や教団ボランティアのスタッフが行うように変更され、下級生の雑用を一切禁止とした。同年秋には「付き人制度」その物が廃止され、全部員が一般生徒と同じ待遇となり野球部の伝統とされてきた厳しい上下関係や規律も大幅に改善され緩和された[17]

卒業生の一人である清原は、この事件の後2013年にテレビ出演した時にPLの暴力は伝統であると語っている[18]

後継監督候補には複数のOBが浮上しているが、学校・教団側はかねてから野球部OBの多くが卒業後には教団への信仰から距離を置いていることに不満を持っており、野球部OBが監督に就任する条件の1つとして教団への熱心な信仰を求めているが、学校・教団側の要望に該当する野球部OBがいないことから、2013年秋大会から常勤の監督が不在という状況が長期化していた。練習ではOBのコーチがいるものの、OBのコーチの指導はノッカーとしてのみ認められている(このOBは学校側から監督昇格は認められていない[19])。このため公式戦では野球未経験の正井一真校長が登録上の監督に就任し、ユニフォームを着てベンチ入りしているが、試合の中で決断を下せる大人が不在となっており、作戦や選手交代を選手同士で決めていた。2014年10月には監督不在により十分な指導ができないことを理由に、入学を希望する中学3年生の新入部員の受け入れ停止を決定した[20]

2015年3月16日、同年4月1日付の人事異動で正井が校長職から校外の教団施設への転任が決定し、同時に野球部の監督を退任することが発表された。新たな校長に草野裕樹が就任し[21]、野球部の監督も兼任することとなった[22]

休部[編集]

2015年春及び2016年春は新入部員を募集しない方針をとり、2016年2月の時点で2年生部員12人のみが所属していた[23]

2016年2月、野球部長を兼任する草野校長が同年春に定年退職となるため、同校事務職員の川上祐一が野球部長に就任した[23]。野球部員の募集再開時期は未定となっており、2016年夏の全国高等学校野球選手権大会での現役部員の引退をもってひとまず休部することが決定[23]

2016年7月15日、第98回全国高校野球選手権大阪大会でPL学園は3年生部員のみの12人(記録員を含む)で臨み東大阪大学柏原高等学校に6対7で敗れ、この試合をもって野球部はいったん休部となった[6]

2016年休部時点での最後の甲子園出場は2009年の夏であり、創部からの通算成績は、春のセンバツには20回出場して優勝3回(81年82年87年)、夏の選手権大会には17回出場して優勝4回(78年83年85年87年)、春夏通算96勝となっている[6]1982年には史上2校目の春連覇1987年には史上4校目の春夏連覇を達成した。

2017年3月29日、PL学園側から大阪府高等学校野球連盟に対して脱退届が提出され、大阪府連盟は同日これを受理した。PL学園側では今回の脱退について「平成29年度より本校の部員募集再開が決定するまでの間、大阪府高等学校野球連盟に非加盟とする形である」と説明している[7]

出身者[編集]

プロ野球選手[編集]

