水クラスター

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化学における 水クラスター(みずクラスター、water cluster)とは、分子が水素結合で結びついてできる集合体、すなわち水分子のクラスターのことを指す[1]

ただし、実際には科学的に実証されている知見は少ないにもかかわらず、あたかも水クラスタの構造が動植物に対して影響を与えているかのような宣伝文句を謳い、浄水関連機器などとして販売されている商品も多いため、疑似科学と捉える向きが多いのも実情でそれらとの混同を防ぐために注意喚起されている[2][3][4]

概要[編集]

結晶格子、あるいはバルクな液状の水について、水クラスターの構造や安定性は実験的に検討されたり計算化学で予想されたりしてきた。現時点での学術的な研究では、水分子が等方性の集合体ではなくクラスター状にあれば、密度と温度の関係など水が持つ多くの奇妙な性質を説明しやすいとされている。

バルク水中での水クラスターについて分かっていることはとても少なく、化学上の未解決の問題 (unsolved problems in chemistry)[5] のひとつとされる。

液相の水が作る高次構造について、従来の技術では静的な安定性や平衡状態について測定するにとどまっていたが、測定技術や計算能力の進歩により動的な性質を研究対象とすることも可能となってきた。

超分子構造の中には、水クラスターにより安定化されるものがある。ほか、気相中、あるいは大きな空隙を持つ結晶構造中で水クラスターが観測される。

計算化学 (in silico) による研究[編集]

計算化学では、環状のクラスター (H2O)n について n を 3 から 60 までのものの構造が検討されている。その中で、環が大きくなるにつれ酸素原子間の距離は縮まるという計算結果が得られた。これは、水素結合により水素を受容した分子は電荷の分布が変わり水素を供与する力も増えるため、水の集合体が大きくなると協同的に水素結合が強められるためとされる。水分子の六量体にはいくつかの異性体が予想されており、環状、冊子型、バッグ型、かご型、プリズム型のものがほぼ同程度の安定性を持つと算出されている。七量体についても2種類のかご型の異性体が計算で得られており、八量体では環状のものと立方体型のものが算出されている。さらに巨大なクラスターとして、フラーレン型の28量体 "bucky water" や、280個の水分子が正二十面体状に集まったものが、エネルギーの極小値を持つものとして計算されている。近年は ab initioによる水クラスターの解析もなされている[6][7]

実際の実験による研究[編集]

水クラスターの分光学的性質を実際に測定するために、遠赤外振動-回転-トンネル分光法 (far-infrared (FIR) vibration-rotation-tunneling (VRT) spectroscopy) のような高度な分光法が用いられる[8][9]。液体ヘリウムをマトリクスとして捕捉された水の六量体は、平面環状の集合体であった。一方で、気相で観測された六量体はかご型をとり、有機化合物の結晶格子中の空間に捕捉された六量体はシクロヘキサンが見せるようないす型をとっていた。赤外分光法 (IR) と質量分析計 (MS) を直結させた装置による測定により、八量体から十量体までの水クラスターには立方体型が観測された。

水が水和物の一部として結晶化しているときはX線回折による測定が可能となる。近年の研究ではこの方法で、ねじれた環状型をとる七量体が観測されている[10]

バルク水のモデル[編集]

計算化学の一手法である quantum cluster equilibrium (QCE) theory による検討結果からは、液相のバルク水中では八量体クラスターが優位に存在し、それに五量体と六量体が続くことが示された。三重点での水については二十四量体の関与が考えられた。いっぽうバルク水に関する他のモデルでは、サイズの小さい溶質を取り込めるような空間を持つ環状の六量体や五量体から成るとされた。さらに他のモデルでは、立方体型の八量体と二種類の環状四量体との平衡が存在するとされた。しかしいずれのモデルも、水が見せる特徴的な密度の変化についてうまく説明できていない。

動的性質[編集]

