堂上剛裕

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堂上 剛裕
読売ジャイアンツ #51
CD-Takehiro-Donoue-2.jpg
中日ドラゴンズ時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県春日井市
生年月日 1985年5月27日(31歳)
身長
体重
184 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2003年 ドラフト6巡目
初出場 2005年9月10日
年俸 2,000万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

堂上 剛裕(どのうえ たけひろ、1985年5月27日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手外野手内野手)。

父は元中日ドラゴンズ投手の堂上照、弟の堂上直倫は中日ドラゴンズ所属の内野手

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

愛工大名電高に入学し、甲子園に3度出場。高校通算46本塁打を放った。2003年のドラフト会議中日ドラゴンズから6位指名を受け入団。内野手として入団した[2]

中日時代[編集]

2004年、一軍出場はなかった。2005年9月10日の対読売ジャイアンツ戦で代打として一軍初出場も、三球三振に倒れた。二軍では主に一塁手としてチーム2位の78試合に出場し、打率.293を記録した。

2006年、二軍でも打率.250と不調で、一軍出場なしに終わった。秋にハワイ・ウィンターリーグに派遣され、二軍で出場したことのない外野手として出場した。その際に肩の強さを買われ、コーチらの指示もあって翌年から本格的に外野手に転向した。

2007年、二軍で打率.404で記録し、6月19日の対オリックス戦で6番・一塁手で初の一軍スタメン出場。7月27日の対東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初安打・初打点を記録、7月29日の同カードではプロ初の決勝打となるプロ初本塁打を記録した。更に8月11日の対巨人戦で姜建銘から代打サヨナラ本塁打も放った。10月27日、北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズの第1戦で、8回表に代打として日本シリーズ初出場を果たす。

2008年、二軍生活が続き、終盤で一軍出場を果たすもののすぐに降格。前年に比べて大きく下回る結果となった。このシーズンで5年間入っていた昇竜館を父と一緒に退寮した。

2009年、3月1日の日本ハムとのオープン戦で兄弟同一イニングでのアベック弾を放った。

2010年、6月22日からこのシーズン2度目の一軍登録され、引退した立浪和義に代わり左の代打として起用されることが多かった。また7月21日の対横浜ベイスターズ戦で6番・右翼手でスタメン出場。弟の直倫と共に兄弟でスタメン出場を果たし、8月6日の対阪神タイガース戦には、弟の直倫と共に適時打を放ち、ナゴヤドームで兄弟初めてのお立ち台に上がった。9月22日の阪神戦では、9回裏1死満塁の場面で代打として出場。藤川球児から一塁ゴロを放ったが、クレイグ・ブラゼルの本塁悪送球を誘いサヨナラ勝利となり、試合後にお立ち台に上がった。チームとしても優勝争いを演じていたライバルを下す、大きな意味を持つ勝利だった。なお、この打席に立つ前に、落合博満監督から、「ボール(球)は振るな、内角は当たれ(死球)。」というアドバイスを貰っていた。最終的に自己最多となる58試合に出場した。

2011年は開幕から絶好調で6月までは打率4割を超えていたが、ジョエル・グスマン佐伯貴弘の加入もあってスタメンを奪うには至らず、代打での起用が主だった。しかし、7月1日の対巨人戦(東京ドーム)では9回表2死満塁の場面で代打で登場し、久保裕也から走者一掃の逆転適時三塁打を放った。また、10月9日には再び巨人戦(ナゴヤドーム)で延長10回裏1死一塁二塁の場面で代打で登場し、前々日に抑えられていた久保裕也からサヨナラ適時打を放つなど、前年に続いて代打で結果を残し、自己最高の結果を残した前年を試合数・打率・安打数で上回った。12月に結婚した[3]

