熊原健人
横浜DeNAベイスターズ #22 | |
---|---|
![]() 2016年6月18日、横浜スタジアムにて
|
|
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 宮城県角田市 |
生年月日 | 1993年10月19日(24歳) |
身長 体重 |
178 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2015年 ドラフト2位 |
初出場 | 2016年5月3日 |
年俸 | 1,300万円(2018年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
|
|
この表について
|
熊原 健人(くまばら けんと、1993年10月19日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する宮城県角田市出身のプロ野球選手(投手)。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
実家は室町時代から18代にわたって続く深山(しんざん)神社で、長らく神主を務めていた実父の三男として出生[2]。幼稚園から北郷小学校5年生の時まで水泳を習った後に、小学6年生から本格的に野球を始めた。当初のポジションは遊撃手だった。
小学校時代に桜ドラゴンズ[3]、北角田中学校時代に軟式野球部に所属した後に、柴田高校へ入学。春夏とも甲子園球場の全国大会へ出場できなかったが、地元の仙台大学から誘いを受けたことを機に、後述する経緯で同大学に進んだ。
大学時代には、2年時に春から仙台六大学のリーグ戦に登板したが、腰痛の発症によって秋季リーグ戦に登板できなかった[4]。3年時の春季リーグ戦では、エースとして4勝0敗、防御率1.71の成績を残すとともに、MVPとベストナインを獲得。チームの67季振りリーグ優勝および、チーム初の全国大会(第63回全日本大学野球選手権大会)出場に貢献した[4]。3年時の秋季リーグでは、東北学院大学戦でノーヒットノーランを達成している[5]。4年時には、春季リーグ戦に4勝0敗、防御率0.63の成績で[6]2度目のMVP、秋季リーグ戦に2勝1敗、防御率1.05の成績で2度目のベストナインに選出。在学中には、リーグ戦通算23試合の登板で、13勝4敗、171投球回、153奪三振、防御率1.42を記録した。
また、大学3年時と4年時に、2年連続で全日本大学野球選手権大会へ出場。3年時の第63回大会では、福岡大学との初戦に9回2/3を投げて1失点で勝利を収めたものの、チームは次戦で神奈川大学の濱口遥大と投げ合い敗れた。4年時の第64回大会では、初戦で九州産業大学に敗れたものの、13奪三振を記録した。
さらに、第63回全日本大学野球選手権大会の直後には、第27回ハーレムベースボールウィークの日本代表に選出。3年時の11月には、NPB球団所属の若手選手などと共に第1回21U野球ワールドカップ日本代表[7]に選ばれると、最速150km/hのストレートを武器に[8]救援投手として活躍した。
2015年プロ野球ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから2巡目で指名。契約金7,500万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件[9]で、仙台大学出身者としては初めてのプロ野球選手になった。また、入団を機に、DeNAの投手では初めて背番号1を着用している(詳細後述)。
プロ入り後 [編集]
2016年には、同期入団の今永昇太・柴田竜拓・戸柱恭孝と共に、春季キャンプの一軍メンバーに抜擢。しかし、大学時代に発症した右脇腹痛がオープン戦の期間中に再発した[10]影響で、上記のメンバーからただ1人公式戦の開幕を二軍で迎えた。4月29日にプロ入り後初の出場選手登録を果たす[11]と、5月3日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)に2番手投手として一軍デビュー[12]。この試合から6月4日の対千葉ロッテマリーンズ戦(横浜)まで全て救援で10試合連続無失点を記録する[13]など、前半戦はもっぱら救援投手として経験を積んだ。7月12日の対中日ドラゴンズ戦(横浜)から先発に転向。転向2試合目の登板になった20日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で、5回を2失点に抑えて一軍初勝利を挙げた[14]。レギュラーシーズンでは、一軍公式戦で通算18試合(先発で3試合)に登板。1勝1敗、防御率4.97という成績を残した。7月29日の出場選手登録抹消後は一軍から遠ざかったため、チームのレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンでも登板の機会がなかった。
2017年には、レギュラーシーズンの開幕からイースタン・リーグ公式戦4試合の登板で防御率1.08を記録したほどの好調を背景に、5月25日の対中日戦(横浜)に先発。一軍公式戦へのシーズン初登板で、5回を投げて5点を失いながらも、シーズン初勝利を挙げた[15]。レギュラーシーズンでは、一軍公式戦4試合に全て先発で登板した末に、3勝1敗を記録。イースタン・リーグ公式戦全体では、13試合の登板でチームトップ(リーグ4位)の7勝を挙げた。チームはレギュラーシーズン3位・クライマックスシリーズ突破を経て19年振りに日本シリーズへ進出したが、熊原自身は前年に続いてポストシーズンで登板せず、日本シリーズの出場資格者名簿からも外れた[16]。日本シリーズ終了後の11月17日には、この年限りで現役を退いた高崎健太郎から背番号22を引き継ぐことや、レギュラー外野手の桑原将志が背番号1を着用することが球団から発表された[17]。
投球スタイル[編集]
左足をオープンに開き、腕を大きく上下に動かす独特のフォーム[18]から投げる最速152km/h[19]のストレート、 変化球は落差の大きなカーブに縦の高速スライダー、フォークを投げる[20]。2017年からはチェンジアップとシンカーを使用し始めた [21]。
人物[編集]
中学時代に憧れていた野球選手は、自身と同じ右腕投手で、地元・宮城県出身の由規(東京ヤクルトスワローズ)。
高校を卒業する際には、当時神主であった実父から、神主を継ぐべく神職養成所に通うことを再三にわたって勧められた。これに対して、熊原は仙台大学で野球を続けることを主張したことから、家族会議で進路を何度も検討。会社勤務の長男が19代目の神主を引き継ぐ意向を示したことや、実父が当時保有していた2台の自家用車から1台を売却して進学に必要な資金を確保したこと[9]から、熊原は仙台大学への進学を決めた[2][6]。2015年ドラフト会議の当日に全国ネットで放送された『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』(TBSテレビ制作)では、熊原および家族への密着取材を基に、再現ドラマや当事者のコメントを交えながら以上の経緯を紹介していた。熊原自身は、DeNAとの仮契約の際に、契約金の一部で両親に向けて乗用車を購入することを公言している[9]。
