大田泰示

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大田 泰示
北海道日本ハムファイターズ #33
YG-Taishi-Ota.jpg
巨人時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県三次市
生年月日 (1990-06-09) 1990年6月9日(27歳)
身長
体重
188 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手三塁手
プロ入り 2008年 ドラフト1位
初出場 2009年6月21日
年俸 2,100万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本代表

大田 泰示(おおた たいし、1990年6月9日 - )は、広島県三次市出身のプロ野球選手外野手内野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

三次高校投手だった父の影響を受け、福山市立川口小学校1年の時にソフトボールを始める。5年からは軟式野球クラブ鞆古城クラブでプレー。

福山市立城南中学校2年時に秋の県大会で優勝。中学時代の所属クラブである松永ヤンキースでは上本崇司がおり、中学2年の時は三遊間、3年時はバッテリー(大田が投手)を組んでいた[2]。同年に元プロ野球選手が指導する野球教室に参加し、原辰徳からスイングを褒められたことで原の母校である東海大相模高校への進学を決める[3]

東海大相模では1年春から三塁手としてベンチ入り。1年秋には4番に座り、2年秋からは主将を務めた。3年春に遊撃手に転向。3年夏の第90回全国高等学校野球選手権北神奈川大会決勝では大会新記録となる5本目のホームランを放った。甲子園出場は果たせなかったものの、高校通算本塁打65本(うち満塁本塁打5本)、推定140メートル弾を放つパワー、投手として最速147km/hの地肩の強さ、デレク・ジーターを彷彿とさせる大型遊撃手であることなどから、ドラフト上位候補としてスカウトの注目を集めた[4][5][6]

当初は東海大学への進学を表明していたが、提出期限日にプロ志望届を提出[7]ドラフト会議では読売ジャイアンツ福岡ソフトバンクホークスの1位指名を受け、巨人が交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1200万円(金額は推定)で仮契約。背番号は松井秀喜メジャーリーグ移籍以来「準永久欠番扱い」となっていた「55」に決まり[8]、選手寮では松井や坂本勇人らが使った部屋に入居した[9]

巨人時代[編集]

2009年キャンプから注目を集め、新人ながら原監督から打撃指導を受けた[10]3月20日イースタン・リーグ開幕戦に「3番三塁」としてスタメン出場。フェンス直撃のタイムリー二塁打を放ち、公式戦初打点を記録。4月24日湘南シーレックス戦にて公式戦初本塁打を記録。6月17日に初の1軍昇格。6月21日ロッテ戦で代打として初打席に立ったが、三球で空振り三振に倒れた[11]。以降は二軍でプレーし、「4番三塁」でスタメン出場した8月4日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で2回にダレル・ラズナーからバックスクリーン右へ11号同点ソロ、8回2死一塁の場面で吉崎勝から左中間へ12号2ランとプロ入り初の1試合2本塁打を放った[12]。ファームでは101試合に出場し、打率.238、17本塁打、56打点、16盗塁の成績を残した[13]

2010年は6月12日と13日のソフトバンク戦に「8番一塁」で先発出場したが、計6打数無安打に終わった。一軍ではこの2試合の出場に終わった。一方、イースタン・リーグでは101試合に出場し、打率.265、本塁打21、打点70。本塁打と打点でリーグ2位を記録した[14]10月23日から台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた[15]

2011年も開幕を二軍で迎えたが、5月16日に一軍昇格。5月18日の楽天戦、延長10回一死満塁の場面でプロ初安打を放ち、これが決勝2点適時打となった[16]。しかし、守備面の不安に加え、28打席4安打9三振と打撃でも結果を残せず一軍定着はならなかった。より打撃に専念するため、6月以降は二軍で外野手としてプレー[17]。一軍では12試合の出場に終わったがイースタンリーグでは105試合に出場し打率.254、本塁打は6本と大きく減らし、三振はリーグ最多の109。一方で盗塁数はリーグ2位の28を記録した(盗塁死はリーグ最多の15)[18]。秋季キャンプにおいて外野手へのコンバートが正式に決まった[19]

