クラブ活動

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クラブ活動(クラブかつどう、club activity)もしくは、部活動(ぶかつどう、extracurricular activity)、サークル活動(サークルかつどう)は、いずれも共通の趣味・興味を持つ仲間が集まった団体の活動のこと。日本では学習指導要領において特別活動に包有されることから、主に学校などにおいて行われるものを思い浮かべる向きも多いが、卒業後の受け皿として 企業内や市民サークルとしての活動もまた多く存在する。

語義と分類[編集]

部活動に似た語にクラブ活動、サークル活動がある。いずれもよく似たものであり、しばしば同一視されるが。また部活動は「運動部」と「文化部」に大きく二分される。

語義、意味範囲

部活動は様々な学校で一般的に使われる呼称である。実業団などの一部の例外を除き、学校教育活動を指す(教育上の詳細な定義は後述)。クラブ活動は、同好の者が集まり、指導者による指導を受けつつおこなう、自発的・互助的・学習的な活動の汎称。かつて学習指導要領上の用語であったが、中学では2002年、高等学校では2003年の学習指導要領改訂でクラブ活動という記述は消滅した(後述)。サークル活動は、主に、なんらかの活動を通して交流を深める為に大学でおこなわれる活動を指す。サークル活動には、他のふたつから大きく外れる活動をする団体(男女交流、政治思想集会など)を含む。

歴史上の名称

また日本の歴史において、部活動とこれに類する活動の名称は変化しており、様々な名称がある。明治 20 年代の旧制中学校では、校友会学友会同窓会、その他学校独自の名称があったが、はっきりした意味上の区別はなかった[1]。また生徒会校友会の活動にも差異がなかった[2]。近代教育普及以前の、近世の若者組若連中若衆組も、現在の部活動と類似性が指摘される教育組織であるが、直接の関係はない。

運動部と文化部

また部活動は「運動部」と「文化部」に大きく二分される。運動部は伝統武芸を含むスポーツ全般、文化部はそれ以外の広い部活動をさす。(後述の主な部活動のリストを参照のこと)。但し、運動部か文化部か分類が難しいものもある(応援団等)。運動部、文化部という分類以外に、放送部を総務部に分類する等の分類があるが、学校単位や地域単位で統一されていない。[† 1][† 2]

特徴[編集]

活動内容

運動(野球やサッカー)芸術や芸能(吹奏楽、美術、書道、囲碁将棋)、学術(文学、科学)、技術(プログラミング)など多岐にわたる活動がある(後述の主な部活動のリストを参照)。運動部が盛んで、中学校では文化部の3.7倍、高校では文化部の2.5倍の人数比がある[3]。学校・教員は活動内容を直接指定しないが、現状、指導教員は活動内容に強く干渉できる。

部員、顧問、OBまたはOG

2007年の調査では、日本の中学生の9割、高校生の8割が部活動に参加している[3]。部活動の構成員は部員と呼ばれる。部員は、主に部活動が所属する学校の生徒で構成される。学年は問われない。

高学年の部員に部長副部長などの役職が割り当てられる。しかし、受験や就職を控えた生徒に役職が押し付けられることは少ない。大規模な運動部にはマネージャー(会計やスコア記録をする。英語の語義と異なる。)がよくいる。部活動に在籍しているが活動しない部員もいる(幽霊部員)。部活動には必ず顧問(主に教職員)がいて、部活動の指導者である。顧問の部活動への関与は、積極的な関与もあるが放任する場合もあり、様々である。学校外部からコーチや指導員を呼ぶことがある。また、学校を卒業し部活動の引退した者をOBまたはOGと呼ぶ。OBまたはOGは任意で「OB会、OG会」を組織することがある(例:「○○高等学校○○部OB会」)。

先輩と後輩、男女の区別
甲子園球場で開催される全国高等学校野球選手権大会では、女性マネージャーがフィールドに立つことができない。

多くの部活動では、学年や年齢による明確な先輩後輩の関係が存在する。例外なく先輩が後輩を従える。これは、日本に根づく年功序列の考え方や、部活動の歴史によるところが大きい。男女で、運動部と文化部の嗜好の違いがある。文化部に於いて、中学生では女子生徒は男子生徒の4倍以上、高校では3倍強となっている[3]。また、男女は多くの運動部で区別され、同一種目であっても男女で部を分割する。また、男子運動部のマネージャーに女子を使うことがある。文化部においても、吹奏楽部などで男女が区別されることがある。部活動における男女の区別や差別が問題になることがある[4]

