能見篤史

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能見 篤史
阪神タイガース #14
HT-Atsushi-Nomi20110309.jpg
2011年3月9日 阪神甲子園球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県出石郡出石町(現:豊岡市
生年月日 (1979-05-28) 1979年5月28日(40歳)
身長
体重
180 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2005年4月24日
年俸 9,500万円(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年
獲得メダル
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2013 野球

能見 篤史(のうみ あつし、1979年5月28日 - )は、阪神タイガースに所属する兵庫県出石郡出石町(現在の豊岡市)出身のプロ野球選手投手)。左投左打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

神戸市で出生。生後4ヶ月の時に兵庫県警察の警察官だった実父が出石町内の駐在所へ赴任したため、能見自身も中学校を卒業するまで同町で過ごした[2]

実父が「小坂プラッキーズ」(出石町内の軟式野球チーム)の指導者でもあったことから、小学校3年時に同チームで野球をスタート[2]。中学校の卒業後に隣県(鳥取県)の鳥取城北高校普通科体育コースへ進学すると、硬式野球部のエースとして活躍した。2年時には、夏の鳥取大会で準優勝を経験。秋には、秋季県大会での優勝を経て、秋季中国地区大会でチームのベスト4進出に貢献した。3年時の春季県大会ではノーヒットノーランを達成している。

在学中は全国大会と無縁であったが、上記の実績から、川口知哉平安)・井川慶水戸商業)とともに「高校生左腕三羽ガラス」と称されるほど注目された[3]NPBの一部球団もドラフト会議の指名に向けて動いていたが、当時大阪ガス硬式野球部の監督だった竹村誠から熱心な誘いを受けた末に、同社へ入社した[2]

大阪ガスへの入社後は、相次ぐ故障に悩まされた。熱心なファンですらほとんど姿を見ることができなかったため、一時は「幻の投手」とまで呼ばれた。入社5年目の2003年には、「来年(2004年)もダメだったら社業に戻る」と考えていたという。しかし、竹林の後任として監督に就任した湯川素哉から、「(左肘が)痛くても投げなさい。どうせなら、(左肘を)壊して辞めないか」という「最後通告」を受けたことから一念発起。左肘に痛みを抱えながら投げ込みの球数を増やしたところ、その成果を湯川に認められたことから、対外試合での登板機会を徐々に増やした[3]

2003年の社会人野球日本選手権大会では、予選から好成績を残した末に、本大会で決勝に進出。決勝で日産自動車と対戦したが、延長11回に伊藤祐樹適時打サヨナラ負けを喫した。翌2004年には、後に阪神でもチームメイトになる渡辺亮久保康友らと共に、第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表として第22回ハーレムベースボールウィークに出場。その後に催された日本選手権でも、2年連続で本大会への出場を果たすと、野村克也監督率いるシダックス戦で野間口貴彦との投げ合いを制するなど活躍した。JFE西日本との決勝戦にもリリーフで登板したが、延長15回表に決勝ソロ本塁打を打たれた末に、2年連続で敗戦投手になった[3]

2004年のNPBドラフト会議自由獲得枠で、当時井川がエースとして活躍していた阪神タイガースに、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は14

阪神時代[編集]

2005年、開幕一軍入りを果たしたが、6月中旬に二軍へ降格。7月末に一軍へ再び昇格すると、9月には一軍公式戦で2連勝を記録したものの、一軍公式戦の通算防御率は5点台に達した。10試合に登板したウエスタン・リーグ公式戦では、通算投球イニング(38回)を上回る41三振を奪うとともに、22被安打、15与四球でWHIP0.97、防御率1.42をマーク。一軍のセントラル・リーグ(セ・リーグ)優勝で臨んだ日本シリーズでも、救援での登板を経験した。

2006年、左のセットアッパーとして前年のセ・リーグ優勝に大きく貢献したジェフ・ウィリアムスが、膝の手術を受けた影響でレギュラーシーズンの開幕に出遅れたため、開幕から中継ぎとして一軍公式戦で登板。実際には、チームが4敗を喫した開幕からの10試合には継投の失敗が相次いだ影響で、3試合で能見に黒星が付いた。セ・パ交流戦の期間中にウィリアムスが復帰すると、二軍へ降格。降格後には、ウエスタン・リーグ公式戦6試合の登板で、防御率3.60を記録した。シーズン終了後にハワイ・ウィンターリーグへ派遣。

