日本プロ野球名球会
日本プロ野球名球会 | |
---|---|
正式名称 | 一般社団法人日本プロ野球名球会 |
日本語名称 | 日本プロ野球名球会 |
英語名称 | Golden Players Club |
略称 | 名球会、GPC |
組織形態 | 一般社団法人 |
所在地 |
![]() 東京都中央区京橋 |
法人番号 |
5010005015954 ![]() |
理事長 | 山本浩二 |
目的 | 社会の恵まれない人達への還元と日本プロ野球界の底辺拡大 |
活動内容 | 野球普及/青少年育成 |
活動領域 |
![]() |
設立年月日 | 2010年10月15日 |
ウェブサイト | https://meikyu-kai.org/ |
一般社団法人日本プロ野球名球会(にっぽんプロやきゅうめいきゅうかい、英名: Golden Players Club)は、日本のプロ野球でプレーした選手および元選手による法人格をもった団体である。通称:名球会(めいきゅうかい)。現在の理事長は山本浩二、顧問は長嶋茂雄と王貞治。
1978年7月24日に設立された。当初の入会条件の中に昭和生まれであることが規定されていたため「昭和名球会(しょうわめいきゅうかい)」とも呼ばれていたが、現在は記録と実績で入会資格の条件を満たせば平成生まれも入会が認められる。1926年12月24日(大正15年12月24日)以前に生まれた元選手は入会が認められない。
2009年11月に金田正一が代表と会員を退いたが、これは金田のワンマン運営と金銭関係の不透明さに不満を感じた一部会員のクーデターが原因であると報じられた[1]。金田の退陣後、名球会事務所は金田の個人事務所「カネダ企画」内から東京都中央区京橋のビルに移転した[2]。
目次
概要[編集]
1978年7月24日に、任意団体として発足。発足時の会員は18名。投手は稲尾和久、梶本隆夫、金田正一、小山正明、鈴木啓示、皆川睦雄、村山実、米田哲也。野手は江藤慎一、榎本喜八、王貞治、高木守道、土井正博、長嶋茂雄、野村克也、張本勲、広瀬叔功、山内一弘。その後1981年9月8日、税法上の理由から株式会社として法人化し、「株式会社日本プロ野球名球会」に改組(代表取締役は金田正一、取締役は王貞治、長嶋茂雄)。その後2010年10月15日に一般社団法人として現組織を設立(理事長は王貞治、副理事長は柴田勲、理事は鈴木啓示、長嶋茂雄、東尾修、山田久志、山本浩二)。株式会社としての法人は、2011年2月12日の株主総会で解散した[3]。2014年12月、新理事長に山本浩二、副理事長に柴田勲と古田敦也、顧問に長嶋茂雄と王貞治の新体制が発足[4]。
「社会の恵まれない人達への還元と日本プロ野球界の底辺拡大に寄与する」ことを目的に、国内外で少年野球指導や支援をはじめとする野球の普及促進および社会貢献、講演などに積極的に取り組んでいる。
また、2017年4月20日にバンダイナムコゲームズから発売されたニンテンドー3DS専用ゲームソフト「プロ野球 ファミスタクライマックス」では、ドリームペナントをクリアすると名球会会員の選手だけを集めたチームが使用可能になる。
入会資格[編集]
名球会は、以下の入会資格を満たした上で、入会の意思を表示すれば入会が認められる。参加はあくまで任意で、入会するかどうかは本人の意思による。国籍は問わず[5]、入会資格を満たして入会の意思を示せば外国人選手・元選手も入会できる。
2017年現在の入会資格は以下の通りである。
「NPBでの記録をスタート地点とする」とは、NPBの球団を退団して以降のMLBの成績に限って合算されるという意味である。このことを強調するために、NPBの球団に入団する以前のMLBの成績を合算するのは「日米通算」ではなく「米日通算」と便宜上表現することが稀にある。例えば、アレックス・ラミレスは、2012年に米日通算での2000安打を記録したが、入会資格とは認められず、2013年にNPBのみでの通算2000安打を達成して初めて入会が認められた。
韓国プロ野球や台湾プロ野球、日米の独立リーグなど、NPB・MLB以外の記録は含まれない。
なお、物故した会員は「名誉会員」となる。
入会資格の変遷[編集]
創立当初の入会資格[編集]
1978年の創設当初の入会資格は以下の通りだった。
- NPBの選手または元選手
- 昭和生まれ
- NPBで以下のいずれかを達成
- 通算200勝利以上
