山内壮馬

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山内 壮馬
東北楽天ゴールデンイーグルス #69
S yamauchi20160616.jpg
東京ドームにて(2016年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県豊田市
生年月日 1985年7月1日(31歳)
身長
体重
181 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 2008年7月23日
年俸 1,200万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山内 壮馬(やまうち そうま、1985年7月1日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する愛知県豊田市出身のプロ野球選手投手)。手すき和紙作家で重要無形文化財保持者(人間国宝)の山内一生は、祖父の義弟に当たる[1]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

一家を挙げての中日ドラゴンズファンで、実父は同球団の納会や東海クラシックの女子トーナメントにも使われている新南愛知カントリークラブ[2]の支配人[3]。このような家庭環境の下で、「中日のエースになりたい」という理由から、小学生時代に野球を始めた。

豊田市立梅坪台中学校への在学中までは、投手兼捕手としてプレー[1]杜若高等学校への進学後は、硬式野球部で投手に専念するとともに、同級生で左腕投手の長谷部康平とエースの座を争っていた。3年生時には甲子園愛知県予選でベスト4まで駒を進めたものの、豊川高校の2年生エース森福允彦の前に完封負けを喫し、甲子園出場はならなかった。

名城大学法学部への進学後は、1年先輩の清水昭信らとともに同大野球部を支え、3年時の全日本大学野球選手権大会ではベスト8進出に貢献した。愛知大学1部リーグで通算6勝8敗、2部リーグで9勝3敗。4年生秋に2部リーグで最優秀選手、最優秀防御率を受賞した。

2007年の大学・社会人ドラフト会議で、中日から1位指名を受けて入団。名城大学からのドラフト1位指名選手は1979年藤原保行近鉄バファローズ)以来2人目で、中日には前年6位指名の清水に次ぐ2年連続の入団になった。担当スカウトは中原勇一[1]で、入団当初の背番号は26。この番号は、中日の前身・名古屋軍で第二次世界大戦前最後のノーヒットノーランを達成した石丸進一の背番号でもあった。

プロ入り後[編集]

中日時代[編集]

2008年には、7月21日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、2日後の23日に地元・ナゴヤドームでの対広島東洋カープ戦で救援投手として一軍公式戦初登板。8月3日の登録抹消を経て、9月14日に再び登録されると、同日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)で一軍での先発デビューを果たした。しかし、横浜打線に3本の本塁打を許すなど、4回裏までに4点を失って降板。降板の直後には、試合が続いていたにもかかわらず、一軍監督の落合博満から名古屋への帰還を命じられた。結局、わずか1日で再び登録を抹消されると、そのまま二軍でシーズンを終えた。

2009年には、春季キャンプのスタートを一軍で迎えながら、途中で二軍に降格。一軍公式戦にはわずか1試合の登板で、2年連続の未勝利に終わった。シーズン終盤の9月25日から年末までは、チームメイトの長峰昌司谷哲也と共に、ドミニカ共和国ウィンターリーグへ派遣されている[4]

2010年には、4月25日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)に先発すると、6回を2失点という内容で一軍初勝利を挙げた。また、シーズン終了後の12月24日には入籍している。

2011年には、プロ入り後初めて、開幕を一軍で迎えた。4月27日の対横浜戦(豊橋市民球場に先発すると、6回雨天コールドゲームながら、一軍初完封勝利を達成。シーズン全体では、この試合を含めて、対横浜戦での先発で同球団のエース・三浦大輔と互角の投げ合いを演じることが多かった。結局、一軍公式戦では自己最多の3勝を記録。先発ローテーションの谷間の試合を任されながら、防御率1点台という投球内容で存在感を示した。

2012年には、開幕から一軍の先発ローテーションに定着。4月5日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)に7回無失点でシーズン初勝利を挙げたことを皮切りに、シーズンを通じてローテーションを守った結果、チームの投手では唯一一軍の規定投球回数に達した。さらに、9月16日の対広島戦で、自身初のシーズン10勝を記録。シーズン通算では、一軍公式戦24試合の登板(すべて先発)で、10勝7敗、防御率2.43という好成績を残した。なお、4月9日には、第1子の誕生を公表している[5]

