若松駿太

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若松 駿太
中日ドラゴンズ #61
若松.jpg
2014年9月30日 ナゴヤ球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県久留米市
生年月日 (1995-02-28) 1995年2月28日(22歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2012年 ドラフト7位
初出場 2014年4月3日
年俸 3,000万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

若松 駿太(わかまつ しゅんた、1995年2月28日 - )は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校4年生の時から野球を始める。筑邦西中学時代は久留米ペトリオッズに所属し、3年時にジャイアンツカップに出場した[2]

祐誠高等学校時代は、2年生の時の秋からエースとなる。3年生の時の夏は、福岡大会2回戦で東海大学付属第五高等学校に0-1で敗れた。

2012年10月25日プロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから7位指名を受ける[3]。11月16日に契約金1800万、年俸540万(金額は推定)で仮契約を結んだ[4]。背番号は61となった。

ドラフト指名にあたりプロ球団からの調査書は中日以外からは届かなかった[5]

プロ入り後[編集]

2013年(1年目)は二軍で20試合43回を投げ、3勝2敗防御率3.98。一軍への昇格はなく初年度を終える。

2014年(2年目)には一軍昇格を果たし、4月3日阪神タイガース戦でプロ初登板、1回を無失点に抑えた。開幕ローテーションに入った山内壮馬がこの試合で大乱調だったこともあり翌週の4月10日東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初先発するが、4回3失点と結果を残せず、翌日二軍へ降格。秋にフェニックスリーグに参加。10月25日にひむかスタジアムで行われた対読売ジャイアンツ戦では、被安打5、奪三振10での完封勝利をあげた。リーグ戦通算5試合25回を投げ自責点0、防御率0.00を記録し翌年の飛躍を期待させる投球をみせた。その後の秋季キャンプでは強化指定選手にも選ばれた。

2015年シーズンは開幕ローテーション入りは逃したが、4月14日に一軍に昇格すると4月18日MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)で行われた広島東洋カープ戦に先発登板。6回を投げ自責点1の好投を見せたものの味方打線の援護がなく勝ち星はつかなかった。しかしその日の広島の黒田博樹と打者として対戦したことで彼の投球から多くを学んだという[6]。4月26日の横浜スタジアムで行われた横浜DeNAベイスターズ戦に先発登板するものの2失点したのち4回途中で降板。負けはつかなかったものの、翌27日に一軍登録抹消、二軍降格となる。1か月後の5月26日、再び一軍へ昇格すると翌日27日の福岡ソフトバンクホークス戦で中継ぎ登板。5回1/3のロングリリーフをした。6月2日、ナゴヤドームで行われた埼玉西武ライオンズ戦に先発し、6回無失点と好投、先発登板5試合目で念願のプロ初勝利を挙げた。試合終了後のヒーローインタビューでは、目を潤ませながら若松の担当スカウト、故・渡辺麿史への感謝の気持ちとこれからの決意を語った[7]以降、非常に安定した投球をみせ、8月には初の完封勝利を含む月間4勝の好成績を収め、セ・リーグ月間MVP(投手)に選ばれた。最終的には規定投球回にこそ達しなかったもののチームメートの大野雄大に続く二ケタ勝利(10勝4敗)を挙げた[8]。成績を残したものの、DeNAの山﨑康晃が新人最多セーブ(37S)をマークしたため、新人王獲得はならなかった。11月21日にナゴヤ球場に隣接する選手寮「昇竜館」で行われた契約更改では今季の年俸約550万円から約555%増(6.5倍[9])、約3050万円アップの3600万円で更改[10]

2016年、飛躍を期待され開幕から先発ローテーションに入ったが、前年と比べると好不調の波が激しくそれでもチーム投手陣の駒不足もあり粘り強く使われたが8月頭に二軍落ち。調整中に左膝を痛めたり調整登板が雨で流れたりするなどがあり9月末に一軍に昇格したが中継ぎ投手としての昇格だった。シーズン成績ではチームトップのタイの7勝を記録。

