片山博視

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片山 博視
東北楽天ゴールデンイーグルス #001
H katayama20160304-2.jpg
さいたま市営浦和球場にて(2016年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県三原郡三原町(現:南あわじ市
生年月日 (1987-04-19) 1987年4月19日(30歳)
身長
体重
191 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手一塁手外野手投手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2008年6月3日
年俸 440万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

片山 博視(かたやま ひろし、1987年4月19日 - )は、兵庫県三原郡三原町(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手投手内野手外野手育成選手)。左投左打。

博視のは、正確には示へんの部分を崩さずにと書く[2]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学3年生から「三原ジャガーズ」で投手一塁手として軟式野球を始める。三原町立三原中学校では3年時にエースとして全国大会8強入りを果たす。

報徳学園高校入学後に硬式野球を始め、1年の秋頃からエースで4番となる。2年時には春のセンバツ夏の甲子園に連続出場。春は東海大山形高校と、夏は涌井秀章擁する横浜高校と対戦し、いずれも初戦敗退。3年夏は兵庫県大会で自己最多の1試合17奪三振を記録したが5回戦敗退。4番として高校通算36本塁打を記録した打者としての評価も高く、投手・野手両方でドラフト上位指名での入団が可能と言われ、ドラフトに際しては日米合わせて10数球団に注目されていた。

2005年の高校生ドラフト会議では、1巡目で東北楽天ゴールデンイーグルス広島東洋カープが指名したため、抽選の末に楽天が交渉権を獲得。投手として入団した。背番号は「28」。

投手時代(QVCマリンフィールド 2013年5月12日)

プロ入り後[編集]

2006年には、シーズン早々に出場選手登録を果たしたものの、一軍公式戦への登板機会はなかった。投球フォームが固まらないことや、左肘を故障したことから、二軍でも事実上体力の強化に専念。イースタン・リーグ公式戦には1試合に登板したが、打者6人に5被安打1与死球という内容で6点を失った末に、1死も取れずに降板した。

2007年には、一軍のレギュラーシーズン最終戦の直前に出場選手登録を果たしたが、最終戦への登板は見送られた。イースタン・リーグ公式戦では、4試合(15イニング)の登板にとどまりながら、防御率1.80を記録。シーズン終了後のフェニックスリーグでは、先発投手として4勝を挙げた。

2008年には、6月に3日の対阪神タイガース戦(クリネックススタジアム宮城)に救援投手として一軍デビューを果たすと、高校時代の地元・甲子園球場で開かれた18日の同カードで一軍初先発。7月2日の対千葉ロッテマリーンズ戦(クリネックススタジアム宮城)に先発すると、被安打3という好投で一軍初勝利・初完投・初完封を記録した。また、フレッシュオールスターゲームでは、イースタン・リーグ選抜の2番手投手として登板。リーグ戦の後半に先発で中盤に崩れることが相次いだため、一軍公式戦では通算で2勝7敗という成績に終わった。もっとも、この年チームに在籍していた左腕投手のうち、一軍公式戦の先発で勝利を挙げたのは片山(2試合)だけであった。

2009年には、オープン戦で好投していたが、後に左中指の深指屈筋を挫傷。公式戦の開幕直前から6週間のノースロー調整を余儀なくされた影響で、一軍公式戦への登板機会はなかった。12試合に登板したイースタン・リーグ公式戦でも、3勝5敗、防御率5.52という成績にとどまっている。

2010年には、マーティー・ブラウン新監督からリリーフへの適性の高さを見出されたことを機に、一軍の救援陣に定着。シーズン当初はロングリリーフを任されたり、ビハインドの局面で起用されたりしながら、登板の機会を重ねた。セットアッパーの左腕投手・有銘兼久が故障で離脱してからは、セットアッパーに抜擢。与四死球が多い割に被安打が少なかったことから、通算53試合の登板で、防御率1.88という好成績を残した。

2011年には、前年に続いて左のセットアッパーとして活躍。一軍公式戦には、チーム最多の59試合に登板すると、パシフィック・リーグ7位の25ホールドポイントを記録した。一方で防御率は3.43と前年度よりも悪化したが、これはシーズン唯一の先発登板試合だった6月5日ヤクルト戦(神宮)で4回裏にリーグワースト記録の1イニング10失点を喫した[3]ためで、救援登板のみでの通算防御率は1.84と低かった[3]。なお、シーズン終了後には、井坂亮平と共にオーストラリアウィンターリーグに派遣[4]。リーグ戦で人生初のセーブを挙げた[3]