中日時代の山内の投球フォーム
(2013年4月21日、横浜スタジアム)

2013年も開幕ローテーション入りを果たすと、先発で登板した4月21日の対DeNA戦(横浜)の打席で、三浦から一軍初本塁打を放った。しかし、初回からの大量失点や不用意な四球による自滅が相次いだことに加えて、左背筋を痛めたことで5月13日に登録を抹消。その後にいったん一軍へ復帰したが、6月9日に再び登録を抹消されると、8月28日に右肘遊離軟骨の除去手術と右肘関節内のクリーニング手術を受けた。復帰までに2~3ヶ月を要する手術だったため、そのままシーズンを終了[6]。一軍公式戦には9試合に先発したものの、2勝4敗、防御率5.54という成績に終わった。

2014年には、オープン戦からの不振で開幕一軍入りを逃した。4月3日には、シーズン初の出場選手登録を経て、京セラドーム大阪での対阪神戦に先発で登板。しかし、4回を投げて8被安打5四球7失点という内容だったため、谷繁元信選手兼任一軍監督から「相手と勝負する前に、勝負になってなかった」[7]という苦言を呈された。翌4日に登録を抹消されると、一軍復帰を果たせないまま、シーズン終了後に背番号を59へ変更している。

2015年には、プロ入り後初めて一軍公式戦への登板機会がなく、10月4日に球団から戦力外通告を受けた[8]。しかし、右肘の手術を受けてから一軍で結果を出せていないことへの心残りが強かったことから、11月10日には、シートバッティング形式の12球団合同トライアウト草薙球場)に参加。1四球を与えながらも、打者3人を無安打に抑えた[9]。ちなみに、このトライアウトでNPB他球団への移籍に至らなかった場合には、イタリアンベースボールリーグでのプレーを検討していたという[10]

楽天時代[編集]

2015年11月12日から、栗原健太(前・広島)、川本良平(前・千葉ロッテマリーンズ)、金無英(前・福岡ソフトバンクホークス)と共に、入団テストを兼ねて東北楽天ゴールデンイーグルスの秋季キャンプに参加[11]。捕手出身の梨田昌孝一軍監督から「動くボールが持ち味で、コントロールもいい」という評価を受けた。同月15日には、梨田が紅白戦の終了後に、約4200人の観衆の前で山内を含む4人全員の合格を発表[12]12月7日には、本拠地・楽天koboスタジアム宮城敷地内の「イーグルスドーム」で、栗原、川本、金と揃って入団記者会見に臨んだ[13]。背番号は69

選手としての特徴[編集]

平均球速約136km/h[14]速球は打者の手元で沈むクセ球であり[5]、変化球はスライダーシュートなどを投げる[15]

人物[編集]

杜若高校の同級生だった長谷部とは親友である[16]

山内自身は、長谷部と一緒に中日へ入団することを望んでいた。自身の指名の直後には、中日でチームメイトになれなかったことに複雑な思いを抱えながらも、「(パシフィック・リーグに加盟する楽天に長谷部が入団した場合には、セントラル・リーグの代表チームの一員として)日本プロ野球の頂点である日本シリーズで長谷部と投げ合いたい」とコメント[1]。自身の中日入団が決まった際には、長谷部より先に一軍の先発で勝利することを目標に挙げていた。ただし実際には、長谷部が山内より1年早く、2009年4月30日北海道日本ハムファイターズ戦(クリネックススタジアム宮城)で先発投手としての一軍初勝利を記録。また、長谷部が2013年の日本シリーズで1試合登板しているのに対して、山内は2015年までの時点で同シリーズでの登板を経験していない[17]。なお、山内が前述の経緯で楽天へ入団したことによって、2016年シーズンからは再び長谷部のチームメイトになる。

