履正社学園豊中中学校・履正社高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
履正社高等学校から転送)
移動先: 案内検索
履正社学園豊中中学校
履正社高等学校
Riseisha highschool.jpg
過去の名称 大阪福島商業高等学校
履正社中学校(旧制)
大阪福島商業学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人履正社
校訓 履正不畏
勤勞愛好
報本反始
設立年月日 1922年3月31日
創立記念日 4月20日
共学・別学 男女共学(普通コースのみ男子校
中高一貫教育 併設型(外部混合有)
(旧6ヵ年特進コースは現在、集約文理Ⅰ・Ⅱ類、普通Ⅲ類に組み込まれている)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 集約文理コース(Ⅰ類・Ⅱ類)
普通コース(Ⅲ類)
学期 3学期制
高校コード 27509D
所在地 561-0874
大阪府豊中市長興寺南四丁目3番19号
公式サイト 履正社学園豊中中学校
履正社高等学校
Portal.svg ウィキポータル 教育
Project.svg ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

履正社学園豊中中学校・履正社高等学校(りせいしゃがくえんとよなかちゅうがっこう・りせいしゃこうとうがっこう)は、大阪府豊中市長興寺南四丁目に所在する、私立中学校高等学校。中学校においては、他の高校への進学を目指すコース(「3ヵ年独立コース」)と、中高一貫教育を提供するコース(「6ヵ年特進コース」)を設置し、高等学校においては、他の中学から外部進学する生徒と第1学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校学校法人履正社が運営している。

概要[編集]

現在の履正社学園の創立は、1922年大正11年)、大阪府福島区海老江上二丁目(現・北区上福島1丁目)に創立された大阪府福島商業学校であり、姉妹校として1940年昭和15年)、 西淀川区加島町(現・淀川区加島神崎川畔に設立された履正社中学校(旧制)が源流となっている。

戦後、学制改革により新制となるが、中学校は廃止され、1955年(昭和30年)、履正社高等学校を大阪福島商業高校と改称する。

1972年(昭和47年)普通科を設置し、以後進学校としての道を歩めていく。1982年(昭和57年)商業科募集停止。1983年(昭和58年)、創立60周年を機に大阪福島商業高校を履正社高等学校と改称する。

1985年(昭和60年)、履正社学園豊中中学校を開校。

2000年(平成12年)、中学・高校ともに男女共学となる。高校に「国際特進コース」を設置し、中学に「6ヵ年特進コース」を新設、旧制履正社中学校以来の中高一貫教育が実現する。

創立以来、建学の精神を「履正不畏」「勤労愛好」「報本反始」としている。

高校では、「集約文理コース」(Ⅰ類(最難関大学を目指す)、Ⅱ類(難関大学を目指す))、「普通コース」(Ⅲ類、大学進学とクラブ活動の文武両道を目指す)が設置されている。6ヵ年特進コースの集約文理クラスは放課後の進学講習受講が義務付けられているため部活加入はできない。Ⅰ類では、2016年度より高校入試成績上位者約43名で編成される「スーパークラス」が編成されている。

普通コース・Ⅲ類は野球部、サッカー部、テニス部、バレーボール部などが全国レベルである。

校訓[編集]

  • 履正不畏…正を履んで畏れずとよむ。自ら由とするところを、自由・公正に勇気と責任を持って力強く履み行う、本校の基本的信条
  • 勤労愛好…勤労愛好は、勤勉で学問を愛することが若人の生きるしるしであり、それを正であるとして国家・社会と人間に役立つ教育をするということ
  • 報本反始…本に報い始めに返るとよむ。初心に返り、今日あらしめている本源、すなわち両親・先生などの先人の恩に報いるような教育をするということ

年表[編集]

教育課程の類型[編集]

履正社学園豊中中学校[編集]

  • 3ヵ年独立コース(難関高校受験対策)
    難関高校の受験対策を行う。そのため濃い授業内容の割りに進度が早く(学校側は公立中学校の1.7倍の授業量としている)、五ツ木書房駿台予備学校などの模擬試験対策も行う。灘高校東大寺学園高校[注 1]には毎年数人が合格・進学する。慶應義塾・早稲田系列の学校にも合格者を出しているほか、大阪の上位公立進学校(大阪府立北野高校など)に合格・進学する者もいる。
  • 6ヵ年特進コース(中高一貫教育
    卒業後原則履正社高等学校へ進学する。中高一貫教育を行い、先取り学習が行われている。よって中学の勉強にあまり固執せず高校範囲を学習し、3ヵ年独立コースとはカリキュラムにかなりの違いがある。五ッ木テストの代わりに校内実力テスト、駿台テストは受けずにベネッセの模擬テストを受ける。

