智辯学園中学校・高等学校

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智辯学園中学校・高等学校
Chiben Gakuen junior high school.jpg
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人智辯学園
設立年月日 1965年
創立記念日 6月12日
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型(外部混合無)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 29509E
所在地 637-0037
奈良県五條市野原中4-1-51
公式サイト 智辯学園中学・高等学校
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智辯学園中学校・高等学校(ちべんがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、奈良県五條市に所在し宗教法人辯天宗を母体とした学校法人智辯学園が運営する全日制の中高一貫教育を提供する私立中学校高等学校である。高等学校では、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から入学した外部進学生徒との間では、3年間別クラスになる併設型中高一貫校(別クラス型)[1]

概要[編集]

高野山真言宗の流れを汲む、仏教系新宗教宗教法人辯天宗総本山が、知徳体三位一体の教育を目指し、奈良県五條市1965年昭和40年)智辯学園高等学校開校。1967年(昭和42年)智辯学園中学校開校。当時の理事長兼校長である藤田清照は恩師である元灘校校長に教育のシステムを請い、私立中高一貫教育の時代が来ると信じて、学園の教育体制の確立に力を注いだ[2]。開校当初は優秀な生徒が集まらず、10年間は苦労の連続であったという[2]

開校4年目の1968年(昭和43年)、硬式野球部が夏の甲子園選手権第50回大会)に春夏通じて初出場を果たし、ベスト16(3回戦)に進出。その同級生の活躍は、生徒たちに自信と感動を与えた。初期の頃は生徒の90%が就職する学校であったが、中学時代は難関大学合格は難しいだろうという生徒が関関同立などに合格したため、次第に力のある生徒が入学するようになったという[2]。現在は県内有数の私立進学校となっており、奈良県内だけでなく橋本市などからも生徒が進学する。

建学精神は「心身ともに健康で、使命感を持つ、 誠実な人間の育成を目標とする」である。辯天宗の教義に基づき、「誠実・明朗」を教育理念に据える[3]

総合的な思考力と周到な応用力を十二分に養い学力の徹底的な充実を図るため[4]、70分授業を展開している。

校内に「桔梗寮」という名の学寮を設けている。定員は100名である。

現在、「六年制コース」(3クラス120名)、「英数コース」(2クラス80名)、「普通コース」(1クラス約20名、全国大会を目指す硬式野球部が主体)の3コースからなる。

兄弟校
略称は兄弟校と区別するため、智辯学園和歌山は「智弁和歌山」「智辯和歌山」、智辯学園奈良カレッジは「奈良カレ」と呼ばれているのに対し本校は「奈良智辯」と呼ばれることが多く、関係者の間では「五條校」と呼ばれる。なお、高校野球では原則として新字体を用いることになっていることから「智学園」と表記される。奈良県内では「智辯」と略称され、智辯学園和歌山は「智辯和歌山」と称する。

学校方針[編集]

  • 「愛のある教育」「心の教育」を目指す。
  • 60分授業により高校3年間で公立高校の4年間分の授業時間を確保している。
  • 教科によっては2年次、遅くとも3年次の前半でほとんどの授業内容をこなし、以後は大学入試に向けてより精選した授業・演習を行う。

沿革・歴史[編集]

行事[編集]

  • 4月 - オリエンテーション合宿、錬成会(高1)、韓国修学旅行(高2)
  • 5月 - 母校訪問、球技大会(中学)
  • 6月 - 球技大会(高校)、音楽鑑賞会
  • 7月 - 林間学校(中1:曽爾村、中2:三瓶山)、臨海学校(中3:若狭湾)、野球応援
  • 8月 - 短期留学(オーストラリア)、東大見学(中3)、国公立大学キャンパス見学会(高1)
  • 9月 - 校内文化発表会
  • 10月 - 校内陸上競技大会、清掃ボランティア
  • 11月 - 校外学習
  • 12月 - 駅伝応援
  • 1月
  • 2月
  • 3月 - ウォーキング、アメリカ短期留学、高野山合宿(中1)
ただし、中3・高3は1月15日〜2月4日まで3週間休みになる。

韓国との交流[編集]

1975年昭和50年)より毎年4月に韓国修学旅行に行くのが恒例となっている[3][5]。これは初代理事長(兼・智辯学園高校長)・藤田照清の「日本が韓国を支配した35年を贖罪する」という信念に基づいて続けられているもので[6]、韓国では韓国観光公社による歓迎式典が開催されるなど高く評価されている[6]。日本の文化は朝鮮半島由来であるとして、そのルートを逆に辿って知識を深めるためにフェリーを使って海路で釜山入りするのが恒例となっている[3][6]。また、ソウル市の漢陽工業高校など海外に3つの姉妹提携校があり、留学生を受け入れている[5]2004年平成16年)には、盧武鉉大統領より「産業の発展と両国の親善に尽くした」として「産業褒章」が理事長へ贈呈されている[5]

部活動[編集]

中学校では、文化クラブで吹奏楽部・理科部・郷土史研究部・写真部・放送部など。体育クラブでは野球部・サッカー部・テニス部・剣道部などがある。高等学校の部活動は一般生は文化クラブが殆どで、スポーツコース生は2017年度から硬式野球部のみとなっている。

スポーツコース[編集]

硬式野球部[編集]