中日入団の時点では、名城大学で取得した単位の数が、卒業認定の要件を満たしていなかった。しかし、「せっかく大学に入って、いろんな方にお世話になったので、どうしても卒業したかった」との思いから、残した単位を入団後少しずつ取得。休学と復学を繰り返しながら、入団6年目の2014年2月初旬に最後の2単位を取得できたため、同大学から正式に卒業を認められた。山内によれば、プロ入り後の6年間は野球最優先の生活を送る一方で、単位の取得に必要なレポートを空き時間に作成していたことがあったという[18]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2008 中日 4 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 38 9.1 9 3 2 0 0 12 0 0 6 6 5.79 1.18
2009 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 1.1 3 0 0 0 0 0 0 0 2 2 13.50 2.25
2010 6 6 0 0 0 2 1 0 0 .667 146 35.0 24 2 18 0 1 18 0 0 13 8 2.06 1.20
2011 11 9 1 1 0 3 2 0 1 .600 252 62.1 46 6 20 0 2 31 0 0 14 12 1.73 1.06
2012 24 24 0 0 0 10 7 0 0 .588 589 148.0 128 8 32 1 4 68 4 0 42 40 2.43 1.08
2013 9 9 0 0 0 2 4 0 0 .333 234 50.1 68 8 24 2 1 22 3 0 34 31 5.54 1.83
2014 1 1 0 0 0 0 1 0 0 ---- 26 4.0 8 1 5 0 0 2 1 0 7 5 11.25 3.25
NPB:7年 56 50 1 1 0 17 15 0 1 .531 1292 310.1 286 28 101 3 8 153 8 0 118 104 3.02 1.25
  • 2015年度シーズン終了時

記録[編集]

投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 26 (2008年 - 2014年 )
  • 59 (2015年)
  • 69 (2016年 - )

登場曲[編集]

  • 『Only God Can Judge Me』AK-69(2010年~)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d “【ドラニュース】竜1巡目、山内壮を指名 大学生・社会人ドラフト”. 中日スポーツ. (2007年11月20日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200711/CK2007112002065665.html 
  2. ^ “谷繁監督、若手出てこい”. 中日スポーツ. (2013年11月30日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201311/CK2013113002000087.html 
  3. ^ 日刊ゲンダイ』2015年12月22日付29面記事「ドラフト1位が見た天国と地獄」より
  4. ^ 中日ドラゴンズ 公式サイト - ドラゴンズニュース ★ドミニカ ウインターリーグに出発 - 2009年9月25日配信、2015年10月11日閲覧
  5. ^ a b “新米パパ”山内が好投で中日リーグ10勝一番乗り”. スポニチ Sponichi Annex (2012年4月21日). 2012年4月22日閲覧。
  6. ^ “【ドラニュース】壮馬、右肘手術”. 中日スポーツ. (2013年8月18日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201308/CK2013081802000093.html 
  7. ^ 【谷繁監督、虎戦後一問一答】山内は勝負になってなかった”. サンスポ SANSPO.COM (2014年4月3日). 2014年4月3日閲覧。
  8. ^ 中日ドラゴンズ 公式サイト - ドラゴンズニュース ★来季の契約について - 2015年10月4日配信、10月6日閲覧
  9. ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html 
  10. ^ “中日戦力外の山内壮馬がイタリア挑戦も”. デイリースポーツ. (2015年10月5日). http://www.daily.co.jp/baseball/2015/10/05/0008457137.shtml 
  11. ^ “前広島栗原、楽天秋季キャンプ合流即柵越え4本”. 日刊スポーツ. (2015年11月13日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1565545.html 2015年11月13日閲覧。 
  12. ^ “前広島栗原ら楽天入団、梨田監督がファンの前で発表”. 日刊スポーツ. (2015年11月15日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1566608.html 2015年11月16日閲覧。 
  13. ^ 新加入選手(栗原健太選手・川本良平選手・山内壮馬選手・金無英選手)の入団会見について2015年12月7日 東北楽天ゴールデンイーグルス・オフィシャルサイト
  14. ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2013年、27頁。ISBN 978-4-905411-11-6
  15. ^ 中日山内あっぱれ初星7回無失点”. 日刊スポーツ (2012年4月6日). 2016年6月29日閲覧。
  16. ^ 【楽天】長谷部、400万円減で更改「何も貢献できず、悔しい」”. スポーツ報知 (2015年11月14日). 2016年6月29日閲覧。
  17. ^ ただし、中日がセントラル・リーグの優勝によって進出した2011年の日本シリーズには、山内も出場資格を有していた(参照)。
  18. ^ 中日スポーツ2014年2月19日付コラム「ドラ番記者」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]