串間市営球場
| 串間市営球場 | |
|---|---|
| 施設データ | |
| 所在地 | 宮崎県串間市大字西方9050 |
| 座標 | 北緯31度28分7.3秒 東経131度13分8.8秒 / 北緯31.468694度 東経131.219111度座標: 北緯31度28分7.3秒 東経131度13分8.8秒 / 北緯31.468694度 東経131.219111度 |
| 開場 | 1977年(昭和52年)10月 |
| 所有者 | 串間市 |
| グラウンド |
内野:クレー舗装 外野:天然芝 |
| 照明 | 無し |
| 収容人員 | |
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1,000人 | |
| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | 両翼:100m,中堅:122m |
串間市営球場(くしましえいきゅうじょう)は宮崎県串間市にある串間市総合運動公園の敷地内にある野球場である。
1977年(昭和52年)10月に完成し[1]、1979年(昭和54年) - 1995年(平成7年)はプロ野球球団(セントラル・リーグ)中日ドラゴンズが春季キャンプ地として使用した[2]。オープン戦も開催したことがある。そして、2006年からみやざきフェニックス・リーグでも中日のホームゲームが2006年から2010年、そして2012年に組まれた。雨天中止になった2013年以降は開催されていない。
1999年に中日に入団した福留孝介は、串間市営球場が少年時代に住んでいた鹿児島県曽於郡大崎町から近かった縁から[3]、父親に連れられて同球場まで中日の一軍キャンプの見学に訪れていた[4]。1988年春、当時小学4年生だった福留は同年にPL学園高校からドラフト1位で入団したばかりの立浪和義からボールを投げてもらったり、バットをプレゼントしてもらったりしたことが縁で立浪に憧れ、彼と同じPL学園高校や中日でプレーすることとなった[3]。
プロ野球開催実績
[編集]オープン戦
[編集]・1982年2月27日 中日ドラゴンズ11-2広島東洋カープ
・1983年3月2日 中日ドラゴンズ4-13広島東洋カープ
・1984年2月25日 中日ドラゴンズ5-15広島東洋カープ
・1985年2月24日 中日ドラゴンズ2-5広島東洋カープ
・1986年2月22日 中日ドラゴンズ2-6広島東洋カープ
・1987年2月21日 中日ドラゴンズ6-1広島東洋カープ
フェニックスリーグ
[編集]・2006年10月22日 中日ドラゴンズ1-8インボイス(埼玉西武ライオンズ二軍)
・2007年10月14日 中日ドラゴンズ 5-5グッドウィル(埼玉西武ライオンズ 二軍)
・2008年10月12日 中日ドラゴンズ2-6埼玉西武ライオンズ
・2009年10月18日 中日ドラゴンズ13-2埼玉西武ライオンズ
・2010年10月10日 中日ドラゴンズ4x-3埼玉西武ライオンズ
・2011年10月14日 広島東洋カープ 5-2千葉ロッテマリーンズ
・2011年10月30日 千葉ロッテマリーンズ -中日ドラゴンズ※雨天中止
・2012年10月14日 中日ドラゴンズ3-3千葉ロッテマリーンズ
・2013年10月19日 広島東洋カープ-千葉ロッテマリーンズ※雨天中止
施設の概要
[編集]- グラウンド 両翼100ⅿ、中堅122ⅿ
- スタンド メインスタンド:鉄筋コンクリート製、内野スタンド・外野スタンド:芝生席
- 照明塔なし
- 得点掲示板 パネル式
出典
[編集]- ^ “串間市制50周年のあゆみ” (PDF) (2004年). 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月5日閲覧。
- ^ 中日ドラゴンズ『中日ドラゴンズ80年史』(初版第1刷)中日新聞社、2016年3月18日、277頁。ISBN 978-4806207009。
- ^ a b 渋谷真「1988年のキャンプ…中日・立浪はいつも右翼席にいた小学生にボールを投げた そこから始まった福留との運命◇渋谷真コラム・龍の背に乗って「キャンプ編」」『中日スポーツ』中日新聞社、2021年2月21日。オリジナルの2024年2月17日時点におけるアーカイブ。2024年2月17日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1995年11月18日東京朝刊スポーツ面12頁「狙い球は『福留クン』 6球団1位指名か ドラフト会議まであと4日」(朝日新聞東京本社 堀川貴弘・川崎友水)