液相中での水のネットワーク構造は極めて寿命が短く、絶えず別のネットワーク構造へと変化する。そのため特定の構造が記憶されることはない。2005年に Nature誌に掲載されたカナダとドイツの研究グループによる報告では、H2O 中、OHの伸縮振動を高時間分解能での赤外分光法により解析したところ、3,350 cm-1 のパルスレーザーで生じさせた水の変化は 50フェムト秒以内に緩和され消失することが分かった。水分子同士の水素結合を通したエネルギーの再分配は非常に速く、特定の構造についての記憶はただちに失われた[11]。ほか、HOD/D2O を用いた測定はいくつかの研究例があり、重水中での O-H…O 水素結合の動的挙動が数十フェムト秒オーダーからピコ秒オーダーの時間スケールで観測されたと報告されている[12][13]

脚注[編集]

  1. ^ Ralf Ludwig (2001). “Water: From Clusters to the Bulk”. Angew. Chem. Int. Ed. 40: 1808–1827. doi:10.1002/1521-3773(20010518)40:10<1808::AID-ANIE1808>3.0.CO;2-1. 
  2. ^ 水のクラスター -伝搬する誤解-
  3. ^ クラスターの話を信じた人リスト
  4. ^ 水の味とNMRの信号幅との関連性
  5. ^ "So much more to know" Science 2005, 309, 78-102. DOI: 10.1126/science.309.5731.78b
  6. ^ 総説: Maheshwary, S.; Patel, N.; Sathyamurthy, N.; Kulkarni, A. D.; Gadre S. R. (2001). “Structure and Stability of Water Clusters (H2O)n, n = 8-20: An Ab Initio Investigation”. J. Phys. Chem. A: 10525. doi:10.1021/jp013141b. 
  7. ^ 総説: Fanourgakis, G. S.; Aprà, E.; de Jong, W. A.; Xantheas S. S. (2005). “High-level ab initio calculations for the four low-lying families of minima of (H2O)20. II. Spectroscopic signatures of the dodecahedron, fused cubes, face-sharing pentagonal prisms, and edge-sharing pentagonal prisms hydrogen bonding networks”. J. Chem. Phys. 122: 134304. doi:10.1063/1.1864892. 
  8. ^ Gruenloh, C. J.; Carney, J. R.; Arrington, C. A.;Zwier, T. S.; Fredericks, S. Y.; Jordan, K. D. (1997). “Infrared Spectrum of a Molecular Ice Cube: The S4 and D2d Water Octamers in Benzene-(Water)8”. Science 276: 1678. doi:10.1126/science.276.5319.1678. 
  9. ^ Viant, M. R.; Cruzan, J. D.; Lucas, D. D.; Brown, M. G.; Liu, K.; Saykally, R. J. (1997). “Pseudorotation in Water Trimer Isotopomers Using Terahertz Laser Spectroscopy”. J. Phys. Chem. A 101: 9032-9041. doi:10.1021/jp970783j. 
  10. ^ Mir, M. H.; Vittal, J. J. (2007). “Phase Transition Accompanied by Transformation of an Elusive Discrete Cyclic Water Heptamer to a Bicyclic (H2O)7 Cluster”. Angew. Chem. Int. Ed. 46: 5925–5928. doi:10.1002/anie.200701779. 
  11. ^ Cowan, M. L.; Bruner, B. D.; Huse, N.; Dwyer, J. R.; Chugh, B.; Nibbering, E. T. J. ; Elsaesser, T.; Miller, R. J. D. (2005). “Ultrafast memory loss and energy redistribution in the hydrogen bond network of liquid H2O”. Nature 434: 199–202. doi:10.1038/nature03383. 
  12. ^ 例: Fecko, C. D.; Eaves, J. D.; Loparo, J. J.; Tokmakoff, A.; Geissler, P. L. "Ultrafast Hydrogen-Bond Dynamics in the Infrared Spectroscopy of Water" Science 2003, 301, 1698-1702. DOI: 10.1126/science.1087251
  13. ^ 一連の数値は Mller, K. B.; Rey, R.; Hynes, J. T. "Hydrogen Bond Dynamics in Water and Ultrafast Infrared Spectroscopy: A Theoretical Study" J. Phys. Chem. A 2004, 108, 1275-1289. DOI: 10.1021/jp035935r の Concluding remark を参照。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]