歳内宏明
| 阪神タイガース #97 | |
|---|---|
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2015年8月29日 阪神鳴尾浜球場にて | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 出身地 | 兵庫県尼崎市 |
| 生年月日 | 1993年7月19日(25歳) |
| 身長 体重 |
184 cm 89 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2011年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 2012年9月2日 |
| 年俸 | 1,000万円(2019年)[1] |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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歳内 宏明(さいうち ひろあき、1993年7月19日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。
目次
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
尼崎市立小園小学校3年時から「猪名川エンジェルス」で野球を始めると、中学校時代にはボーイズリーグの宝塚ボーイズに所属した[2]。
オリックスブルーウェーブの打撃投手時代にイチローの練習パートナーとして知られた当時の宝塚ボーイズ監督・奥村幸治の勧めで、中学校からの卒業後に福島県の聖光学院高校へ進学[3][4]。1年生だった2009年の秋からベンチ登録を果たしたものの、対外試合の登板では、打たれ出すと止まらなくなる傾向が見られた。
2010年には、2年への進級当初まで4番手・5番手の投手として扱われていた[5]が、6月にスプリットの投げ方を身に付けたことから状況が好転[5]。夏の選手権福島大会直前に先輩投手が故障したこともあって、エースの座を確保する[4]と、チームを選手権全国大会出場に導いた。全国大会では、春の第82回選抜高等学校野球大会で準決勝まで進んだ広陵高校と初戦(2回戦)で対戦。有原航平との投げ合いを制して1-0で完封勝利を挙げると、3回戦でも履正社高に勝利した。準々決勝で島袋洋奨を擁する興南高校に3-10で敗れたものの、後に興南高校がこの大会で沖縄県勢初の春夏連覇を達成したことから、聖光学院も歳内も注目されるようになった。
2011年には、3年へ進級する直前の3月11日に発災した東日本大震災で、伊達市内にある聖光学院高校のグラウンドや寮が被災した。歳内もいったん実家へ帰省したが、発災のおよそ2週間後に野球部の練習が再開されると、練習と並行しながら他の部員と共にボランティアで支援物資の運搬などに携わった[5]。夏の選手権全国大会に福島代表で出場すると、日南学園高校との1回戦を、延長10回の末に5-4で勝利した。金沢高校との2回戦で釜田佳直と投げ合った末に2-4で敗れたため、「『被災地の思いを背負う』と言ってきました。チームのみんなにも、福島の人にも申し訳ないです」と涙ながらに語って甲子園を後にした[2]が、2試合を通じて奪った三振は30個にまで達した。
2011年8月28日から開催の第9回AAAアジア野球選手権大会に日本代表の一員として出場すると、この年のNPBドラフト会議で、地元球団の阪神タイガースから2巡目で指名[6]。契約金6,000万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は26。夏の選手権全国大会の常連校に数えられている聖光学院高校からプロ野球選手を輩出したのは、この年の歳内が初めてであった[7]。
プロ入り後[編集]
- ウエスタン・リーグの公式戦で、8月末までに4勝2敗、防御率2.32という好成績を記録[8]。9月2日の対広島東洋カープ戦(甲子園)で、先発投手として一軍デビューを果たした。
- 9月13日の二軍練習中に腰痛を発症。当初予定していた17日のDeNA戦(甲子園)の先発登板を回避した[9]ばかりか、一軍への再昇格を果たせないままシーズンを終えた。シーズン終了後の11月には、秋季キャンプへの参加を予定していたが、体調不良を理由に参加メンバーから外れている[10]。
- 春季キャンプからの二軍調整[11]を経て、4月7日にシーズン初の出場選手登録[12]。救援要員として5試合に登板したが、被安打4本のうち3本が本塁打で、5失点を喫するなど精彩を欠いた。同月24日に登録を抹消されると、そのままシーズンを終えた。なお、6月には、1年先輩の投手・岩本輝と共にミニキャンプでの調整に専念。ウエスタン・リーグの公式戦では、12試合に登板したが、2勝3敗、防御率4.87という成績にとどまった。