勧誘、加入から引退まで、設立と廃止

部活動は在学中の部員がいないと存続できず、部員が存続を希望する場合は新入生を勧誘する。勧誘には、入学式でのビラ配り、学校側が用意した時間での活動アピールなどがある。加入の申請には入部届を届け出る。学校側が各生徒を監督するために、入部届は対象の部に直接提出せず学校側に提出する事が多い。入部に際し、学校側が各部活動の人数調整を行うことがある[5]。新入生はしばしば盛大な歓迎会で迎え入れられる。受験や就職等を控えた最終学年の生徒は、部活動を控える。部活動を引退する主な要因は卒業であるが、それ以外の脱退の際は退部届を届け出る。

部の新規設立には、(現状、)学校や生徒会等の承認が必要とされ、主に活動部員数と活動趣旨が条件を満たすよう指導される。条件に満たない準組織を同好会愛好会などと呼ぶことがある。部活動は申請による廃止はほぼなく、部員の消滅による自然消滅がほとんど。部員の不祥事によって、学校による部活動の公認停止や廃部されることがある。

活動場所、校外活動
部室の一例。備品を保管するためのロッカーや棚が並び、小さな事務机が置かれる。部室は概ね汚い。写真は山岳部の部室。

活動場所は学校が無償で貸し与える[要出典](スキー部などで例外もある)。学校は、学校施設内にある部屋やグラウンドや体育館を貸与する。部屋は部室と呼ばれ、空き教室や、部室を複数備えた専用の部室棟にある。部室は10平米から30平米程度の小さな部屋であることが多い[要出典]。部室は活動に使われる他、部活に必要な備品の倉庫、更衣などに用いられる。茶道部などでは特殊な活動場所を校内外に持つ。練習場はしばしば複数の部で兼用される。部室や活動場所は人員や実績が充実したクラブに優先的に割り振られる。また校外で合宿や試合、発表会をおこなう際は、校外の運動施設、展覧会場、音楽ホール、他校の施設などを借りる。

活動時間、頻度

活動は主に放課後におこなわれる。午後3時~午後6時前後が主な活動時間である。1日あたりの平均活動時間は100分程度で、実際の一回の活動時間はこれより長い[6]。調査によれば、生徒、教員、保護者の1割から2割が、運動部の最大の問題として「活動時間が多すぎる」を選択している[5]。また朝や昼休みに活動することがある。これを朝練習朝練(あされん)などと呼ぶ。天文部等は活動時間が夜になることがある。大学以外では、活動時間中、顧問が常駐し監督する責任を負う。監督時間外に生徒が自主的に活動することを自主練習自主練(じしゅれん)などという。部活動の頻度は様々だが、文化部より運動部が頻度が高い。運動部では週六日活動する部活が最も多い[5]。夏休みでも体育系の4割がほぼ毎日部活動をしている[7]

目標、成果
住道駅前で全国高等学校野球選手権大会の出場を祝う横断幕

部員は一定の目標(地区大会優勝など)を掲げ活動する。清掃や運営なども部員がおこなう。部活動は課外活動であるが、部活動における成果は学校で評価される。内申書に強く影響し受験を左右する。部活動での成果は、履歴書などに記載可能な実績でもある。成果が、学校や地域から垂れ幕賞状などで表彰されることもある。

活動費

活動費は部費と呼ばれる。部費収入は部員からの徴収の他、学校側からの補助金などによって賄われる。補助金は人数と実績による。補助金は学校側からの直接配給ではなく、生徒会などの学生自治組織を通じて分配される。OBまたはOGから活動資金や備品が援助されることがある。主な支出は消費財の購入、備品の購入、活動場所の場所代、大会参加費などである。活動場所が特殊で楽器や器具を多用する部活動では、一般的に部費が高い。

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教育上の定義[編集]

小学校の学習指導要領解説 平成20年

2016年現在、文部科学省は部活動を学校教育の一つと認知するものの、教育課程外の学校教育として扱っている。部活動の起源は自主的な学生の活動であり、部活動を軍国主義教育の手段とした過去を考慮すれば、自主性は重んじられるべきである。しかし一方で、部活動は学校で日々おこなわれ、主に教員が指導する。部活動を必修とした歴史もある。部活動はその活動や効果が顕著であるのに比べ、定義や意義、運営方法がはっきりしていない学校教育活動である。名称も変化し、継続的な統計や調査研究にも乏しい[8]