放課後には進学講座または部活動に出席することができる。

履正社高等学校[編集]

  • 集約文理コース
    • Ⅰ類
    • Ⅱ類
  • 6ヵ年特進コース
    集約文理コース、6ヵ年特進コースは部活をすることはできない。これは放課後進学講座をするためである。
  • 普通コース(Ⅲ類)- 強化クラブ(硬式テニス部、硬式野球部、サッカー部、陸上競技部、剣道部、(男・女)、男子柔道部、女子柔道部、女子バレーボール部、吹奏楽部、女子硬式野球部)生のみで構成される。約129名。入試の際には中学校校長の推薦書を要する(専願受験のみである)。

設備[編集]

敷地の南側に4階建ての体育館、校舎の上には屋外プールと弓道場がある。本館4階にはホール(釜谷記念ホール)があり、入学試験や、中学校のみの始業・終業式、卒業式、生徒向けの各種検定試験などが催され、文化祭催行時には舞台となる。校舎は古いが、2004年頃からラグビー部などの部室を廃止して生徒指導室の拡張工事(その後、グラウンド近辺にラグビー部の部室ができ、野球部やサッカー部などの部室は茨木グラウンドの方に完成した)、教室の更新工事が行われた。教室に関しては廊下側と服部緑地側の窓枠の交換・ドアの交換・教室内のフローリング化が行われた。また、校舎側面のガラス防護用のネットも貼り直された。

2004年夏にグラウンドが全面人工芝となった。テニスコートは1面しかなく、茨木グラウンドの方にテニスコートがあるので、テニス部はここではあまり練習をしていない。茨木グラウンドはその名の通り茨木市にある運動場であり、部活動や生徒の親睦を深めるための球技大会などに使用される。野球場1つと球技を同時に2試合ができる運動場があり、どちらにも観客席がある。また、野球場は高等学校野球秋季大会で使用されている。

それぞれ1つだけある音楽室と美術室と家庭科室と視聴覚室と情報教室や体育館やグラウンドは高校と共用している。全ての教室の他に、体育館にも冷暖房機が付けられており、勉学に励みやすい環境を作っている。食堂のほかに自由に団欒できるカフェテリアがある。ただし、中学と高校を合わせた生徒数と比べると座席は少ない。

学校行事[編集]

履正社学園豊中中学校の修学旅行は、3ヵ年コースは北海道(23期生より富良野・それより前はキロロ)へのスキー合宿(2年次3月)、6ヵ年コースはカナダまたは沖縄の選択(3年次中盤)となっている。3ヵ年コースは高校受験のため、6ヵ年コースより先に修学旅行に行く。

部活動[編集]

中学

社会科部や理科部、空手部などには合宿もある。鉄道研究会は、2011年度に部に格上げされた。空手部は文化祭時に板割りなどの演舞を行う。

高校

同好会 高1・高2を対象とする、週1回の同好会活動。対外試合を目的としたり、大阪高体連に加盟したりするものではない。同好会はそれぞれ人数枠が決まっており、それに外れたものは強制的に自学自習同好会に入ることになっている。なお、本校では勉学中心のため部活動は盛んではなく、部活はあってないようなものである。

(スポーツ系同好会)

(文化系同好会)

  • 囲碁将棋同好会
  • 読書同好会
  • 音楽・コーラス同好会
  • 映画鑑賞同好会

強化クラブは以下の通りで、所属できるのは高校のⅢ類の生徒のみである。

高等学校硬式野球部[編集]

進学指導[編集]

合格実績水増し問題[編集]

進学実績が、1990年代後半より急激に数字の上では向上したが、学校が一部の優秀な生徒に、有名大学の入試を数多く受験させ、学校側が全額受験料を負担して合格実績を水増ししていたことが背景にある。このことについて学校側は、2007年(平成19年)7月23日付けの読売新聞上で、「経済的支援が必要な生徒への奨学金のようなもの。合格実績を上積みした認識はなく、今後も続ける」と説明。

交通アクセス[編集]