- 春季キャンプを一軍選手主体の「沖縄組」で迎えた後に、3月21日のウエスタン・リーグ公式戦でオリックス・バファローズを相手に「開幕投手」を務める[13]と、4月10日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)で一軍公式戦2年振りの先発を経験(詳細後述)。7月30日の対東京ヤクルトスワローズ戦(甲子園)では、2点ビハインドの4回表無死満塁から救援で登板したところ、2つの三振を奪うなど無失点でピンチを凌いだ。さらに、交代後にチームが逆転したことから、一軍での初勝利を挙げた[14]。
- レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦13試合(先発で3試合)に登板。さらに、レギュラーシーズンを2位で終えた一軍がクライマックスシリーズを突破したことから、日本シリーズへの出場資格を得た[15]。福岡ソフトバンクホークスとの対戦になった日本シリーズでは、第3戦(10月28日・福岡ヤフオク!ドーム)に唯一登板。7回裏からの救援登板で、2イニングを無失点に抑えた[16]。シーズン終了後の11月11日に甲子園で開かれた「日本プロ野球80周年記念試合」でも、阪神・巨人連合チームの投手として、7回表に登板している[17]。
- 2年続けて春季キャンプで「沖縄組」のメンバーに選ばれたが、キャンプ中に右肩を痛めてからは二軍で調整[18]。結局、シーズン初の出場選手登録は、6月14日にまで持ち越された。
- 8月19日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)5回裏には、能見篤史・歳内・山本翔也による継投で、球団史上ワーストの公式戦1イニング12失点を記録。先頭打者・長野久義からの4連打を含む6被安打で6失点の能見に代わって登板した歳内は、1被安打・2与四球・3失点という内容で、1死も取れないまま山本への交代を命じられた[19]。もっとも、レギュラーシーズン全体では、オール救援ながら一軍公式戦で自己最多の29試合に登板。試合序盤からのロングリリーフや、ビハインドの場面からの登板を中心に好投を続けた[20]結果、1勝1敗2ホールド、防御率2.62という成績を残した。
- 一軍のレギュラーシーズン3位で迎えたクライマックスシリーズでは、巨人とのファーストステージ第3戦(10月12日・東京ドーム)6回裏1死から、救援でシリーズ初登板。1回3分の2を無失点に抑えて福原忍に後を託したが、チームはこの試合でステージ敗退が決まった[21]。
- 3年連続で春季キャンプを「沖縄組」で過ごした後に、プロ入り後初めて、公式戦の開幕を一軍で迎えた[22]。開幕後は、オール救援で9試合に登板。2ホールド、防御率3.00を記録したが、4月28日の出場選手登録抹消を境に一軍から遠ざかった[23]。
- シーズン終了後には、メキシコで開かれた第1回WBSC U-23ワールドカップに日本代表の一員として参加[24]。救援で登板した4試合をいずれも無失点で凌ぐなどの好投[25]で、チームの優勝に貢献した[26]。
- シーズンを通じて右肩の違和感に悩まされたことから、一軍公式戦への登板機会がなく、ウエスタン・リーグの公式戦でも2試合の登板にとどまった。フェニックスリーグへの参加も見送ったため、シーズン終了後の11月16日には、右肩のリハビリに専念する目的で育成選手契約へ移行することが球団から発表された[27]。
- 2018年7月30日に支配下再契約し背番号は「126」から「97」に変更された。[28]。
選手としての特徴[編集]
スプリットフィンガード・ファストボール(SFF)が代名詞であり[7]、平均球速138km/h[29]、最速150km/h[30]のストレートとスプリットで三振を量産する[3]。その他にシュート[31]、スライダー[32]、カーブを投げる[33]。フィールディングにも定評がある[3]。
人物[編集]
入団会見では、宝塚ボーイズの先輩である田中将大を目標として挙げている[4]。
阪神入団3年目の2014年3月28日に、高校時代に知り合った女性との結婚を発表[34]。同年4月10日には、夫人が長女を出産した[35]。歳内自身は、長女の誕生当日に、DeNAとのナイトゲーム(甲子園)で先発。4回3失点で交代したが、チームは6-5でサヨナラ勝利を収めた[36]。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2012 | 阪神 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 21 | 5.0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 1 | 1 | 1.80 | 1.20 |