名前 出身地 Pos 大学 社会人 ドラフト 順位 球団 経歴 引退後 備考
野田征稔 長崎県 1959 内野手、外野手 - PL教団 制度導入前 阪神タイガース 阪神、タイ代表コーチ、BC福井監督
坪井新三郎 大阪府 1963 内野手 - PL教団 1969 ドラフト外 中日ドラゴンズ 太平洋 野球部に所属せず
戸田善紀 大阪府 1963 投手 - - 制度導入前 阪急ブレーブス 中日
愛甲徹 - 1963 投手 日本大中退 - 制度導入前 東京オリオンズ
中塚政幸 香川県 1963 一塁手、外野手 中央大 - 1967 2位 大洋ホエールズ 横浜、BC群馬コーチ等
得津高宏 和歌山県 1965 外野手 - クラレ岡山 1966 6位 東京オリオンズ ロッテコーチ 1965年近鉄8位拒否
長井繁夫 群馬県 1965 内野手 中央大 - 1969 3位 ヤクルトアトムズ 1965年近鉄3位拒否
福嶋久晃 和歌山県 1965 捕手 - 大昭和製紙 1966 ドラフト外 大洋ホエールズ 広島 広島・横浜・関西高コーチ 1965年広島8位拒否
加藤英治 愛知県 1966 投手 - - 1966 1位 近鉄バファローズ
加藤秀司[24] 静岡県 1966 内野手 - 松下電器 1968 2位 阪急ブレーブス 広島-近鉄-巨人-南海 サーパス神戸監督等 1966年東映4位拒否
野口善男 熊本県 1966 内野手 法政大 - 1970 1位 大洋ホエールズ 横浜球団取締役
大和田正海 大阪府 1967 捕手 - 出原商店 1971 ドラフト外 阪急ブレーブス 阪神
川口孝秀 大阪府 1968 投手 - - 1968 ドラフト外 中日ドラゴンズ 近鉄
新井宏昌 大阪府 1970 外野手 法政大 - 1974 2位 南海ホークス 近鉄 オリックス・ソフトバンク・広島コーチ等 1970年近鉄9位放棄
新美敏 熊本県 1970 投手 - 日本楽器 1972 1位 日拓ホームフライヤーズ 広島 広島・日本ハムコーチ等
行澤久隆 大阪府 1971 内野手 中央大 - 1975 2位 日本ハムファイターズ 西武 西武コーチ等
立野政治 香川県 1973 投手 - 日本楽器 1980 ドラフト外 ヤクルトスワローズ 1976年広島4位拒否
平山正人 大阪府 1973 投手 - 新日本製鐵堺 1976 4位 阪急ブレーブス 1973年南海4位拒否
金森栄治 石川県 1974 外野手、捕手 早稲田大 プリンスホテル 1981 2位 西武ライオンズ 阪神-ヤクルト 楽天コーチ
尾花髙夫 和歌山県 1975 投手 - 新日本製鐵堺 1977 4位 ヤクルトスワローズ 現ヤクルト二軍投手チーフコーチ
米村明 熊本県 1977 投手 中央大 河合楽器 1984 5位 中日ドラゴンズ 現中日スカウト
金石昭人 岐阜県 1978 投手 - - 1978 ドラフト外 広島東洋カープ 日本ハム-巨人
木戸克彦 大阪府 1978 捕手 法政大 - 1982 1位 阪神タイガース 阪神・女子野球日本代表コーチ
谷松浩之 熊本県 1978 外野手 - - 1978 4位 ヤクルトスワローズ
西田真二 和歌山県 1978 外野手 法政大 - 1982 1位 広島東洋カープ セガサミー監督
阿部慶二 大阪府 1979 内野手 亜細亜大中退 ヤマハ発動機 1983 6位 広島東洋カープ 広島コーチ等
小早川毅彦 広島県 1979 内野手 法政大 - 1983 2位 広島東洋カープ ヤクルト 広島コーチ
山崎剛 大阪府 1979 投手 - - 1979 ドラフト外 阪急ブレーブス 阪神
山中潔 大阪府 1979 捕手 - - 1979 4位 広島東洋カープ ダイエー-中日-日本ハム-ロッテ 現日本ハム二軍バッテリーコーチ
岡部明一 大阪府 1980 外野手 中央大 - 1984 3位 ロッテオリオンズ
西川佳明 大阪府 1981 投手 法政大 - 1985 1位 南海ホークス 阪神
吉村禎章 奈良県 1981 外野手 - - 1981 3位 読売ジャイアンツ 現巨人作戦コーチ
若井基安 奈良県 1981 内野手、外野手 法政大 日本石油 1987 2位 南海ホークス ソフトバンクコーチ等
榎田健一郎 大阪府 1982 投手 1982 1位 阪急ブレーブス
森浩之 大阪府 1982 捕手 東洋大 1986 2位 南海ホークス 現ソフトバンク三軍監督
加藤正樹 大阪府 1983 外野手 早稲田大 - 1987 ドラフト外 近鉄バファローズ バイタルネット監督
山中勝己 奈良県 1983 内野手 明治大 - 1987 ドラフト外 中日ドラゴンズ
岩田徹 和歌山県 1984 捕手 - 三菱自動車水島 1988 4位 阪神タイガース 履正社学園コーチ
今久留主成幸 大阪府 1985 捕手 明治大 - 1989 4位 横浜大洋ホエールズ 西武 Honda鈴鹿コーチ
清原和博 大阪府 1985 内野手 - - 1985 1位 西武ライオンズ 巨人-オリックス
桑田真澄 大阪府 1985 投手 - - 1985 1位 読売ジャイアンツ パイレーツ 現巨人投手チーフコーチ補佐