- 通算2000安打以上
外国人選手もこの条件を満たして入会の意思を表示すれば入会を認めることを当時から公表していた。
投手分業化とMLB挑戦への対応[編集]
2003年12月、投手の分業化やメジャーリーグに入る日本人選手が増えたことを受け、通算250セーブ以上でも入会を認めることと、記録は日米通算(NPBとMLBの成績を合算)とするという入会資格の拡張が決定した。
米日通算除外の明確化と平成生まれへの対応[編集]
2003年の規約改正は、MLBに移籍することでNPBでの記録が伸ばせなくなる日本人選手の救済を意図していたが、思わぬ選手たちにも入会資格を与えることになってしまった。 すなわち、MLBで十分な実績を残してから来日して日米通算2000安打に到達したウォーレン・クロマティ、ロイ・ホワイト、マティ・アルー、ラリー・パリッシュ、フリオ・フランコ、さらにはMLBのみで通算2000安打(ゴセージのみ250セーブ)をクリアしてから来日してNPBで日米通算2000安打以上の記録をさらに伸ばしたウィリー・デービス、トニー・フェルナンデス、レジー・スミス、ビル・マドロック、リッチ・ゴセージの合わせて10名である。
彼ら10名はいずれも入会の意思を示さなかったため入会には至らず、表立って話題になることはなかったが、10名の入会資格が2003年の規約改正の目的から外れたものであることは明らかだった。
2012年、彼ら10名の資格を喪失させるために「名球会の入会資格においては、米日通算と日米通算とを区別する」ことが決まり、日本プロ野球での記録をスタート地点とするとの文言が入会資格に追加された。 なお、この規約変更後に米日通算の2000安打を達成した選手としてはアンドリュー・ジョーンズとアレックス・ラミレスがいる。
また、平成生まれのプロ野球選手の誕生により、併せて生年による制限も昭和以降生まれに改定された。
投手の入会資格に関する議論[編集]
2010年代半ばに入ってから、ローテーション制度の確立などの要因により、他の資格と比べて「通算200勝」の達成が困難であると指摘されている[7][8][9]。2018年に「(NPBのみでの)通算200勝は『絶滅危惧種』」と言及する記事が書かれている[10]。
また、先発とリリーフの両方で活躍した投手が入会資格を満たすことが難しいという問題点が指摘されることもあり、解決策として、勝利数とセーブ数を合算することが検討されたこともある[11]。実際に、大野豊(148勝138セーブ)、斉藤明夫(128勝133セーブ)、小林雅英(日米通算40勝234セーブ)、斎藤隆(日米通算112勝139セーブ)、上原浩治(日米通算134勝128セーブ)、藤川球児(日米通算56勝243セーブ、2019年終了時点)、デニス・サファテ(27勝234セーブ、2019年終了時点)は、勝利数とセーブを合算すると250以上となる。
特例枠の創設に関する議論[編集]
上記の通り、平成以降は投手の新規入会が野手よりも少ないことや、大谷翔平のような二刀流でプレーする選手が出てきたこともあり、2019年12月10日(現地時間。日本時間11日)、ハワイのホテルでの総会において、入会資格をいずれも満たしていない選手の入会を認める「特例枠」の創設が決議された。今後、理事会にて推薦を受けた選手が総会に諮られ、会員の4分の3以上の承認を得られれば入会が認められることになった。2019年の総会後の懇談会では、上原浩治、五十嵐亮太、大野豊、斉藤明夫の名前が挙がったという[12][13]。
過去に特例が検討された選手等[編集]
- 2005年、ミュージシャンのTHE ALFEEが単独有料コンサート通算2000回達成したことを記念し、特注ブレザーを贈呈した。なお、野球選手以外で名球会ブレザーが贈呈されたのはこの一度きりである。
- 2006年、通算1904安打で引退していた松永浩美が、元プロ野球選手によって開催されるプロ野球マスターズリーグで96安打を記録し、現役時代と合わせて2000本安打となった。これを受け、当時の会長・金田正一は、NPBとマスターズリーグの合算で記録を達成した者は「名誉会員」とすることを決定し、松永の名誉会員としての入会が認められた。しかし、その後のマスターズリーグ中断や名球会の改組等によりこの規定は自然消滅し、松永の名も公式サイトから削除されている。