2012年には、開幕から調子が上がらず、出場選手登録と抹消を繰り返した。シーズン後半にサイドスロー風の投球フォームに変更。一軍公式戦には41試合に登板したが、勝利は付かず、防御率も3.77に達した。

2013年には、一軍公式戦31試合の登板で、3勝1敗、防御率3.03を記録。しかし、レギュラーシーズン後半の故障で9月1日に出場選手登録を抹消されたため、チーム初のパシフィック・リーグ優勝の輪には加われなかった[5]クライマックスシリーズ日本シリーズへの登板機会もなかったが、チームの日本シリーズ制覇で臨んだ台湾でのアジアシリーズでは、準決勝の統一ライオンズ戦(11月19日)に2番手投手として初登板。2回裏無死1・3塁から7回裏終了までのロングリリーフを、3被安打1失点で凌いだ[6]

2014年には、春季キャンプ前の自主トレーニングから、先発投手への本格転向を視野に調整[7]していた。しかし、3月のオープン戦で左肘痛を発症したため、5月中旬までは患部のリハビリに専念していた[8]7月30日にシーズン初の出場選手登録を果たしたが、一軍公式戦への登板はオール救援で4試合にとどまった。シーズン終了後の契約交渉では、翌2015年の契約に対して、NPB野球協約で定められている減俸の上限(年俸1億円未満の場合には25%)を適用することを球団から通告。結局、推定年俸2,250万円(750万円減)で契約を更改した[9]

投手から野手への転向後(2015年 さいたま市営浦和球場)

2015年には、春季キャンプの第1クールで左肘痛が再発したため、2月9日に一軍監督の大久保博元へ野手転向を志願。翌10日には、内野手へ転向することや、背番号を91に変更することが球団から発表された[10]。公式戦の開幕後は、野手としての経験を二軍で積むことに専念。イースタン・リーグ公式戦には、49試合の出場で、打率.238、1本塁打、11打点という成績を残した。また、27試合で一塁、7試合で外野の守備に就いている。なお、10月4日には、支配下選手登録を解除することを球団から通告。11月9日には、育成選手として再び契約を結んだことや、背番号を001に変更することが球団から発表された[11]

2016年には、春季キャンプのスタートから野手として参加。キャンプ中の紅白戦では、バックスクリーンを越える場外本塁打(推定飛距離150メートル)を放った。しかし、投手時代に痛めていた左肘の回復が著しいことから、投手として一軍復帰を目指すことを決意。公式戦開幕直後の3月31日には、再び投手へ転向することが球団から発表された[12]。10月31日には、育成選手に関するNPBの規約によって、自由契約選手として公示[13]。公示後に、育成選手としての再契約に至った。

2017年には、レギュラーシーズンの開始前に、左肘内側側副靱帯の損傷と左肘頭の疲労骨折が判明。3月16日には、この靱帯を再建する手術を受けた。遊離体の摘出や左上腕骨の固定を伴う手術で、全治に10ヶ月を要する見込み[14]。そのため、実戦登板の機会がないまま、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[15]。これに対して、片山はNPB他球団での現役続行を視野に、12球団合同トライアウトへ参加する意向を示している。

選手としての特徴[編集]

投手としては、190cmを超える長身から投げる平均球速約141km/h[16]、最速147km/hのストレートに、2種類のスライダースローカーブチェンジアップフォークボールを投げる技巧派サウスポー。スライダーについては、楽天への入団後のインタビューで、「一番得意なボール」と答えている[17]。2012年頃からは、ストレートとスライダーを軸にシュートやチェンジアップを組み合わせる一方で、カーブをほとんど投げなくなった[18]。ストレートは「綺麗な真っ直ぐではなく、ボールが自然に動く」と語っており[17]、目立つほどの球速ではないが、ストレートの被打率は2008年度のパシフィック・リーグ投手5傑に入った。ただし、左投手ながらも左打者が苦手[18]。片山自身は、変化球の失投を痛打されることが多いことや、与四死球が多いことを課題に挙げていた[17]

その一方で、高校時代に通算36本塁打を記録するほどの長打力や、野手としての潜在能力も注目されていた。楽天への入団後には、ブラウンの前任監督・野村克也が一時、打者としての適性の高さを見込んで野手への転向プランを公言。片山本人にも、転向を勧めていたという[10][19]

人物[編集]

左投げ左打ちであるが、ペンと食事は右利き。

青山浩二小山伸一郎と共に救援陣の一角で活躍した2010年には、3人の苗字に「山」が入っていることにちなんで、「スリーマウンテンズ」という総称が広まった。名付け親は、当時skyAの楽天主催試合中継で実況を担当していたフリーアナウンサー加藤じろう。ちなみに、青山とは仲が良く、青山のブログで片山は「伝説の人」と呼ばれている。

