コンテンツにスキップ

相川英明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相川 英明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市金沢区
生年月日 (1967-09-11) 1967年9月11日(57歳)
身長
体重
181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト5位
初出場 1986年5月8日
最終出場 1991年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

相川 英明(あいかわ ひであき、1967年9月11日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

[編集]

小学校時代はソフトボール選手だった[1]

横浜高校では、1年下の斎藤一也(亜大熊谷組シダックス)と投の二本柱を組み活躍。1985年春の選抜に四番打者として出場[1]。1回戦で相川が倉敷商を完封するが、続く2回戦では報徳学園の猛打を浴び、エース松田慎司に抑えられ敗退。同年の春季関東大会決勝に進み、帝京高小林昭則と投げ合う。相川から斎藤に継投するが、乱打戦の末に9回サヨナラ負けを喫する。夏の甲子園県予選でも決勝に進み、藤嶺藤沢高と対戦するが、故障で一塁手に回った相川に代わって先発した斎藤が打たれ逆転負け、甲子園には出場できなかった。

同年のドラフト5位で指名され[2]、当時の横浜大洋ホエールズに入団。大きなカーブナックルとキレの良い直球を武器に、1年目の1986年から一軍デビューを果たす。他にスライダー、決め球として、フォークボールも使っていた。6月からは先発も経験し、同年は4勝0敗の好成績を挙げる。1987年には5月から先発陣の一角として起用され、6月にはプロ初完封勝利。1988年にも自己最多の5勝を記録した。しかしその後は一軍での登板機会が減少する。1990年にはイースタン・リーグで10勝4敗と最多勝を挙げるが[1]1993年限りで現役引退。その後同チームで打撃投手を1年務めて退団。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1986 大洋 25 8 1 0 0 4 0 0 -- 1.000 253 59.2 64 7 17 1 3 32 2 1 29 28 4.22 1.36
1987 24 12 1 1 0 3 5 0 -- .375 337 77.1 84 8 26 0 4 41 1 0 36 34 3.93 1.42
1988 17 16 1 0 0 5 8 0 -- .385 311 72.0 69 5 36 1 1 47 1 1 41 39 4.88 1.46
1989 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 44 10.1 7 2 9 0 0 9 0 0 8 7 6.10 1.55
1991 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.0 2 0 1 0 0 1 0 0 1 1 9.00 3.00
通算:5年 75 36 3 1 0 12 13 0 -- .480 951 220.1 226 22 89 2 8 130 4 2 115 109 4.45 1.43

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 50 (1986年 - 1987年)
  • 20 (1988年 - 1993年)
  • 94 (1994年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、1ページ
  2. ^ 過去のドラフト 第21回(1985年) - ドラフト会議”. 日刊スポーツ. 2019年11月23日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]