最新の学習指導要領(平成27年)では「生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際,地域や学校の実態に応じ,地域の人々の協力,社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること。」とある。学習指導要領本文における部活動についてのステートメントは、この一節のみ。中学校学習指導要領、高等学校学習指導要領共に一字一句同じであり、小学校学習指導要領には記述がない。

小学校中学校高等学校大学公教育の段階が進むにつれ、部活動、クラブ活動、サークル活動の状況は少しずつ変わる。小学校などでは、クラブ活動が中心とされるところが多く、中学校や高等学校では、部活動が中心とされるところが多い。大学になると比較的学生の束縛はゆるくなることが多い。大きくは公益・分野重視の団体と人間交流重視の団体に2分されるが、重視するものを明確にしていない団体も存在する。

初等教育[編集]

小学校などの初等教育においては、クラブ活動は必修となっている。これは、学習指導要領に定めがあり、特別活動の一領域とされているためである。各学校毎や複数校が連携する形でそれなりにクラブが設けられている。なお、組織率は低いが、必修ではない選択制の部活動・クラブ活動も組織され、合唱団・ブラスバンドを初めとして組織されている。なお、必修のクラブ活動と選択のクラブ活動を区別するために、それぞれを「必修クラブ」「選択クラブ」と呼ぶこともある。

小学校のクラブ活動は、毎週の6校時目に各教室に分かれて活動を行う事が多い。また、最近では、「クラブ活動」という名称以外の時間は、基本的にクラブ活動をしないという学校も多い。だが、必修のクラブ活動については、学習指導要領の改定により、いわゆる「ゆとり教育」の一環で、2002年度から土曜日が全て休業日になり、それにともなって毎週のクラブ活動の時間が月1時間程度に削減される学校が増加していった。授業時間を確保するための処置ともいえる。運営は各クラブの実態によって練習時間が変則的になり放課後に発表会のための練習を行うところもある。子どもたちの要望や、地域のボランティア(多くの場合、元保護者)が指導に来校する場合もあるが、実質の運営は個々の教員による。

京都府京都市では、部活動も近年始まり、文化系の部活動も存在する。放課後に異なる学年学級児童が1つの集団となって部活動を行うことは、コミュニケーションの発達の上でもたいへん望ましいとされる。しかし、指導員の確保はたいへん難しく、教員だけでは十分に対応できない場合が増えている。地域教育力の低下する現在、保護者と児童の現実を守るのは教員の積極的なかかわりが必要不可欠である。英語部などのような教員が指導を苦手とする分野は、保護者だけで部活動を運営するところもある。初等教育においては、校長の指導の下に教員が部活動運営の基盤となるべきであるが、なかなか行き届かないことも多い。一方、児童や教員の負担を考え、かつては行なってきた部活動を廃止し、地域のクラブ・サークルやスポーツ少年団などに事実上委託する小学校も増えてきている。

なお、小学生を対象としたスポーツ少年団が小学校単位で活動している場合において、指導者によって、例えば少年サッカークラブチームが「サッカー部」、少年野球クラブチームが「野球部」と呼ばれるなど、当該スポーツ少年団が暗黙にその小学校のクラブ活動と同義のものとして認識され、「学校のクラブ」「地域のクラブ」の境界が曖昧になることがある。 合宿は,一般的には行われない。

中等教育[編集]

中学校高等学校などの中等教育においては、部活動もクラブ活動も課外活動である。

1958年の学習指導要領では、特別教育活動の1つとして、生徒の自発的な参加によって行われる活動とされていたが、中学校では1972年、高等学校では1973年改訂の学習指導要領から、クラブ活動は特別活動の一領域として必修とされた。中学校では1993年、高等学校では1992年改訂の学習指導要領では、「部活動への参加をもってクラブ活動の一部又は全部の履修に替えることができる」と明記された。しかし、中学校では2002年、高等学校では2003年改訂の学習指導要領で必修のクラブ活動は廃止され、現在の学習指導要領では「部活動は,学校教育活動の一環として,スポーツや文化,学問等に興味と関心をもつ同好の生徒が,教職員の指導の下に,主に放課後などにおいて自発的・自主的に活動するもの」[9]とされている。現在では各校の実態に応じ、生徒の自主的、自発的な参加[10]による課外活動の一環としての部活動が行われている。

多くの学校では、部活動は、生徒会の傘下または連携関係や協力関係において運営する。

高等教育[編集]

大学短期大学高等専門学校などの高等教育の場においては、これらの諸活動は全て課外活動である。このため、活動団体の類型区分は各学校によって異なるが、一般的に学生の志向によって、公益・分野重視の団体と人間交流重視の団体に大きくは分ける事が出来るといわれている。なお、複数の学校に跨って活動する「インターカレッジ(一般には略してインカレ)サークル」と呼ばれる形態のものも見られる。