2007年、井川がMLBニューヨーク・ヤンキースへ移籍したことに伴って、一軍公式戦での開幕から先発ローテーションに入ったが、4月末までに5試合の登板で1勝3敗と不振。中継ぎへの再転向後も不安定な投球が続いたあげく、5月27日の対千葉ロッテマリーンズ戦(阪神甲子園球場)での救援登板では、9回表の1イニングを投げ切る間に5点を失った。この登板では、チーム3個目の死球福浦和也に与えたことがきっかけで、その裏に藤田宗一による金本知憲への死球で乱闘を招いている。能見自身は、翌28日に二軍へ降格したが、8月中旬に先発要員として一軍へ復帰。復帰直後の4試合では、8月18日の対広島東洋カープ戦(京セラドーム大阪)で一軍公式戦初完封を挙げるなど3勝を挙げた。ウエスタン・リーグ公式戦では7試合に登板。チームトップタイ(リーグ2位)の6勝、防御率2.51、通算投球イニング43回で37奪三振を記録した。また、被安打を35、与四球を15にとどめたことから、WHIPも1.12と安定していた。

2008年、レギュラーシーズンを中継ぎでスタート。5月7日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)7回裏の救援登板では、アレックス・ラミレスに本塁打性の打球を浴びながら、外野席の最前列にいた観客が打球を手で押さえたことから、審判団の協議で二塁打として判定される珍事に見舞われた。もっとも、一軍公式戦での登板はわずか11試合で、プロ入り後初の未勝利でシーズンを終えた。ウエスタン・リーグ公式戦では、29試合の登板で、リーグ6位の5勝、チームトップ(リーグ2位)の11セーブ、リーグ5位の52奪三振をマーク。防御率0.83、WHIP0.90という好成績を残した。

2009年、自身と同じ左投手の岩田稔など、投手陣に故障者が相次いだことを背景に、レギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションに入った。6月までは先発登板の試合で打線の援護に恵まれず、7月上旬には救援で3試合に登板した。7月19日の対巨人戦(東京ドーム)に9回を2安打無失点12奪三振の好投で勝利投手になってからは、11試合の先発登板で9勝2敗と好調。レギュラーシーズン全体の投球イニングはセ・リーグ3位の165回で、プロ入り後初めて、同リーグの最終規定投球回に到達した。また、防御率2.62、13勝(いずれもリーグ4位)、リーグ2位の154奪三振など、チームの投手陣トップの成績をマーク。対巨人戦では内海哲也との先発対決に4試合連続で投げ勝ったほか、広島東洋カープ打線との相性が特に良く、対広島戦では7試合の登板で4勝、防御率1.45という好成績を残した。

2010年、2年連続でレギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションを担ったが、5月2日の対巨人戦で走塁中に右足楔状骨の剥離骨折に見舞われたため、4ヶ月もの戦線離脱を余儀なくされた。9月9日の対中日ドラゴンズ戦(いずれも甲子園)で一軍に復帰すると、勝敗は付かなかったものの、7回2失点10奪三振と好投。復帰後の対巨人戦で2勝を挙げたことによって、前年7月から始まった同カードので連勝を7にまで伸ばした[4][5]。レギュラーシーズン全体でも、一軍公式戦で8勝無敗をマーク。9月には、 5試合の登板で3勝、防御率1.29を記録するなどとりわけ好調で、セ・リーグ投手部門の月間MVPに初めて選ばれた。

2011年、入団後初めてレギュラーシーズンの開幕投手として臨んだ4月12日の対広島戦に、7回途中3失点でシーズン初勝利。4月19日の対巨人1回戦(いずれも甲子園)では、一軍公式戦7者連続三振の球団最多タイ記録を達成した。5月3日の対巨人4回戦(東京ドーム)での9回完投勝利によって、{{by|1979年}に}小林繁が達成した同カード8連勝の球団記録に並んだものの、6月26日の9回戦(甲子園)で黒星を喫したことで連勝が止まった。それでも、レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦で12勝をマーク。通算の投球イニングは、自己最多の200回1/3にまで達した。

