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日本鋼管野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本鋼管野球部
チーム名(通称) 日本鋼管、鋼管川崎、日本鋼管川崎
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1952年
廃部 1987年
チーム名の遍歴

  • 日本鋼管 (1952 - 1987)
本拠地自治体

練習グラウンド 日本鋼管野球部グラウンド
都市対抗野球大会
出場回数 19回
最近の出場 1987年
最高成績 優勝
日本産業対抗野球大会
出場回数 4回
最近の出場 1961年
最高成績 優勝
社会人野球日本選手権大会
出場回数 2回
最近の出場 1976年
最高成績 2回戦敗退
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

日本鋼管野球部(にほんこうかんやきゅうぶ)は、神奈川県川崎市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1987年に解散した。

運営母体は、日本鋼管

概要

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1952年日本鋼管が『日本鋼管野球部』として神奈川県横浜市を本拠地として設立させた。翌1953年には都市対抗野球に初めて出場し、ベスト8に進出。

1970年京浜製鉄所が発足したのに伴って、本拠地を神奈川県川崎市に移転した[1]

しかし、移転から3年間にわたり都市対抗予選での敗退が続き、これを受けて鋼打線と呼ばれる打撃強化に注力したチーム作りが進められた[1]。他社に先駆けてウエイトトレーニングを取り入れ、また練習時間の70%を打撃練習に費やすと言われたほどの方針で、金属バット導入や狭い川崎球場での都市対抗予選に適応していった[1]

その結果、1973年には都市対抗野球で初優勝を果たし、3年後の1976年都市対抗野球では2度目の優勝をしている。また、1980年まで8年連続で都市対抗本大会に出場した。

しかし、鉄鋼不況の影響による日本鋼管の厳しい合理化の一環として1987年に当チームは広島県福山市に本拠地を置く日本鋼管福山野球部に統合され、新たにNKK硬式野球部と名乗る事が決まり、同年11月に解散届が日本野球連盟に提出された[2]。選手たちの一部は福山に移籍した。

野球部グラウンド跡地は、1992年ワイルドブルーヨコハマとなったが、それも2001年に閉鎖され、現在はヨコハマアイランドガーデンと言うマンションになっている。

沿革

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主要大会の出場歴・最高成績

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主な出身プロ野球選手

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かつて在籍していた選手

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脚注

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  1. ^ a b c 毎日新聞、2003年3月23日付朝刊、神奈川地方面
  2. ^ 毎日新聞、1987年10月5日付夕刊、P.10

関連項目

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