松山秀明
| 福岡ソフトバンクホークス 二軍内野守備走塁コーチ #74 | |
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2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 和歌山県伊都郡九度山町 |
| 生年月日 | 1967年4月18日(51歳) |
| 身長 体重 |
175 cm 72 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 二塁手、三塁手 |
| プロ入り | 1989年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 1990年6月21日 |
| 最終出場 | 1998年10月9日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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松山 秀明(まつやま ひであき、1967年4月18日 - )は、和歌山県伊都郡九度山町出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ
経歴[編集]
PL学園高校では清原和博、桑田真澄のKKコンビと同期、3年時には主将をつとめ、ともにPL黄金期を築いた。1985年春の選抜に三塁手として出場。準決勝で渡辺智男を擁する伊野商に敗退[1]。同年夏の選手権では二塁手に回る。この大会は順調に勝ち進み、決勝で宇部商を降し優勝を飾る[2]。この試合でサヨナラヒットを放ち注目を集めた。同期では他に今久留主成幸、内匠政博がプロ入りした。
卒業後は青山学院大学へ進学。東都大学野球リーグでは同期のエース吉田直喜を擁し、1988年秋季リーグで念願のリーグ初優勝を経験。翌1989年は1年下の奈良原浩と二遊間を組み活躍。同年秋季リーグでは、2年下の高校後輩である岩崎充宏(新日鐵名古屋)の好投もあって2回目の優勝を飾る。リーグ通算102試合出場、369打数87安打、打率.236、7本塁打、40打点。ベストナイン(二塁手)2回受賞。
1989年のドラフト5位でオリックス・ブレーブスに入団。背番号は現役引退まで「4」から変更が一度もなかった。なかなか一軍に定着できなかったが(一軍出場なしは1991年のみ)1992年にはシーズン終盤の8試合に二塁手、三塁手として先発出場。1995年は福良淳一の故障欠場もあって14試合に先発するが、レギュラーには届かなかった。1998年限りで現役引退。
1999年から2001年まではオリックス一軍内野守備走塁コーチを務め、2002年は阪神タイガース一軍内野守備走塁コーチ、2003年から2004年までは阪神二軍内野守備走塁コーチを務めた。
2005年に再び一軍コーチとしてオリックスに復帰し2011年9月16日以降は三塁ベースコーチの任を解かれ、10月29日に来季の契約更新をしないと通告された[3]。
2012年からは韓国プロ野球・起亜タイガースの守備走塁コーチを務めるが、同年限りで契約終了となった[4]。
2013年からは千葉ロッテマリーンズの二軍内野・守備走塁コーチに就任[5]。2015年より一軍内野・守備走塁コーチを担当。2017年10月11日に来季コーチ契約を行わないことを通告された[6]。 2018年より福岡ソフトバンクホークスの二軍内野守備走塁コーチに就任する[7]。現時点では大学を卒業してプロ入り以降、一度も現場を離れたことがない。
人物[編集]
1985年のドラフト会議で読売ジャイアンツから指名がなく、放心状態だった清原に最初に声をかけたのが松山だったという。気分転換にと二人でキャッチボールを行った。この二人は2006年から3年間、選手とコーチとしてチームメイトとなった。
長男もPL学園野球部に所属し、2012年には主将を務めPL学園史上初の「親子主将」となったが甲子園には出場できなかった[8]。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1990 | オリックス | 7 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 1992 | 9 | 24 | 20 | 5 | 6 | 2 | 1 | 1 | 13 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | .300 | .391 | .650 | 1.041 | |
| 1993 | 5 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 1994 | 20 | 25 | 22 | 3 | 6 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | .273 | .304 | .318 | .623 | |
| 1995 | 46 | 42 | 38 | 16 | 9 | 1 | 0 | 1 | 13 | 4 | 4 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 5 | 1 | .237 | .293 | .342 | .635 | |
| 1996 | 6 | 2 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
| 1997 | 15 | 7 | 7 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .286 | .286 | .429 | .714 | |
| 1998 | 18 | 6 | 6 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .167 | .167 | .167 | .333 | |
| 通算:8年 | 126 | 111 | 99 | 37 | 25 | 5 | 1 | 2 | 38 | 7 | 12 | 3 | 5 | 0 | 6 | 0 | 1 | 15 | 3 | .253 | .302 | .384 | .686 | |
記録[編集]
- 初出場:1990年6月21日、対ロッテオリオンズ12回戦(阪急西宮球場)、8回表に松永浩美に代わり三塁手として出場
- 初先発出場:1992年9月27日、対西武ライオンズ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、8番・三塁手として先発出場
- 初安打:同上、3回裏に渡辺久信から二塁打
- 初打点:1992年9月29日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(千葉マリンスタジアム)、2回表に牛島和彦から
- 初本塁打:1992年10月1日、対千葉ロッテマリーンズ24回戦(千葉マリンスタジアム)、4回表に前田幸長からソロ
背番号[編集]
- 4 (1990年 - 1998年)
- 74 (1999年 - 2011年、2018年 - )
- 72 (2012年 - 2017年)
脚注[編集]
- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ “【オリックス】松山コーチと契約更新せず”. 日刊スポーツ (2011年10月29日). 2011年10月29日閲覧。
- ^ “プロ野球・起亜 高橋三千丈氏ら日本人3コーチ入団”. 聯合ニュース (2011年11月15日). 2011年11月15日閲覧。
- ^ “松山秀明氏 二軍内野・守備走塁コーチ就任のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2012年11月4日). 2012年11月4日閲覧。
- ^ コーチ契約について - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2017年10月11日
- ^ “2018年コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークス公式サイト (2017年11月9日). 2017年11月9日閲覧。
- ^ PL初の「親子主将」松山で圧勝 父は元オリ秀明氏
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 松山秀明 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
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