2012年は年始に阿部慎之助長野久義らと共にグアムで自主トレを行い[20]、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦では21打席連続無安打など絶不調ながら外野の一角として起用され[21]、自身初の開幕一軍入りを果たす[22]。しかし、開幕後も調子は上がらず4月10日に二軍降格[23]。9月1日に再昇格し同日の横浜戦に「7番一塁」でスタメン出場。先制タイムリーを含む3打点、自身初の猛打賞の活躍でお立ち台に上がった[24]。9月23日のヤクルト戦で待望のプロ第1号本塁打を放つと、9月25日の広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でもバックスクリーン左に2試合連続本塁打を放った。リーグ終盤戦では一塁手または中堅手などで17試合にスタメン出場。最終的に21試合に出場した。しかし、CS日本シリーズではベンチからも外れた。11月からはアジア・ウィンター・リーグに参加。3本塁打、OPS.980を記録した。

2013年は二年連続で開幕一軍入りするも、同じ外野手橋本到亀井善行らが優先的に起用され、5月2日に登録を抹消されて以降はほぼ二軍でシーズンを終えた。2年続けて21試合の出場に終わり本塁打も打てなかった。10月5日には自転車で転倒して負傷し[25]教育リーグの遠征メンバーから外された。この年も二軍での三振数は圧倒的に多く、4年連続で二軍の三振王となっている[26]。 11月26日、背番号が「44」に変更された[27]。後に、55をはく奪された時の心境や「55を返せ・付けるな」と言われた事があると『バース・デイ』で告白している[26]

2014年は開幕を二軍で迎え、5月9日に昇格するも結果を残せず5月18日には登録を抹消された。その後しばらくは1軍昇格がなかったが、レスリー・アンダーソン松本哲也亀井善行が次々と怪我で離脱し、8月8日に再び1軍昇格。主に松本に代わる守備固め・代走要員として起用されていたが、9月17日の広島東洋カープとの首位攻防戦でこの年第1号となる代打逆転2ランを放つとスタメン起用される機会も増え、リーグ優勝翌日の9月27日にはプロ入り後初めて4番で先発出場し、巨人軍第81代目、平成生まれとしてはチーム史上初の4番打者となった。この年は44試合に出場して打率.246、2本塁打、12打点をマークした。オフの10月21日に、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された事が発表された[28]

2015年は、4月30日の中日戦で負傷の坂本に代わり4番に座ると、3安打猛打賞でお立ち台に上がる。5月13日の広島戦では、第1号本塁打を大瀬良大地から放つなどほぼ一軍に定着し7年目でようやく出場機会が増加。最終的には60試合出場、138打席に36安打はいずれも自己最多、課題だった打率も.277とまずまずの数字となった。その反面期待された本塁打は前述の1本、打点も3にとどまるなど物足りなさの残るシーズンにもなった。

2016年6月3日の試合から1番打者として先発出場し、6月5日北海道日本ハムファイターズ戦では大谷翔平から自身初の先頭打者ホームランを放った。だがその後は2打席連続空振り三振に終わり、他の打者も大谷を攻略できず敗れた[29] 。1番打者でのスタメンも多かったが打撃好調を維持できずに二軍落ちした。最終的にこの年は自己最多の62試合に出場し、4本塁打を放ったが打率.202と大きく低迷した。

日本ハム時代[編集]

2016年11月2日吉川光夫石川慎吾との交換トレードにより公文克彦と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍した[30]11月23日のファンフェスティバルで背番号が「33」に決まったと発表された[31]

2017年は怪我の影響で開幕は出遅れたが、4月23日に一軍に昇格した。4月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、美馬学から移籍後初の本塁打[32]5月3日千葉ロッテマリーンズ戦では、益田直也からプロ初のサヨナラタイムリーを放った[33]5月12日の千葉ロッテマリーンズ戦では、涌井秀章から移籍後初の1試合2ホーマーを放った。ほぼレギュラーとして起用され続け、10月3日の対オリックス・バファローズ戦でプロ入り9年目にして初の規定打席に到達した[34]