硬式野球部は、高校野球甲子園大会の常連校である。特に、夏の甲子園選手権大会での奈良県内の高校野球界は、1971年の第53回大会から2012年の第94回大会までの42年間、智辯学園のほか天理高校県立郡山高校の3校のみが独占出場する状況が続き、「奈良御三家」とも呼ばれた。

(試合経過は[1]を参照)

2016年春、第88回選抜高等学校野球大会に出場。準決勝戦では龍谷大平安(京都)に、9回ウラに2x-1で逆転サヨナラ勝利で、智辯学園高校として春夏通じ甲子園初の決勝戦に進出。同年の選抜決勝は、高松商(香川)を延長11回ウラ、2x-1のサヨナラ勝利で、智辯学園としても史上初の全国制覇を達成した。

2002年夏の大会の3回戦において、兄弟校である智辯和歌山と対戦をした。このときは7-3で智辯和歌山が勝利している。

応援歌[編集]

応援歌として、使用している楽曲に特徴がある。

  • アフリカン・シンフォニー」(1974年) - 兄弟校である智辯和歌山高校が1987年夏の甲子園初出場を果たした際に、同曲をブラスバンドで演奏。その後智辯学園高校も、特に1回の攻撃時でよく使用されることとなった。
  • 「夢未来」(135 (バンド)1992年)- 定番の1曲として、現在に至るまで長年使用している。シングル曲ではないため、それが収録されているアルバム名である「天舞」として表示されていることが大半である。
  • 「WHY? 〜THE ZONA’S SONG〜」(怪人ゾナー1999年10月20日のデビュー曲)- 通称:「ゾナパラ」。こちらも長年定番の一曲として使用しており、試合中の2〜8回のいずれかの攻撃回で演奏されている。
  • 君の瞳に恋してる」(原題:Can't Take My Eyes Off You、1967年) - 2010年代以降に入ってから演奏されている。
  • Silent Jealousy」(X(のちX JAPAN)、1991年)- かつて1990年2000年代に使用していた(2010年代以降は殆ど使われていない)。

秋の国民体育大会[編集]

出場歴は以下の通りである。

陸上競技部[編集]

陸上競技部も、奈良県代表として年末開催の全国高等学校駅伝競走大会の常連校であった。男子の部は、県内では2016年まで最多の22年連続33度目の出場(最高順位は2000年・2002年の総合13位)。女子の部は2015年に初出場を果たし、同高校において史上初の男女アベック出場となった(総合45位)。翌2016年も2年連続でアベック出場を果たし、男子・総合38位、女子・総合37位。

2017年度より陸上部は、本校から智辯学園奈良カレッジ・高等部香芝市)へ移転している[7]

卒業後の進路[編集]

  • 例年東京大学京都大学をはじめとする国公立大学や、いわゆる関関同立などの私立大学に多数の合格者を輩出している。
  • 東大合格者は、1990年代から2000年代は毎年数名輩出していたが、2010年代は毎年1名や2名、0名ということもあった。
  • 浪人生も含めると、毎年一般生の4割から5割の生徒が国公立大学に進学している。

交通アクセス[編集]

著名な出身者[編集]

政治[編集]

  • 森下豊 - 医師、政治家。現橿原市市長、元奈良県議会議員。1977年卒業
  • 萬津力則 - 大和高田市議会議員。1979年卒業
  • 原田亮 - 大阪府議会議員。2005年卒業

学術[編集]

スポーツ[編集]

元プロ野球選手[編集]

現役プロ野球選手[編集]

元陸上競技選手[編集]

現役陸上競技選手[編集]

芸能・その他[編集]

関連人物(硬式野球部監督)[編集]

  • 山本集 - 野球部初代監督。板前→高校野球の監督→ヤクザという異色の経歴を持つ。
  • 高嶋仁 - 野球部元監督。1980年に智弁和歌山高へ転任。
  • 上村恭生 - 1986年野球部監督に就任。2005年12月11日、多臓器不全により46歳で逝去。1978年卒業
  • 小坂将商 - 上村前監督逝去後の2006年4月に野球部監督へ正式に就任。1995年夏の甲子園ベスト4進出時の主将。1996年卒業

脚注[編集]

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  1. ^ 智辯学園中学・高等学校 » コース紹介‐英数コース - 詳細 (PDF)
  2. ^ a b c 『2001年 価値ある学校(ラッキースクール)を探そう 関西男子校+共学校』 旺文社2000年7月1日ISBN 4-01-008958-X
  3. ^ a b c (教育2014 まなビバ!)関西ワイド 智弁和歌山中・高 /近畿・共通 2014年11月18日 朝日新聞 大阪地方版/大阪 31頁 大阪府 写図有 (全2,481字)
  4. ^ 智辯学園中学・高等学校 » 教育の特色”. 智辯学園中学校・高等学校. 2016年7月20日閲覧。
  5. ^ a b c 智弁学園の理事長に韓国の「産業褒章」 29年前から修学旅行で訪韓=奈良 2004年10月02日 読売新聞 大阪朝刊 32頁 写有 (全467字) 
  6. ^ a b c "일제 35년 속죄하겠다" 41년째 수학여행 온 日지벤학원("日帝35年贖罪する" 41年目 修学旅行来た日智辯) マネートゥデイ2015年4月19日
  7. ^ 全国高校駅伝 あす号砲 智弁学園、五條に恩返しを/奈良(毎日新聞・2016年12月24日掲載)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]