鵜久森淳志

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鵜久森 淳志
NF-Atsushi-Ugumori20120310.jpg
日本ハム時代(2012年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県松山市
生年月日 (1987-02-01) 1987年2月1日(32歳)
身長
体重
189 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2004年 ドラフト8巡目
初出場 2006年4月18日
最終出場 2018年5月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鵜久森 淳志(うぐもり あつし、1987年2月1日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手外野手内野手)。右投右打。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

中学生時代に、ボーイズリーグの松山クラブへ所属。当時は投手だったが、済美高校への進学後に外野手へ転向した。

高校3年時の2004年には、「4番・左翼手」として春夏連続で阪神甲子園球場の全国大会に出場。いずれもチーム史上初めての出場だったが、春の選抜大会優勝・夏の選手権全国大会準優勝に貢献した。また、春の選抜大会で2本、夏の選手権全国大会で3本の本塁打を放つなど、在学中には対外試合で通算47本塁打を記録した。ちなみに、同級生の高橋勇丞は3年時の主将で、上記の選抜大会にはクリーンアップを組んでいる。

2004年NPBドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから8巡目で指名。契約金3,500万円、年俸480万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は65。この会議では、前述した夏の選手権全国大会でベンチに入れなかった高橋も、阪神タイガースから7巡目で指名。後に入団した。

日本ハム時代[編集]

2005年、同期入団の市川卓2006年には1年後輩の陽仲壽と共に、二軍の重点強化指定選手に選ばれた。高卒の新人野手ながら、イースタン・リーグ公式戦でチーム最多の88試合に出場。チーム2位の8本塁打を放ったが、打率(.228)と三振(90三振)は、リーグの規定打席に到達した選手の最下位であった。

2006年、公式戦の開幕直後に一軍へ初昇格。4月18日の対オリックス・バファローズ戦(東京ドーム)に、代打として一軍デビューを果たした。イースタン・リーグ公式戦では、チーム2位の89試合に出場したが、打率.228、4本塁打と不調。シーズン終了後には、尾崎匡哉などと共に、ハワイウィンターリーグへ参加した。

2007年、イースタン・リーグ公式戦で、チーム2位の88試合に出場。打率.286、10本塁打、リーグ4位の46打点という内容で、入団以来最高の成績を残した。

2008年、一軍公式戦11試合に出場。一軍初安打・初打点を記録した。

2009年、イースタン・リーグ公式戦で、リーグ2位の20本塁打を記録。シーズン終了後のプロ野球コンベンションでは、日刊スポーツが制定する努力賞を受賞している。ただし、一軍公式戦への出場機会はなかった。

2010年、4月11日の対福岡ソフトバンクホークス戦で先制打を記録。チームが勝利したため、試合後には自身初のヒーローインタビューを経験した。しかし、その直後に故障で二軍へ降格。イースタン・リーグ公式戦では、規定打席に満たなかったものの、55試合の出場で.347という高打率を残した。

2011年、この年から背番号を44へ変更するとともに、公式戦の開幕を一軍で迎えた。実際には、守備面でベンチの信用が得られなかったため、公式戦にはもっぱら代打や指名打者として起用。出場機会を増やすため、一塁の守備練習にも取り組んでいた。7月30日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)では、杉内俊哉から放った大飛球がライトポールを掠めた末に、ビデオ判定によって本塁打と認定。この認定によって、一軍での初本塁打を記録した。

2012年、イースタン・リーグ公式戦への出場選手で唯一の2桁本塁打(12本塁打)を記録した末に、リーグ本塁打王のタイトルを獲得。一軍公式戦でも、7月26日の対ソフトバンク戦で2打席連続本塁打を記録すると、3日後(29日)の対オリックス・バファローズ戦第1打席でも本塁打を放った。27日と28日は試合に出場していないため、結果として事実上の3打席連続本塁打になった。

2013年、一軍公式戦22試合。2014年には24試合に出場。いずれの年にも1打点を挙げたが、本塁打を放てなかった。

2015年、イースタン・リーグ公式戦73試合へ出場するとともに、自身3年振りの10本塁打を記録。しかし一軍公式戦3試合の出場(いずれも代打)で無安打に終わると、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[1]。ただし、現役続行の意向を示したことから、通告後の秋季キャンプには球団の計らいで打撃・守備練習への参加を認められた[2]