2012年、前年に続いて、レギュラーシーズンの開幕投手に起用されると、シーズン序盤は好調。中盤は巨人相手に3連敗を喫するなどの不振に陥ったが、4試合に登板した9月には、3勝1敗、防御率0.55という好成績で球団選定の月間MVPを受賞した[6]。レギュラーシーズンのチーム最終戦であった10月9日の対DeNA戦(甲子園)では、1回表に2三振を奪った末に降板したことによって、杉内俊哉と同数(172)ながらセ・リーグ最多奪三振のタイトルを確定させた。このタイトルを阪神の投手が獲得した事例は、2006年の井川以来6年振り[7]で、2年連続のシーズン2桁勝利も達成[6]。シーズン終了後には、翌2013年に開催される第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表候補に入った[8][9]

2013年、NPBのオープン戦期間中に開かれた第3回WBCに、日本代表の一員として参加[10]代表入りした[11][12]東京ドームで開催された2次ラウンドでは、代表合宿からの好調を買われて、対台湾代表戦の先発に起用された。2回裏までは好投したものの、3回裏に突如制球を乱すと、2死満塁から押し出し四球で先制点を献上。結局、2回2/3を自責点1という内容で交代したが、試合自体は延長10回の末に4 - 3で日本代表が勝利した。日本代表の2次ラウンド1位通過を経て臨んだ決勝ラウンドでは、プエルトリコ代表との準決勝(サンフランシスコAT&Tパーク)において、1点ビハインドの6回表から2番手で登板。7回表無死1塁から1回0/3を投げたものの、8回表にアレックス・リオスから2点本塁打を浴びて自責点2で降板する[13]と、日本代表も1 - 3というスコアで敗れた。

NPBのレギュラーシーズンは、開幕戦への登板を回避。4月に爪が割れるアクシデントがあったが、5月6日の対巨人戦(東京ドーム)では、笠原将生から一軍公式戦初本塁打を記録するとともに、完投勝利を挙げた[14][15]。シーズンの通算成績では11勝7敗で、3年連続の2桁勝利、自己最多の6完投勝利をマーク。

2014年、3月28日の対巨人戦(東京ドーム)で2年振りに開幕投手を務めたが、序盤での4点リードを守れず、5回途中10被安打10失点(全て自責点)の乱調で大敗を喫した[16]。5月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)から6月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)まで2桁奪三振を続けた結果、5試合連続2桁奪三振のセ・リーグ最長記録を達成した[17]が、レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦で自己ワーストの13敗を記録。防御率も3.99で、6シーズン振りに2点台を突破するなど安定感を欠いた。しかし、チームのレギュラーシーズン2位で迎えたクライマックスシリーズ(CS)では、10月12日に広島とのファーストステージ第2戦(甲子園)に先発すると、8回を無失点と好投。チームはこの試合を引き分けで終えたものの、シリーズ規定によってファイナルステージ進出が決まった。リーグ優勝の巨人と対戦したファイナルステージでは、10月18日の第4戦(東京ドーム)で先発。5回94球2失点という内容で交代すると、救援陣の逃げ切りによって勝利投手になるとともに、チームも日本シリーズ進出を果たした[18]福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、甲子園での第2戦に先発。6回2失点と好投しながら敗戦投手となった。その後は登板の機会がなく、チームも球団史上2回目のシリーズ制覇を逃した。日本シリーズの終了後は、11月11日に甲子園で催された「日本プロ野球80周年記念試合」で、阪神・巨人連合チームの先発投手としてMLBオールスターチームを2回無失点に抑えた[19]。また、レギュラーシーズン中に取得した国内FA権を行使したうえで、阪神と3年契約を結んだ[20]

2015年は、レギュラーシーズンで自身2年振りの2桁勝利(11勝)を挙げた。その一方で、前年と同じ13敗で、2年連続のリーグ最多敗戦をマーク。防御率も3.72と、リーグの最終規定投球回を達成した投手では最も悪かった。クローザーの呉昇桓が故障で離脱したシーズン終盤には、中継ぎで2試合に登板したが、いずれの試合でも打ち込まれている。チームがレギュラーシーズン3位で迎えた巨人とのCSでは、ファーストステージの第3戦(東京ドーム)で先発投手として5回1失点と好投。6回裏に2番手の岩田稔が2点を失うと、打線も1点を返しただけで、チームはそのまま日本シリーズ進出を逸した。