人物[編集]

  • 普段は温厚な性格だが、記者のある質問で怒鳴ってしまったことがある。2015年3月8日阪神タイガースとのオープン戦終了後、記者から「最近はなかなか結果が出ず、打率は2割を切りそうな状況(試合前は打率.208)だったが?」と質問を受けている最中に、「そんなのじゃない!そんなことにおびえていたら野球にならないから!」と遮った。後日、大田のもとに謝罪に行くと、大田は「あれは違う聞き方があるだろ」と笑って許したという。ちなみに、この記者は2015年シーズンからプロ野球を担当する巨人の記者で、プロ7年目の大田と同い年である。そのため、記事では「“先輩”から学ばせてもらった」と書いている[35]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2009 巨人 3 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2010 2 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2011 12 28 26 4 4 1 0 0 5 3 0 0 1 1 0 0 0 9 0 .154 .148 .192 .340
2012 21 70 63 9 16 4 1 2 28 7 3 2 0 0 7 0 0 15 3 .254 .329 .444 .773
2013 21 38 31 3 5 0 0 0 5 2 1 0 2 1 4 0 1 9 0 .161 .250 .161 .411
2014 44 74 65 14 16 6 0 2 28 12 4 2 0 0 8 1 1 20 2 .246 .338 .431 .769
2015 60 138 130 13 36 7 0 1 46 3 3 2 0 0 7 0 1 39 0 .277 .319 .354 .673
2016 62 119 114 12 23 6 1 4 43 13 0 0 0 1 4 0 0 45 3 .202 .227 .377 .604
2017 日本ハム 118 457 427 41 110 21 1 15 178 46 5 2 0 2 28 0 0 88 14 .258 .302 .417 .719
通算:9年 343 931 863 96 210 45 3 24 333 86 16 8 3 5 58 1 3 227 22 .243 .291 .386 .677
  • 2017年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



一塁 三塁 外野




































2009 巨人 - 2 0 2 0 0 1.000 -
2010 2 15 2 1 0 .944 - -
2011 9 52 3 1 2 .982 2 0 2 0 0 1.000 -
2012 12 83 5 2 8 .978 2 1 0 0 0 1.000 15 21 0 0 0 1.000
2013 - - 16 17 1 0 0 1.000
2014 3 8 0 0 0 1.000 - 37 34 1 0 0 1.000
2015 8 15 0 1 2 .938 - 44 53 0 0 0 1.000
2016 - - 43 49 0 1 0 .980
2017 日本ハム - - 102 196 3 1 0 .995
通算 34 173 10 5 12 .973 6 1 4 0 0 1.000 542 349 5 2 0 .994
  • 2017年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 55 (2009年 - 2013年)
  • 44 (2014年 - 2016年)
  • 33 (2017年 - )

代表歴[編集]

登場曲[編集]

  • 「Closer」Ne-Yo(2009年)
  • 「夏の日の1993」class(2010年)
  • 「GEE」少女時代(2011年)
  • 「ベイビー・アイラブユー」TEE(2011年)
  • 「マジありがとう feat. 吉見一星」LGYankees(2011年)
  • 「銀河鉄道999」ゴダイゴ(2012年 - 2013年)
  • 「やってもないのに」RAY(2013年)
  • 「Empire State of Mind (feat. Alicia Keys)」Jay Z(2014年)
  • 「Here It Is」Flo Rida ft. Chris Brown(2015年)
  • 「Boom Clap」Charli XCX(2015年)
  • 「Street Dreams」Zeebra(2016年)
  • 「You Give Love a Bad Name」Bon Jovi(2017年)
  • 「It's My Life」Bon Jovi(2017年)

脚注[編集]