  • 最寄り駅は阪急宝塚本線曽根駅または北大阪急行電鉄南北線緑地公園駅である。
  • 曽根駅からだと、徒歩で国道176号線を越えて東へ15分ほどである。
  • 緑地公園駅から徒歩18分ほどであり、西へ向かって服部緑地内を通過し天竺川を渡ったところであるが、校門は反対側にあるため大回りをしなくてはならない。
  • 下校時の緑地公園駅まで、女子生徒にのみスクールバスがある。緑地公園駅行きの下校時だけスクールバスがある理由は、服部緑地内は夜間に痴漢等の不審者が出る可能性があるためであり、かつ曽根駅前ロータリーには大型車は路線バス以外は入れないからである。バスは3台あるが、下校時に普段使われるのはそのうち一番小さいものである。他のバスは運動系クラブ員の学校から茨木グラウンドの輸送などに使われる。
  • また自転車で通学する生徒も多い。
  • 自動車での送り迎えは原則禁止である。
  • 校内に専用の駐車場はない。学校のスクールバスの駐車場は学校前の郵便局横に2006年(平成18年)に設置された。

歴代学校長[編集]

  • 初代:釜谷善蔵(大正11年4月 - 大正14年4月)
  • 2代:西岡純平(大正14年5月 - 昭和2年2月)
  • 3代:釜谷善蔵(昭和2年3月 - 昭和15年4月)
  • 4代:梅村武次郎(昭和16年4月 - 昭和24年3月)
  • 5代:釜谷善蔵(昭和24年4月 - 昭和41年1月)
  • 6代:釜谷行蔵(昭和41年2月 - 昭和48年3月)
  • 7代:橘孝(昭和48年4月 - 昭和49年7月)
  • 8代:江川登(昭和49年8月 - 昭和58年3月)
  • 9代:井内嘉美(昭和58年4月 - 平成5年8月)
  • 10代:釜谷行蔵(平成5年9月 - 平成6年3月)
  • 11代:岸仲徹(平成6年4月 - 平成9年3月)
  • 12代:前田恭幸(平成9年4月 - 平成17年3月)
  • 13代:村瀬典弘(平成17年4月 - 平成20年3月)
  • 14代:小森重喜(平成20年4月 - )

歴史[編集]

鮮満旅行[編集]

昭和初期には大阪の学校では珍しく、修学旅行満州国へ行っていた。これは大東亜戦争太平洋戦争)が進むにつれ、反日運動が激化したために打ち切られることになった。ルートとしては大阪から下関まで急行で行き、そこから船で釜山へ渡り、そこから朝鮮にて朝鮮神宮朝鮮総督府南大門などの観光をして満州へ入り、同国の観光をするといった経路であった。これを当時は朝鮮・満州の名前から取って、鮮満旅行と呼んでいた。1925年(大正14年)から1936年(昭和11年)まで11回実施され、771名の生徒が参加した。

戦時下での廃校[編集]

1944年(昭和19年)、戦時下の影響により大阪府福島商業学校は廃校することとなった。戦局が悪化に伴い当局では工業教育が重視され、商業学校は工業学校に転換せよと政府から命令があったのにも関わらず、創立者の釜谷理事長が強固に反対したためである。これは釜谷理事長は戦時中でも商業は必要であると考えていたからである。

ブルートレインの車両[編集]

かつて、学校内で合宿を行うことがあり、その宿舎として、敷地内にはブルートレイン国鉄20系客車の3段寝台車)の車両が置かれていた[7]。現在は解体されてない。

ブルトレの名前は「正夢号」で、1987年(昭和62年)、国鉄(現・JR)より、大阪長野間を走っていた急行「ちくま」号の最後尾車両を学校が1600万円で購入したものであった。車掌室に畳を敷き、教師の宿泊室に、さらに冷暖房、水洗トイレ、外に3台シャワー室を取り付けて使用した。中は3段ベッドで定員は48人、ちょうど1クラス分であった。1987年に、NHKや全国版の新聞でこの合宿が報道されている。

著名な出身者[編集]

スポーツ選手・関係者[編集]

プロ野球[編集]

投手
捕手
内野手・外野手

その他競技[編集]

その他[編集]

系列校[編集]

脚注および参照[編集]

参照
脚注
  1. ^ 甲陽学院高校2009年度以降高校募集を停止した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]