平石洋介

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平石 洋介
東北楽天ゴールデンイーグルス 二軍監督 #89
Y hiraishi20160304.jpg
2016年 さいたま市営浦和球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県杵築市
生年月日 (1980-04-23) 1980年4月23日(37歳)
身長
体重
175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2004年 ドラフト7巡目
初出場 2005年3月27日
最終出場 2011年7月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス (2012 - )

平石 洋介(ひらいし ようすけ、1980年4月23日 - )は、大分県杵築市出身の元プロ野球選手外野手内野手、左投左打)・コーチ2014年から東北楽天ゴールデンイーグルス一軍打撃コーチを務め、2016年からは二軍監督を務める。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

中学時代に生まれ故郷の大分から大阪へ移り住み、ボーイズリーグの「八尾フレンド」に所属。同い年だった上重聡日本テレビアナウンサー)とチームメイトとなる。ボーイズでは関西選抜の主将となり世界一を経験。

高校は上重と共にPL学園に進学。1年夏から肩の具合が悪く、キャッチボールさえできない時期もあった。2年時に左肩手術を行う。3年時には主将として春・夏の甲子園に連続出場。3年春の甲子園では横浜高校の前に敗れベスト4。3年夏の甲子園では準々決勝で再び横浜高校と対戦し、延長17回の激戦の末敗退した。高校時代のポジションは外野手(同学年の同じ守備位置では大西宏明)、背番号は13。

同志社大学に進学。1年秋に肩を完全に治すためリハビリ入院をする。4年時に山中正竹法大監督が指揮する第1回世界大学野球選手権日本代表に同学年の後藤武敏と共に選出され3位入賞に貢献。関西学生リーグ通算85試合出場、289打数92安打、打率.318、0本塁打、24打点。ベストナインを4度受賞。

大学卒業後トヨタ自動車に入社し、同野球部に2年間在籍。1番・センターとして、第74回都市対抗野球大会社会人野球日本選手権大会に出場する。また第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選抜される。社会人通算打率3割3分以上、本塁打10本。

2004年度のドラフトにて、東北楽天ゴールデンイーグルスより7巡目指名を受け入団。

プロ入り後[編集]

選手時代(2011年)

2005年は新人で唯一となる開幕1軍入りを果たす。3月26日の千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズとの開幕戦は欠場も、第2戦では9番中堅手で先発しフルイニング出場し3打数無安打。3月30日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)でプロ初安打、4月1日の対西武ライオンズ戦(フルキャストスタジアム宮城)でプロ初打点を記録した。序盤は先発出場もあったが結果を残せず、やがて二軍落ちした。この年は一軍で25試合に出場したが打率.178と結果を残せなかった。フレッシュオールスターゲームパ・リーグ選抜で6番指名打者で先発出場。

2006年イースタン・リーグで69試合に出場し、出塁率.429で最高出塁打者賞を受賞、打率.328も同リーグ2位の成績だった。しかし、1軍出場はわずか2試合に留まった。

2007年は1軍出場なしに終わり、イースタン・リーグでは67試合に出場した。

2008年は終盤に2年振りとなる1軍出場を果たし、主に右翼手として起用、3年ぶりの打点とプロ初盗塁を記録した。最終的に6試合に出場した。

2009年はイースタン・リーグで打率3割を超えるなど結果を残したため、6月11日に昇格、同日の中日ドラゴンズ戦(クリネックススタジアム宮城)で一軍では初となる一塁手で起用される。6月27日オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)ではプロ初本塁打を放つが好調は続かず、7月に降格した。それでも同時期に昇格した西谷尚徳丈武と共に、不振に陥っていた期間のチームを支える活躍を見せたものの、球団史上初のポストシーズン2009年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズでは出場機会はなかった。

2010年は一軍で28試合の出場に留まるが、2011年は開幕一軍入りを果たし、主に一塁の守備要員として自己最多となる35試合に出場した。その後も一塁手と本職の外野手で起用され、チームの不振を支える活躍を見せるかと思われたが、同年11月14日に戦力外通告を受け、現役引退。

現役引退後[編集]

2011年11月28日に楽天の育成コーチ(野手担当)に就任[1]。これにより、平石は球団初の生え抜き選手出身のコーチとなった。2012年2月13日から二軍外野守備走塁コーチ、シーズン終了後に一軍打撃コーチ補佐へ異動した。

2014年1月22日に役職を一軍打撃コーチに変更すると[2]6月14日からは一軍走塁コーチを兼務[3]礒部公一コーチが1軍昇格するまでの間、走塁コーチとして一塁のベースコーチを担当した[4][5]2015年10月12日に二軍監督に就任[6]。球団生え抜きだった選手が二軍といえど監督に就任するのは平石が初となった。また当時35歳であり、各チームで進められていた指導者の若返りの中でも際立って年少での抜擢である[7]

甲子園・延長17回[編集]

1998年夏の甲子園の準々決勝で横浜高校と対戦。試合は松坂大輔の好投もあり、延長17回の熱戦となった。

試合は緊迫した延長戦となりピンチでは「次の守備もあるぞ」と選手を鼓舞し続け、主将としての役割を果たした。また味方の打者大西宏明(後にオリックス横浜に在籍)がツーアウト二塁1点ビハインドの場面で打席に入った時には、二塁ランナーだった平石が「靴紐を結びなおす」といってタイムを取って落ち着かせようとするなど、最後まで主将としてチームをまとめた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2005 楽天 25 53 45 1 8 0 0 0 8 1 0 0 1 0 5 0 2 12 3 .178 .288 .178 .466
2006 2 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0 3 0 .143 .143 .143 .286
2008 6 15 13 2 3 1 0 0 4 1 2 1 0 0 1 0 1 1 0 .231 .333 .308 .641
2009 26 64 59 6 15 4 2 1 26 8 1 3 1 1 3 0 0 13 0 .254 .286 .441 .726
2010 28 38 33 4 8 3 0 0 11 0 0 0 0 0 4 1 1 5 0 .242 .342 .333 .675
2011 35 16 15 3 2 0 0 0 2 0 1 0 0 0 1 0 0 6 0 .133 .188 .133 .321
通算:6年 122 193 172 16 37 8 2 1 52 10 4 5 2 1 14 1 4 40 3 .215 .288 .302 .592

タイトル[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 33 (2005年 - 2011年)
  • 89 (2012年 - )

登場曲[編集]

  • 『夢に明日に、未来へ』 中川あつお (2009年)
  • 『笑進笑明』 中川あつお (2010年 - )

脚注[編集]

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  1. ^ 新任コーチに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年11月28日). 2011年11月28日閲覧。
  2. ^ コーチの役職変更、ポジション変更について”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2014年1月22日). 2014年1月22日閲覧。
  3. ^ コーチの役職変更に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2014年6月14日). 2014年6月15日閲覧。
  4. ^ 楽天平石打撃コーチが走塁コーチも兼任”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2014年6月15日). 2014年1月22日閲覧。
  5. ^ 楽天が配置転換 米村コーチ2軍へ、礒部コーチが昇格”. スポーツニッポン (2014年6月18日). 2014年6月18日閲覧。
  6. ^ 【平石洋介】二軍監督就任に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2015年10月12日). 2015年10月12日閲覧。
  7. ^ https://mainichi.jp/articles/20160216/dde/035/050/020000c

関連項目[編集]

外部リンク[編集]