フリオ・フランコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
フリオ・フランコ
Julio Franco
石川ミリオンスターズ 選手兼任監督 #14
Julio Franco.jpg
フリオ・フランコ(2007年)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 アト・マジョール州アト・マジョール・デル・レイ
生年月日 1958年8月23日(57歳)(公称)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手一塁手
プロ入り 1978年 アマチュア・フリーエージェントとしてフィラデルフィア・フィリーズと契約
初出場 MLB / 1982年4月23日
NPB / 1995年4月1日
KBO / 2000年4月5日
最終出場 MLB / 2007年9月17日
NPB / 1998年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

フリオ・セサル・ロブレス・フランコJulio Cesar Robles Franco , 1958年8月23日(公称) - )は、ドミニカ共和国アト・マジョール州アト・マジョール・デル・レイ出身のプロ野球選手内野手)、プロ野球コーチプロ野球監督。右投げ右打ち。

来歴・人物[編集]

1978年フィラデルフィア・フィリーズと契約。1982年メジャーデビュー。1988年から1991年にかけてシルバースラッガー賞を受賞。1991年には打率.341で首位打者を獲得している。

1995年MLB史上最長のストライキによる影響で千葉ロッテマリーンズでプレー。シーズン後、長打力不足やGM広岡達朗との確執からロッテを解雇されたが、その際「ヒロオカが辞めたら帰ってくる」と言い残し帰国。広岡解任後の1998年に宣言通り復帰した(このときすでに40歳だったが、当時27歳だったジェイソン・トンプソンを外国人枠から押しのけて契約した)。ロッテではそのリーダーシップを買われ、外国人選手としては珍しく主将を務めた。1990年1996年には、日米野球のメジャーリーグ選抜としても来日している。

現役生活は40代後半まで続き、2005年6月27日にはメジャーリーグ史上最年長(46歳と308日)での満塁本塁打を記録。その他にも史上最年長での代打ホームランや史上最年長での1試合2盗塁など「史上最年長」と付く記録の多くを塗り替えた。食事を脂肪に変えず、エネルギーを欠乏させないために1日に5〜6食、少ない量の食事を摂るボディビル式の調整法などで、45歳の時チームメートをして「フランコほどコンディションのよい選手は他にいない」といわしめたほどである。

2006年4月20日対サンディエゴ・パドレス戦では代打本塁打を放ち、1930年にフィラデルフィア・アスレチックスジャック・クインが46歳と357日目で放ったメジャー最年長本塁打記録を更新。2007年5月4日の対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でランディ・ジョンソンから2点本塁打を放ち、自身の持つ最年長記録を48歳254日まで伸ばした。

しかし生年には様々な説があり、ロッテ時代には1961年生まれとされていたが、後にメジャーリーグ機構の発表で1958年と訂正された。1955年生まれという説(2004年放送のプロ野球珍プレー・好プレー大賞で登場した時も、「(当時)45歳というのは嘘で本当は48歳」と自称していた)もあり、実際の生年は今も不明である。1955年生まれだとすれば最年長本塁打記録は50歳を超えていたことになる。

2008年はメキシカンリーグのキンタナロー・タイガースでプレーしていたが、5月3日に同年限りの現役引退を明らかにした[1]

メジャー通算2586安打は、ドミニカ共和国出身者としてエイドリアン・ベルトレブラディミール・ゲレーロに次ぐ歴代3位。また、日本のプロ野球で286安打、韓国プロ野球で156安打、メキシカンリーグで316安打、ドミニカウィンターリーグで267安打、メジャー傘下のマイナーリーグで618安打を放っており、プロ26年間で公式戦通算4229安打を記録している[2]

2012年1月、メキシカンリーグプエブラ・パロッツの監督に就任した。

2014年5月、米独立リーグ、ユナイテッドリーグフォートワース・キャッツがコーチ兼任契約をした事を発表[3]。 55歳で6年ぶりに現役復帰し[4][5]、主に4番DHで7試合に出場し27打数6安打を記録した。

2015年石川県を本拠地とするBCリーグ石川ミリオンスターズに選手兼任監督として入団 [6]

選手としての特徴[編集]

バットのグリップを上に掲げ、バットの先を投手に向ける非常に個性的なフォームが特徴。この打撃フォームをはじめたきっかけは「神のお告げがあったから」だと語っている。典型的なアベレージヒッターであり、1991年には首位打者を獲得。MLB通算打率も.298と高い。

足も速く、かつては30盗塁以上を何度も記録していたが、1992年に膝の大怪我をしてしまい、それ以降はほとんど盗塁は出来なくなった。しかし40歳後半になってからも、少ないながら毎シーズン盗塁を記録した。