| 2013 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 32 | 8.0 | 4 | 3 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 5.63 | 0.75 | |
| 2014 | 13 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 103 | 24.0 | 23 | 3 | 10 | 0 | 1 | 25 | 0 | 0 | 19 | 18 | 6.75 | 1.38 | |
| 2015 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | .500 | 144 | 34.1 | 15 | 1 | 27 | 1 | 1 | 23 | 0 | 1 | 10 | 10 | 2.62 | 1.22 | |
| 2016 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 41 | 9.0 | 8 | 1 | 5 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 4 | 3 | 3.00 | 1.44 | |
| NPB:5年 | 57 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 4 | .333 | 341 | 80.1 | 54 | 8 | 46 | 1 | 3 | 55 | 4 | 1 | 39 | 37 | 4.15 | 1.24 | |
- 2017年度シーズン終了時
年度別守備成績[編集]
| 年 度 |
投手 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
| 2012 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
| 2013 | 5 | 0 | 2 | 1 | 0 | .667 |
| 2014 | 13 | 0 | 4 | 1 | 1 | .800 |
| 2015 | 29 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2016 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
| 通算 | 57 | 0 | 12 | 2 | 1 | .857 |
- 2017年度シーズン終了時
記録[編集]
- 初登板・初先発登板:2012年9月2日、対広島東洋カープ22回戦(阪神甲子園球場)、5回1失点で勝ち負けつかず
- 初奪三振:同上、1回表に菊池涼介から空振り三振
- 初勝利:2014年7月30日、対東京ヤクルトスワローズ13回戦(阪神甲子園球場)、4回表無死に2番手で救援登板、1回無失点
背番号[編集]
- 26 (2012年 - 2017年) ※2016 WBSC U-23ワールドカップ 日本代表でも着用
- 126(2018年 - 同年7月29日)
- 97 (2018年7月30日 - )
登場曲[編集]
- 「C.h.a.o.s.m.y.t.h.」 - ONE OK ROCK (2012年 - )
代表歴[編集]
- 日本代表
- その他
脚注[編集]
- ^ 阪神 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2018年11月8日閲覧。
- ^ a b “2試合30Kも…歳内“特別な夏”早すぎる終幕”. スポニチ Sponichi Annex. (2011年8月13日) 2012年5月18日閲覧。
- ^ a b c デイリースポーツ 2011年10月28日号 12版B
- ^ a b c 田口元義 (2012年1月31日). “阪神・歳内宏明と楽天・田中将大。共通する投手としての“道と才能”。”. Number.web. 2012年6月17日閲覧。
- ^ a b c “Close up 歳内宏明 福島・聖光学院「負けない男でいたい」”. 現代ビジネス. (2011年9月25日) 2011年11月5日閲覧。
- ^ “2011ドラフト会議にて伊藤隼太選手ら5選手を指名”. 阪神タイガース. (2011年10月27日) 2012年5月18日閲覧。
- ^ a b “【阪神2位】歳内宏明 “魔球”SFFは逸品!聖光学院史上初のプロ選手に”. スポニチ Sponichi Annex. (2011年10月27日) 2012年5月18日閲覧。