2011年5月に入籍[20]。同年10月12日には第一子となる長女が誕生した[21]

2007年から2013年までのチームメイトとなった田中将大とは、2005年の第6回アジアAAA野球選手権で全日本高校選抜メンバーに揃って選出された頃から交友がある。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2008 楽天 18 12 2 1 0 2 7 0 1 .222 346 79.0 70 4 35 0 8 71 2 0 35 32 3.65 1.33
2010 53 1 0 0 0 1 2 0 10 .333 255 62.1 45 3 26 2 2 59 3 0 15 13 1.88 1.14
2011 59 1 0 0 0 2 3 0 23 .400 241 57.2 55 3 15 0 2 55 2 0 24 22 3.43 1.21
2012 41 0 0 0 0 0 2 0 12 .000 134 28.2 36 2 12 0 2 21 2 0 12 12 3.77 1.67
2013 31 0 0 0 0 3 1 0 2 .750 160 35.2 38 1 16 0 2 22 0 0 12 12 3.03 1.51
2014 4 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 10 1.0 2 0 4 1 1 0 0 0 1 1 9.00 6.00
通算:6年 206 14 2 1 0 8 16 0 48 .333 1146 264.1 246 13 108 3 17 228 9 0 99 92 3.13 1.34
  • 2016年度シーズン終了時

表彰[編集]

  • イースタンリーグ優秀選手賞(2008年)
  • ファーム月間MVP(2008年3・4月)

記録[編集]

背番号[編集]

  • 28 (2006年 - 2014年)
  • 91 (2015年)
  • 001 (2016年 - )

登場曲[編集]

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 楽天 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月25日閲覧。
  2. ^ 本来の表記と異なる変換文字を含む選手一覧”. 日本野球機構. 2012年11月14日閲覧。
  3. ^ a b c “片山、抑え転向へ「緊張感すごくて面白い」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2011年12月27日). http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20111227-OHT1T00093.htm 2011年12月31日閲覧。 
  4. ^ オーストラリア・ウィンターリーグ参加選手に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年5月10日). 2012年11月14日閲覧。
  5. ^ “楽天片山が宣言「究極の便利屋になる」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2013年11月27日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131128-1224145.html 2015年12月29日閲覧。 
  6. ^ “片山がロングリリーフ「投げさせてもらえて感謝」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年11月19日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/11/19/kiji/K20131119007044830.html 2015年12月29日閲覧。 
  7. ^ “楽天片山「先発やりたい」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年1月28日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140128-1249984.html 2015年12月29日閲覧。 
  8. ^ “楽天片山が実戦復帰で好投も「まだまだ」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年5月18日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140518-1303056.html 2015年12月29日閲覧。 
  9. ^ “楽天片山750万減「そんなに甘くない」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年11月29日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20141129-1402574.html 2015年12月29日閲覧。 
  10. ^ a b “楽天片山が内野手転向 10年目の再出発”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2015年2月11日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20150211-1432958.html 2015年12月29日閲覧。 
  11. ^ “来季の育成選手契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. (2015年11月19日). http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/5895.html 2015年12月29日閲覧。 
  12. ^ “楽天片山もう1度投手で勝負「再び一軍マウンドに」”. 日刊スポーツ. (2016年3月31日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1624636.html 2016年4月1日閲覧。 
  13. ^ 自由契約選手(育成選手)”. 日本野球機構公式サイト (2016年10月31日). 2016年11月1日閲覧。
  14. ^ 楽天 12年目・片山が全治10カ月…3月16日に左肘手術”. スポーツニッポン (2017年3月22日). 2017年3月22日閲覧。
  15. ^ 来季の選手契約について”. 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト (2017年10月1日). 2017年10月1日閲覧。
  16. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社2012年、67頁。ISBN 978-4-905411-04-8
  17. ^ a b c 「煌めく旬な選手インタビュー」、『週刊ベースボール』2011年10月24日号、ベースボール・マガジン社、 112-115頁、 雑誌20444-10/24。
  18. ^ a b 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社2013年、159頁。ISBN 978-4-905411-11-6
  19. ^ “野村元監督は見抜いていた打者適性。楽天・片山、10年目の転向を考える。”. Number Web (文藝春秋). (2015年2月13日). http://number.bunshun.jp/articles/-/822689?page=3 2015年12月29日閲覧。 
  20. ^ 片山博視選手 入籍のお知らせ”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年5月10日). 2012年11月14日閲覧。
  21. ^ 片山博視選手 第一子(長女)誕生のお知らせ”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年10月12日). 2012年11月14日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]