2016年、一軍公式戦全体で8勝12敗、防御率3.67をマーク。シーズンを通してローテーションを守ったものの、3年連続でリーグ最多敗戦を記録した。NPBの一軍公式戦において、同じ投手が3年連続でリーグ最多敗戦を記録した事例は、1986年から1988年までの尾花高夫(ヤクルト)以来で、左腕投手では初めてである。さらに、阪神では2012年にも岩田がリーグ最多敗戦を喫していたため、この年の能見まで4年連続で最多敗戦投手を輩出してしまった。阪神では1995年から1999年までの5年間にも同様の事態に見舞われていた[21]が、左腕投手だけでの4年連続最多敗戦は初めての事例である。なお、シーズンの終盤には、自身と同じく先発ローテーションの一角を担っていた岩崎優に続いて中継ぎへ転向[22]。一軍の救援陣に左投手が少なかったことによる措置であったが、中継ぎ登板で1ホールドを挙げるなど好投を続けたことから、シーズン終了後にはセットアッパーへの転向も視野に調整を進めた[23]

2017年、岩崎を本格的にセットアッパーへ転向させるチーム方針の下で、先発に再び専念。レギュラーシーズンでは一軍公式戦での救援登板がなく、先発登板23試合で6勝6敗という成績を残した。通算の防御率は3.72ながら、4試合に登板した5月には、防御率0.43を記録するなど好調だった[24]。逆に、7月に3連敗を喫してからは、2ヶ月にわたって白星から見放された。それでも、レギュラーシーズンの最終登板であった9月28日の対DeNA戦(横浜)では、93球を投げた末にこの年の公式戦唯一の完投勝利を挙げている[25]。チームのレギュラーシーズン2位で臨んだDeNAとのCSファーストステージ(甲子園)では、1勝1敗で迎えた第3戦(10月17日)の先発を任されたものの、1死しか取れずに3点を失って1回表の途中で降板[26]。チームはこの試合に敗れたことによって、広島とのファイナルステージ進出を逸した。

2018年、レギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションに入っていたが、5月までに登板した3試合で0勝2敗、防御率7.53と振るわず、同月中旬から二軍で調整。元々左肩の仕上がりが早いことから、一軍の救援陣から岩崎、高橋聡文マルコス・マテオなどが相次いで戦線を離脱していたチーム事情を背景に[27][28]、6月から本格的にセットアッパーへ転向した。同月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦(甲子園)では、同点の延長11回表から救援で登板すると、チームのサヨナラ勝利によってシーズン初勝利を記録 [29]。6月28日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では、同点の8回裏に1回を無失点で抑えると、チームの勝利によって一軍公式戦通算100勝目を挙げた。日本プロ野球では歴代135人目[30]で、阪神の生え抜き投手では選手では1985年山本和行以来33年ぶりの記録である[31]。8月16日の対広島戦(京セラドーム大阪)では、9回表にクローザーのラファエル・ドリスが先頭打者・會澤翼へ投じた初球が頭部死球で危険球とみなされて退場処分を受けたため、無死1塁の場面で緊急登板。そのまま抑えてチームの勝利につなげたことから、入団14年目にして一軍公式戦初セーブを挙げた[32]。一軍公式戦には、通算45試合の登板で4勝3敗1セーブ、防御率2.56をマーク。救援に専念した6月以降は、42試合の登板で4勝1敗1セーブ、防御率0.86という好成績を収めた[33]。シーズン終了後には、矢野燿大の一軍監督就任に伴って先発への再転向も検討された[34]が、矢野との面談で中継ぎに専念する意向を伝えている[33]。また、中日で43歳までプレーを続けていた左投手の岩瀬仁紀が、シーズン終了後に現役を引退。能見自身は、39歳だった12月14日に推定年俸1億1,000万円(前年から1,000万円減)という条件で阪神との契約を更改したこと[35]によって、NPB現役最年長の左腕投手になった[36]

