姜建銘
| 崇越ファルコンズ #7 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 出身地 | 台湾省台北県 |
| 生年月日 | 1985年5月27日(33歳) |
| 身長 体重 |
175 cm 73 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2005年 |
| 初出場 |
NPB / 2006年6月14日 CPBL / 2009年4月2日 |
| 最終出場 |
NPB / 2007年8月11日 CPBL / 2010年8月15日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| 国際大会 | |
| 代表チーム |
|
| WBC | 2006年 |
この表について
| |
| 姜建銘 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| 出生: | 1985年5月27日(33歳) |
| 出身地: | 台湾 |
| 職業: | 野球選手(投手) |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 姜建銘 |
| 簡体字: | 姜建銘 |
| 発音転記: | ジャン・チェンミン |
| 英語名: | Chien-Ming Chiang |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子 野球 | ||
| アジア競技大会 | ||
| 金 | 2006 | |
姜 建銘(ジャン・チェンミン、Chien-Ming Chiang, 1985年5月27日[1] - )は、台湾の台北県(現:新北市)出身の[1]元プロ野球選手(投手)。
目次
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
最速148km/hの豪腕投手として高校時代から活躍し、国立体育学院に進学[1]。陳偉殷と同級生だった。
2005年5月に宮崎県で行われたアジア選手権の台湾代表に選ばれ、勝利投手になるなど活躍した。その際に巨人のスカウトの目に止まり、6月に入団テストを受け、まだ学生ながら入団が決定。7月初旬に訪日した。
巨人には、シアトル・マリナーズの誘いを断って入団した。理由は、プロ入り後も在学するつもりであった大学に関するサポートや学費等の支援が巨人の方が充実していたため。巨人入団後も国立体育学院に籍を置き、オフシーズン中に通学して単位を取得することになっていた。
プロ入りとジャイアンツ時代[編集]
入団後の2005年は二軍で基礎から育成された。
2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された。
シーズンでは一軍デビューを果たし、しばらくは中継ぎでの起用だったが、8月22日の対横浜戦で先発し、7回1失点(自責点0)で初先発初勝利を挙げ、以後は先発ローテーションの一角として定着する。初登板から28イニング連続無四球を記録し(初めての四球は敬遠)、9月3日の対中日戦では初完封勝利を無四球で飾った。被本塁打は59.2イニングで2本に抑え、先発に定着後は若手ながらエース顔負けの活躍をみせ、防御率1.81という好成績を残した。同年オフの契約更改では、球団の年俸アップの提示に対し、「私はまだ一流ではない」とこれを固辞した。
オフの12月に開催されたドーハアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では優勝を果たした。
2007年は開幕時から先発ローテーションに名を連ねたが、フォームを崩したためか打ち込まれるようになり、走者を背負った場面で本塁打を浴びることが多かった。途中からリリーフに配置転換され一軍と二軍を行き来するシーズンとなった。
2008年、自身が通っていたトレーニングジムの職員で同じ台湾出身の女性と婚約。1月2日に台北市で婚約式を行った。同年10月1日、巨人から戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加した。獲得を名乗り出る球団はなかった。
台湾球界時代[編集]
2008年12月31日に行われた中華職業棒球大聯盟(CPBL)のドラフトでは最下2位指名ながら興農ブルズの指名を受けた。
2010年シーズンからアンダースローに挑戦していたが、同年シーズン終了後に興農から戦力外通告を受け現役を引退。その後は、台北市の貿易会社に就職する[2]。その後、2012年10月に社会人野球チームの崇越科技棒球隊に内野手として入団、プロ復帰を目指している[3]。
選手としての特徴[編集]
テイクバックの小さな変則フォームからボールをテンポ良く投げ込み、手元で動く癖球とスライダー、カーブ、チェンジアップなどの多彩な変化球で打たせて取るタイプ。そのマウンド度胸も武器の一つ。
四球を出すことを特に嫌っている。球数が増え、体力を浪費するため、フォアボールを出すくらいならヒットを打たれた方がいいと語っている[4]。
打撃も上手く、二軍では三塁打を放ったこともある。また、台湾時代は遊撃手で起用された経験もあるように、フィールディングも高レベルにある。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | 巨人 | 10 | 8 | 1 | 1 | 1 | 3 | 2 | 0 | 0 | .600 | 229 | 59.2 | 48 | 2 | 7 | 2 | 1 | 31 | 2 | 1 | 13 | 12 | 1.81 | 0.92 |
| 2007 | 17 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | .333 | 182 | 41.2 | 45 | 6 | 13 | 0 | 0 | 30 | 1 | 0 | 27 | 24 | 5.18 | 1.39 | |
| 2009 | 興農 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ---- | 48 | 9.2 | 16 | 0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 8 | 7 | 6.52 | 2.07 |
| 2010 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 133 | 27.0 | 38 | 0 | 6 | 0 | 7 | 9 | 0 | 0 | 20 | 12 | 4.00 | 1.63 | |
| NPB:2年 | 27 | 13 | 1 | 1 | 1 | 5 | 6 | 0 | 0 | .455 | 411 | 101.1 | 93 | 8 | 20 | 2 | 1 | 61 | 3 | 1 | 40 | 36 | 3.20 | 1.12 | |
| CPBL:2年 | 27 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ---- | 181 | 36.2 | 54 | 0 | 10 | 0 | 7 | 13 | 0 | 0 | 28 | 19 | 4.66 | 1.75 | |
記録[編集]
- NPB投手記録
- 初登板:2006年6月14日、対オリックス・バファローズ4回戦(東京ドーム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発・初勝利:2006年8月22日、対横浜ベイスターズ15回戦(長野オリンピックスタジアム)、7回1失点
- 初奪三振:同上、1回裏に石井琢朗から空振り三振
- 初完投勝利・初完封勝利:2006年9月3日、対中日ドラゴンズ20回戦(ナゴヤドーム)
- NPB打撃記録
背番号[編集]
- 97 (2005年 - 2006年)
- 17 (2007年 - 2008年)
- 28 (2009年 - 2010年)
登場曲[編集]
代表歴[編集]
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表
- 2006年アジア競技大会野球チャイニーズタイペイ代表
- 2018年アジア競技大会野球チャイニーズタイペイ代表
脚注[編集]
- ^ a b c d 『プロ野球カラー名鑑 2008』 ベースボール・マガジン社、2008年、11頁。ISBN 978-4-583-61526-4。
- ^ 25歲姜建銘 棄棒球轉戰珠寶界 運動大聯盟
- ^ 協會盃成棒/棄投從打敲4安 姜建銘還有職棒夢 ETtoday體育新聞
- ^ 2006年9月3日 対中日戦でのヒーローインタビューにて
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 姜建銘 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 CPBL
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