上野弘文

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上野 弘文
20130908 Hirohumi Ueno, pitcher of the Hiroshima Toyo Carp, at Yokohama Stadium.JPG
2013年9月8日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県奄美市
生年月日 (1981-04-10) 1981年4月10日(37歳)
身長
体重
176 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2007年3月30日
最終出場 2014年5月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

上野 弘文(うえの ひろふみ、1981年4月10日 - )は、鹿児島県奄美市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

朝日中学校では軟式野球部に所属。高校時代、1998年センバツ(初戦敗退)、1999年夏の甲子園(準決勝進出)に出場。高校では鶴岡慎也が同級生、青野毅が一学年下にいた。社会人時代は安藤優也川岸強金子千尋吉見一起らと同僚であった。2006年には抑えのエースとして都市対抗野球大会に出場。

2006年11月21日の大学生・社会人ドラフトで、広島東洋カープより3巡目指名を受ける。強行指名だったため、上野を説得すべく監督のブラウンは会議終了を待たずにすぐ交渉へと大阪へ向かった。12月1日に仮契約。最速151キロの速球に、力でねじふせる剛腕で、精神面もタフ。目標の投手は、トヨタ自動車の先輩でもある阪神・安藤優也

プロ入り後[編集]

2007年7月15日の巨人戦で、2対2の8回裏に三番手として登板し、1回を2三振を含む三者凡退に抑えた。その後、9回に代打嶋重宣のタイムリーで勝ち越し、初勝利をあげた。

2008年は開幕一軍こそならなかったが、二軍の抑えとして好成績を残し、シーズン中盤に一軍昇格。

2009年は8試合の登板で防御率7点台と不調だった。

2010年は、チームの他の中継ぎ投手に故障者が相次いだため一時期抑え投手を務め、プロ初セーブを含む2セーブを記録した。

2011年は31試合に登板したが防御率は5.53だった。2012年より背番号が19から12に変更された。このシーズンは一軍登板機会がなかった。

2013年は防御率7点台と打ち込まれ、オフに背番号が41に変更された。その一方二軍では防御率2点台と活躍し、守護神を務めた。

2014年、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[1]。現役を引退し、秋季キャンプから打撃投手として球団に残留する[2]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2007 広島 31 0 0 0 0 1 1 0 7 .500 132 28.0 34 3 15 0 3 21 1 1 16 14 4.50 1.75
2008 42 0 0 0 0 2 2 0 8 .500 220 48.2 59 5 19 4 1 29 1 0 28 26 4.81 1.60
2009 8 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 36 7.2 13 1 1 0 0 3 1 0 6 6 7.04 1.83
2010 27 0 0 0 0 1 2 2 7 .333 121 27.1 34 7 8 0 1 11 0 0 17 15 4.94 1.54
2011 31 0 0 0 0 2 2 0 4 .500 128 27.2 32 3 11 2 2 19 1 0 17 17 5.53 1.55
2013 14 0 0 0 0 2 0 0 1 1.000 79 16.2 25 3 6 0 3 10 0 1 13 13 7.02 1.86
2014 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 12 2.0 5 0 2 0 0 0 0 0 3 3 13.50 3.50
通算:7年 154 0 0 0 0 8 7 2 27 .533 728 158.0 202 22 62 6 10 93 4 2 100 94 5.35 1.67
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

背番号[編集]

  • 19 (2007年 - 2011年)
  • 12 (2012年 - 2013年)
  • 41 (2014年)
  • 103 (2015年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 来季の選手契約について広島球団公式サイト2014年10月2日配信
  2. ^ 中国新聞、2014年12月1日、12面。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]