2017年は7試合の登板で1勝4敗だった。

選手としての特徴[編集]

オーバースローから最速143km/hの伸びのあるストレートと、プロに入ってから取得したチェンジアップ、緩いカーブスライダーフォークを操る[2][11]

最大の武器であるチェンジアップについて、広島東洋カープ石原慶幸は「(想像しているイメージよりも)ボールが来ない」と表現している。また習得するきっかけとなったのは、変化球がもう一つ欲しかった時にゲーム「プロ野球スピリッツ」で金子千尋が投げるチェンジアップを見てからだという。

人物[編集]

自宅は本人曰く「田んぼに囲まれていました」との事で、最寄りのコンビニエンスストアまでは約2kmあるという[5]。自宅から高校まで10kmの距離を毎日、自転車で通学したため自然と下半身が鍛えられたと語っている[2]

高校時代は、土木科に所属し小型車両系建設機械の資格を所得しているため、3tまでの重機を操ることが出来る[2][5]

左頬にアザがあるが、本人曰く「バレンティンさんと同じ」と気に入っている[5]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2014 中日 7 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 72 16.1 19 0 6 0 0 5 1 0 13 9 4.96 1.53
2015 23 20 2 1 0 10 4 0 0 .714 575 140.0 111 10 50 0 2 113 3 0 35 33 2.12 1.15
2016 19 18 3 0 1 7 8 0 0 .467 497 115.1 127 10 37 0 0 85 3 0 55 52 4.06 1.42
2017 7 7 0 0 0 1 4 0 0 .200 162 35.2 49 4 11 0 1 16 1 0 25 22 5.55 1.68
NPB:4年 56 47 5 1 1 18 17 0 0 .514 1306 307.1 306 24 104 0 3 219 8 0 128 116 3.40 1.33
  • 2017年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



投手












2014 中日 7 1 2 0 0 1.000
2015 23 7 28 2 6 .946
2016 19 12 12 0 2 1.000
2017 7 2 9 0 2 1.000
通算 56 22 51 2 10 .973
  • 2017年度シーズン終了時

表彰[編集]

  • 月間MVP:1回(投手部門:2015年8月)

記録[編集]

投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 61 (2013年 - )

テーマ曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中日 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年11月25日閲覧。
  2. ^ a b c d 中日7位・若松駿太投手 大自然が育んだ素直さと下半身”. スポニチ Sponichi Annex (2013年1月13日). 2013年3月14日閲覧。
  3. ^ ドラフト会議速報 Vol.7”. 中日ドラゴンズ (2012年10月25日). 2013年3月14日閲覧。
  4. ^ http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2012/201211/CK2012111702000079.html
  5. ^ a b c d 中日1年目右腕若松が「監督賞第1号」”. 日刊スポーツ (2013年11月13日). 2013年11月14日閲覧。
  6. ^ http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/406941/「あの試合で打席にも立って黒田さんの球を感じたことはいろいろ財産になった。真っすぐでも動いていたし、全球種が低めに集まっていた。これが僕に求められている投球だと思った。」
  7. ^ 渡辺麿史は当時高校生だった若松に12球団唯一興味を示し、プロの世界へ導いてくれた一人であった。しかし、2014年2月1日、急性白血病のため57歳という若さで亡くなった。
  8. ^ 中日若松10勝「引退試合に投げさせてもらった」 - 日刊スポーツ(2015年10月8日11時51分 紙面から)
  9. ^ 中日・若松 ビックリ555%アップ!3600万円で更改、今季初の10勝 - スポーツニッポン(2015年11月21日 15:54)
  10. ^ 【中日】若松、555%増で更改「ホントにいいのかな、と疑った」 - 2015年11月21日15時54分(スポーツ報知
  11. ^ 中日7位・若松、3年後ローテ期待”. 中日スポーツ (2012年11月3日). 2013年3月14日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]