大川隆

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大川 隆
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県行方郡麻生町(現行方市
生年月日 (1967-08-02) 1967年8月2日(50歳)
身長
体重
178 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 投手外野手内野手
プロ入り 1985年 ドラフト3位
初出場 1987年10月17日
最終出場 1994年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大川 隆(おおかわ たかし、1967年8月2日 - )は、茨城県行方郡麻生町(現:行方市[1]出身の元プロ野球選手外野手内野手投手)。本名は「大川 隆哉」(読み方は「おおかわ りゅうさい」)。

来歴・人物[編集]

銚子商では1985年、同期の片平哲也と投の二本柱を組み、夏の甲子園県予選を勝ち進む。決勝では先発し市柏高に圧勝、第67回全国高等学校野球選手権大会に駒を進める。1回戦では先発を片平に任せ、一番打者、中堅手として出場するが、この大会に準優勝した宇部商の田上昌徳(新日鉄光)に抑えられ敗退した[2]

同年のドラフトで当時の横浜大洋ホエールズに投手として入団[1]。当時までは右投右打。しかし、投手登録は1986年のみで、1987年からは100mを10秒台で走る俊足を活かし、スイッチヒッターの外野手に転向。後には遊撃手や二塁手などの内野手もこなした。当時盗塁王の常連だったチームメイトの屋鋪要を凌ぐ俊足で、「屋鋪、大川の右中間は抜けない」と言われて期待されたが、故障や打撃の非力さでレギュラーになれず、1995年に引退[1]。引退後は球団スタッフに転身。現在は横浜DeNAベイスターズ(一軍)のマネージャーを務めている[1]。 2009年9月5日、先発投手のメンバー表にスティーブン・ランドルフの名前を書くべきところをライアン・グリンの名前を書くミスを犯し、ランドルフの1試合15奪三振の救援最多奪三振記録を演出した。また、マネージャーとして球団公式サイトの広報担当が執筆しているコラムにしばしば登場している。

実家が寺院で自らも得度して僧籍を持ち、本名の隆哉は僧名である。プロ入り当初は隆の登録名だったが、後に本名に改めている[3]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1987 大洋
横浜
2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1988 5 6 5 3 2 1 0 0 3 0 1 0 0 0 1 0 0 1 0 .400 .500 .600 1.100
1991 12 17 15 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 0 0 2 0 .133 .235 .133 .369
1992 28 44 33 4 6 2 0 0 8 3 0 1 7 0 3 0 0 12 3 .182 .250 .242 .492
1993 53 72 66 9 14 1 1 0 17 4 6 3 2 0 4 0 0 17 0 .212 .257 .258 .515
1994 8 3 3 1 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
通算:6年 108 142 122 18 24 4 1 0 30 7 8 4 9 0 10 0 0 34 3 .197 .258 .246 .503
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更した。

記録[編集]

  • 初出場 1987年10月17日広島戦(横浜) 6回裏のジム・アドゥチの代走
  • 初安打 1988年4月10日中日戦(ナゴヤ)
  • 初打点 1992年4月17日ヤクルト戦(横浜) 4回裏の西村から2点適時打

背番号[編集]

  • 40 (1986年 - 1995年)

登録名[編集]

  • 大川 隆 (おおかわ たかし、1986年 - 1988年、1991年 - 1994年)
  • 大川 隆哉 (おおかわ りゅうさい、1989年 - 1990年、1995年)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 『プロ野球人名事典 2003』(2003年、日外アソシエーツ)、P.98
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 『ドラフト物語』(2009年、廣済堂出版、著者=小関順二)、P.256

関連項目[編集]

外部リンク[編集]