2019年、5月28日の誕生日で40歳に到達したにもかかわらず、レギュラーシーズンの開幕から、一軍で中継ぎに専念。ナゴヤドームでの対中日戦では、8月14日の登板に阪神の40代投手としては歴代3人目の一軍公式戦勝利を記録した[37]ほか、9月15日の登板でシーズンの登板数が50試合に達した。40歳以上の現役投手がNPBのレギュラーシーズンで一軍公式戦50試合に登板した事例は、2017年に42歳で達成した岩瀬に次いで2人目である[38]。結局、レギュラーシーズンでは自己最多の51試合に登板。入団後初めて公式戦に先発しなかった[39]ものの、1勝2敗18ホールドという成績で、チームの2年振りCS進出に貢献した。レギュラーシーズンの通算防御率は4.30と高く、7月にはリフレッシュを兼ねての二軍調整を経験した[40]が、シーズン終了後の12月11日には推定年俸9,500万円(前年から1,500万円減)という条件で契約を更改した[39]

選手としての特徴[編集]

スリークォーターのワインドアップ投法から投げる平均球速140km/h[41]フォーシームスライダーフォークボールを軸に、チェンジアップも交える[42]。決め球はフォークで、高い精度を誇る[43]。リリーフ時には自己最速151km/hを記録した[44][45]。2008年までは力に頼ったフォームで投げていたが、2009年からはしっかりと腕を振ることを意識した打者のタイミングを外すフォームに改良[46]。また、2010年頃までは時折サイドスロー気味のフォームも織り交ぜ[47]、近年[いつ?]はスリークォーターのフォームに落ち着いている。

少年野球チームで監督を務めていた実父と同じく、マウンドでは常にポーカーフェイスを貫いている[38]

人物[編集]

社会人野球時代に映画へ出演[編集]

大阪ガスに在籍していた2002年に、阪神をテーマにした長嶋一茂主演の映画ミスター・ルーキー』に、阪神のユニフォーム姿でエキストラとして出演。「阪神が7連敗中の試合に中継ぎで登板したところ、痛打を浴びた末に敗戦投手になる」という役どころだった。その際には大阪ガスで着けていた背番号「14」を付けていたが、阪神への入団後もこの番号を着用している。ただし、背番号の上のローマ字表記は「NOHMI」ではなく「NOUMI」だった。

『ミスター・ルーキー』は、阪神の野村克也監督時代最終年(2001年)に撮影されたため、劇中に登場する阪神の選手は「DASH! HANSHIN」というロゴの入った当時のホーム用ユニフォームを身に付けていた。このユニフォーム姿で出演した後に、現役の選手として実際に阪神へ入団した人物は能見だけである。

投手では異例の専用ヒッティングマーチの制作[編集]

一軍の先発陣に定着してからは、2009年9月25日の対中日戦(ナゴヤドーム)で、中日の先発投手・吉見一起から2打席連続適時打を放ったり、2013年には前述のプロ初本塁打のほか、7月2日の対巨人戦(甲子園)で菅野智之から先制二塁打、7月27日の対DeNA戦(同)では4回裏2死満塁のチャンスにティム・コーコランから先制打を放つなど、投手として先発したセ・リーグ公式戦で3本の適時打を放っている。

阪神の応援団では、阪神の投手が打席に立つ場合に、基本として全投手共通の応援歌「投手汎用ヒッティングマーチ」を演奏している。しかし、2014年のシーズン前には、阪神選手の応援歌を制作・管理・運営を一手に担う「阪神タイガース応援団 ヒッティングマーチ委員会」が能見専用のヒッティングマーチを制作した[48]。能見本人から「打席では打者として評価してほしい」との要望があったことや、前述した打撃面での活躍がヒッティングマーチ委員会からも評価されたことによる[49]