ヤクルト時代[編集]

2015年11月10日に、12球団合同トライアウト草薙球場)へ参加。シートバッティング形式による7人の投手との対戦で、7打数2安打1二塁打という結果を残した[3]。この結果を受けて、東京ヤクルトスワローズは11月13日に、鵜久森の獲得で合意に達したことを発表[4][5]。鵜久森自身も、故郷・松山市内の坊っちゃんスタジアムで実施されていた秋季キャンプに、11月15日から合流した[2]。背番号は91

2016年、開幕一軍入りを果たすと、開幕5戦目に当たる3月30日の対阪神タイガース戦(神宮球場)で移籍後初めてスタメンに起用。4回裏の第2打席で岩田稔から勝ち越しのソロ本塁打を放ったことによって、開幕戦からのチームの連敗を4で止めることに貢献した。この一打は、一軍公式戦における自身4年振りの本塁打で、同球場におけるチームのシーズン公式戦初本塁打でもあった[6]。以降の一軍公式戦でも、左投手の先発が予告された場合のスタメンや、左投手に対する代打として随時出場。甲子園球場におけるプロ入り後初の公式戦であった8月27日の同カードでは、「5番・右翼手」としてスタメンに起用されると、3回表の第2打席に岩崎優から一軍公式戦で初めての満塁本塁打を放った。さらに、第3打席で適時打を放ったことによって、一軍公式戦では自身最多の1試合5打点も記録した[7]。一軍公式戦全体でも、プロ入り後最多の46試合に出場。自己タイ記録の4本塁打を放ったほか、打率.257、自己最多の19打点という成績を残した。

2017年、前年に続いて、公式戦を一軍でスタート。4月2日には、横浜DeNAベイスターズとの開幕カード第3戦(神宮)に4-4の延長10回裏1死満塁から代打に起用されると、須田幸太からサヨナラ満塁本塁打を放った。NPBの一軍公式戦で代打サヨナラ満塁本塁打を記録した選手は史上16人目、ヤクルトでは岩下正明1982年)に次いで2人目だが、開幕カードで記録したのは鵜久森がNPB史上初めてである[8]。さらに、10日後(4月13日)に同じ神宮球場で催された対中日ドラゴンズ戦でも、9回裏に代打でサヨナラ安打を放った[9]。一軍公式戦全体では、前年とほぼ同じ45試合の出場ながら、代打が中心の起用だったため打席数が減少。本塁打は前述した1本のみで、打率は.206、打点は7にとどまった。

2018年、公式戦の開幕を一軍で迎えると、開幕から代打中心の起用で3割以上の打率をマーク。松山坊っちゃんスタジアムで4月25日に催された対阪神戦では、3点ビハインドながら9回裏2死1・2塁の局面で代打に起用されると、両親が見守る前でラファエル・ドリスから適時打を放った[10]。5月下旬以降は一軍から遠ざかったため、一軍公式戦では19試合の出場でノーアーチにとどまったものの、通算打率は.294に達していた。シーズン最終盤の10月2日に自身2度目の戦力外通告を受けたが、「野球人生をやり切りたい」との意向が強く、11月13日に12球団合同トライアウト(タマホームスタジアム筑後)へ再び臨んだ。結果は4人の投手に対して無安打(2四球1三振)[11]で、NPB他球団から獲得のオファーを受けるまでには至らず、12月21日に現役引退を表明した[12]

現役引退後[編集]

2019年からは、ソニー生命の営業職員へ転身する[12]。鵜久森によれば、2015年の12球団合同トライアウトで人材発掘を目的に草薙球場へ出向いていた同社の関係者へ、ヤクルトからの戦力外通告後に改めて話を聞いたうえで、現役引退と入社を決意したという[13]

選手としての特徴[編集]

中学生時代まで本塁打を放ったことがなかったにもかかわらず、済美高校の在学中には、対外試合で通算47本塁打を記録するほどの長距離打者に変貌した[2]。日本ハムへの入団後は、「未来の4番打者候補」と目されていたが、2009年に当時の首脳陣から流し打ちの技術指導を受けた。その際にアベレージヒッターへの転向を通達されたことや、NPB球団の本拠地では最も広い部類に入る札幌ドームでの打撃練習で思うように打球を飛ばせないことから、2011年頃からは中距離打者としての一軍定着を模索してきた[14]。ヤクルトへ移籍した2016年以降は、杉村繁一軍チーフ打撃コーチからの勧めで、長距離打者としての再起を期していた[15]