- ^ “阪神・歳内、1軍合流「気持ちを込めて投げるだけ」”. サンケイスポーツ. (2012年8月31日) 2012年9月3日閲覧。
- ^ “阪神歳内腰に強い張り 17日先発消えた”. 日刊スポーツ. (2012年9月14日) 2013年9月10日閲覧。
- ^ “【阪神】若手中心!11月に安芸キャンプ”. 日刊スポーツ. (2012年10月30日) 2013年9月10日閲覧。
- ^ “阪神歳内、安芸2軍キャンプスタートへ”. 日刊スポーツ. (2013年1月21日) 2013年9月10日閲覧。
- ^ “【阪神】歳内昇格即登板で1回をピシャリ”. 日刊スポーツ. (2013年4月27日) 2013年9月10日閲覧。
- ^ “阪神歳内2失点黒星発進「調子悪かった」”. 日刊スポーツ. (2014年3月21日) 2014年3月28日閲覧。
- ^ “虎連敗止めた歳内プロ1勝、無死満塁斬り”. 日刊スポーツ. (2014年7月31日) 2015年10月20日閲覧。
- ^ “日本シリーズ出場資格者40選手を発表”. 日刊スポーツ. (2014年10月23日) 2015年10月20日閲覧。
- ^ 2015年日本シリーズ第3戦スコアテーブル
- ^ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ日本プロ野球80周年記念試合 打席結果・投打成績
- ^ “歳内1軍昇格!2回を完璧3連続K”. デイリースポーツ. (2015年6月14日) 2015年10月20日閲覧。
- ^ “阪神悪夢の5回…10安打浴びてワースト12失点”. 日刊スポーツ. (2015年8月19日) 2015年10月20日閲覧。
- ^ “好調・阪神を支える2人の若きリリーフ”. デイリースポーツ. (2015年8月14日) 2015年10月20日閲覧。
- ^ 2015年10月12日(月)セントラル・リーグクライマックスシリーズ ファーストステージ第3戦スコアテーブル
- ^ “阪神2016年開幕1軍登録選手一覧”. 日刊スポーツ. (2016年3月23日) 2016年10月18日閲覧。
- ^ “阪神 岩田、歳内、清水を抹消、石崎、小宮山を登録”. 日刊スポーツ. (2016年4月28日) 2016年10月18日閲覧。
- ^ “「第1回 WBSC U-23ベースボールワールドカップ」に出場する侍ジャパンU-23代表選手が決定”. 野球日本代表オフィシャルサイト. (2016年10月12日) 2016年10月12日閲覧。
- ^ “野球U-23日本代表が世界一 阪神・歳内三者三振締め”. デイリースポーツ. (2016年11月7日) 2016年11月7日閲覧。
- ^ No. 1 Japan crowned World Champions, defeat No. 15 Australia in Final of WBSC U-23 Baseball World Cup WBSC | World Baseball Softball Confederation (英語) (2016年11月6日) 2016年11月7日閲覧
- ^ “育成選手契約について”. 阪神タイガース. 2017年11月16日閲覧。
- ^ “阪神・歳内が支配下登録 背番号は「126」から「97」に変更”. サンケイスポーツ. (2018年7月30日) 2018年7月30日閲覧。
- ^ 『野球太郎 No.004 プロ野球12球団選手名鑑』 廣済堂出版、2013年、74頁。ISBN 978-4-331-80228-1。
- ^ “歳内が自己最速150キロも…”. デイリースポーツ = 2015-08-01 2016年3月28日閲覧。
- ^ “阪神歳内2失点黒星発進「調子悪かった」”. 日刊スポーツ (2014年3月21日). 2016年6月2日閲覧。
- ^ “阪神歳内きっぱり「先発もう吹っ切れました」”. 日刊スポーツ (2015年11月12日). 2016年6月2日閲覧。
- ^ “歳内、新球落ちるカーブでフリー打撃快投”. 日刊スポーツ (2014年2月6日). 2016年6月2日閲覧。
- ^ “阪神歳内が結婚 聖光学院時代に知り合う”. 日刊スポーツ. (2014年3月28日) 2014年3月28日閲覧。
- ^ “阪神歳内に第1子の長女が誕生”. 日刊スポーツ. (2014年4月10日) 2014年4月10日閲覧。
- ^ “阪神歳内4回3失点降板「申し訳ない」”. 日刊スポーツ. (2014年4月10日) 2014年4月10日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 歳内宏明 - NPB.jp 日本野球機構
- 歳内 宏明 - 阪神タイガース公式サイト
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