山田修義
オリックス・バファローズ #57 | |
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![]() 2012年4月29日 春日スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 福井県福井市 |
生年月日 | 1991年9月19日(29歳) |
身長 体重 |
184 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト3位 |
初出場 | 2010年9月5日 |
年俸 | 3,500万円(2021年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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山田 修義(やまだ のぶよし、1991年9月19日 - )は、オリックス・バファローズに所属する福井県福井市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
中学生時代に全日本少年硬式野球連盟(ヤングリーグ)のオールスター福井に所属すると、敦賀気比高等学校の2年春に第80回選抜高等学校野球大会、3年夏に第91回全国高等学校野球選手権大会で甲子園球場に登場。3年春の福井県大会では1試合20奪三振、3年夏の選手権福井大会では通算49奪三振の大会記録を樹立した[2]。2学年後輩に吉田正尚がいる。
2009年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから3巡目で指名。契約金5,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は57。
オリックス時代[編集]
2010年には、ウエスタン・リーグ公式戦13試合に登板。投球回数54回で、3勝3敗、防御率3.33という成績を残した。9月5日の対福岡ソフトバンクホークス戦(スカイマークスタジアム)で、先発投手として一軍公式戦へデビュー。オリックスの高卒新人投手による一軍公式戦への先発登板は、1994年の平井正史以来であったが、3回1失点という内容で勝敗は付かなかった。
2011年には前年に続いて、ウエスタン・リーグ公式戦13試合に登板。0勝3敗、防御率5.18という成績で、一軍公式戦への登板機会がなかった。
2012年には、8月17日付で自身2年振りの出場選手登録。登録後は一軍公式戦2試合に先発したが、いずれの試合でも敗戦投手になった。以降の公式戦にも敗戦処理要員として4試合に登板したが、9月23日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で今江敏晃に満塁本塁打を浴びると、翌24日に登録を抹消。そのままシーズンを終えた。なお、ウエスタン・リーグ公式戦では、春先から先発要員として起用。21試合の登板で、5勝7敗、防御率2.43を記録した。
2013年、ウエスタン・リーグ公式戦で、先発要員として16試合に登板。5勝4敗、防御率2.54という成績を残したが、一軍公式戦での登板機会は1試合(投球回数1回1/3)にとどまった。
2014年は、4月に左肘のトミー・ジョン手術を受けたため、一・二軍とも公式戦に登板しなかった[3]。その影響で、10月28日に球団から支配下選手契約の解除を通告[4]。11月26日には、育成選手契約を締結するとともに、背番号を121に変更することが球団から発表された[5]。
2015年には、7月27日付で支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を57に戻した[6]。復帰後は、一軍公式戦7試合に登板。9月22日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武プリンスドーム)では、一軍公式戦3年振りの先発を経験した[7]。その後も1試合で先発したが、通算では0勝1敗、防御率5.51という成績に終わった。
2016年には、故障で出遅れたことから、シーズン初の一軍マウンドは6月18日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)での先発登板にまで持ち越された[8]。この試合から先発陣の一角で好投を続けると、5試合目の登板になった7月27日の対ロッテ戦(ほっともっとフィールド神戸)で、一軍公式戦初勝利を挙げた[9]。
2017年には、一軍公式戦4試合に登板。いずれも先発に起用されたが、制球難から0勝3敗、防御率8.76と振るわず[10]、当時の一軍監督だった福良淳一からは「もう(一軍で登板するチャンスは)ない」という言葉で突き放された。シーズン終了後には戦力外通告の候補に挙げられていた[11]が、実際には、推定年俸720万円(前年から180万円減)という条件で辛うじて契約を更改した。
2018年には、レギュラーシーズン後半の8月2日から、中継ぎ要員として一軍に昇格。開幕から81試合連続で先発投手の完投がなく[12]、前半戦だけで10回の延長戦を経験するといった一軍の事情[13][14]を背景に、ウエスタン・リーグ公式戦で6月から救援登板を重ねていた山田に白羽の矢が立てられた[11]。昇格後は、8月の1ヶ月間だけで18試合に登板すると、4日の対ソフトバンク戦(福岡ヤフオク!ドーム)でプロ初ホールドをマーク。11日の対ロッテ戦(京セラドーム)では、7回裏からの救援登板で1回2/3を無失点に抑えると、降板後の逆転勝利によって一軍公式戦2シーズン振りの白星が付いた[15]。一軍公式戦への月間18試合登板は、1956年9月の稲尾和久(西鉄ライオンズ)、2013年5月の益田直也(ロッテ)に並ぶNPBの月間最多記録。奇しくも、山田がこの記録を達成した8月には、セントラル・リーグでもヘロニモ・フランスア(広島東洋カープ)が月間18試合登板を成し遂げている[10]。一軍公式戦全体では、8月以降の2ヶ月間で30試合に登板。先発の機会こそなかったものの、1勝2敗10ホールド、防御率3.80という内容で救援陣の窮地を救ったこと[11]から、シーズン終了後には推定年俸1,500万円(前年から780万円増)という条件で契約を更改した[16]。