プロ13年目(ヤクルト時代)の2017年には、5月6日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で、「6番・一塁手」としてスタメンに起用。4回表の第2打席で四球を選ぶと、二塁への盗塁を成功させたことによって、一軍公式戦での初盗塁を記録した。過去にもオープン戦で盗塁を成功させたことはあったが、プロ13年目での一軍公式戦初盗塁は異例の記録[16]で、現役生活全体でもこの盗塁が一軍公式戦で唯一の盗塁になった。

人物[編集]

松山クラブの先輩に、藤井秀悟がいる。藤井は、早稲田大学を経て、2002年にヤクルトへ入団。2008年から2009年まで、日本ハムで鵜久森のチームメイトになった。

日本ハム時代の2008年に、理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会と球団によるコラボレーション企画「ファイターズスタイル」で、若手選手対象のファン投票を経て最新ヘアデザインの同年度モデルに選ばれた[17][18]。翌2009年には、ファッションモデルなどの活動を展開していた4歳年上の女性と、公式戦開幕直後の4月6日に結婚。2012年10月1日には、双子の女児を授かっている[19]

済美高校時代の監督だった上甲正典によれば、入学当時の鵜久森は、野球選手とは思えないほど痩身だったという。しかし、「どの高校のどの選手よりもバットを振ったと思う」と上甲に言わしめるほど、トレーニングや素振りへ積極的に取り組むことで長打力を開花[2]。日本ハムへの入団が決まった後には、上甲から「頑張って(プロ野球生活を)15年やれ」と激励されるまでに成長した[14]

なお、上甲が胆道がんで療養中だった2014年9月1日には、当時愛媛県内の病院へ入院していた上甲を見舞っている。日本ハムの選手として遠征していた東京から本拠地・札幌への移動日を利用しての見舞いだったが、上甲は9月2日に67歳で永眠。訃報を受けた鵜久森は、「言葉にできないほど残念」と嘆く一方で、「最後に(上甲と)会えたので良かったかな」という述懐のコメントを寄せた[20]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 日本ハム 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2008 11 23 20 3 6 1 0 0 7 2 0 0 1 0 1 0 1 3 2 .300 .364 .350 .714
2010 23 40 36 4 10 0 1 0 12 2 0 0 0 0 2 0 2 15 0 .278 .350 .333 .683
2011 42 64 61 3 15 3 0 2 24 6 0 1 0 1 2 0 0 17 1 .246 .266 .393 .659
2012 20 37 32 4 7 0 0 4 19 6 0 0 1 0 4 0 0 9 0 .219 .306 .594 .899
2013 22 51 50 2 7 1 0 0 8 1 0 0 0 0 1 0 0 10 0 .140 .157 .160 .317
2014 24 44 40 1 8 0 1 0 10 1 0 0 0 0 4 0 0 9 0 .200 .273 .250 .523
2015 3 3 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .333 .000 .333
2016 ヤクルト 46 146 136 7 35 4 1 4 53 19 0 0 1 0 9 0 0 22 4 .257 .303 .390 .693
2017 45 91 86 6 18 5 1 1 28 7 1 0 0 0 5 0 0 15 1 .209 .253 .326 .578
2018 19 20 17 1 5 1 0 0 6 3 0 0 0 2 1 0 0 5 1 .294 .300 .353 .653
通算:11年 256 520 481 32 111 15 4 11 167 47 1 1 3 3 30 0 3 107 9 .231 .279 .347 .626

年度別守備成績[編集]



一塁 外野
























2008 日本ハム - 10 6 0 0 0 1.000
2010 - 4 1 0 0 0 1.000
2011 - 12 8 0 1 0 .889
2012 - 4 2 0 0 0 1.000
2013 3 8 1 0 2 1.000 16 29 1 0 0 1.000
2014 4 13 0 0 0 1.000 9 9 1 0 0 1.000
2015 1 0 0 0 0 ---- -
2016 ヤクルト 19 127 14 3 7 .979 21 29 0 0 0 1.000
2017 12 69 4 0 1 1.000 10 12 0 1 0 .923
2018 2 7 0 0 0 1.000 3 0 0 0 0 ----
通算 41 224 19 3 10 .988 89 96 2 2 0 .980

