濱田達郎
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中日ドラゴンズ #69 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 愛知県名古屋市中川区 |
生年月日 | 1994年8月4日(26歳) |
身長 体重 |
185 cm 95 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2012年 ドラフト2位 |
初出場 | 2014年4月29日 |
年俸 | 550万円(2021年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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派遣歴 | |
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この表について
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濱田 達郎(はまだ たつろう、1994年8月4日 - )は、愛知県名古屋市中川区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。メディアによっては「浜田達郎」の表記も見られる。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
野球を始めたきっかけは図工の宿題で使うどんぐりを拾いに公園に行った際に野球をやっていた同級生から誘われた事。名古屋市立長良中学校時代はボーイリーグの「名古屋ファイターズ」に所属。チームの先輩には高校の先輩でもある、堂上剛裕がいた。
高校は愛知工業大学名電高等学校に進学。1年春からベンチ入りし、秋以降はエース。2年夏の第93回全国高等学校野球選手権大会愛知県大会では決勝進出するも、決勝では至学館に及ばず甲子園を逃す。2年秋の県大会、東海大会で優勝し、明治神宮野球大会にも出場し準優勝。神宮大会では松坂大輔の31奪三振を抜き歴代2位となる40奪三振の大会記録を達成した。3年時は春夏連続で甲子園に出場。同学年の大谷翔平(花巻東)、藤浪晋太郎(大阪桐蔭)らとともに「高校BIG3」と取り上げられた[2]。第84回選抜高等学校野球大会では1回戦で完封勝利、2回戦も2失点完投勝利するも、準々決勝で青森光星学院に敗戦。夏の第94回全国高等学校野球選手権大会では浦添商に初戦で敗れた。高校の2学年先輩に谷口雄也がいる。秋には藤浪らとともに、第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選出された。
2012年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け、11月11日に契約金6000万円、年俸660万円で入団に合意した[3]。背番号は43。
中日時代[編集]
2013年には、ウエスタン・リーグの公式戦に先発で起用されるなど20試合に登板したが、2勝8敗、防御率6.39という成績に終わった。高校3年生の頃から抱えていた左肩の不安に加えて、直球の威力を増す為に敢行したスリークォーターからオーバースローへの投球フォーム改造が裏目に出て、実戦登板ではコントロールが定まらずに連打や連続四死球で失点を喫するケースが目立った。シーズン終了後のフェニックス・リーグから、二軍投手コーチの小笠原孝より助言を受け、フォームをスリークォーターに戻した。12月に参加した台湾でのウィンターリーグでは、4試合に登板。防御率1.80と好投した。
2014年には、春季キャンプを一軍でスタート[4]。4月27日にプロ入り初の一軍に登録。5月7日の対阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)で、予告先発されていた川上憲伸が腰痛で登板を回避したことから急遽先発で登板、6被安打11奪三振の内容で、中日では近藤真一が新人投手として1987年に達成して以来の一軍初先発、初完投、初完封勝利を挙げた。予告先発からの変更で先発した投手ではセントラル・リーグ初の記録[5]。6月29日の対阪神戦(阪神甲子園球場)では、一軍初打点とシーズン4勝目を挙げた。10代で公式戦に登板した中日の投手では初めて、初先発からの4連勝を記録した[6]。これをきっかけに先発ローテーション入りして5勝を挙げたが、8月26日の横浜DeNAベイスターズ戦(ナゴヤドーム)で先発登板した際に左肘の違和感を訴えて11球で降板。病院での検査の結果、左肘の靭帯損傷が発覚し、その後のシーズンを棒に振った[7]。
2015年は靭帯損傷から復帰し4試合に先発登板するも、1勝もできなかった。オフにドミニカ・ウィンターリーグに派遣[8]。チームメイトのアンダーソン・エルナンデスも所属するティグレス・デル・リセイに所属するも、3試合に登板し0回と2/3しか投げられず、防御率40.50と不調だった[9]。
2016年は3月30日の広島東洋カープ戦に先発するも、4回0/3で7失点と試合をつくれず、翌31日に登録抹消。ウエスタンでは10試合で0勝1敗、防御率3.10という成績を残した。9月中旬より左腕のしびれを訴え、10月27日に左肘尺骨神経剥離術を受けた[10]。10月29日、球団より来季の契約を結ばないことが発表され[11]、11月18日に育成選手として再契約した[12]。
2017年4月25日、左肘尺骨神経剥離術を再び受け[13]、10月31日に自由契約公示されたものの[14]、引き続き来季も育成選手として再契約することが発表された[15]。
2018年6月27日のオリックス戦で自身約2年ぶりとなるマウンドに立つが、9月に左腕の血行障害が発覚。またも手術を受けることになった。その後自由契約公示を受けたものの[16]、引き続き育成選手として在籍することとなった。
2019年は復帰戦で白星を上げたもののそれ以降の勝ち星はなく、17試合に登板し防御率8.77の記録に留まる。10月30日、規定により自由契約公示[17]された後、11月18日に支配下登録選手として再契約することが発表された。
2020年8月4日の対横浜DeNAベイスターズ戦で、2016年3月30日以来となる1軍登板。26歳の誕生日なった登板を1回無失点に抑えた[18]。
選手としての特徴[編集]
スリークォーターから最速147km/hの速球とキレのあるスライダー、110km/h前後のカーブを用いた緩急自在のピッチングと高校時代に延長11回でもその試合最速となる146km/hを記録するスタミナが持ち味。他に、SFFやシュートも投じるが全体的に制球力を課題とする。
支配下登録復帰後はフォームをサイドスローに変更した[19]。
