加茂川重治
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県水戸市 |
生年月日 | 1966年3月17日(58歳) |
身長 体重 |
185 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト4位 |
初出場 | 1987年6月27日 |
最終出場 | 1991年7月19日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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加茂川 重治(かもがわ しげはる、1966年3月17日 - )は、茨城県水戸市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]水戸市立緑岡中学校時代は、茨城県内の古豪である水戸商業高校への進学を考えていたが、自宅を訪ねて来た当時創立3年目の茨城東高野球部監督から「必ず3年後、甲子園に連れて行く」と誘われ、同校に進学しエースとして活躍[2]。2年秋の県大会では決勝で取手二高を下して優勝したが、関東大会初戦で横浜商の三浦将明に完投されて敗れた。1983年夏の県大会決勝で、大久保博元がマスクを被る水戸商業高を下し、夏の甲子園に初出場を果たす。2回戦(初戦)で市尼崎高と対戦、池山隆寛に本塁打を浴び延長10回惜敗[3]。
1983年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツ(巨人)から4位指名を受け入団[1]。巨人時代は同期の水野雄仁・香田勲男の陰に隠れ活躍の機会がなかったが、スライダー、カーブ、シュートの他に、1986年の米教育リーグで当時流行のSFF(スプリットフィンガー・ファストボール)を覚えると投球の幅が広がり[4]、翌1987年に一軍初登板。同年は二軍(イースタン・リーグ)で最多勝利となる11勝を挙げ、9月14日に行われた中日ドラゴンズ(ウエスタン・リーグ)との第1回ジュニア日本選手権(現・ファーム日本選手権)でも須藤豊二軍監督から一発勝負の1戦の先発を任され6安打完封勝利、初代MVPを獲得している[1]。同年10月には一軍初先発を果たした。
1988年11月、西本聖と共に中尾孝義との2対1の交換トレードで中日に移籍するが、中日時代の1989年は一軍登板機会がなく、同年12月には木田勇との交換で巨人時代の恩師・須藤が新監督に就任した横浜大洋ホエールズへ移籍した。大洋移籍1年目となる1990年には5試合に登板するが結果を残せず、1991年11月に現役引退。1990年9月28日に横浜スタジアムで開催された対阪神タイガース24回戦では先発投手として登板し、秋元宏作とのバッテリーで5回1/3を1失点に抑え、勝利投手の権利を持った状態(得点数は大洋4-1阪神)で降板したが、4対3で迎えた9回表に後続の投手が打たれ、4点を奪われ逆転された(最終的に7対4で敗戦 / 敗戦投手は新浦壽夫)[5]ため初勝利を逃し、引退まで未勝利に終わった。
現役引退後は、妻の実家の建設会社で働いた後、プロフェッショナル・マネージメント業を経て[6]、都内の建物修繕会社に勤務。
プロ野球マスターズリーグでは巨人OBらで構成される札幌アンビシャスでプレーした。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1987 | 巨人 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 41 | 10.0 | 10 | 2 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 4 | 3 | 2.70 | 1.30 |
1988 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 37 | 8.0 | 11 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 7 | 7 | 7.88 | 1.50 | |
1990 | 大洋 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 37 | 9.0 | 6 | 0 | 4 | 1 | 0 | 4 | 2 | 0 | 3 | 3 | 3.00 | 1.11 |
1991 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 9 | 1.0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 36.00 | 6.00 | |
通算:4年 | 16 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 124 | 28.0 | 30 | 2 | 11 | 1 | 0 | 15 | 3 | 0 | 18 | 17 | 5.46 | 1.46 |
表彰
[編集]- ジュニア日本選手権MVP:1回(1987年)
記録
[編集]- 初登板:1987年6月27日、対横浜大洋ホエールズ13回戦(後楽園球場)、8回表に4番手として救援登板・完了、2回無失点
- 初奪三振:同上、8回表に若菜嘉晴から
- 初先発:1987年10月11日、対広島東洋カープ24回戦(広島市民球場)、4回3失点
背番号
[編集]- 57 (1984年 - 1988年)
- 45 (1989年)
- 10 (1990年 - 1991年)
脚注
[編集]- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、164ページ
- ^ 存続危機「公立の雄」を救え 巨人元選手らOB駆けつけ
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ 【9月14日】1987年(昭62) 初のファーム日本選手権 巨人VでMVPに加茂川重治
- ^ 『中日新聞』1990年9月29日朝刊第12版第一スポーツ面23頁「セ・リーグ 第26節 28日 阪神9回4点、逆転 横浜・夜 阪神7-4大洋(第24試合 大洋14勝10敗)」(中日新聞社)
- ^ ★02.01 清原選手のマネージャーで元巨人投手が語るセカンドキャリア
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 加茂川重治 - NPB.jp 日本野球機構