内匠政博 大阪府 1985 外野手 近畿大 日本生命 1992 3位 近鉄バファローズ 現オリックススカウト
松山秀明 和歌山県 1985 内野手 青山学院大 - 1989 5位 オリックス・ブレーブス 現ソフトバンク三軍内野守備走塁コーチ
霜村英昭 - 1986 内野手 - - 1986 ドラフト外 ヤクルトスワローズ
片岡篤史 京都府 1987 内野手 同志社大 - 1991 2位 日本ハムファイターズ 阪神 阪神コーチ、YouTuber
立浪和義 大阪府 1987 内野手 - - 1987 1位 中日ドラゴンズ 野球殿堂
野村弘樹 広島県 1987 投手 - - 1987 3位 横浜大洋ホエールズ 横浜コーチ
橋本清 大阪府 1987 投手 - - 1987 1位 読売ジャイアンツ ダイエー
宮本慎也 大阪府 1988 内野手 同志社大 プリンスホテル 1994 2位
(逆指名)
ヤクルトスワローズ ヤクルトコーチ
野々垣武志 奈良県 1989 内野手 - - 1989 ドラフト外 西武ライオンズ 広島-ダイエー-誠泰太陽 西武・レディースコーチ
入来祐作 宮崎県 1990 投手 亜細亜大 本田技研 1996 1位
(逆指名)
読売ジャイアンツ 日本ハム~横浜 現オリックス投手コーチ
坪井智哉 東京都 1991 外野手 青山学院大 東芝 1997 4位 阪神タイガース 日本ハム-オリックス等 現DeNA打撃コーチ
今岡誠 兵庫県 1992 内野手 東洋大 - 1996 1位
(逆指名)
阪神タイガース ロッテ 現ロッテヘッドコーチ
松井稼頭央 大阪府 1993 内野手 - - 1993 3位 西武ライオンズ メッツ-ロッキーズ-アストロズ-楽天-西武 現西武二軍監督
宇高伸次 大阪府 1994 投手 近畿大 - 1998 1位
(逆指名)
近鉄バファローズ 横浜
サブロー 岡山県 1994 外野手 - - 1994 1位 千葉ロッテマリーンズ 巨人-ロッテ 現楽天ファームディレクター
辻田摂 奈良県 1995 内野手 東洋大中退 - 2000 8位 中日ドラゴンズ
福留孝介 鹿児島県 1995 外野手 - 日本生命 1998 1位
(逆指名)
中日ドラゴンズ カブス-インディアンス-ホワイトソックス-阪神-現中日 1995年近鉄1位拒否
前田忠節 和歌山県 1995 内野手 東洋大 - 1999 3位 大阪近鉄バファローズ 楽天-阪神 現阪神スカウト
荒金久雄 大分県 1996 外野手 青山学院大 - 2000 5位 福岡ダイエーホークス オリックス
前川勝彦 大阪府 1996 投手 - - 1996 1位 近鉄バファローズ 阪神-オリックス等
小林亮寛 福岡県 1997 投手 - - 1997 6位 千葉ロッテマリーンズ
前田新悟 大阪府 1997 内野手 明治大 - 2001 5位 中日ドラゴンズ
大西宏明 兵庫県 1998 外野手 近畿大 - 2002 7位 大阪近鉄バファローズ オリックス-横浜-ソフトバンク 堺シュライクス監督
平石洋介 大分県 1998 外野手 同志社大 トヨタ自動車 2004 7位 東北楽天ゴールデンイーグルス 現ソフトバンク打撃コーチ
覚前昌也 京都府 1999 外野手 - - 1999 7位 大阪近鉄バファローズ
七野智秀 兵庫県 1999 内野手 - - 1999 6位 横浜ベイスターズ
田中一徳 兵庫県 1999 外野手 - - 1999 1位 横浜ベイスターズ 日本経済大コーチ
田中雅彦 大阪府 1999 内野手 近畿大 - 2003 4位 千葉ロッテマリーンズ ヤクルト
加藤領健 愛知県 2000 捕手 青山学院大 - 2004 6位 福岡ソフトバンクホークス 現ソフトバンク三軍バッテリーコーチ
中尾敏浩 福岡県 2000 外野手 青山学院大 JR東日本 2007 大・社5位 東京ヤクルトスワローズ
朝井秀樹 大阪府 2001 投手 - - 2001 1位 大阪近鉄バファローズ 楽天-巨人 現巨人球団職員
今江敏晃 京都府 2001 内野手 - - 2001 3位 千葉ロッテマリーンズ 楽天 現楽天打撃コーチ
小斉祐輔 大阪府 2001 外野手 東農大生産学部 2005 育成1位 福岡ソフトバンクホークス 楽天
桜井広大 滋賀県 2001 外野手 - - 2001 4位 阪神タイガース 06BULLS監督
小窪哲也 奈良県 2003 内野手 青山学院大 - 2007 大・社3位 広島東洋カープ
冨田康祐 愛知県 2006 投手 青山学院大 香川オリーブガイナーズ 2011 育成1位 横浜ベイスターズ
前田健太 大阪府 2006 投手 - - 2006 高1位 広島東洋カープ ドジャース-現ツインズ
緒方凌介 大阪府 2008 外野手 東洋大 - 2012 6位 阪神タイガース
勧野甲輝 大阪府 2010 内野手 - - 2010 5位 東北楽天ゴールデンイーグルス ソフトバンク
吉川大幾 大阪府 2010 内野手 - - 2010 2位 中日ドラゴンズ 巨人 現巨人球団職員
中川圭太 大阪府 2014 内野手 東洋大 - 2018 7位 オリックスバファローズ