ちなみに、NPBの球団では、巨人、福岡ソフトバンクホークス、西武が投手ごとに応援歌を設定している。ただし、球団公認の応援団が(いわゆる「二刀流」の選手を除く)特定の投手専用の応援歌を制作した事例は、DeNA投手時代の三浦大輔や、北海道日本ハムファイターズ時代のダルビッシュ有など極めて少ない。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2005 阪神 16 12 1 0 0 4 1 0 1 .800 293 64.2 78 10 27 0 1 64 3 0 40 40 5.57 1.62
2006 38 2 0 0 0 2 4 0 8 .333 210 47.0 49 4 16 0 3 46 2 0 27 26 4.98 1.38
2007 23 12 1 1 1 4 4 0 2 .500 330 74.0 79 7 30 1 4 51 2 0 39 36 4.38 1.47
2008 11 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 54 11.1 15 1 6 0 0 10 1 0 6 6 4.76 1.85
2009 28 25 1 1 0 13 9 0 0 .591 675 165.0 142 11 44 1 5 154 3 1 61 48 2.62 1.13
2010 12 10 0 0 0 8 0 0 0 1.000 267 62.1 63 3 13 2 5 57 2 0 23 18 2.60 1.27
2011 29 28 5 1 1 12 9 0 1 .571 799 200.1 151 8 55 5 6 186 3 0 59 56 2.52 1.03
2012 29 27 3 2 1 10 10 0 0 .500 737 182.0 157 14 37 2 3 172 5 0 61 49 2.42 1.07
2013 25 25 6 2 1 11 7 0 0 .611 724 180.2 155 18 41 1 0 127 5 0 57 54 2.69 1.08
2014 26 26 3 1 0 9 13 0 0 .409 720 169.1 170 16 48 0 3 151 9 0 81 75 3.99 1.29
2015 27 25 1 1 1 11 13 0 0 .458 672 159.2 170 13 38 1 2 125 6 0 73 66 3.72 1.30
2016 26 24 2 1 0 8 12 0 1 .400 634 147.1 140 17 52 2 6 126 5 1 67 60 3.67 1.30
2017 23 23 1 0 0 6 6 0 0 .500 533 128.1 117 14 40 0 2 119 2 1 57 53 3.72 1.22
2018 45 3 0 0 0 4 3 1 16 .571 229 56.1 40 5 19 0 3 48 6 0 23 16 2.56 1.05
2019 51 0 0 0 0 1 2 0 18 .333 191 44.0 37 5 24 3 1 41 2 0 21 21 4.30 1.39
NPB:15年 409 243 24 10 5 103 93 1 47 .526 7068 1692.1 1563 146 490 18 44 1477 56 3 695 624 3.32 1.21
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



投手












2005 阪神 16 1 8 0 1 1.000
2006 38 1 14 0 1 1.000
2007 23 3 15 0 0 1.000
2008 11 0 1 0 0 1.000
2009 28 5 35 1 2 .976
2010 12 4 7 0 1 1.000
2011 29 7 39 1 4 .979
2012 29 6 33 1 1 .975
2013 25 13 24 1 3 .974
2014 26 8 26 1 2 .971
2015 27 11 29 0 3 1.000
2016 26 4 27 0 0 1.000
2017 23 6 33 2 3 .951
2018 45 1 11 1 2 .923
2019 51 4 8 0 0 1.000
通算 409 74 310 8 23 .980
  • 2019年度シーズン終了時

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
投手記録
打撃記録
節目の記録
  • 1000投球回:2014年4月12日、対読売ジャイアンツ5回戦(阪神甲子園球場)、2回表2死目に橋本到を三ゴロ ※史上337人目
  • 1000奪三振:2014年9月5日、対中日ドラゴンズ19回戦(ナゴヤドーム)、4回裏にエクトル・ルナから空振り三振 ※史上140人目
  • 1500投球回:2017年5月17日、対中日ドラゴンズ8回戦(阪神甲子園球場)、5回表1死目に平田良介を左飛 ※史上176人目
  • 100勝:2018年6月28日、対横浜DeNAベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点 ※史上135人目
その他の記録
  • 7者連続奪三振:2011年4月19日、対読売ジャイアンツ1回戦(阪神甲子園球場) ※セリーグ2位タイ、球団タイ記録[52][53]
  • 5試合連続2ケタ奪三振:2014年 ※セ・リーグ記録
登板日 対戦チーム 球場 投球回 奪三振
5月16日 DeNA 阪神甲子園球場 8 11
5月24日 ソフトバンク 福岡 ヤフオク!ドーム 6 13
5月31日 日本ハム 札幌ドーム 8 10
6月6日 オリックス 阪神甲子園球場 7 1/3 10
6月14日 西武 西武ドーム 6 10

