大田卓司

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大田 卓司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県津久見市
生年月日 (1951-03-01) 1951年3月1日(66歳)
身長
体重
170 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1968年 ドラフト9位
初出場 1969年9月14日
最終出場 1986年10月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

大田 卓司(おおた たくじ、1951年3月1日 - )は、大分県津久見市出身の元プロ野球選手外野手)・監督、野球指導者である。

経歴[編集]

津久見高校では、通算打率4割2分、本塁打17本をマーク、遠投が100㍍、走力は100㍍12秒台と強打、強肩、俊足と三拍子そろった選手だった。1967年、2年の時に左翼手として春の選抜に出場。吉良修一の好投もあって決勝に進出。延長12回の熱戦の末、弘田澄男のいた高知高を2-1で降し初優勝を飾った[1]。翌1968年夏の甲子園では主将、中堅手として、エース石井吉左衛門(鐘淵化学)を擁し3回戦に進出するが、盛岡第一高校に敗れる[2]

同年のドラフト9位で西鉄ライオンズに入団。1972年に頭角を現わし、外野手として65試合に先発出場、12本塁打を放つ。その後はやや低迷するが代打などで実績を積み、1976年には開幕から三番、指名打者に起用される。同年は初めて規定打席(17位、打率.270)に達し、23本塁打を放つ。同年のベストナイン(指名打者)にも選出された。1980年からは田淵幸一が指名打者に定着したため、外野手も兼ねて出場。小柄な体格ながら「必殺仕事人」の異名を取る勝負強い打撃で、東尾修と共に弱小時代から黄金時代に至るまでのライオンズを支え続けた。

1982年、監督に広岡達朗が就任早々「彼は落伍者です」の烙印を押され腐りかけたが、同年のリーグ前期制覇・プレーオフ及び日本シリーズ制覇には多大の貢献を成した。特にプレーオフ第1・2戦においては日本ハムの抑えの切り札・江夏豊から2日連続で勝ち越し適時打を放つなど活躍し、1982年の日本ハムとのプレーオフ及び1983年の巨人との日本シリーズではMVPに輝いた。1983年には2度目の規定打席(11位、打率.297)に達する。1986年限りで現役引退。

引退後はフジテレビ文化放送解説者1987年 - 1989年)を経て、福岡ダイエーホークス一軍打撃コーチ(1990年 - 1995年)を6年間務め、吉永幸一郎浜名千広村松有人小久保裕紀を育てた。1996年からは、数年間同球団の編成部に所属。スカウトとして井口資仁松中信彦らの入団に尽力した。退団後は西日本スポーツの評論家となる。

2004年には台湾に渡り、中華職業棒球聯盟La Newベアーズの監督を務めた(投手コーチは、ライオンズ時代の同僚である加藤初)。前期のみで退任して帰国、再び西日本スポーツの評論家となった。

2007年韓国プロ野球SKワイバーンズの一軍打撃コーチを務めた。

2008年東京ヤクルトスワローズの一軍打撃コーチに就任。首痛を患ったことで4月20日より土橋勝征と入れ替わって二軍の担当となった。翌2009年、そのまま二軍打撃コーチに就任。2010年5月17日に一軍の打撃不振解消のため、一軍担当に昇格することを要請されたが、体調不良を理由に固辞した(その後一軍には5月23日伊勢孝夫打撃アドバイザーが加入、8月1日から一二軍巡回打撃コーチに正式就任)。同年退団[3]

エピソード[編集]

  • 無口な性格で、ベンチでもほとんど声を発することがなかった。ある日、西武に移籍してきた野村克也が「なんで物言わんのや?」と尋ねたところ、「物言うたら疲れるんです」と答えたという。
  • 1984年のアメリカ・アリゾナキャンプで、広岡の「禁酒・禁煙」にも関わらず、ビールを飲んでいたことがある。
  • ガムが好きで、ベンチでガムを噛んでいる姿がよく見られた。
  • 年末年始に多く放送されたプロ野球選手出演のバラエティ番組では、テレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』を歌った。また、大相撲力士による歌番組で審査員を務めたことがある。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1969 西鉄
太平洋
クラウン
西武
2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1970 23 53 49 5 12 3 0 1 18 2 0 1 1 1 2 0 0 10 0 .245 .269 .367 .636
1971 51 97 92 7 23 2 0 1 28 4 0 1 0 2 3 0 0 26 2 .250 .268 .304 .572
1972 99 286 268 30 67 11 2 12 118 36 3 5 2 2 12 0 2 55 5 .250 .285 .440 .725
1973 82 131 119 11 27 4 0 3 40 21 3 1 0 3 7 2 2 25 1 .227 .275 .336 .611
1974 49 73 61 8 18 3 1 2 29 9 2 2 0 1 10 0 1 13 1 .295 .397 .475 .872
1975 43 87 76 11 21 3 1 5 41 21 1 0 1 2 8 0 0 8 2 .276 .337 .539 .876
1976 118 461 422 51 114 9 1 23 194 68 6 3 6 6 23 0 4 52 15 .270 .310 .460 .770
1977 96 292 273 30 72 6 0 13 117 40 5 1 2 3 13 1 1 41 8 .264 .297 .429 .726
1978 74 122 111 9 36 4 0 2 46 18 0 2 1 2 8 1 0 14 3 .324 .364 .414 .778
1979 91 236 216 31 58 16 1 14 118 38 0 0 0 2 16 2 2 21 6 .269 .322 .546 .868
1980 86 233 207 34 58 6 1 12 102 42 0 1 3 2 17 0 4 29 7 .280 .343 .493 .836
1981 100 366 332 53 92 15 0 24 179 64 3 1 0 5 26 1 3 25 12 .277 .331 .539 .870
1982 106 359 319 41 89 12 0 17 152 58 0 0 1 6 27 3 6 42 12 .279 .341 .476 .817
1983 105 417 397 55 118 18 2 20 200 67 1 1 0 2 14 4 4 29 12 .297 .326 .504 .830
1984 42 151 141 19 29 3 2 5 51 16 0 1 0 1 7 0 2 7 15 .206 .252 .362 .614
1985 88 240 221 27 53 9 0 10 92 38 0 0 0 3 16 0 0 17 11 .240 .288 .416 .704
1986 59 159 153 14 36 6 0 7 63 22 1 0 0 1 4 0 1 15 4 .235 .258 .412 .670
通算:18年 1314 3765 3459 436 923 130 11 171 1588 564 25 20 17 44 213 14 32 430 116 .267 .312 .459 .771
  • 西鉄(西鉄ライオンズ)は、1973年に太平洋(太平洋クラブライオンズ)、1977年にクラウン(クラウンライターライオンズ)、1979年に西武(西武ライオンズ)に球団名を変更

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録

背番号[編集]

  • 44 (1969年 - 1971年)
  • 25 (1972年 - 1986年)
  • 86 (1990年 - 1995年)
  • 73 (2008年 - 2010年)

関連情報[編集]

出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ http://www.yakult-swallows.co.jp/red_mpl/topicsView2.cgi?TYPE=t&SEQ=13010

関連項目[編集]