デビュー当初は遊撃手だったが、あまりのエラーの多さから二塁手にコンバートされた経緯がある。二塁手に関しても足の割に守備範囲が狭いことなどであまり評価は高くなかった。膝を痛めてからは一塁手、指名打者に専念した。NPBでは1995年に一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1982 PHI 16 32 29 3 8 1 0 0 9 3 0 2 1 0 2 1 0 4 1 .276 .323 .310 .633
1983 CLE 149 598 560 68 153 24 8 8 217 80 32 12 3 6 27 1 2 50 21 .273 .306 .388 .693
1984 160 718 658 82 188 22 5 3 229 79 19 10 1 10 43 1 6 68 23 .286 .331 .348 .679
1985 160 703 636 97 183 33 4 6 242 90 13 9 0 9 54 2 4 74 26 .288 .343 .381 .723
1986 149 636 599 80 183 30 5 10 253 74 10 7 0 5 32 1 0 66 28 .306 .338 .422 .760
1987 128 560 495 86 158 24 3 8 212 52 32 9 0 5 57 2 3 56 23 .319 .389 .428 .818
1988 152 676 613 88 186 23 6 10 251 54 25 11 1 4 56 4 2 72 17 .303 .361 .409 .771
1989 TEX 150 621 548 80 173 31 5 13 253 92 21 3 0 6 66 11 1 69 27 .316 .386 .462 .848
1990 157 670 582 96 172 27 1 11 234 69 31 10 2 2 82 3 2 83 12 .296 .383 .402 .785
1991 146 659 589 108 201 27 3 15 279 78 36 9 0 2 65 8 3 78 13 .341 .408 .474 .882
1992 35 123 107 19 25 7 0 2 38 8 1 1 1 0 15 2 0 17 3 .234 .328 .355 .683
1993 144 607 532 85 154 31 3 14 233 84 9 3 5 7 62 4 1 95 16 .289 .360 .438 .798
1994 CWS 112 505 433 72 138 19 2 20 221 98 8 1 0 5 62 4 5 75 14 .319 .406 .510 .916
1995 ロッテ 127 540 474 60 145 25 3 10 206 58 11 7 0 3 60 5 3 106 15 .306 .385 .435 .820
1996 CLE 112 499 432 72 139 20 1 14 203 76 8 8 0 3 61 2 3 82 14 .322 .407 .470 .877
1997 78 328 289 46 82 13 1 3 106 25 8 5 1 0 38 2 0 75 13 .284 .367 .367 .734
MIL 42 177 141 22 34 3 0 4 49 19 7 1 0 4 31 2 1 41 4 .241 .373 .348 .721
'97計 120 505 430 68 116 16 1 7 155 44 15 6 1 4 69 4 1 116 17 .270 .369 .360 .730
1998 ロッテ 131 562 487 78 141 27 2 18 226 77 7 5 0 3 68 8 4 107 16 .290 .379 .464 .843
1999 TB 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2000 三星 132 549 477 79 156 19 1 22 243 110 12 5 0 7 63 5 2 86 11 .327 .403 .509 .912
2001 ATL 25 101 90 13 27 4 0 3 40 11 0 0 0 0 10 1 1 20 3 .300 .376 .444 .821
2002 125 383 338 51 96 13 1 6 129 30 5 1 2 3 39 3 1 75 13 .284 .357 .382 .739
2003 103 223 197 28 58 12 2 5 89 31 0 1 0 1 25 5 0 43 8 .294 .372 .452 .824
2004 125 361 320 37 99 18 3 6 141 57 4 2 1 3 36 4 1 68 10 .309 .378 .441 .818
2005 108 265 233 30 64 12 1 9 105 42 4 0 1 3 27 1 1 57 10 .275 .348 .451 .799
2006 NYM 95 179 165 14 45 10 0 2 61 26 6 1 0 0 13 2 1 49 11 .273 .330 .370 .699
2007 40 61 50 7 10 0 0 1 13 8 2 1 0 1 10 0 0 13 1 .200 .328 .260 .588
ATL 15 45 40 1 10 3 0 0 13 8 0 0 0 1 4 1 0 10 1 .250 .311 .325 .636
'07計 55 106 90 8 20 3 0 1 26 16 2 1 0 2 14 1 0 23 2 .222 .321 .289 .610
MLB:23年 2527 9731 8677 1285 2586 407 54 173 3620 1194 281 107 19 80 917 67 38 1341 312 .298 .365 .417 .782
NPB:2年 258 1102 961 138 286 52 5 28 432 135 18 12 0 6 128 13 7 213 31 .298 .382 .450 .832
KBO:1年 132 549 477 79 156 19 1 22 243 110 12 5 0 7 63 5 2 86 11 .327 .403 .509 .912
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

MLB

表彰[編集]

MLB
NPB

記録[編集]

MLB
※その他にも代打本塁打、満塁本塁打、1試合2盗塁など最年長記録を多く保持。

背番号[編集]

  • 15 (1982年)
  • 14 (1983年 - 1994年、2003年 - 2005年、2007年途中 - 同年終了、2015年 - )
  • 21 (1995年[7]
  • 23 (1996年 - 1997年、2002年途中 - 同年終了、2006年 - 2007年途中)
  • 7 (1998年)
  • 18 (1999年)
  • 28 (2001年 - 同年途中)
  • 4 (2001年途中 - 2002年途中)

脚注[編集]

  1. ^ Franco officially ends 23-year career Veteran of eight teams retires at 49, was oldest player to homer”. AP通信. 2008年5月4日閲覧。
  2. ^ http://superichirocrazy.wordpress.com/2013/08/09/approaching-4000/
  3. ^ THE AGELESS JULIO FRANCO TO PLAY FOR THE FORT WORTH CATS IN OPENING HOME STAND”. fwcats.com: News. 2014年5月16日閲覧。
  4. ^ 55歳フランコが現役復帰=米独立リーグと契約”. 時事通信. 2014年5月17日閲覧。
  5. ^ 元ロッテ・フランコが55歳で現役復帰
  6. ^ 監督・ヘッドコーチ就任決定 及び、就任記者会見のお知らせ”. 石川ミリオンスターズ 公式ページ (2015年2月8日). 2015年2月8日閲覧。
  7. ^ 入団時に背番号4を与えられるがシーズン開幕前、ピート・ローズにあやかり小宮山悟がつけていた14番を希望し譲渡してほしいと懇願したが断られる。その後自身が尊敬するロベルト・クレメンテの背番号21に変更。このため21番だった吉田篤史は0に変更。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]