背番号[編集]

  • 14 (2005年 - )

登場曲[編集]

代表歴[編集]

関連情報[編集]

出演[編集]

CM

漫画[編集]

脚注[編集]

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  2. ^ a b c 阪神・能見、平成最後に悲しき別れ…2人の恩人の教え胸にマウンドへ スポーツニッポン 2019年5月2日
  3. ^ a b c 【ターニングポイント】能見が覚悟を固めた瞬間 大阪ガス時代に受けた“最後通告” デイリースポーツ 2019年4月16日
  4. ^ 阪神・能見“巨人キラー”ぶり発揮 スポーツニッポン、2010年9月29日。
  5. ^ 日刊スポーツ 2010年9月27日付紙面 猛虎データセンター
  6. ^ a b 阪神タイガース公式サイト
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  21. ^ 1995年・1996年に藪恵壹湯舟敏郎が2年連続、1997年に川尻哲郎、1998年に中込伸、1999年に藪が最多敗戦を記録しているが、湯舟以外は右投手である。
  22. ^ “阪神、能見を中継ぎ起用 泣きどころ救援陣テコ入れ”. 日刊スポーツ. (2016年9月26日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1715766.html 2017年2月17日閲覧。 
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  31. ^ “「能見さん」ツイッターでトレンド入り 100勝達成で祝福”. デイリースポーツ (神戸新聞社). (2018年6月28日). https://www.daily.co.jp/tigers/2018/06/28/0011397187.shtml 2018年8月17日閲覧。 
  32. ^ “能見、救った!超スクランブルでプロ初セーブ ドリス初球退場の大ピンチを3人斬り”. デイリースポーツ (神戸新聞社). (2018年8月17日). https://www.daily.co.jp/tigers/2018/08/17/0011549764.shtml 2018年8月17日閲覧。 
  33. ^ a b 能見、来季も中継ぎ 矢野監督との面談で意向伝達「力を発揮できると思う」 デイリースポーツ 2018年10月30日
  34. ^ “阪神能見&岩崎あるぞ先発 再転向プランが浮上”. 日刊スポーツ. (2018年10月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810210000366.html 2019年12月11日閲覧。 
  35. ^ “阪神・能見 救援専念直訴していた 先発未練なし!負け数減&防御率下げる”. スポーツニッポン. (2018年10月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810210000366.html 2019年12月11日閲覧。 
  36. ^ “今季40歳能見「50歳までやれ」山本昌氏から激励”. 日刊スポーツ. (2019年2月5日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201902050000936.html 2019年12月11日閲覧。 
  37. ^ “阪神・能見 今季初勝利で虎3人目の40歳超え白星「ゼロで抑えられて良かった」”. スポーツニッポン. (2019年8月15日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/08/15/kiji/20190815s00001173024000c.html 2019年12月11日閲覧。 
  38. ^ a b “能見 衰えなし!史上2人目40代で50戦登板 父譲りポーカーフェースで鉄腕新伝説”. デイリースポーツ. (https://www.daily.co.jp/tigers/2019/09/15/0012701063.shtml) 
  39. ^ a b “阪神 能見、1500万円ダウンでサイン 初の救援専任 51試合登板も「不完全燃焼だった」”. スポーツニッポン. (2019年12月11日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/12/11/kiji/20191211s00001173154000c.html 2019年12月11日閲覧。 
  40. ^ “阪神能見が貫禄の昇格即完全投球「ゼロで良かった」”. 日刊スポーツ. (2019年8月6日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201908060001029.html 2019年12月11日閲覧。 
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  45. ^ 岩貞150キロ左腕へ!台湾で手応えデイリースポーツ
  46. ^ 『週刊プロ野球データファイル』20号、ベースボール・マガジン社、雑誌27745-8/31、10頁。
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  50. ^ “阪神 能見に若林賞 14年から児童施設に玩具贈る活動継続”. スポニチアネックス. (2016年11月15日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/15/kiji/K20161115013724780.html 2016年11月15日閲覧。 
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  52. ^ https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110419-763596.html
  53. ^ http://www.sanspo.com/baseball/news/20140802/tig14080205010008-n1.html

関連項目[編集]

外部リンク[編集]