一般に学生自治会の下に体育会文化会などの自治組織が設けられ、その自治組織に所属して部活動やクラブ活動を行う。また、これらの活動分野ごとの組織に所属しないでサークル活動を行うこともある。

特に大学に分類される学校での公認クラブは、日本におけるその分野での先駆者的な立場で始まったものも少なくなく、特に外来の運動競技などでは、国内におけるその種目の初期段階から重要な役割を果たしている例があり、そのため、他の学校教育現場での様に、全競技種目を統括するような総合体育大会のような運用方法はとられていない。(一部地域ではそういう形態も見られるが一般的とは言えない。)むしろ競技種目別に個別の連盟や協会が早くから整備され順次加盟校を増やす形態で発達してきたものが殆んどである。(参考:後述関連項目に一部紹介)

中学、高校で運動部活動指導に当たる教員の競技経験の有無は凡そ5割前後となっている[11]

一般社会[編集]

会社業界ごとに、部活動、クラブ活動、サークル活動などが設けられていることがある。また、社会教育施設である公民館などにおける活動も盛んである。これらについても学校における活動と同様に、活動の分野に応じて大会や展示会が存在する。 また、趣味や出会いを求めた社会人サークルなども存在する。


歴史[編集]

明治[編集]

1890年3月に撮影された野球ユニフォーム姿の正岡子規。文学を通じて野球の普及に貢献した。

現在の部活動は、明治4年公布の「学制」によって近代的な学校が誕生し、招聘外国人教師、留学生、帰国技師によって欧米のスポーツが日本に持ち込まれた[12]ことに端を発する。中等学校以上の学生はこれに強い関心を示し、同士でクラブを結成した。例えば「在留イギリス人等が慶応3年に横浜海岸にバージ倶楽部を創って楽しんでいたボート活動は、瞬く間に学生の間に広まり、明治 10 年頃には学生の同志クラブが、隅田川、品川湾、大阪湾でボートを漕いでいた」[13]。この時期に結成されたクラブ(明治 6 年に慶応義塾に設立された「三田演説会」や札幌農学校の「遊戯会」等)を「校友会」の起源とみなすことがある[14]。この時期は、舶来のスポーツや文化がステータスシンボルとして少数のエリート集団に広がった時期だといえる[15]

明治 12年公布の「教育令」から学校制度は度々再編された。日本流に改られたスポーツは、高等教育の場を中心に広がり、対抗戦、リーグ戦が始まった[16]東京高等師範学校を卒業した教員によって、全国の高等学校、中学校、高等女学校にもスポーツは伝播した。この時期の活動は愛好・親睦の範囲内であり、教師も楽しんでいたとされる[16]。文化部諸活動もこの頃より創設されていった。明治 22 年には大日本帝国憲法発布、明治 23 年には教育勅語の発布と、近代教育制度の骨組みが完成していく中で、生徒の自主的な活動は次第に盛んになり、様々なクラブが乱立した[16]。それらを統合する組織として「校友会」や「学友会」が現れた[16]。次第に、初等・中等・高等教育全てで運動部の対抗戦が盛んとなり、衆目を集めた。明治末期は日露戦争の影響もあり[17]、学生は対抗戦で対抗意識を燃やし、活動が娯楽から競技へと変質していった[18]

東京府尋常中学校(現日比谷高校)を例に取ると、「明治23年新たに全校を一団とした「学友会」を創設した。この学友会は、校長をその会頭として、修学旅行の取組み、撃剣部の設置、運動会の挙行、遊泳部の開設、茶話会の設置、漕艇部競漕大会、学友会雑誌の発行と活動を広げていき、翌 24 年には、茶話会・雑誌部・撃剣部・漕艇部・運動部・遊泳部の7つの部会が、明治 25 年には柔術部が成立した。さらに、明治 27 年には生徒の自主的活動(尚徳義会、耕文会、有志の漕艇倶楽部等)が盛んになったのを学校がよしとせず(中略)、次々と学友会の傘下に収めていった。そして明治 37 年までに文学部、射撃部、運動部に競走科、ローンテニス科、野球科、音楽部、相撲科を設置していった」[19]

なお、この期の文部省は学科課程に注力しており、(儀式的学校行事を除き)課外活動の殆どを学校現場の教師に任せた。校友会活動を規制も奨励もしなかった。校友会活動は学校制度上に位置づけるられることはなく「あくまで実態上定着した」[20]。部活動が学校教育の一つとされながらも、教育課程外の学校教育として扱う仕組みが既に始まっていた。