DeNAへの入団から2年間着用していた背番号1は、前身の球団に所属した投手を含めても、大洋ホエールズ時代の1950年に岩本信一が着用して以来2人目であった[3]。2018年から着用する背番号22は、仙台六大学リーグに加盟する東北福祉大学出身の佐々木主浩が、DeNAの前身球団(横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ)およびMLBのシアトル・マリナーズでの現役投手時代に付けていた。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | DeNA | 18 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 131 | 29.0 | 31 | 0 | 15 | 0 | 1 | 25 | 2 | 0 | 18 | 16 | 4.97 | 1.59 |
2017 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | .750 | 91 | 20.0 | 23 | 6 | 11 | 0 | 1 | 17 | 1 | 0 | 16 | 12 | 5.40 | 1.70 | |
NPB:2年 | 22 | 7 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | .667 | 222 | 49.0 | 54 | 6 | 26 | 0 | 2 | 42 | 3 | 0 | 34 | 28 | 5.14 | 1.63 |
- 2017年度シーズン終了時
記録[編集]
- 投手記録
- 初登板:2016年5月3日、対東京ヤクルトスワローズ6回戦(横浜スタジアム)、6回表に2番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、7回表に山田哲人から空振り三振
- 初先発登板:2016年7月12日、対中日ドラゴンズ13回戦(横浜スタジアム)、6回4失点で勝敗つかず
- 初勝利・初先発勝利:2016年7月20日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、5回2失点(自責点1)
- 打撃記録
- 初打席:2016年6月4日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(横浜スタジアム)、4回裏に南昌輝から投前バントゴロ
背番号[編集]
- 1 (2016年 - 2017年)
- 22 (2018年 - )
脚注[編集]
- ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2018年3月28日閲覧。
- ^ a b “【DeNA】ドラフト2位仙台大・熊原が“ハマの大明神”宣言!”. スポーツ報知. (2015年10月28日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ a b “DeNA2位熊原が夢プラン「子どもを試合に招待」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2015年12月8日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ a b 仙台大67季ぶりV PO制し初の全国舞台 nikkansports 2014年5月30日配信
- ^ 仙台大・熊原がノーヒットノーラン達成 nikkansports 2014年10月11日配信
- ^ a b “第10回 仙台大学 熊原 健人投手「どうすればプロになれるかと自問自答を繰り返した大学4年間」”. ベースボールドットコム 2015年10月19日閲覧。
- ^ 第1回21U野球ワールドカップ日本代表 熊原健人野球日本代表オフィシャルサイト
- ^ “プロスカウト大注目!東北の152キロ異色右腕”. THE PAGE. (2015年2月20日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ a b c “DeNAドラフト2位熊原契約金7500万、両親に車贈る”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2015年11月19日) 2015年11月18日閲覧。
- ^ “DeNA2位熊原が右脇腹痛で登板回避、2軍で調整”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2016年3月8日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ “DeNAが熊原を1軍登録、ペトリック、筒香を抹消”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2016年4月29日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ “DeNAが熊原1軍に興奮「本物だ」2回0封デビュー”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2016年5月3日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ “DeNA、ドラフト2位・熊原が11試合目で初失点「いずれ(失点は)あると思っていました」”. SANSPO.COM (サンケイスポーツ). (2016年6月7日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ “DeNAドラ2熊原がプロ初勝利「ひと安心です」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2016年7月20日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ “DeNA熊原、今季初勝利!今季最多17安打で13点の大量援護”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2017年5月25日) 2017年5月25日閲覧。
- ^ “2017年日本シリーズ出場資格者名簿(横浜DeNAベイスターズ)”. 日本野球機構. (2017年10月26日) 2017年11月17日閲覧。
- ^ “背番号変更のお知らせ | 横浜DeNAベイスターズ” (2017年11月17日). 2017年11月17日閲覧。
- ^ “プロ野球新人。開幕から1軍で使える人、時間のかかる人。”. THE PAGE (2016年2月29日). 2017年6月19日閲覧。
- ^ “仙台大・熊原 4年で球速10キロ増152キロ 創意工夫の右腕”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2015年10月18日) 2017年6月19日閲覧。
- ^ “ドラフト1位指名濃厚の剛速球右腕。 熊原健人のストレートを受けてきた。”. Sports Graphic Number. (2015年10月16日) 2017年6月19日閲覧。
- ^ “DeNA・熊原健人インタビュー 荒々しく、自分らしく”. 週刊ベースボール. (2017年4月26日) 2017年6月19日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 熊原健人 - NPB.jp 日本野球機構
|
|