2019年には、7月から一軍に定着すると、公式戦で自己最多の40試合に登板。勝敗は付かなかったが、5ホールド、防御率3.56を記録した。チームの11連戦中につきシーズン初の「ブルペン・デー」に充てられた9月5日の対西武戦(メットライフドーム)では、救援登板から中3日にもかかわらず、一軍公式戦で2年振りの先発登板も経験している[17]。シーズン終了後の12月5日に、推定年俸2,000万円(前年から500万円増)という条件で契約を更改[18]。
選手としての特徴・人物[編集]
左肘を柔らかく動かすフォームから投げ込むストレート[19] を軸に、カットボールのようなスライダー、カーブなどの変化球を織り交ぜる[19]。低めへの投球のコントロールが安定している[20]。オリックスの支配下登録選手へ復帰した2015年には、レギュラーシーズンの終盤から参加したフェニックス・リーグで、左腕投手の先輩である武田勝(北海道日本ハムファイターズ)からチェンジアップを習得[21]。2016年から、実戦で本格的に活用している。
スライダーについては、2018年のオリックス春季二軍キャンプで、二軍投手コーチ(当時)の小松聖から「左打者に合わせるような勝負球」として伝授された。小松からは当初フォークボールの習得を勧められていたが、試投で思うような効果を得られなかったことから、スライダーを勝負球に用いる方針へ転換。同年8月の一軍公式戦18試合登板など、中継ぎ要員としての再スタートにつながった。本人によれば、「ストレートのイメージで腕を振っていたら、ボールの軌道が勝手に曲がるようになっただけで、曲がらなかったら(単なるストレートなので)捕手は焦ると思う」という[11]。
オリックスの球団関係者から「榮倉奈々に似ている」と言われるほどの顔立ち[3]が特徴。「長嶋茂雄コレクター」として有名な山田勝三(スポーツ・ミュージアム山田コレクション館長)は、大叔父(祖父の弟)に当たる[22]。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | オリックス | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 14 | 3.0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.00 | 2.00 |
2012 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 78 | 17.1 | 19 | 3 | 9 | 0 | 1 | 7 | 1 | 0 | 12 | 11 | 5.71 | 1.62 | |
2013 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 8 | 1.1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 20.25 | 3.00 | |
2015 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 79 | 16.1 | 17 | 1 | 13 | 0 | 1 | 12 | 0 | 0 | 11 | 10 | 5.51 | 1.84 | |
2016 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | 0 | .222 | 245 | 58.1 | 63 | 7 | 19 | 0 | 0 | 43 | 0 | 0 | 35 | 32 | 4.94 | 1.41 | |
2017 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 71 | 12.1 | 21 | 2 | 10 | 0 | 2 | 13 | 1 | 0 | 16 | 12 | 8.76 | 2.51 | |
2018 | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 10 | .333 | 84 | 21.1 | 14 | 1 | 6 | 0 | 0 | 20 | 0 | 0 | 10 | 9 | 3.80 | 0.94 | |
2019 | 40 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | ---- | 172 | 43.0 | 31 | 6 | 18 | 1 | 0 | 44 | 1 | 0 | 17 | 17 | 3.56 | 1.14 | |
2020 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 18 | .444 | 170 | 39.1 | 37 | 1 | 19 | 1 | 0 | 44 | 0 | 0 | 20 | 17 | 3.89 | 1.42 | |
通算:9年 | 149 | 22 | 0 | 0 | 0 | 7 | 20 | 0 | 33 | .259 | 921 | 212.1 | 211 | 21 | 95 | 2 | 5 | 184 | 3 | 0 | 125 | 112 | 4.75 | 1.44 |
- 2020年度シーズン終了時
年度別守備成績[編集]
年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2010 | オリックス | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2012 | 6 | 0 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | |
2013 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2015 | 7 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 12 | 2 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | |
2017 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2018 | 30 | 0 | 4 | 1 | 0 | .800 | |
2019 | 40 | 4 | 11 | 0 | 1 | 1.000 | |
2020 | 48 | 2 | 4 | 1 | 0 | .857 | |
通算 | 149 | 8 | 34 | 2 | 2 | .955 |
- 2020年度シーズン終了時
記録[編集]
- 初記録
- 初登板・初先発登板:2010年9月5日、対福岡ソフトバンクホークス24回戦(スカイマークスタジアム)、3回1失点
- 初奪三振:2012年8月17日、対福岡ソフトバンクホークス16回戦(京セラドーム大阪)、1回表に今宮健太から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2016年7月27日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦(ほっともっとフィールド神戸)、6回1/3を1失点
- 初ホールド:2018年8月4日、対福岡ソフトバンクホークス14回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、8回裏に2番手で救援登板、1/3回無失点
- その他の記録
- 月間登板:18 (2018年8月) ※NPBタイ記録(他に稲尾和久、益田直也、ヘロニモ・フランスア)[10]
背番号[編集]
- 57 (2010年 - 2014年、2015年7月27日 - )
- 121 (2015年 - 同年7月26日)
登場曲[編集]
- 「i BELIEVE 〜星に願いを」So' Fly
- 「FANTASISTA」Dragon Ash
脚注[編集]
- ^ “【オリックス】山田修義が1000万円増でサイン 能見から「いいところ盗む」”. スポーツ報知. (2020年12月11日) 2020年12月12日閲覧。
- ^ “2009年 プロ野球 ドラフト”. スポニチ Sponichi Annex. 2009年11月18日閲覧。
- ^ a b 栄倉奈々似オリックス山田1勝!ソースカツ丼パワー日刊スポーツ2016年7月28日配信
- ^ オリックス・八木ら戦力外 日本ハム時代の06年に新人王スポーツニッポン2014年10月29日配信
- ^ 育成選手契約締結のお知らせ オリックス・バファローズオフィシャルウェブサイト (2014年11月26日) 2014年12月5日閲覧。
- ^ 【オリックス】山田が支配下登録「感謝の気持ちでいっぱい」 2015年7月27日閲覧。
- ^ オリックス山田3年ぶり先発も5回に崩れ初黒星日刊スポーツ2015年9月23日配信
- ^ オリックス山田が今季初先発で5回1失点「粘れた」日刊スポーツ2016年6月18日配信
- ^ オリックス山田プロ初勝利「勝てて本当に良かった」日刊スポーツ2016年7月27日配信
- ^ a b c “オリックス山田修義、稲尾に並ぶ月間18試合登板”. 日刊スポーツ (2018年8月31日). 2018年9月2日閲覧。
- ^ a b c d “オリックス・山田修義の人生を変えたスライダー”. FullCount (2018年9月5日). 2019年12月5日閲覧。
- ^ “オリックス・ディクソン完封勝利&初のチーム完投”. 日刊スポーツ (2018年7月17日). 2018年9月2日閲覧。
- ^ “オリックス 最近5試合で4度目の延長戦もドロー 福良監督「リリーフ陣が心配ですね…」”. スポーツニッポン (2018年6月28日). 2018年9月2日閲覧。
- ^ “オリックス延長地獄 ヘトヘト…今季10度目もドロー決着”. 毎日新聞 (2018年7月4日). 2018年9月2日閲覧。
- ^ “オリックス山田が好救援で約2年ぶり白星 小松二軍コーチに感謝「有効な球ができた」”. Full-Count (2018年8月11日). 2018年9月2日閲覧。
- ^ “オリックス山田780万増「一軍定着して投げたい」”. 日刊スポーツ (2018年12月6日). 2019年12月5日閲覧。
- ^ “オリックス、5日に今季初の“ブルペンデー” 11連戦乗り切るため採用、山田が先発へ”. Full-Count (2019-9-41). 2019年12月5日閲覧。
- ^ “オリックス山田500万増、来季は「開幕から一軍」”. 日刊スポーツ (2019年12月5日). 2019年12月5日閲覧。
- ^ a b “山田修義 ~高校生選手名鑑~”. スポニチ Sponichi Annex. 2009年11月18日閲覧。
- ^ “2009年度ドラフト会議 契約交渉権獲得選手”. オリックス・バファローズ. 2009年11月18日閲覧。
- ^ オリックス山田 チェンジアップ習得し秘密兵器に日刊スポーツ2015年11月30日配信
- ^ “オリ・D3位山田のおじさんは有名な収集家”. SANSPO.COM. 2010年1月11日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 山田修義 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 The Baseball Cube
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