大正[編集]

初代文部大臣森有礼。様々な「学校令」を発布し学校制度を整備した。明治18年に兵式体操を導入

この時代は第一次世界大戦の様々な影響によって、軍国主義教育の基盤整備が進行した時期だといえる。大正7年に内閣総理大臣の諮問機関である「臨時教育会議」は「勢力圏拡大という国策に沿った教育」や「忠孝道徳の涵養による国体思想の強化」を提案した[21]。体育を奨励し、スウェーデン体操によって形骸化していた森有礼兵式体操を再導入した[21]。また文部省は、部活動が持つ鍛錬主義と、正課における「体操」の徳性涵養におけるシナジー効果に注目した[22]。つまり思想善導の手段として体育が奨励され、その中で部活動が活発化していった。

いっぽう、第一次世界大戦による好景気と大正デモクラシーの風潮の中で、軽井沢の開発に見られるようにレジャーが勃興し、スポーツが大衆化した。皇太子裕仁が愛したゴルフのように、学生に限られずスポーツが流行した。教育界では、欧米で広がった新教育運動に影響され、子供の個性を育てる大正自由教育運動が起きた。また大正7年に公布された大学令により、私立学校が次々と大学に昇格した。これらの動きは校友会に影響し、大正前期から地区大会や全国大会、国際試合が盛んにおこなわれるようになった。大正後期には、大日本蹴球協会の設立、全国選抜中等学校野球大会の第1回開催など、今日に続く全国大会が発足している。台湾などの外地の校友会も大会に参加した[23]

帝国主義と軍事教育。デモクラシーと大衆化。これらは違う思惑を持ちながら、共に体育或いはスポーツを後押しした。その結果、運動部を中心とした大正期の校友会・学友会活動は興隆したといえる。しかしながら、これは中等学校以上に限った現象だった。既にこの頃より初等教育の校友会は管理統制され始め、対抗戦は減少している[24]。次第にスポーツの開放性は奪われて、校友会は忠君愛国精神を持った国民の育成のための"手段"となっていった[25]。またこの頃、校友会は文化部を取り込むことで、文化部への管理を強めていった。文部省は大正 13 年、学校劇の禁止といった抑圧をしている[22]

昭和 戦前[編集]

映像外部リンク
陸上選手織田幹雄の映像
Oda Becomes Asia's First Individual Olympic Champion - Amsterdam 1928 Olympics - Olympics.org。織田幹雄の1928年アムステルダム五輪での三段跳の跳躍。アジア人による史上初の個人金メダルとなった。
Japanese 'varsity Athletes (1928) - British Pathé。1928年ロンドンで行われたアキレスクラブと織田幹雄が所属した早稲田大の対抗戦。

教育全体が国家主義軍国主義になったこの時期は、校友会活動が軍事に組み込まれていった時期といえる[26]。国威発揚政策の下で、日本のスポーツは大いに力をつけて世界に進出した。サッカー、バスケット、マラソン等の国際大会で成果を残している。これらは国威発揚に利用された。しかしスポーツそのものが選抜選手による寡占状態になり、学校教育における校友会活動はむしろ次第に縮小し、対抗試合は減少した[27]。その後、ゴム原料のボール使用禁止令やグラウンドの戦時農園[26]など状況は悪化の一途をたどる。

昭和6年の中学校令施行規則の改正で、文部省は、初めて、教育課程外の校友会を学校教育として認知した[28]。特設された自由研究(学科課程外に設定された毎週2時間以内の生徒の性能、趣味、境遇、志望に応じた生徒の自発的研究の時間のこと)は、「これまで部活動の奨励にそれほど積極的でなかった文部当局の方針・態度の画期的な転換[29]」であり「それまで停滞していた文科系部活動がいくらか活発化するのに役立った」とされる。

日中戦争勃発の昭和 12 年(1937)年以降、教育は、全生徒を皇国民錬成の方向へ直進した[22]。昭和 16 年に文部省の指示により「各学校は報国精神に一貫する校風の樹立を目指し、そのために在来の校友会その他の校内諸団体はすべて解体されて学校報国団に一元化」された。昭和 18 年の戦時学徒体育訓練実施要綱、昭和 19 年の学校報国団鍛錬部と国防訓練部の一体化、昭和 20 年の授業の全面停止によって、部活動は戦争遂行のため国家から統制され、次々と廃止・停止された[30]

戦後[編集]