  1. ^ 日本ハム - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年11月23日閲覧。
  2. ^ 野球小僧』、白夜書房、2008年8月号、48-50頁
  3. ^ 原辰徳に導かれた大田泰示の野球人生。 numberweb 2009年1月29日
  4. ^ 東海大相模・大田通算53号/北神奈川 nikkansports.com 2008年6月15日
  5. ^ 東海大相模大田連発で63号/北神奈川大会 nikkansports.com 2008年7月23日
  6. ^ 阪神、東海大相模・大田がドラフト上位 nikkansports.com 2008年8月10日
  7. ^ G一本! 東海大相模・大田、進学一転「プロ志望届」 zakzak 2008年10月16日
  8. ^ 巨人が大田と仮契約、松井と同じ背番号55 nikkansports.com 2008年11月19日
  9. ^ 巨人1位の大田は“ゴジラ部屋” nikkansports.com 2008年11月22日
  10. ^ 2009年2月5日 スポーツ報知
  11. ^ 巨人大田1軍初打席こん身の空振り三振 nikkansports.com 2009年6月22日
  12. ^ 巨人大田がプロ初1試合2本塁打 nikkansports.com 2009年8月4日
  13. ^ 2009年度イースタン・リーグ個人打撃成績(規定打席以上) 日本野球機構オフィシャルサイト
  14. ^ 2010年度イースタン・リーグ個人打撃成績(規定打席以上) 日本野球機構オフィシャルサイト
  15. ^ 2010年第17回IBAFインターコンチネンタルカップ 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト
  16. ^ 阿部2発!大田、初安打がV打!巨人、今季初3連勝 スポーツニッポン 2011年5月18日付記事
  17. ^ 【巨人】大田が公式戦初の外野守備 nikkansports.com 2011年6月8日
  18. ^ 2011年度イースタン・リーグ個人打撃成績(規定打席以上) 日本野球機構オフィシャルサイト
  19. ^ 巨人大田、外野一本で勝負! スポーツ報知 2011年11月6日
  20. ^ 阿部、大田に4つのノルマ!「今年ダメならやめろ」 スポーツ報知 2012年1月4日
  21. ^ 大田「失う物ない」開幕1軍へ起死回生1号! スポーツ報知 2012年3月21日
  22. ^ 大田、プロ4年目初の開幕1軍!2軍戦で祝砲!! スポーツ報知 2012年3月28日
  23. ^ 大田、高口が2軍に降格!加治前、中井が昇格 スポーツ報知 2012年4月10日
  24. ^ 大田1軍即先発でV打…人生変わるかも nikkansports.com 2012年9月2日
  25. ^ 【巨人】大田が自転車で転倒し負傷流血 日刊スポーツ 2013年10月5日
  26. ^ a b 巨人史上最も期待された男の現在ライブドアニュース 2016年11月5日閲覧
  27. ^ 背番号「55」から「44」へ 背負い続けた「松井の後継者」の重圧から解放される大田 産経ニュース 2013年12月8日
  28. ^ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 阪神・巨人連合チーム出場選手発表 阪神タイガース公式サイト (2014年10月21日) 2015年5月26日閲覧
  29. ^ 巨人・大田 大谷から先頭打者弾も・・・お返し2三振「やられました」スポニチSponichi Annex.2016年6月6日
  30. ^ 電撃トレード! 大田&公文と日本ハム・吉川&石川慎の2対2で成立 スポーツ報知 2016年11月2日
  31. ^ 巨人から日本ハム入りの大田泰示、背番号は33 「いい番号いただいた」 デイリースポーツ 2016年11月23日
  32. ^ 日本ハム大田泰示、待望の移籍後初アーチ!「勢いづけられる一発になれば」 ベースボールキング 2017年4月29日
  33. ^ 日本ハム、大田泰示のサヨナラ打で劇的勝利…ロッテは益田直也が誤算 2017年5月3日
  34. ^ “【日本ハム】大田、9年目で初の規定打席到達「栗山監督のおかげ、感謝しかない」”. スポーツ報知. (2017年10月3日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20171003-OHT1T50197.html 2017年10月5日閲覧。 
  35. ^ 谷川直之 (2015年3月17日). “寛大な大田を怒らせてしまった質問…同い年から学ばせてもらった事”. サンケイスポーツ. 2015年3月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年3月17日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]