その他野球関連[編集]

その他スポーツ[編集]

政治[編集]

芸能[編集]

その他[編集]


脚注[編集]

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  1. ^ 清原和博『男道』幻冬舎、2010年、70頁。ISBN 978-4344414457
  2. ^ 山中由睦. “名門PL野球部、特別な夏 監督は校長、部員募集停止”. 朝日新聞. 2016年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月3日閲覧。
  3. ^ a b 野球部「廃部」のPL学園 受験生が「28人」しか来なかった”. NEWSポストセブン. 2015年2月16日閲覧。
  4. ^ PL学園中学校 – 中学受験eye”. 朝日小学生新聞 朝日学生新聞社. 2021年2月17日閲覧。
  5. ^ 全国高校ゴルフ選手権 歴代優勝校”. nikkansports.com. 2014年6月20日閲覧。
  6. ^ a b c d PL学園、「最後の夏」終わる=初戦で惜敗、休部へ-高校野球”. 時事通信 (2016年7月15日). 2016年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月10日閲覧。
  7. ^ a b “PL学園、大阪府高野連に「脱退届」受理される…名門の歴史に幕”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2017年3月29日). オリジナルの2017年3月29日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/jtBY3 2021年9月10日閲覧。 
  8. ^ 寮生活” (日本語). PL学園中学校・高等学校. 学校法人 PL学園. 2021年9月9日閲覧。
  9. ^ a b c 清原だけが知っているコレが本当のPL学園!!”. 清ちゃんスポーツ. YouTube (2021年3月20日). 2021年9月10日閲覧。
  10. ^ 桑田真澄実父が暴露“PL学園野球部員いじめ水死”隠蔽(2)スリッパを池に放り投げた”. アサ芸プラス. 徳間書店 (2013年3月28日). 2015年1月24日閲覧。
  11. ^ 桑田真澄実父が暴露“PL学園野球部員いじめ水死”隠蔽(1)”. アサ芸プラス. 徳間書店 (2013年3月27日). 2015年1月24日閲覧。
  12. ^ 関連著書である「永遠のPL学園」では、当初は学校側が隠蔽を図ったが、被害者の家族が訴えて裁判沙汰にしたため表ざたになったという記述がある。
  13. ^ 元PL球児の漫画家、なきぼくろさん『バトルスタディーズ』母校への思い…強さの内側にあるもの”. 産経新聞 (2015年7月21日). 2015年7月27日閲覧。
  14. ^ 第331回 バトルスタディーズ第3巻発売記念!上重 聡さん(日本テレビ)×なきぼくろ先生【PL学園OB対談 第3回】”. 高校野球ドットコム (2015年11月5日). 2015年11月7日閲覧。
  15. ^ “PL学園夏絶望、6カ月対外試合禁止処分”. 日刊スポーツ. (2013年4月10日). http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20130410-1110234.html 2015年7月10日閲覧。 
  16. ^ “PL学園、部員の部内暴力で夏アウト…被害の1年生部員救急車で搬送”. デイリースポーツ. (2013年4月9日). オリジナルの2013年4月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130409124539/http://daily.co.jp/newsflash/baseball/2013/04/09/0005885632.shtml 2015年7月10日閲覧。 
  17. ^ PL学園、上下関係「付き人制度」「後輩が洗濯」禁止で「試合中けなさない」「ミスもほめる」…“監督不在”でも近畿大会出場”. msn産経ニュース. 2014年10月15日閲覧。
  18. ^ “PL学園野球部「暴力は伝統」だった 番長・清原「1年生のときからアザだらけ」”. J-CASTニュース. (2013年3月4日). https://www.j-cast.com/2013/03/04168060.html?p=all 2021年6月11日閲覧。 
  19. ^ “校長監督“続投”の怪 これがPL野球部内紛の全容”. 東京スポーツ. (2014年8月1日). http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/295980/ 2015年7月10日閲覧。 
  20. ^ PL学園 新入部員の受け入れ停止、監督不在で…部存続の危機も”. スポーツニッポン. 2014年10月15日閲覧。
  21. ^ PL学園校長、転任で野球部監督も退任へ”. 日刊スポーツ (2015年3月17日). 2015年7月10日閲覧。
  22. ^ “PL学園監督が急転、2代連続校長に”. 日刊スポーツ. (2015年4月1日). http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/1455058.html 2015年7月10日閲覧。 
  23. ^ a b c PL野球部新監督に学校事務職員 野球経験なし”. 朝日新聞 (2016年2月17日). 2016年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月6日閲覧。
  24. ^ 福本豊『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』ベースボール・マガジン社、2014年、p.43

関連項目[編集]

外部リンク[編集]