総合的な学習の時間」を利用して職業体験学習をする中学1年生。東京都。建築トラスを学んでいる。

戦後、学校は開校しても校舎や教科書がない状況だったが、生徒や教員が集まってスポーツや文化的な活動を楽しんだ[31]。GHQ の指令の下、敗戦からわずか9カ月の間に、校友会の目的を「国家に対する忠誠心の育成」から「民主主義を育成する原動力」へと転換することで、文部省は校友会を存続させた[32]。昭和 21 年当時は治安の悪化や若者の不良化が大きな問題であり、犯罪抑止のために校友会部活動が利用されたという側面もある。また、義務教育となった新制中学校に、生徒を惹きつけるためにも利用された[33][† 3]

昭和 22 年学習指導要領一般編(試案)にて(選択科目の自由研究としての)「クラブ活動」が導入された[32]。これは校友会の後継ではないが、校友会の部活動によく似た教育活動であった。そのため、「クラブ活動」と校友会の部活動が並行乱立した。教員の中には旧制校友会の復活を警戒し、校友会を追放して「クラブ活動」をその代替とする動き(自由研究から特別教育活動への動き)があった[33]。こうした中、昭和 24-25 年には「資金や人員の自主性がある生徒会の下の部活動」が誕生した。この時点で、今日の生徒会の組織・活動形態と全く同じものが完成している[† 4]

昭和 26 年学習指導要領一般編(試案)では、教科以外の活動を「特別教育活動」と定義し、「課外活動を含む特別教育活動は学校の正規の教育活動である」とした[34]。つまり部活動を公認した。「文化部は会員の文化の向上を図る目的を持って置く。運動部は会員の心身を鍛練し、人格を養成する目的を持って置く。」と規定した[35]。文部省は部活動を利用した道徳教育の導入を図ったものの、部活動は教科学習の犠牲となり停滞した。昭和 30 年代前半、部活動は“英語部”“理科部”など、教科学習を補佐するものが目立った[36]

1960年(昭和35年)頃から日本経済は急速に発展し、財界の要請もあり、教育水準のレベルアップが図られた[37]。1971年(昭和46年)から濃密な学習指導要領が実施された。部活動とは別に必修クラブ活動の時間が導入された。部活動の参加率が低下していたこの頃、この導入には様々な意図があったとされるが、教職員の時間外労働の軽減の意図が最大の意図であった[38]。しかし実際には負担が増加し、生徒は希望の活動ができず、1時限では短すぎて何も出来ないなど、問題が噴出した[39]。1980年(昭和55年)よりゆとりカリキュラムが実施され、「部活動への参加をもってクラブ活動の一部又は全部の履修に替えることができる」ようになったため、必修クラブ活動は実質廃止され、代わりに部活動参加が必修化してしまった。部活動を1時限分だけ必修クラブの時間に食い込ませることが慣行となった[40]

1992年(平成4年)以降、不登校いじめ学内暴力学級崩壊などの問題が顕在化した。また情報化、価値観の多様化などの変化に対応すべく、学校のスリム化が進められた[41]。少子化は教員過多を生じ、教員の採用低下と高齢化を招き、運動部顧問が体力的に難しくなるなどの問題を教育現場に生んだ[42]。2002年(平成14年)の学習指導要領から中等教育の必修クラブ活動が削除された。「総合的な学習の時間」が登場した。部活動は必修でなくなった(初等教育を除く)。現在の学習指導要領では、部活動は僅か一節で触れられるのみとなった。

調査 統計[編集]

中等教育における部活動は、その教育上の意義が大きいため、しばしば統計がとられている。

中等教育における入部のあり方,入部希望者の調整 (1997) ※出典3
質問項目 中学校 高等学校
希望者だけが入部することになっている 38.9% 78.6%
原則として全員入部であり,その部の活動の全てに参加する 54.6% 16.6%
原則として全員入部であるが,その部の活動の一部にだけ参加すればよい 6.6% 4.8%
入部希望者の調整は、生徒の希望どおりでほとんど調整していない 83.0% 95.0%
入部希望者の調整は、多少調整している 17.0% 5.0%

出典1:『第4回学習基本調査報告書』Benesse 教育研究開発センター。調査対象:全国3地域[大都市(東京23区内)、地方都市(四国の県庁所在地)、郡部(東北地方)]の中学2年生2,371名、全国4地域[東京都内、および東北、四国、九州地方の都市部と郡部]の普通科高校2年生4,464名