また、牽制が上手である。高校時代には投手ながら高校通算10本塁打も記録するなどバッティングもいい。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014 | 中日 | 16 | 13 | 1 | 1 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | .625 | 352 | 79.2 | 80 | 8 | 33 | 0 | 4 | 72 | 3 | 0 | 40 | 36 | 4.07 | 1.42 |
2015 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 72 | 15.2 | 10 | 3 | 16 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 13 | 13 | 7.47 | 2.00 | |
2016 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 25 | 4.0 | 8 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 7 | 7 | 15.75 | 3.25 | |
2020 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 27 | 5.1 | 7 | 2 | 3 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 4 | 4 | 6.75 | 1.88 | |
NPB:4年 | 28 | 18 | 1 | 1 | 0 | 5 | 7 | 0 | 0 | .417 | 476 | 104.2 | 105 | 13 | 57 | 0 | 5 | 86 | 4 | 0 | 64 | 60 | 5.16 | 1.55 |
- 2020年度シーズン終了時
年度別守備成績[編集]
年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2014 | 中日 | 16 | 4 | 5 | 1 | 0 | .900 |
2015 | 4 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2020 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 28 | 5 | 11 | 1 | 0 | .941 |
- 2020年度シーズン終了時
記録[編集]
- 投手記録
- 初登板:2014年4月29日、対横浜DeNAベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、8回裏に4番手で救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:2014年5月3日、対読売ジャイアンツ7回戦(ナゴヤドーム)、4回表に橋本到から空振り三振
- 初先発・初勝利・初先発勝利・初完投・初完投勝利・初完封勝利:2014年5月7日、対阪神タイガース8回戦(ナゴヤドーム)、9回11奪三振
- 打撃記録
- 初打点:2014年6月29日、対阪神タイガース12回戦(阪神甲子園球場)、1回表に能見篤史から一ゴロの間に記録
- 初安打:2014年7月6日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、3回表に澤村拓一から中前安打
背番号[編集]
- 43 (2013年 - 2016年)
- 203 (2017年 - 2019年)
- 69 (2020年 - )
脚注[編集]
- ^ 中日 - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2020年12月12日閲覧。
- ^ 高校球児「ビッグ3」が揃い踏み 世界一へ始動 〈週刊朝日〉AERA dot. 2012年9月5日
- ^ 中日・浜田が合意、守道「使えるならすぐ使う」 - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ) 2012.11.11 10:33配信
- ^ 中日スポーツ 2014年1月21日
- ^ 中日・浜田 川上故障で緊急先発 代役投手の勝利はセ・リーグ初スポーツニッポン2014年5月8日配信
- ^ 中日浜田、無傷4連勝&プロ初打点ニッカンスポーツ2014年6月29日配信
- ^ 中日浜田 左肘損傷で今季絶望的日刊スポーツ 2014年8月28日
- ^ “中日、浜田達をドミニカ共和国に派遣「ご飯は何でも食べるので大丈夫」”. SANSPO.COM. (2015年10月3日) 2018年1月26日閲覧。
- ^ Tatsuro Hamada Japanese & Winter Leagues Statistics & History, Baseball-Reference.com
- ^ 中日浜田達、戦力外 左肘手術し育成で再出発誓う日刊スポーツ 2016年10月30日
- ^ “来季の契約について”. 中日ドラゴンズ公式サイト (2016年10月29日). 2016年10月30日閲覧。
- ^ 浜田達、期待の975万円 育成史上最高年俸中日スポーツ 2016年11月19日
- ^ 【中日】5年目・浜田達が左肘再手術…昨秋メスでリハビリも完治至らずスポーツ報知 2017年4月26日
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2017年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2017年10月31日). 2017年11月1日閲覧。
- ^ “契約更改のお知らせ”. http://dragons.jp 中日ドラゴンズ公式サイト (2017年11月30日). 2018年2月2日閲覧。
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2018年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2018年10月31日). 2018年11月4日閲覧。
- ^ 自由契約選手(育成選手) NPB公式サイト
- ^ 支配下に復帰の中日・濱田達郎が1588日ぶりに1軍マウンド…26歳の誕生日を自ら祝福 1イニング無失点も「少し力んだかも」 中日スポーツ 2020年8月4日
- ^ “「思ったよりも落ち着いて…」中日・浜田達が4年ぶり1軍登板で好投、4度の手術乗り越えサイドスローで復活”. 中日スポーツ. (2020年6月12日) 2020年11月4日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 濱田達郎 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 The Baseball Cube
- 濱田達郎 中日ドラゴンズ公式 選手名鑑(投手)
- 濱田達郎 (@tatsuro43) - Twitter
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