2012年、誕生日である5月27日の対福岡ソフトバンクホークス戦(ナゴヤドーム)で第1号2ラン本塁打を放つ[4]。巨人とのクライマックスシリーズ第3戦のでは代打で出場して勝ち越しとなる決勝適時打を放った。右翼のレギュラー候補だった平田良介の不調もあってライトでのスタメン出場が増え、自己最高の85試合に出場し、4本塁打を放ち打率も.282(44安打)を記録した。

2013年、前年と比較して出場試合数がほぼ半減、代打での出場がほとんどだったが最終的に打率、得点圏打率共に1割台に落ち込んだ。

2014年、6試合の出場にとどまり、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[5]

巨人時代[編集]

2014年11月17日に巨人と育成契約を結んだ(背番号014)。2015年2月23日、春季キャンプ中に支配下選手登録され、背番号は91に変更された[6]。その直後の2月28日、ヤクルトとのオープン戦の守備で右手親指を骨折し戦線離脱するも、5月12日に一軍に昇格。同日スタメンに名を連ねると前田健太から2安打1打点を記録しお立ち台に上がった[2]。2016年からは背番号を51に変更する[7]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2005 中日 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2007 37 82 77 8 22 2 1 2 32 11 0 0 0 0 4 0 1 14 0 .286 .329 .416 .745
2008 1 3 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .333 .000 .333
2009 9 14 13 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 1 0 0 0 3 0 .154 .143 .154 .297
2010 58 104 97 11 24 5 0 2 35 17 0 0 2 1 4 1 0 18 2 .247 .275 .361 .635
2011 64 117 108 11 31 10 1 1 46 15 0 0 0 0 7 1 2 20 4 .287 .342 .426 .768
2012 85 166 156 10 44 8 0 4 64 17 1 1 1 1 8 2 0 36 4 .282 .315 .410 .725
2013 44 52 41 3 8 2 1 1 15 6 0 0 0 0 9 0 2 12 1 .195 .365 .366 .731
2014 6 5 5 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .200 .200 .200 .400
2015 巨人 59 104 98 7 27 9 1 3 47 13 0 0 1 1 4 0 0 20 6 .276 .301 .480 .781
2016 43 53 48 4 8 2 0 2 16 6 0 0 0 0 4 0 1 11 2 .167 .245 .333 .578
NPB:11年 407 701 646 57 167 38 4 15 258 86 1 1 4 4 41 4 6 139 19 .259 .307 .399 .706
  • 2016年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2007 2 13 1 0 0 1.000 19 22 1 0 0 1.000
2008 - 1 1 0 0 0 1.000
2009 - 3 1 0 0 0 1.000
2010 - 22 25 0 0 0 1.000
2011 - 26 30 2 0 1 1.000
2012 - 44 60 0 0 0 1.000
2013 - 12 9 0 0 0 1.000
2015 - 22 30 0 0 0 1.000
2016 1 9 1 0 0 1.000 5 3 0 0 0 1.000
通算 3 22 2 0 0 1.000 152 181 3 0 1 1.000
  • 2016年度シーズン終了時

記録[編集]

登場曲[編集]

背番号[編集]

  • 63 (2004年 - 2014年)
  • 014 (2015年 - 同年途中)
  • 91 (2015年途中 - 同年終了)
  • 51 (2016年 - )

脚注[編集]

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  1. ^ 巨人 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年11月28日閲覧。
  2. ^ a b 巨人の堂上デビュー戦で同点打!マエケン撃ち!日刊スポーツ 2015年5月13日配信
  3. ^ 剛裕結婚 - 中日スポーツ・2011年12月7日
  4. ^ 堂上剛 勝ち越しバースデー2ラン!武藤プロ初勝利 スポニチAnnex 2012年5月27日付記事より。
  5. ^ 来季の契約について中日球団公式サイト2014年10月1日配信
  6. ^ 巨人堂上が支配下登録「開幕1軍目指す」日刊スポーツ2015年2月23日配信
  7. ^ 村田、高木勇ら6選手が契約更改読売巨人軍公式サイト 2015年11月27日配信

関連項目[編集]

外部リンク[編集]