伊藤義弘

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伊藤 義弘
Yoshihiro Ito 2010.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県福岡市早良区
生年月日 (1982-06-02) 1982年6月2日(34歳)
身長
体重
177 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト4巡目
初出場 2008年3月25日
年俸 2,400万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊藤 義弘(いとう よしひろ、1982年6月2日 - )は、福岡県福岡市早良区出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

東福岡高校では2年生だった1999年に二番手投手を務め、県大会で7試合中6試合にリリーフとして登板し選手権大会へ出場している[1]。本大会では初戦で青森山田に敗れた。3年夏には140km/h近い速球カーブを武器にエースとなった[2]が、県大会準々決勝で香月良太を擁する柳川に7回コールドで敗れている[3]

國學院大學に進学後、球速が150km/h近い速球派投手として注目された。大学卒業後の2005年JR東海へ入社。2006年には中須賀諭とともに都市対抗出場の原動力となった。2007年はチームは本大会出場を逃したものの、王子製紙の補強選手として都市対抗に出場[4]、ベスト8入りに貢献した。

2007年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから4巡目で指名。契約金6,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した[5]。なお、入団を機に、この年限りで現役を退いた小林雅英から背番号30を引き継いでいる。

ロッテ時代[編集]

2008年には、前年まで救援陣を担っていた小林などの3投手(YFK)が揃ってチームを離れたことを背景に、救援要員としてキャンプから期待され[6]、オープン戦では危険球で退場処分を受けた後も内角を攻めるなど強気の姿勢を見せた[7]。新人ながら開幕一軍入りを果たし、チーム4位の51試合に登板、防御率3.05の成績を収めた。序盤は大差で負けている場面での登板も多かったが、終盤は勝ち試合での継投に組み込まれ、勝敗はないながら9ホールドを挙げた。

2009年も好調を維持し、前年を上回るチーム最多の56試合に登板した。防御率4.55・2勝6敗と不安定ながらも12ホールドを挙げるなど、徐々に中継ぎ投手としての地位を確立している。

2010年には、右肩痛で離脱した時期もあったが、勝ち試合の一員として登板し、最終戦では抑えを任されるなど、65試合に登板する大車輪の活躍を見せた。中日ドラゴンズとの日本シリーズでは4試合に登板。第4戦では大島洋平に決勝打を浴びて敗戦投手になったが、第7戦では12回表に犠打を決めて岡田幸文の決勝打に繋げ、投げても2回を抑え、胴上げ投手となった。

2011年には、9月1日の対日本ハム戦で7回1死の場面で打者・陽岱鋼の折れたバットが左すね内側を直撃し、救急車習志野市内の病院に運ばれた。検査の結果「左下腿三頭筋打撲挫創」と診断されている。

2012年には、春季キャンプ中の右肩痛発症を皮切りに、脇腹、右肩、ぎっくり腰、右肘、仙腸関節炎と故障を頻発した。シーズン終盤9月26日の対日本ハム戦でようやく復帰しシーズン初登板。以後6試合の登板にとどまり、プロ入り後続いたシーズン50試合登板が4年で途切れた。

2013年には、開幕一軍入りを果たした。3試合目の登板で6失点を喫したことを境に、投球内容に精彩を欠いたことから、一軍公式戦通算では17試合の登板で10点台の防御率を記録した。なお、9月には右肘関節鏡視下の手術を受けている[8]

2014年には、リリーフ陣に故障者が相次いだ8月に一軍へ昇格。一軍公式戦への登板試合数がプロ入り後最少(5試合)にとどまったが、8月6日の対楽天戦で復帰後初勝利を挙げた[9]

2015年には、一軍公式戦7試合に登板。1ホールドを記録したが、勝敗は付かず、防御率は5.40であった。

2016年には、入団後初めて一軍公式戦への登板機会がなく、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[10]。12月2日、自由契約公示された[11]

ロッテ退団後[編集]

NPB他球団での現役続行や、社会人野球への復帰を希望する[12]一方で、オファーがなければ現役を引退する意向を示した[13]

2016年11月12日には、阪神甲子園球場で開催の12球団合同トライアウトに参加する[14]と、シートバッティング形式で打者3人と対戦。2人を凡退させる一方で、内村賢介に右前打を許した[15]

さらに、同年11月16日から18日まで、読売ジャイアンツの秋季キャンプ(宮崎県宮崎市)に参加した[16]。ブルペンでの投げ込み主体の入団テストに臨んだが、合格に至らなかったため[17]、テスト終了後の11月19日に現役を引退することを表明した[18]

現役引退後[編集]

体育教師になることを目標[18][8]に、教員免許を取得する目的で、2017年から改めて大学へ進む予定。伊藤によれば、「トライアウトを受けたうえに、(巨人への入団)テストまで呼んでもらったので、選手生活への未練は全くない。今後は、『野球を教える』というよりも、JR東海やロッテ時代に得た社会経験を還元するために中学校高等学校の教師になりたい」という[19]

選手としての特徴・人物[編集]

平均球速約144km/h[20]、最速153km/hの速球[21]スライダーシュートを投げた[7]が、2013年に右肘の手術を受けてからは球速が低下していた[8]