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 65 (2005年 - 2010年)
  • 44 (2011年 - 2015年)
  • 91 (2016年 - 2018年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 来季契約について”. 北海道日本ハムファイターズ (2015年10月2日). 2015年10月3日閲覧。
  2. ^ a b c d トライアウトからの逆襲を目指す ヤクルト・鵜久森の球歴とは?”. BASEBALL KING (2016年1月18日). 2016年5月13日閲覧。
  3. ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html 
  4. ^ 選手獲得のお知らせ | 東京ヤクルトスワローズ - 2015年11月13日閲覧
  5. ^ “ヤクルト、オリックス退団・坂口の獲得を発表 日本ハム戦力外の鵜久森も”. スポーツニッポン. (2015年11月13日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/13/kiji/K20151113011501450.html 2015年11月13日閲覧。 
  6. ^ “戦力外男が救った!燕、鵜久森の自身4年ぶり1号で開幕5連敗阻止(2)”. サンケイスポーツ. (2016年3月31日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20160331/swa16033105070004-n2.html 2016年3月31日閲覧。 
  7. ^ “ヤクルト鵜久森12年目で初満弾 昨季まで計6発なのに今季4発3本V弾”. スポーツニッポン. (2016年8月26日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20160331/swa16033105070004-n2.html 2016年8月27日閲覧。 
  8. ^ “地獄見た鵜久森が史上初開幕カード代打サヨナラ満弾”. 日刊スポーツ. (2017年4月3日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1801761.html 2017年4月3日閲覧。 
  9. ^ “ヤクルト鵜久森サヨナラ打 中日岩瀬が今季初黒星”. 日刊スポーツ. (2017年4月13日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1806835.html 2017年4月13日閲覧。 
  10. ^ “ヤクルト鵜久森が親孝行「地元で打ててよかった」”. 日刊スポーツ. (2018年4月25日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201804250000881.html 2018年12月22日閲覧。 
  11. ^ “48人が参加 プロ野球合同トライアウト/詳細” (日本語). nikkansports.com. https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811120000147.html 2018年12月17日閲覧。 
  12. ^ a b “元ヤクルト鵜久森が現役引退 第2の人生は保険会社”. 日刊スポーツ. (2018年12月22日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201812210000853.html 2018年12月22日閲覧。 
  13. ^ “元ヤクルト・鵜久森、現役引退で営業マン転身 同期ダルビッシュのねぎらいに「凄くうれしい」”. スポーツニッポン. (2018年12月23日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/12/23/kiji/20181223s00001173329000c.html 2018年12月24日閲覧。 
  14. ^ a b “【ヤクルト】鵜久森「いて良かったと思われる活躍がしたい」”. スポーツ報知. (2016年2月21日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160221-OHT1T50200.html 2016年3月31日閲覧。 
  15. ^ “戦力外男が救った!燕、鵜久森の自身4年ぶり1号で開幕5連敗阻止(3)”. サンケイスポーツ. (2016年3月31日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20160331/swa16033105070004-n3.html 2016年3月31日閲覧。 
  16. ^ “ヤクルト 13年目鵜久森がプロ初盗塁「珍事でしょう」”. スポーツニッポン. (2017年5月6日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/05/06/kiji/20170506s00001173378000c.html 2017年5月24日閲覧。 
  17. ^ 日本ハムのおもしろ“髪ラツ”企画 若手選手がヘアデザインのモデルに 今年はダレ?ZAKZAK、2017年7月3日閲覧。
  18. ^ ファイターズスタイルカットハウスしばた、2017年7月3日閲覧。
  19. ^ 【日本ハム】鵜久森に双子のベビー誕生 : nikkansports.com2015年8月26日閲覧。
  20. ^ ハム鵜久森1日に見舞い「最後に会えた…」”. 日刊スポーツ (2014年9月2日). 2015年11月7日閲覧。
  21. ^ 2015年選手登場曲.北海道日本ハムファイターズ.2016年11月11日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]