出典2:『第1回 放課後の生活時間調査-子どもたちの時間の使い方[意識と実態]』 速報版 Benesse 教育研究開発センター。 調査方法:郵送法による自記式質問紙調査。 調査時期:2008年11月。 調査対象:全国の小学5年生~高校2年生 合計8,017名(配布数25,716通、回収率31.2%)

出典3:『運動部活動の在り方に関する調査研究報告』 中学生・高校生のスポーツ活動に関する調査研究協力者会議 文部科学省 平成9年12月。運動部を対象とした調査だが、この質問は運動部文化部両方を対象にしている。

各国の部活動[編集]

アメリカでクラブ活動とは、学生がシーズンごとに違ったクラブに属し、学校や地域でおこなう活動のこと。一年中同じクラブに所属することはあまりないため、さまざまな競技や文化体験ができる。

他の欧米諸国やオーストラリアニュージーランドなどで、クラブ活動とは、主に地域のクラブチームでの活動のこと。オリンピックサッカー等で一流選手を輩出しているのは地域のクラブチームが存在するためで、中にはプロの選手も存在し高度な練習が行えるためである。日本でも、サッカーなど一部の競技では、部活動ではなく、ユースチームなどに所属する例が見られる。

日本でのクラブ活動は、部活動とほぼ同義で、スポーツや文化,学問等に興味と関心をもつ同じ学校の同好の生徒が、主に放課後の学校でおこなう団体活動のこと。主に教職員の指導の下、学校教育活動の一環としておこなわれる。通常日本では学校において、同じクラブ活動を卒業まで行うことが多い(学校側が複数のクラブ活動への参加を認めている場合は、1人で複数のクラブ活動に参加している事例もある)。

社会主義国でのクラブ活動は、国威高揚のため国がかりでアスリート育成することが多かった。

その他[編集]

  • 基本的には、部活動の入部は強制ではなく、自主的なもので任意での参加ではある(学校によってはクラブ活動の所属を義務付けている事例もある)が、中等教育では、どの部にも所属せずに、その日の授業が終わり次第校舎を後にして帰宅する生徒は帰宅部と揶揄されることがある。
  • クラブ活動によっては、優秀な生徒の引き抜き防止などの理由から、転学者に対しての活動を一定期間禁止・制限する場合もある(元の学校へ通学が続けられない理由がある場合や、元の学校でその部に入部していなかった場合は、参加が認められることもある)。同様に過年度生に対しても、体格などの理由から活動できる期間がその学校の最短修業年限より短い期間に制限される場合がある。

活動団体の例[編集]

運動系[編集]

文化系[編集]

組織・大会[編集]

運動系の組織・大会[編集]

文化系の組織・大会[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 学校全体の行事に関わるような活動を行う放送部・吹奏楽部などについては、「総務部」として分類されることや、委員会活動として捉えられる場合もある。また、運動系に分類されることの多い応援団などにも同様の傾向がある。
  2. ^ 北海道の多くの高等学校では、「吹奏楽」・「放送」・「図書」に関わる活動を部活動ではなく、生徒会の外局として設置している。外局制度を導入する学校では、「吹奏楽局」、「放送局」、「図書局」などの呼称が用いられる。
  3. ^ 仁木によれば「埼玉県の新制中学校生が起こした事件を例として、昭和 22年の新聞から拾い上げてみる。騎西新制中学校の3年男子生徒 23人が学校を抜け出して、電車で熊谷に行った。入学後は教科書がなくて授業をしていなかったが、国語・英語・数学の本が到着したので授業を開始したところ事件が起き、生徒は「先生達は休み時間に煙草をのんでいるが我々にものませろ」などと要求したという。また、大滝新制中学校では1年生男女 40 人が、自治会費 10 円を無断で使った生徒をこん棒でめった打ちにしたという。さらに、鴻巣新制中学校の1年生 15 人もの多数で、なんと一週間にわたって学校を欠席して、農家の畑から野菜を盗み、雑木林の中で大宴会をしたという。」
  4. ^ 仁木のp.111には「昭和 25 年になると、山形県酒田市立第三中学校は、生徒会の下に文化部・体育部(陸上班、篭球班、排球班、庭球班、卓球班、野球班、水泳班、舞踊班、スキー班)、栃木県上都賀郡栗野町立栗野中学校も、生徒会の下に文化部・体育部(野球部、競技部、庭球部、篭球部、排球部、卓球部、ソフト部)、広島県比婆郡庄原中学校は、生徒会の下に体育部(競技、野球、卓球、排球、庭球、水泳)・文化部、宮崎県兎湯郡富田中学校は、生徒会の下に学習クラブ・運動クラブ(野球、排球、卓球、バスケットボール、ソフトボール、陸上競技、庭球、相撲)のように、班・部・クラブと呼び方は異なっているが、全て生徒会の組織としての部活動に変化している」とある