- 2013年、アルフォンソ・ソリアーノが、日米通算2000安打を達成し、入会資格を獲得した。ソリアーノ本人も入会に前向きな姿勢を見せた[14]が、NPBでは通算2安打に留まり、その後にMLBで1998安打を記録したという特殊な記録であったため、入会を認めるかどうかが同年12月の総会で話し合われた。2018年現在、ソリアーノは入会していない。
- 2018年7月20日、上原浩治が世界2人目かつ日本人選手史上初となる100勝・100ホールド・100セーブの記録(日米通算)を達成した。これに先立つ同年4月には、名球会理事長の山本浩二がこの記録に入会資格を与えることが協議されていることを明かしていたが、同年末の時点で上原の入会には至っていない。
会員[編集]
新たに入会した選手に、歓迎の意を込めて先輩会員が名球会ブレザーを着せる「名球会ブレザー贈呈式」が行われている。以前は記録達成時の試合終了後に記者会見を開いたうえで行われていたが、現在は試合開始前の連盟表彰時などに行われる。
会員の構成と通算成績は次の通り。備考を除くデータはいずれも2018年シーズン終了時。勝利数及び安打数は入会資格判定に用いられる日本プロ野球での記録をスタート地点とする分のみを表示。最終所属球団はNPB及びMLBの球団のうちでの選手としての最終所属球団(マイナーリーグやその他のリーグの球団を含まない。またイベントのための1日契約などの実働性のない特殊な事例も含まない)。
太字は現役選手。◎は発足時からの会員。△は日米通じての達成者。☆は日本野球殿堂入り。◇は永久欠番保持者。★は名誉会員(故人)。□は現役時代同じ球団に一貫して所属した人物(現役選手も含む)。#はNPBの一軍監督経験者。○は一軍監督としてのリーグ優勝経験者。●は現在NPBに監督またはコーチとして在籍する人物(選手兼任も含む)。
投手[編集]
- 勝利(資格:通算200勝以上)
選手名 | 投打 | 最終勝数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
米田哲也 | 右右 | 350 | 1966年8月14日 | 28歳 | 5か月近鉄 | ◎☆ |
小山正明 | 右右 | 320 | 1964年8月13日 | 30歳 | 0か月大洋 | ◎☆ |
鈴木啓示 | 左左 | 317 | 1977年4月26日 | 29歳 | 6か月近鉄 | ◎□☆◇[15]# |
山田久志 | 右右 | 284 | 1982年4月29日 | 33歳 | 9か月阪急 | □☆# |
稲尾和久 | 右右 | 276 | 1962年8月25日 | 25歳 | 2か月西鉄 | ◎□☆◇#★[16] |
梶本隆夫 | 左左 | 254 | 1967年6月6日 | 32歳 | 1か月阪急 | ◎□☆#★[17] |
東尾修 | 右右 | 251 | 1984年9月15日 | 34歳 | 3か月西武 | □☆#○ |
工藤公康 | 左左 | 224 | 2004年8月17日 | 41歳 | 3か月西武 | ☆#○● |
村山実 | 右右 | 222 | 1970年7月7日 | 33歳 | 6か月阪神 | ◎□☆◇#★[18] |
皆川睦雄[19] | 右右 | 221 | 1968年10月6日 | 33歳 | 3か月南海 | ◎□☆★[20] |
山本昌広[21] | 左左 | 219 | 2008年8月4日 | 42歳11か月 | 中日 | □ |
村田兆治[22] | 右右 | 215 | 1989年5月13日 | 39歳 | 5か月ロッテ | □☆ |
北別府学 | 右右 | 213 | 1992年7月16日 | 35歳 | 0か月広島 | □☆ |
江夏豊 | 左左 | 206 | 1982年7月2日 | 34歳 | 1か月西武 | |
黒田博樹 | 右右 | 203 (日124/米79) |
2016年7月23日 | 41歳 | 5か月広島 | △◇ |
平松政次 | 右右 | 201 | 1983年10月21日 | 36歳 | 1か月大洋 | □☆ |
野茂英雄 | 右右 | 201 (日78/米123) |
2005年6月15日 | 36歳 | 9か月ロイヤルズ | △☆ |
- 救援(資格:通算250セーブ以上)
選手名 | 投打 | 最終セーブ数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
岩瀬仁紀 | 左左 | 407 | 2010年6月16日 | 35歳 | 7か月中日 | □ |
佐々木主浩 | 右右 | 381 (日252/米129) |
2000年7月16日 | 32歳 | 4か月横浜 | △☆ |
高津臣吾 | 右右 | 313 (日286/米27) |
2003年8月16日 | 34歳 | 8か月ヤクルト | △◇● |
野手[編集]
- 安打(資格:通算2000安打以上)
選手名 | 投打 | 通算安打数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
鈴木一朗 (イチロー) |
右左 | 4367 (日1278/米3089) |
2004年5月21日 | 30歳 | 6か月マリナーズ | △ |
張本勲[23] | 左左 | 3085 | 1972年8月19日 | 32歳 | 2か月ロッテ | ◎☆ |
野村克也 | 右右 | 2901 | 1970年10月18日 | 35歳 | 3か月西武 | ◎☆#○ |
王貞治 | 左左 | 2786 | 1974年8月4日 | 34歳 | 2か月巨人 | ◎□☆◇#○ |
松井稼頭央[24] | 右両 | 2705 (日2090/米615) |
2009年8月15日 | 33歳 | 9か月西武 | △● |
松井秀喜 | 右左 | 2643 (日1390/米1253) |
2007年5月 | 6日32歳10か月 | レイズ | △☆ |
門田博光 | 左左 | 2566 | 1987年8月26日 | 39歳 | 6か月ダイエー | ☆ |
衣笠祥雄 | 右右 | 2543 | 1983年8月9日 | 36歳 | 6か月広島 | □☆◇★[25] |
福本豊 | 左左 | 2543 | 1983年9月 | 1日35歳 | 9か月阪急 | □☆ |
金本知憲 | 右左 | 2539 | 2008年4月12日 | 40歳 | 0か月阪神 | #☆ |
立浪和義 | 右左 | 2480 | 2003年7月5日 | 33歳10か月 | 中日 | □☆ |
長嶋茂雄 | 右右 | 2471 | 1971年5月25日 | 35歳 | 3か月巨人 | ◎□☆◇#○ |
土井正博 | 右右 | 2452 | 1977年7月5日 | 33歳 | 6か月西武 | ◎ |
石井琢朗[26] | 右左 | 2432[27] | 2006年5月11日 | 35歳 | 8か月広島 | ● |
福留孝介 | 右左 | 2395 (日1897/米498) |
2016年6月25日 | 39歳 | 1か月阪神 | △ |
青木宣親 | 右左 | 2365 (日1591/米774) |
2017年6月11日 | 35歳 | 5か月ヤクルト | △ |
山本浩二[28] | 右右 | 2339 | 1984年5月5日 | 37歳 | 6か月広島 | □☆◇#○ |
高木守道 | 右右 | 2274 | 1978年4月5日 | 36歳 | 8か月中日 | ◎□☆# |
山内一弘[29] | 右右 | 2271 | 1967年10月14日 | 35歳 | 5か月広島 | ◎☆#★[30] |
井口資仁[31] | 右右 | 2254 (日1760/米494) |
2013年7月26日 | 38歳 | 7か月ロッテ | △#● |
大杉勝男 | 右右 | 2228 | 1981年7月21日 | 36歳 | 4か月ヤクルト | ☆★[32] |
大島康徳 | 右右 | 2204 | 1990年8月21日 | 39歳10か月 | 日本ハム | # |
新井貴浩 | 右右 | 2203 | 2016年4月26日 | 39歳 | 2か月広島 | |
若松勉 | 右左 | 2173 | 1985年10月9日 | 38歳 | 5か月ヤクルト | □☆#○ |
内川聖一 | 右右 | 2171 | 2018年5月9日 | 35歳 | 9か月ソフトバンク | |
稲葉篤紀 | 左左 | 2167 | 2012年4月28日 | 39歳 | 8か月日本ハム | |
広瀬叔功 | 右右 | 2157 | 1972年7月1日 | 35歳10か月 | 南海 | ◎□☆# |
秋山幸二 | 右右 | 2157 | 2000年8月18日 | 38歳 | 4か月ダイエー | ☆#○ |
宮本慎也 | 右右 | 2133 | 2012年5月4日 | 41歳 | 5か月ヤクルト | □● |
阿部慎之助 | 右左 | 2132 | 2017年8月13日 | 38歳 | 4か月巨人 | □ |
清原和博 | 右右 | 2122 | 2004年6月4日 | 36歳 | 9か月オリックス | |
小笠原道大 | 右左 | 2120 | 2011年5月5日 | 37歳 | 6か月中日 | ● |
前田智徳 | 右左 | 2119 | 2007年9月1日 | 36歳 | 2か月広島 | □ |
谷繁元信 | 右右 | 2108 | 2013年5月6日 | 42歳 | 5か月中日 | # |
中村紀洋 | 右右 | 2106 (日2101/米5) |
2013年5月1日 | 39歳 | 9か月DeNA | △ |
古田敦也 | 右右 | 2097 | 2005年4月24日 | 39歳 | 8か月ヤクルト | □☆# |
松原誠 | 右右 | 2095 | 1980年4月23日 | 36歳 | 3か月巨人 | |
鳥谷敬 | 右左 | 2085 | 2017年9月8日 | 36歳 | 2か月阪神 | □ |
山崎裕之 | 右右 | 2081 | 1983年9月18日 | 37歳 | 8か月西武 | |
藤田平 | 右左 | 2064 | 1983年5月3日 | 35歳 | 6か月阪神 | □# |
有藤通世[33] | 右右 | 2057 | 1985年 | 7月11日38歳 | 6か月ロッテ | □# |
江藤慎一 | 右右 | 2057 | 1975年9月6日 | 37歳11か月 | ロッテ | ◎☆#★[34] |
加藤秀司[35] | 左左 | 2055 | 1987年5月7日 | 38歳11か月 | 南海 | |
和田一浩 | 右右 | 2050 | 2015年6月11日 | 42歳11か月 | 中日 | |
荒木雅博 | 右右[36] | 2045 | 2017年6月3日 | 39歳 | 8か月中日 | □● |
小久保裕紀 | 右右 | 2041 | 2012年6月24日 | 40歳 | 8か月ソフトバンク | |
新井宏昌 | 右左 | 2038 | 1992年7月8日 | 40歳 | 2か月近鉄 | ● |
野村謙二郎 | 右左[36] | 2020 | 2005年6月23日 | 38歳 | 9か月広島 | □# |
柴田勲 | 右両 | 2018 | 1980年8月7日 | 36歳 | 5か月巨人 | □ |
アレックス・ラミレス | 右右 | 2017[37] | 2013年4月6日 | 38歳 | 6か月DeNA | #● |
田中幸雄 | 右右 | 2012 | 2007年5月17日 | 39歳 | 5か月日本ハム | □ |
駒田徳広 | 左左 | 2006 | 2000年9月6日 | 37歳11か月 | 横浜 | |
福浦和也 | 左左 | 2000 | 2018年9月22日 | 42歳 | 9か月ロッテ | □● |
退会者[編集]
- 投手(通算200勝以上)
選手名 | 投打 | 最終勝数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
金田正一[38] | 左左 | 400 | 1958年6月6日 | 24歳10か月 | 巨人 | ☆◎◇#○ |
堀内恒夫 | 右右 | 203 | 1980年6月2日 | 32歳 | 4か月巨人 | □☆# |
- 野手(通算2000安打以上)
選手名 | 投打 | 最終安打数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
榎本喜八[39] | 左左 | 2314 | 1968年7月21日 | 31歳 | 7か月西鉄 | ◎☆ |
谷沢健一[40] | 左左 | 2062 | 1985年10月23日 | 38歳 | 1か月中日 | □ |
入会資格を有する未入会者[編集]
- 野手(通算2000安打以上)
選手名 | 投打 | 最終安打数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
落合博満 | 右右 | 2371 | 1995年4月15日 | 41歳 | 4か月日本ハム | ☆#○ |
アルフォンソ・ソリアーノ | 右右 | 2097 (日2/米2095) |
2013年8月7日 | 37歳 | 7か月ヤンキース | △ |
活動[編集]
1978年の設立以来の「社会の恵まれない人達への還元とプロ野球の底辺拡大に寄与する」という目的に向かって、「野球振興」と「社会貢献」という2つの分野において、継続した活動とともに社会情勢に対応した新しい活動に積極的に取り組んでいる。
野球振興[編集]
「プロ野球の底辺拡大に寄与する」ことを目的とする分野では、子どもの頃から野球に親しみ自らプレーを楽しむ人々を増やし、プロ野球ファンの拡大と惹いてはプロ野球選手を目指す人々のモチベーションアップに繋がるべく、会員の影響力が強くおよぶ少年野球への指導・支援に力を入れている。
全国各地で、自治体、教育委員会、少年野球チーム、企業などからの依頼に応じて、まず野球に興味を持ってもらうために、野球に親しみ体験できる「名球会ベースボールフェスティバル」を行っている。そこでは、会員が体験指導する投球や打撃、守備に真剣に向き合っている子どもとともに、応援にきた兄弟、両親、祖父母が、それぞれの時代のヒーローに会える場としても楽しまれている。野球がうまくなりたい少年少女に、会員が直接指導する「名球会野球教室」が行われている。そこでは、投球、打撃、守備のエキスパートが、子ども一人ひとりに声をかけ、コミュニケーションをとりながら指導が行われている。最近では、グローバル化の進展にともない、海外で野球を楽しみ普及活動をしている方々からの依頼もあり、現在はアジアの国々(台湾、韓国、フィリピン)に会員が出向いて、現地で少年少女への指導・支援も行われている。このほかにも、「名球会杯」と名前の入った少年野球大会の開催支援や野球用具の不足している地域の子ども達への用具の寄贈。また、グランド以外でも児童生徒、少年野球チーム、少年刑務所受刑者などの方々へ、会員自らの経験にもとづいた講演を行い夢にチャレンジする勇気を伝えている。
社会貢献[編集]
「社会の恵まれない人達への還元」を目的とする分野では、誰もが安全に安心して野球を楽しめる、よりよい社会づくりへの貢献を目指し、社会的弱者の方々への支援活動を中心にしながら更に幅を拡げた活動を行っている。
設立当初より、名球会と会員の抜群の知名度を活かして、チャリティイベントを行い、集められた浄財を寄付している。よく知られているイベントとしては、年末テレビでも放送される「名球会チャリティゴルフ大会」があり、そこで集められた浄財は地元の社会事業団へ寄付されている。最近では、2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災者支援のためのトークショーや講演会を開催し募金活動を行っている。これら以外にも多くのチャリティイベントを行い、点字図書館や日本赤十字社などへの寄付活動を継続的に行っている。直接的な支援活動として、2012年5月から、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被災者の暮らす仮設住宅を会員が訪ね、交流を図る“心のケアー”活動を国連の友Asia-Pacificと共同で継続して行っている。2012年7月に、国際親善という観点から韓国において、韓国プロ野球OB会「一球会」と共同で、聴力障害を持つ少年達への野球クリニックと日・韓プロ野球レジェンドマッチを行い韓国の野球ファンを楽しませている。また、記念事業や研修時の要望に応じ、地域住民、自衛隊員、企業人の方々へ、選手、監督として経験した記録や勝負、采配にまつわる話など多くの講演を行い教訓を伝えている。
脚注[編集]
- ^ “カネやんを追い落とした名球会“クーデター”の裏側”. 夕刊フジ (2009年12月4日). 2010年1月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年12月26日閲覧。
- ^ 「週刊ポスト」2009年12月4日号掲載記事(34-38ページ)では、11月12日に旧事務所からの移転作業を開始したこと、および、11月15日に会員や関係者へ移転通知が届けられたことを報じた。
- ^ 2011年(平成23年)3月7日『官報』号外第44号87ページ「解散公告」
- ^ “名球会 新理事長に山本浩二氏「国内で全員が参加する野球教室を」”. スポーツニッポン (2014年12月18日). 2016年12月26日閲覧。
- ^ 名球会創設時の会員に、王貞治や張本勲など日本国籍を有さない者がいる。
- ^ “名球会ブレザー授与式|名球会とは|日本プロ野球名球会公式ホームページ”. 2013年10月17日閲覧。
- ^ “2000安打より200勝が難しすぎ! エース級のMLB流出で絶滅の危機。”. Number Web. 2018年3月20日閲覧。
- ^ “神の領域?NPB通算200勝は達成可能なのか”. SPAIA. 2018年3月20日閲覧。
- ^ “投手には厳しすぎ?名球会の入会資格は妥当といえるか”. Basseball Crix. 2018年3月20日閲覧。
- ^ “現役最多はヤクルト石川の158勝 今やNPB通算200勝投手は“絶滅危惧種“”. Full-Count. 2018年3月20日閲覧。
- ^ https://www.zakzak.co.jp/amp/sports/baseball/20170117/bbl1701171700004-a.htm
- ^ “名球会“特例枠”設置を決議、王顧問「時代に合った形に変化を」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年12月11日) 2019年12月12日閲覧。
- ^ “名球会「特別枠」で今後入会が予想される候補 大野豊、三浦大輔、高橋慶彦、山田哲人ら”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年12月12日) 2019年12月12日閲覧。
- ^ “ソリアーノ、名球会入り「喜んで」日米2000H”. サンケイスポーツ (2013年8月9日). 2013年8月9日閲覧。
- ^ 近鉄球団がオリックスへの統合で消滅した際、本人の申し出もあり、永久欠番は失効している。
- ^ 2007年11月13日、悪性腫瘍のため、70歳で死去。
- ^ 2006年9月23日、呼吸器不全のため、71歳で死去。
- ^ 1998年8月22日、直腸がんのため、61歳で死去。
- ^ 本名は「睦男」だが、登録名の「睦雄」で登録されている。
- ^ 2005年2月6日、敗血症のため、69歳で死去。
- ^ 現役中期から登録名を「山本昌」と改名していたが、本名で登録されている。
- ^ 本名は「長次」だが、登録名の「兆治」で登録されている。
- ^ 本名は韓国名の「張 勲(チャン・フン)」だが、日本名かつ登録名の「張本勲」で登録されている。
- ^ 本名は「和夫」だが、登録名の「稼頭央」で登録されている。
- ^ 2018年4月23日、上行結腸がんのため、71歳で死去。
- ^ 本名は「忠徳」だが、登録名の「琢朗」で登録されている。
- ^ うち3安打は投手時代の登板時に打席に立った時のもの。
- ^ 本名は「浩司」だが、登録名の「浩二」で登録されている。
- ^ 旧名(戸籍上の改名の有無は不明)は「和弘」だが、登録名の「一弘」で登録されている。
- ^ 2009年2月2日、肝不全のため、76歳で死去。
- ^ 本名は「忠仁」だが、登録名の「資仁」で登録されている。
- ^ 1992年4月30日、肝臓がんのため、47歳で死去。
- ^ 現役後期から監督時代に登録名を「道世」と改名していたが、本名の「通世」で登録されている。
- ^ 2008年2月28日、肝臓がんのため、70歳で死去。
- ^ 現役後期に登録名を「英司」と改名していたが、本名の「秀司」で登録されている。
- ^ a b 両打登録の経験あり。
- ^ 日本球界に入団する以前にMLBで86安打を記録。
- ^ 2019年10月6日、急性胆管炎による敗血症のため、86歳で死去。
- ^ 2012年3月14日、大腸がんのため、75歳で死去。
- ^ 本名の苗字は旧字体の「谷澤」とみられるが、登録名では常用漢字の「谷沢」を使用している(特定非営利活動法人谷沢野球コミュニティ柏(旧名称:谷沢野球コミュニティ千葉) - 内閣府NPOホーム―ページ、NPO法人ポータルサイト。2019年5月10日閲覧。代表者名を旧字体で表記)。
関連項目[編集]
- 500本塁打クラブ
- 3000本安打クラブ
- 300勝クラブ
- 3000奪三振クラブ
- 野球殿堂 (日本)
- 日本名輪会 - 競輪版名球会ともいえる組織。
- 日本サッカー名蹴会 - サッカー版名球会ともいえる組織。2010年9月発足。
- プロボクシング・世界チャンピオン会 - ボクシング版名球会ともいえる組織。2010年5月19日に発足。
外部リンク[編集]
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