25歳でロッテに入団したため、入団直後から現役引退後の生活を模索。巨人への入団テストで不合格を通告されたことを機に、体育教師への転身を即断した。東福岡高校で3年間にわたって体育の授業で指導を受けた藤田雄一郎(現在は同校ラグビー部の監督)や、ロッテ入団時の一軍監督だったボビー・バレンタインからの影響で、「選手に考えさせる指導法」や「選手が失敗しても怒らないコミュニケーション法」に興味を持ったことによるという[8]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2008 ロッテ 51 0 0 0 0 0 0 0 9 ---- 253 59.0 55 1 23 2 3 52 5 0 24 20 3.05 1.32
2009 56 0 0 0 0 2 6 0 12 .250 261 57.1 62 6 24 4 6 63 3 0 32 29 4.55 1.50
2010 65 0 0 0 0 1 2 1 30 .333 272 64.2 55 2 26 0 2 65 2 0 27 25 3.48 1.25
2011 50 0 0 0 0 1 1 0 15 .500 227 55.0 49 2 18 0 2 48 1 0 17 14 2.29 1.22
2012 6 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 24 6.0 8 0 1 0 0 3 0 0 4 2 3.00 1.50
2013 17 0 0 0 0 1 3 0 2 .250 95 18.2 32 1 9 0 0 14 0 0 23 22 10.61 2.20
2014 5 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 23 5.0 4 0 3 0 1 3 0 0 0 0 0.00 1.40
2015 7 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 33 6.2 8 1 1 0 4 1 0 0 4 4 5.40 1.35
通算:8年 257 0 0 0 0 6 13 1 71 .316 1188 272.1 273 13 105 6 18 249 11 0 131 116 3.83 1.39
  • 2015年度シーズン終了時

記録[編集]

  • 初登板:2008年3月25日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1/3回無失点
  • 初奪三振:同上、8回裏に田上秀則から空振り三振
  • 初ホールド:2008年3月26日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、6回裏無死に3番手で救援登板、2回無失点
  • 初勝利:2009年4月30日、対オリックス・バファローズ6回戦(千葉マリンスタジアム)、10回表に3番手で救援登板・完了、2回無失点
  • 初セーブ:2010年10月1日、対オリックス・バファローズ24回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点

背番号[編集]

  • 30 (2008年 - 2016年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 朝日新聞、1999年8月1日付朝刊、福岡地方面
  2. ^ 朝日新聞、2000年6月13日付朝刊、福岡地方面
  3. ^ 朝日新聞、2000年7月26日付朝刊、福岡地方面
  4. ^ 毎日新聞、2007年7月13日付朝刊、P.23
  5. ^ 読売新聞、2007年12月4日付朝刊、P.22
  6. ^ 読売新聞、2008年2月15日付朝刊、P.15
  7. ^ a b 読売新聞、2008年3月16日付朝刊、P.25
  8. ^ a b c d “【決断】ロッテ・伊藤 夢は体育教師 きっかけはラグビー部監督とボビー”. スポーツニッポン. (2016年12月6日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/12/06/kiji/K20161206013853710.html 2016年12月8日閲覧。 
  9. ^ ロッテ伊藤 手術乗り越え感激1勝「応援で泣きそうに」スポーツニッポン 2014年8月7日付記事
  10. ^ 来季契約について”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
  11. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  12. ^ “ロッテ伊藤が現役続行を希望「トライアウトがある」”. 日刊スポーツ. (2016年10月1日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1718284.html 2016年11月17日閲覧。 
  13. ^ “【ロッテ】伊藤ら6人に戦力外通告「覚悟はあった。トライアウトには参加します」”. スポーツ報知. (2016年10月1日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161001-OHT1T50091.html 2016年11月17日閲覧。 
  14. ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.htmlv 2016年11月13日閲覧。 
  15. ^ “前阪神・鶴は3人をピシャリ トライアウト・シート打撃 午前の部”. デイリースポーツ. (2016年11月12日). http://www.daily.co.jp/baseball/2016/11/12/0009659720.shtml 2016年11月17日閲覧。 
  16. ^ “【巨人】ロッテ戦力外の伊藤、入団テストで41球「トライアウトより緊張」”. スポーツ報知. (2016年11月17日). http://www.hochi.co.jp/giants/20161116-OHT1T50244.html 2016年11月17日閲覧。 
  17. ^ “【巨人】入団テスト受験の前ロッテ・伊藤義弘に不合格通達”. スポーツ報知. (2016年11月20日). http://www.hochi.co.jp/giants/20161116-OHT1T50244.html 2016年11月20日閲覧。 
  18. ^ a b “ロッテ戦力外の伊藤が引退 巨人入団テストも不合格”. 日刊スポーツ. (2016年11月20日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1740551.html 2016年11月20日閲覧。 
  19. ^ “ロッテ戦力外の伊藤義弘 引退表明「未練まったくない」 教員目指し大学へ”. スポーツニッポン. (2016年11月20日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/20/kiji/K20161120013759050.html 2016年11月20日閲覧。 
  20. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、81頁。ISBN 978-4-905411-04-8
  21. ^ 毎日新聞、2007年11月20日付朝刊、愛知地方面

関連項目[編集]

外部リンク[編集]