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成田啓二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
成田 啓二
1950年撮影
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鳥取県米子市
生年月日 1919年1月27日
没年月日 (1985-03-29) 1985年3月29日(66歳没)
身長
体重
173 cm
62 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1950年
初出場 1950年3月10日
最終出場 1951年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

成田 啓二(なりた けいじ、1919年1月27日 - 1985年3月29日)は、鳥取県米子市出身のプロ野球選手投手)。1950年の登録名は「敬二」。

来歴・人物

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米子中学校4年次の1935年、1級先輩の清水秀雄-井上親一郎のバッテリーの活躍で、一塁手として春夏連続で甲子園に出場した(ちなみに井上とは、その後、大学、ノンプロ、プロと共に過ごすことになる)。1936年は山陰大会決勝で鳥取一中に敗れる。

卒業後慶應義塾大学野球部で活躍したのち、大阪鉄道局米子に入る。シベリア抑留を経験したが、その後米鉄に戻り、1949年までプレーする。

1950年国鉄スワローズ結成に伴い入団。球団結成初戦の開幕投手を務めたが、惜しくも敗戦投手となった。寄せ集めだった当時の戦力を考えれば、かなりの好投だったと言われる。プロ入りから初勝利まで11連敗を記録し、これは大東京桜井七之助に並び日本記録である(2007年楽天松崎伸吾も記録)。カーブ、スローカーブやシュートを武器にした。

2年間で退団し大阪鉄道管理局に勤務。天王寺鉄道管理局で監督を務め、都市対抗野球大会に出場した。天王寺鉄道管理局時代の教え子に、大根晃(元大阪タイガース所属の投手)がいる。定年を迎えて地元に帰り、母校で野口裕美ら後輩の指導にあたるとともに、高校野球中継の解説者として多くのファンに親しまれた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1950 国鉄 4512601213----.133766176.11992045--15301110884.471.38
1951 9100011----.5008919.22237--090013114.951.47
通算:2年 5413601314----.176855196.02212352--16201123994.551.39

年度別打撃成績

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O
P
S
1950 国鉄 45666136201112001--4--080.098.154.180.334
1951 9982320052000--1--010.375.444.6251.069
通算:2年 54756959401164001--5--090.130.189.232.421

記録

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  • イニング被本塁打:4 (1950年4月11日) ※NPB最多記録タイ、セ・リーグ最多記録
  • 初登板から白星なしの連敗:11 ※史上2人目 ※桜井七之助松崎伸吾と並びプロ野球記録、シーズン記録としては単独1位
  • 開幕から10連敗:1950年 ※史上2人目

背番号

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  • 11 (1950年 - 1951年)

登録名

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  • 成田 敬二 (なりた けいじ、1950年)
  • 成田 啓二 (なりた けいじ、1951年)

関連項目

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外部リンク

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