古川秀一
オリックス選手時代 (2015年5月1日 神戸第二サブ球場にて) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県佐世保市 |
生年月日 | 1987年7月15日(37歳) |
身長 体重 |
175 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト1位 |
初出場 | 2010年6月4日 |
最終出場 | 2015年8月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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古川 秀一(ふるかわ しゅういち、1987年7月15日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]清峰高校時代はエースとして2005年の第87回全国高校野球選手権大会に出場し、1回戦で十亀剣、柴田亮輔、堂上直倫擁する春のセンバツ覇者愛工大名電を下し、2回戦も福井優也擁する前年度選手権準優勝校・済美を下し旋風を巻き起こし(下剋上サウスポーと呼ばれた)3回戦に進出するも辻内崇伸、平田良介、中田翔擁する優勝候補筆頭の大阪桐蔭に1-4で敗れる。
卒業後は日本文理大学に進学し、野球部に入部。大学でも活躍し、2008年の第57回全日本大学野球選手権大会、2009年の第58回全日本大学野球選手権大会への出場に導いた。
2009年のドラフト会議でオリックス・バファローズに1巡目で指名。契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は14。
オリックス時代
[編集]2010年には、オープン戦中のケガで、公式戦の開幕に出遅れた。しかし、5月30日に初めての一軍昇格を果たしてからは、シーズン終了までほぼ一軍に帯同。一軍公式戦では、ビハインドの展開を中心に、オール中継ぎで33試合に登板した。また、7月22日には、故郷の長崎県営野球場で催されたフレッシュオールスターゲームに、ウエスタン・リーグ選抜の一員として登板。1回を投げて3者連続三振を記録するとともに、優秀選手賞を受賞した。
2011年には、シーズン中盤に一軍へ昇格。一軍公式戦では、登板数こそ前年より少ない12試合にとどまったが、防御率1.69という好成績を収めた。なお、一軍・二軍とも、公式戦には全て中継ぎで登板した。シーズン終盤から参加したフェニックスリーグでは先発も務めた。
2012年には、一軍公式戦10試合に登板。しかし、7試合で失点を喫したほか、被打率.415、WHIP2.21という成績に終わった。8月21日の対北海道日本ハムファイターズ戦(旭川スタルヒン球場)では、先発の木佐貫洋が5回裏に6点を失ったことを受けて、この回の途中から登板。自身も6点を失った結果[1]、木佐貫と合わせて球団ワースト記録の1イニング11失点を喫したことから、翌22日に出場選手登録を抹消された。なお、ウエスタン・リーグ公式戦には先発でも登板。3勝4敗ながら、防御率は1.98であった。
2013年には、一軍公式戦3試合に登板。防御率3.38を記録したが、2回3分の2を投げるにとどまった。12月2日の契約交渉では、翌2014年の契約に対して、NPBの野球協約で定められた減俸の上限(年俸1億円未満の選手の場合には25%)を適用することを球団から提示。古川は、この提示を受諾したうえで、推定年俸1125万円で契約を更改した[2]。さらに、背番号を67に変更している。
2014年には、5月2日にシーズン初の出場選手登録。しかし一軍公式戦での登板機会がないまま、5月5日に登録を抹消された。ウエスタン・リーグ公式戦では39試合の登板で防御率2.78を記録したが、プロ入り後初めて、一軍公式戦へ登板できずにシーズンを終えた。この結果を受けて、シーズン終了後には、投球フォームを従来のオーバースローからサイドスローに変えた[3]。
2015年には、公式戦の開幕を一軍で迎えると、自身2年振りの一軍公式戦登板を果たした。一軍では、通算5試合の登板で防御率2.08を記録。しかし、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[4]ことを機に、現役を引退した。
現役引退後
[編集]詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2010 | オリックス | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | .000 | 109 | 25.1 | 23 | 0 | 11 | 0 | 2 | 23 | 3 | 0 | 9 | 9 | 3.20 | 1.34 |
2011 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 64 | 16.0 | 13 | 1 | 6 | 0 | 1 | 9 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1.69 | 1.19 | |
2012 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 72 | 14.0 | 27 | 1 | 4 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 17 | 17 | 10.93 | 2.21 | |
2013 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 11 | 2.2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.38 | 1.13 | |
2015 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 16 | 4.1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 1 | 1 | 2.08 | 0.92 | |
通算:5年 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | .000 | 272 | 62.1 | 70 | 2 | 21 | 0 | 4 | 53 | 4 | 0 | 31 | 31 | 4.48 | 1.46 |
記録
[編集]- 初登板:2010年6月4日、対阪神タイガース3回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点[6]
- 初奪三振:同上、8回裏にクレイグ・ブラゼルから空振り三振[6]
- 初ホールド:2010年7月2日、対福岡ソフトバンクホークス10回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回裏1死に3番手で救援登板、2/3回無失点[7]
背番号
[編集]- 14 (2010年 - 2013年)
- 67 (2014年 - 2015年)
- 104 (2016年 - )
登場曲
[編集]- 九州男 『雲の上の君え』
脚注
[編集]- ^ オリックス悪夢の5回…木佐貫 また旭川でKO「申し訳ない」(『スポーツニッポン』2012年8月21日付記事)
- ^ オリックス大減俸ラッシュ“厳冬更改”スタート(『日刊スポーツ』2013年12月3日付記事)
- ^ オリックス森脇監督、サイド転向の古川を高評価(『日刊スポーツ』2015年2月8日付記事)
- ^ オリックス、2009年ドラフト1位古川が戦力外 プロ未勝利(『日刊スポーツ』2015年10月3日付記事)
- ^ “今季限りで引退の元ドラ1左腕、オリックスの打撃投手に”. Full-Count (2015年12月28日). 2023年10月26日閲覧。
- ^ a b 2010年6月4日 【公式戦】 試合結果 (阪神vsオリックス)
- ^ 2010年7月2日 【公式戦】 試合結果 (福岡ソフトバンクvsオリックス)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 古川秀一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube