鵜久森淳志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
鵜久森 淳志
東京ヤクルトスワローズ #91
NF-Atsushi-Ugumori20120310.jpg
日本ハム時代(2012年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県松山市
生年月日 1987年2月1日(29歳)
身長
体重
189 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2004年 ドラフト8巡目
初出場 2006年4月18日
年俸 750万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鵜久森 淳志(うぐもり あつし、1987年2月1日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属する愛媛県松山市出身のプロ野球選手外野手内野手)。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

中学生時代に、ボーイズリーグの松山クラブへ所属。同クラブには、後にプロで同僚となる藤井秀悟も所属していた。

中学までは投手済美高校外野手に転向。2004年に四番・左翼手として甲子園に出場し、春(第76回選抜大会)に2本、夏(第86回選手権大会)には3本の本塁打を放ち、同校の甲子園春初出場優勝・夏初出場準優勝に貢献。高校通算47本塁打。同年秋のプロ野球ドラフト会議にて北海道日本ハムファイターズから8巡目指名を受けて入団。

日本ハム時代[編集]

2005年には同期入団の市川卓2006年には1年後輩の陽仲壽と共に、二軍の重点強化指定選手に選ばれた。2005年には、高卒の新人野手ながら、イースタン・リーグ公式戦でチーム最多の88試合に出場。チーム2位の8本塁打を放ったが、打率(.228)と三振(90三振)は、リーグの規定打席に到達した選手の最下位であった。

2006年には、公式戦の開幕直後に一軍へ初昇格。4月18日の対オリックス・バファローズ戦(東京ドーム)に、代打として一軍デビューを果たした。イースタン・リーグ公式戦では、チーム2位の89試合に出場したが、打率.228、4本塁打と不調。シーズン終了後には、尾崎匡哉などと共に、ハワイウィンターリーグへ参加した。

2007年には、イースタン・リーグ公式戦で、チーム2位の88試合に出場。打率.286、10本塁打、リーグ4位の46打点という内容で、入団以来最高の成績を残した。

2008年には、一軍公式戦11試合に出場。一軍初安打・初打点を記録した。

2009年には、イースタン・リーグ公式戦で、リーグ2位の20本塁打を記録。シーズン終了後のプロ野球コンベンションでは、日刊スポーツが制定する努力賞を受賞している。ただし、一軍公式戦への出場機会はなかった。

2010年には、4月11日の対福岡ソフトバンクホークス戦で先制打を記録。チームが勝利したため、試合後には自身初のヒーローインタビューを経験した。しかし、その直後に故障で二軍へ降格。イースタン・リーグ公式戦では、規定打席に満たなかったものの、55試合の出場で.347という高打率を残した。

2011年には、公式戦の開幕を一軍で迎えた。しかし、守備面でベンチの信用が得られなかったため、公式戦にはもっぱら代打や指名打者として起用。出場機会を増やすため、一塁の守備練習にも取り組んでいた。7月30日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)では、杉内俊哉から放った大飛球がライトポールを掠めた末に、ビデオ判定によって本塁打と認定。この認定によって、一軍での初本塁打を記録した。

2012年には、イースタン・リーグ公式戦への出場選手で唯一の2桁本塁打(12本塁打)を記録した末に、リーグ本塁打王のタイトルを獲得。一軍公式戦でも、7月26日の対ソフトバンク戦で2打席連続本塁打を記録すると、3日後(29日)の対オリックス・バファローズ戦第1打席でも本塁打を放った。27日と28日は試合に出場していないため、結果として事実上の3打席連続本塁打になった。

2013年には一軍公式戦22試合、2014年には24試合に出場。いずれの年にも1打点を挙げたが、本塁打を放てなかった。

2015年には、イースタン・リーグ公式戦73試合へ出場するとともに、自身3年振りの10本塁打を記録。しかし、一軍公式戦3試合の出場(いずれも代打)で無安打に終わると、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[1]。ただし、現役続行の意向を示したことから、通告後の秋季キャンプには球団の計らいで打撃・守備練習への参加を認められた[2]

ヤクルト時代[編集]

2015年11月10日に、12球団合同トライアウト草薙球場)へ参加。シートバッティング形式による7人の投手との対戦で、7打数2安打1二塁打という結果を残した[3]。この結果を受けて、東京ヤクルトスワローズ11月13日に、鵜久森の獲得で合意に達したことを発表[4][5]。鵜久森自身も、故郷・松山市内の坊っちゃんスタジアムで実施されていた秋季キャンプに、同月15日から合流した[2]

2016年には、開幕一軍入りを果たすと、開幕5戦目に当たる3月30日の対阪神タイガース戦(神宮球場)で移籍後初めてスタメンに起用。4回裏の第2打席で岩田稔から勝ち越しのソロ本塁打を放ったことによって、開幕戦からのチームの連敗を4で止めることに貢献した。この一打は、一軍公式戦における自身4年振りの本塁打で、同球場におけるチームのシーズン公式戦初本塁打でもあった[6]。以降の一軍公式戦でも、左投手の先発が予告された場合のスタメンや、左投手に対する代打として随時出場。甲子園球場におけるプロ入り後初の公式戦であった8月27日の同カードでは、「5番・右翼手」としてスタメンに起用されると、3回表の第2打席に岩崎優から一軍公式戦で初めての満塁本塁打を放った。さらに、第3打席で適時打を放ったことによって、一軍公式戦では自身最多となる1試合5打点も記録した[7]