出典[編集]

  1. ^ 仁木、p. 10。
  2. ^ 桑原三二『旧制中学校の校友会(学友会)中等教育史研究第三集』三冬社、1988年
  3. ^ a b c 『第4回学習基本調査報告書』Benesse 教育研究開発センター。調査対象:全国3地域[大都市(東京23区内)、地方都市(四国の県庁所在地)、郡部(東北地方)の中学2年生2,371名、全国4地域[東京都内、および東北、四国、九州地方の都市部と郡部]の普通科高校2年生4,464名] ベネッセ総合教育研究所
  4. ^ 甲子園練習で女子マネがグラウンドに立ち制止される ネットで非難殺到 livedoor news 2016年8月
  5. ^ a b c 『運動部活動の在り方に関する調査研究報告』 中学生・高校生のスポーツ活動に関する調査研究協力者会議 文部科学省 平成9年12月
  6. ^ 『第1回 放課後の生活時間調査-子どもたちの時間の使い方[意識と実態]』 速報版 Benesse 教育研究開発センター。 調査方法:郵送法による自記式質問紙調査。 調査時期:2008年11月。 調査対象:全国の小学5年生~高校2年生 合計8,017名(配布数25,716通、回収率31.2%) ベネッセ総合教育研究所
  7. ^ 夏休みの部活動、体育系の4割が「毎日」保護者は家庭生活とのバランスにジレンマも ベネッセ教育情報サイト
  8. ^ 仁木、p. 202。
  9. ^ 文部科学省,高等学校学習指導要領解説 特別活動編,46. http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2011/01/05/1234912_014.pdf
  10. ^ 文部科学省 現行学習指導要領 第1章 総則 第4 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項 (13)
  11. ^ 学校運動部活動指導者の実態に関する調査報告書公益財団法人日本体育協会指導者育成専門委員会 平成26年7月(PDF)
  12. ^ 仁木、p. 41。
  13. ^ 日本体育協会監修『現代スポーツ百科事典』大修館書店、1970 年
  14. ^ 海後宗臣・高坂正顕編集委員代表『学校教育全書16 特別学校教育活動・学校行事等』全国教育図書、1965 年、46 頁。しかし、慶応義塾編『慶応義塾百年史 上巻』慶応通信、昭和 33 年、633 頁によれば、三田演説会は福沢諭吉宅に集まった会員の 演説討論会であり、後に塾の生徒が聞くことだけを許されたものであって、部活動とはいいがたい。
  15. ^ 仁木、p. 43。
  16. ^ a b c d 仁木、p. 46。
  17. ^ 仁木、p. 48。
  18. ^ 仁木、p. 49。
  19. ^ 日比谷高校百年史編集委員会編『日比谷高校百年史上巻』東京都立日比谷高校 1979年、361-362 頁。
  20. ^ 渡辺誠三「中等教育における部活動の成立と位置づけ―明治 20 年代を中心として―」『小樽女子短期大学研究紀要』第 26 号、1997 年 p.137
  21. ^ a b 仁木、p. 54。
  22. ^ a b c 仁木、p. 60。
  23. ^ http://www.asahi.com/articles/ASH737RT5H73PTIL02G.html
  24. ^ 仁木、p. 55。
  25. ^ 仁木、p. 56。
  26. ^ a b 仁木、p. 58。
  27. ^ 仁木、p. 59。
  28. ^ 教育史編纂会『明治以降教育制度発達史 第7巻』教育資料調査会、1964 年、255頁
  29. ^ 渡辺誠三「中等教育における部活動の成立と位置づけ―明治 20 年代を中心として―」『小樽女子短期大学研究紀要』第 26 号、1997 年、137頁
  30. ^ 仁木、p. 62。
  31. ^ 仁木、p. 110。
  32. ^ a b 仁木、p. 105。
  33. ^ a b 仁木、p. 108。
  34. ^ 仁木、p. 113。
  35. ^ 仁木、p. 119。
  36. ^ 仁木、p. 115。
  37. ^ 仁木、p. 135。
  38. ^ 仁木、p. 137。
  39. ^ 仁木、p. 144。
  40. ^ 仁木、p. 163。
  41. ^ 仁木、p. 170。
  42. ^ 仁木、p. 172。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

運動系

文化系

その他