選手としての特徴[編集]

中学生時代まで本塁打を放ったことがなかったにもかかわらず、済美高校の在学中には、対外試合で通算47本塁打を記録するほどの長距離打者に変貌した[2]。日本ハムへの入団後は、「未来の4番打者候補」と目されていたが、2009年に当時の首脳陣から流し打ちの技術指導を受けた。その際にアベレージヒッターへの転向を通達されたことや、NPB球団の本拠地では最も広い部類に入る札幌ドームでの打撃練習で思うように打球を飛ばせないことから、2011年頃からは中距離打者としての一軍定着を模索してきた[8]。2016年にヤクルトへ移籍したことを機に、杉村繁一軍チーフ打撃コーチからの勧めで、長距離打者としての再起を期している[9]

人物[編集]

日本ハム時代の2008年度には、理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会と球団によるコラボレーション企画「ファイターズスタイル」で、若手選手対象のファン投票を経て最新ヘアデザインのモデルに選ばれた[10]。翌2009年には、ファッションモデルなどの活動を展開していた4歳年上の女性と、公式戦開幕直後の4月6日に結婚。2012年10月1日には、双子の女児を授かっている[11]

済美高校時代の監督だった上甲正典によれば、入学当時の鵜久森は、野球選手とは思えないほど痩身だったという。しかし、「どの高校のどの選手よりもバットを振ったと思う」と上甲に言わしめるほど、トレーニングや素振りへ積極的に取り組むことで長打力を開花[2]。日本ハムへの入団が決まった後には、上甲から「頑張って(プロ野球生活を)15年やれ」と激励されるまでに成長した[8]

なお、上甲が胆道がんで療養中だった2014年9月1日には、当時愛媛県内の病院へ入院していた上甲を見舞っている。日本ハムの選手として遠征していた東京から本拠地・札幌への移動日を利用しての見舞いだったが、上甲は翌9月2日に67歳で永眠。訃報を受けた鵜久森は、「言葉にできないほど残念」と嘆く一方で、「最後に(上甲と)会えたので良かったかな」という述懐のコメントを寄せた[12]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 日本ハム 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2008 11 23 20 3 6 1 0 0 7 2 0 0 1 0 1 0 1 3 2 .300 .364 .350 .714
2010 23 40 36 4 10 0 1 0 12 2 0 0 0 0 2 0 2 15 0 .278 .350 .333 .683
2011 42 64 61 3 15 3 0 2 24 6 0 1 0 1 2 0 0 17 1 .246 .266 .393 .659
2012 20 37 32 4 7 0 0 4 19 6 0 0 1 0 4 0 0 9 0 .218 .306 .594 .899
2013 22 51 50 2 7 1 0 0 8 1 0 0 0 0 1 0 0 10 0 .140 157 .160 .317
2014 24 44 40 1 8 0 1 0 10 1 0 0 0 0 4 0 0 9 0 .200 .273 .250 .523
2015 3 3 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .333 .000 .333
NPB:8年 146 263 242 18 53 5 2 6 80 18 0 1 2 1 15 0 3 65 3 .219 .272 .331 .604
  • 2015年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 65 (2005年 - 2010年)
  • 44 (2011年 - 2015年)
  • 91 (2016年 - )

登場曲

▪「心の空」嵐(2016年)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 来季契約について”. 北海道日本ハムファイターズ (2015年10月2日). 2015年10月3日閲覧。
  2. ^ a b c d トライアウトからの逆襲を目指す ヤクルト・鵜久森の球歴とは?”. BASEBALL KING (2016年1月18日). 2016年5月13日閲覧。
  3. ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html 
  4. ^ 選手獲得のお知らせ | 東京ヤクルトスワローズ - 2015年11月13日閲覧
  5. ^ “ヤクルト、オリックス退団・坂口の獲得を発表 日本ハム戦力外の鵜久森も”. スポーツニッポン. (2015年11月13日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/13/kiji/K20151113011501450.html 2015年11月13日閲覧。 
  6. ^ “戦力外男が救った!燕、鵜久森の自身4年ぶり1号で開幕5連敗阻止(2)”. サンケイスポーツ. (2016年3月31日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20160331/swa16033105070004-n2.html 2016年3月31日閲覧。 
  7. ^ “ヤクルト鵜久森12年目で初満弾 昨季まで計6発なのに今季4発3本V弾”. スポーツニッポン. (2016年8月26日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20160331/swa16033105070004-n2.html 2016年8月27日閲覧。 
  8. ^ a b “【ヤクルト】鵜久森「いて良かったと思われる活躍がしたい」”. スポーツ報知. (2016年2月21日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160221-OHT1T50200.html 2016年3月31日閲覧。 
  9. ^ “戦力外男が救った!燕、鵜久森の自身4年ぶり1号で開幕5連敗阻止(3)”. サンケイスポーツ. (2016年3月31日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20160331/swa16033105070004-n3.html 2016年3月31日閲覧。 
  10. ^ ファイターズスタイル理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会、2015年11月20日閲覧。
  11. ^ 【日本ハム】鵜久森に双子のベビー誕生 : nikkansports.com2015年8月26日閲覧。
  12. ^ ハム鵜久森1日に見舞い「最後に会えた…」”. 日刊スポーツ (2014年9月2日). 2015年11月7日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]